シナリオ

ヨークタウン包囲戦

1781年 · 北米 中量

米仏連合軍(ワシントン、ロシャンボー) — 英軍(コーンウォリス) · 12ターン · 駒 48

ブリーフィング

"Sir, I propose a cessation of hostilities for twenty-four hours, and that two officers may be appointed by each side, to meet at Mr. Moore's house, to settle terms for the surrender of the posts of York and Gloucester." 「閣下、二十四時間の休戦と、ヨークとグロスターの両陣地の降伏の条件を定めるため、双方から二名の将校を出してムーア氏の家で会わせることを提案いたします」──コーンウォリスからワシントンへ、1781年10月17日。サラトガの降伏から、ちょうど四年目の日付だった。 1781年10月6日の夜、ヴァージニア、ヨーク川の南岸の港町ヨークタウン。九月の初め、ド・グラス伯のフランス艦隊がチェサピーク湾の口でイギリス艦隊を退け、湾は閉じた。ワシントンとロシャンボーの米仏軍一万六千は、ニューヨークの前から南へ七百キロを歩いてきて町を囲んだ。コーンウォリスはクリントンの「救援の艦隊が出る」という手紙を信じて外の堡塁を捨て、町の周りの内側の線に籠っている。この夜、雨の中で千五百人が、英軍の線から七百ヤードの所に第一平行壕を掘る。 【勝ち方】勝敗は点差ひとつで決まる。点差=(自軍が支配する拠点の点 − 敵軍が支配する拠点の点)+(敵に与えた損害 − 自軍が受けた損害)。拠点は七か所で一一五点:ヨークタウン四〇・第10堡塁一五・第9堡塁一五・フュージリアーズ堡塁一五・角堡一五(以上英軍)、フランスの大砲台一〇・ムーア邸五(以上米仏軍)。英軍は最初に一〇〇点、米仏軍は一五点を持つ。米仏軍から見た点差が勝利線(-27点)より上で終われば米仏軍の勝ち、下なら英軍の勝ち。差が9点を超えれば戦術的勝利、69点で作戦的勝利、137点で戦略的勝利。9点に届かなければ引き分けである。英軍の勝ち方は持ちこたえること。米仏軍は時間の内に、どの堡塁まで取れるか。 【要塞】英軍の堡塁・胸壁と町は要塞である。中の駒は攻撃しなくてよく、攻められても全滅か攻め手の全滅のほかは膠着になる。要塞の駒の隣に入った包囲側には、ふつうどおり攻撃の義務がある。英軍の思考ルーチンは要塞の駒を要塞の外へ出さない(籠城)。米仏軍の思考ルーチンは、勝てない比で要塞の線に新しく張り付かない(堡塁そのものへの取り付きは止めない)。 【先に動く側】米仏軍が先に動く。 【重砲】第一平行壕のフランスとアメリカの重砲(ダボヴィルの砲、ラムの砲)は待機していて、T4(10月9日)に一斉に口を開く。射程は3。英軍の砲も射程3である。 【一度に動かせる数】米仏軍は十二、T6(10月11日・第二平行壕)に六増える。英軍は八。 【増援】どちらにも無い。英軍の救援の艦隊は10月19日にニューヨークを出て、24日に湾の口に着いた。盤の後である。 【指揮官】米仏軍:Washington=ジョージ・ワシントン、Rochambeau=ロシャンボー伯、Lafayette=ラファイエット侯(軽歩兵師団)、Hamilton=アレグザンダー・ハミルトン中佐、Laurens=ジョン・ローレンズ中佐、Muhlenberg(Vose・Gimat・Barber の各大隊)、Hazen、Dayton(ニュージャージー)、Olney(ロードアイランド)、Clinton・Van Cortlandt(ニューヨーク)、Wayne(ペンシルヴェニア)、Gist(メリーランド)、Nelson(ヴァージニア民兵)、Lamb(アメリカ砲兵)、Gouvion(工兵)。フランス軍はViomenil(ブルボネ・ソワソネ・サントンジュ)、Deux-Ponts(ロワイヤル・ドゥ・ポン)、St-Simon(アジュネ・ガティネ・トゥーレーヌ)、d'Aboville(オーソンヌの砲兵)。英軍:Cornwallis=チャールズ・コーンウォリス伯、O'Hara=チャールズ・オハラ准将(近衛)、Abercrombie=ロバート・アバークロンビー中佐(軽歩兵)、Fuser(第23連隊・フュージリアーズ堡塁)、McPherson(第10堡塁)、Hesse(第9堡塁)、Dundas(第43連隊)、Yorke(第33連隊)、Gordon(第80連隊)、Wemyss(第76連隊)、McArthur(第71連隊)、第17連隊、von Voit・von Seybothen(アンスバッハ=バイロイト)、von Fuchs(エルププリンツ)、von Ewald(猟兵)、Rochfort(王立砲兵)、Symonds(水兵)、Johnson(海兵)。駒の上の名は指揮官、下は部隊である。 【この盤で試される判断】ひとつめ(米仏軍)。重砲が口を開くまでの三日をどう使うか。砲の前に歩兵を出しすぎれば、要塞の隣で攻撃の義務を負う。 ふたつめ(米仏軍)。どの堡塁から取るか。第9・第10堡塁は守る兵が少ないが、内側の線から援護される。西のフュージリアーズ堡塁はクリークの沼の向こうにある。 みっつめ(英軍)。八つしか動かせない駒を、どの堡塁の守りに回すか。籠城の駒は打って出ない。 よっつめ(英軍)。町を守るために前の堡塁を見捨てるか。時間は英軍の味方で、点は米仏軍が取りに来るしかない。 【結末】10月9日の午後、フランスの砲台が、夕方にワシントンが自ら最初の一発を撃ったアメリカの砲台が口を開いた。11日の夜、第二平行壕を三百ヤードの所まで寄せたが、東の端は第9・第10堡塁に塞がれていた。14日の夜、二つの堡塁を同時に襲い、第10堡塁はハミルトンの四百が十分で、第9堡塁はドゥ・ポンのフランス兵四百がもっと血を流して取った。16日の夜明け、アバークロンビーの三百五十が突出して砲を六門釘で潰したが、昼までに直された。その夜、コーンウォリスは兵を舟でグロスター岬へ渡そうとし、嵐に阻まれた。 17日の朝、赤い上着の太鼓手が胸壁に立ち、白い布を振る将校が続いた。19日、英軍は降伏の場へ行進した。コーンウォリスは病と称して出ず、オハラ准将が代わりに剣を差し出した。ロンドンで報せを受けたノース首相は「ああ神よ、すべては終わった」と繰り返したと伝わる。戦争はなお一年半続いたが、もう陸で大きな戦いは起きなかった。   海の口が閉じ、待つ船は来なかった   雨の夜、七百ヤードの所に土が盛られた   十分で一つ、血を流してもう一つ、堡塁が落ちた   嵐の夜、舟は対岸に届かなかった   朝、胸壁の上で、太鼓が休戦を打った 盤は10月6日から17日まで。9月28日の包囲の始まりと外側の堡塁の放棄は盤の前、19日の降伏の行進は盤の後である。対岸のグロスター岬の包囲(タールトンとローザン公)は盤に載せず【結末】に書いた。第一平行壕の胸壁は、10月6日の夜から掘り始めたものを開幕から完成したものとして描いた。 1ヘクス=200m、1ターン=1日、1CS≒200名。T1=10/6(第一平行壕)、T4=10/9(砲撃開始)、T6=10/11(第二平行壕)、T9=10/14(第9・第10堡塁)、T11=10/16(突出と渡河の失敗)、T12=10/17(太鼓手)。

地図

周辺図(概略) ヨークタウン グロスター岬(タールトン) ウィリアムズバーグ(米仏軍 9/28 発) チェサピーク湾(ド・グラスの艦隊) バージニア岬の海戦(9/5) ニューヨーク(クリントン・10/19 出帆) ヨーク川
周辺図(概略)
戦場図(概略) ヨークタウン 第一平行壕(10/6 夜) 第9・第10堡塁(10/14 夜) フランス軍(ロシャンボー) アメリカ軍(ワシントン) ヨーク川 10/16 夜の嵐(渡河の失敗)
戦場図(概略)