シナリオ

第二次ブルランの戦い

1862年 · 北米 重量

北軍(ヴァージニア軍) — 南軍(北ヴァージニア軍) · 12ターン · 駒 302

ブリーフィング

"We fought a terrific battle here yesterday with the combined forces of the enemy, which lasted with continuous fury from daylight until after dark, by which time the enemy was driven from the field, which we now occupy." 「昨日ここで敵の全軍と恐るべき戦いを交えた。戦いは夜明けから日没後まで休みなく続き、そのときまでに敵は戦場から追い払われ、いま我々がそこを占めている」――ジョン・ポープ、八月三十日早朝、ハレックへの電報。その日の夕方、追い払われたのはポープのほうだった。 八月二十九日の朝、ブル・ラン川の西の野に、ジャクソンの左翼が一本の土手の陰に伏せている。サドリーの教会からブローナー農場の先まで、敷きかけて放り出された鉄道の盛り土と切り通しが三キロにわたって続き、それがそのまま胸壁になった。ポープはこの軍を「逃げようとしている」と読んだ。だから一日じゅう、戦場に着いた師団と旅団から順に、土手へ送り込んだ。 その西、有料道路の南では、昼前にロングストリートの翼が着いて、北軍の左の延長線上に音もなく並んでいた。ポープはそれを知らなかったか、信じなかった。マナサス=ゲインズヴィル道のポーターは目の前に敵がいると報告し、動かなかった。 二日目の午後、ポーターの第V軍団が切り通しへ正面から当たって崩れる。そのとき、ロングストリートの二万五千が一斉に出た。 【勝ち方】勝敗は点差ひとつで決まる。点差=(自軍が支配する拠点の点数 − 敵軍が支配する拠点の点数)+(敵に与えた損害 − 自軍が受けた損害)。拠点は八つで一五五点:ヘンリー丘四〇・石橋二五・チン尾根二〇・切り通し二〇・グローヴトン一五・サドリー教会一五・石造りの家一〇・ブローナー農場一〇。北軍は最初に九五点を握り、南軍は四五点、グローヴトンは誰のものでもない。北軍から見た点差が勝利線(+48点)より上で終われば北軍の勝ち、下なら南軍の勝ち。線から23点離れれば戦術的勝利、185点で作戦的勝利、369点で圧倒的勝利。23点に届かなければ引き分けである。 【退く道】北軍だけは、盤の東の縁(センターヴィルへの有料道路の南)から抜けられる。抜けた部隊は戦闘力一につき一点。八月三十日の夜、ポープの軍はこの石橋を渡って退いた。 【起きない軍】南軍のロングストリート翼(フッド・ケンパー・D・R・ジョーンズ・ウィルコックス・エヴァンズ、のちに着くR・H・アンダーソン)は待機している。T10(八月三十日の十四時)から順に目を覚まし、T11(十六時)には全部が動く。攻められればその場で起きる。北軍のポーター第V軍団とピアットの旅団も待機していて、八月三十日の朝(T7)に起きる。 【一度に動かせる数】北軍は二八。T2(ハインツェルマンとレノが石橋を渡る)に一四、T6(キングとリケッツが南のサドリー道から着く)に八、T7(ポーターが起きる)に一〇が加わる。南軍は四〇。T10(ロングストリートが起きる)に二五が加わる。 【指揮官】北軍:Pope=ジョン・ポープ(ヴァージニア軍)、Sigel=フランツ・シーゲル(第I軍団・シュルツ、シェンク、ミルロイ)、McDowell=アーヴィン・マクダウェル(第III軍団・キング、リケッツ、レイノルズのペンシルヴェニア予備師団)、Heintzelman=サミュエル・ハインツェルマン(ポトマック軍第III軍団・カーニーとフッカー)、Porter=フィッツ・ジョン・ポーター(第V軍団・のち軍法会議)、Reno=ジェシー・レノ(第IX軍団)。Gibbon=ジョン・ギボン(鉄の旅団)、Buchanan と Chapman=サイクスの正規兵、Warren=ガヴァヌーア・ウォーレン。 南軍:Lee=ロバート・E・リー、Jackson=トマス・J・ジャクソン(左翼)、Longstreet=ジェイムズ・ロングストリート(右翼)、Hood=ジョン・ベル・フッド(テキサス旅団)、Gregg・Branch・Pender・Archer・Field・E.L. Thomas=A・P・ヒルの軽師団、Lawton・Trimble・Early・Forno=ユーエル師団(ユーエルは八月二十八日に脚を失った)、Starke・Baylor・B.T. Johnson・A.G. Taliaferro=ジャクソン師団、S.D. Lee=スティーヴン・D・リーの砲兵大隊、Stuart と Fitz Lee=騎兵。駒の名は、上が旅団長、下が連隊である。 【この盤で試せる判断】ひとつめ(北軍)。土手をどこから押すか。全部を正面に並べると、左――有料道路の南――が空く。そこには、まだ誰も見ていない軍が並んでいる。 ふたつめ(北軍)。二日目の朝に起きたポーターを、どこへ回すか。史実では切り通しの正面へ送られ、南西の稜線にいたS・D・リーの砲列に横から撃たれて崩れた。 みっつめ(南軍)。ジャクソンは土手から出るか。出れば手柄は取れるが、土手を離れた途端に横を見せる。 よっつめ(南軍)。ロングストリートが起きたとき、ヘンリー丘を目指すか、北軍の背後の石橋を目指すか。丘は四〇点、橋は二五点と北軍の退路である。 【結末】八月三十日の十六時、ロングストリートの翼が有料道路の南から一斉に出て、北軍の左を四キロにわたって巻き上げた。ニューヨーク第五連隊は十分ほどで三百人近くを失った。チン尾根で北軍の数個旅団が一時間を稼ぎ、そのあいだにヘンリー丘へ、サイクスの正規兵とレイノルズの予備師団が並んだ。丘は日没まで落ちず、その夜、北軍は石橋を渡ってセンターヴィルへ退いた。三日間の損害は北軍が約一万四千、南軍が約七千三百。 ポープは職を解かれてミネソタへ送られ、ポーターは命令に従わなかったとして軍法会議で免職になった(一八七九年に再審で名誉を回復した)。リーは九月の初めにポトマック川を渡ってメリーランドへ入り、二週間後、アンティータム川のほとりでマクレランと向き合う。   土手の陰に、三キロの軍が伏せている   逃げようとしている、と読んだ   一日じゅう、着いた順に送り込んだ   左の向こうに、誰も見ていない軍が並ぶ   十六時、四キロが巻き上がる   丘は日没まで落ちなかった 八月二十八日夕のブローナー農場の遭遇戦、九月一日のシャンティリーの戦い(カーニーとスティーヴンズが倒れた)は畳んである。ロングストリートの翼は、史実では八月二十九日の昼前に着いて並んだが、盤では開幕から有料道路の南に置いて眠らせてある。北軍は旅団を連隊ごとに割り、砲兵は師団ごとに一駒にまとめた。 1ヘクス=180m、1ターン=2時間、1CS≒250名。T1=8/29 08:00、T6=18:00、T7=8/30 08:00、T10=14:00(ロングストリートが目を覚まし始める)、T11=16:00(史実でロングストリートが出た刻)、T12=18:00。

地図

周辺図(概略) 第二次ブルラン マナサス・ジャンクション(8/27 南軍が焼く) センターヴィル → ワシントン サラフェア・ギャップ(8/28) ゲインズヴィル ラッパハノック川 ジャクソンの迂回(8/25〜27) ブルラン川 バージニア
周辺図(概略)
戦場図(概略) 未完成の鉄道(ジャクソンの線) 切り通し(8/30 午後) ヘンリー丘(日没まで) チン尾根 グローヴトン 石橋(夜、北軍が退く) ポーター(8/29 動かず) ロングストリート(8/30 16時) ブルラン川
戦場図(概略)