日本(戦国〜江戸初期)(近世)
- 伊勢宗瑞の伊豆・相模平定 4
- 北条の関東制覇と関東の諸家 17
- 越後・北陸の争乱と御館の乱 6
- 畿内の争乱 13
- 西国・北九州の争い 5
- 中国地方の争い 9
- 東海・甲斐・奥羽の家督争い 5
- 武田の信濃侵攻・川中島と甲州征伐 10
- 信長の尾張・美濃平定 15
- 信長包囲網 17
- 島津の九州席巻 5
- 長宗我部の四国統一 4
- 本能寺の変と天下の継承 7
- 秀吉の天下統一 10
- 伊達政宗の南奥州統一と奥羽 4
- 文禄・慶長の役 8
- 関ヶ原 9
- 大坂の陣 6
- 島原の乱 1
- 城攻めと籠城 6
伊勢宗瑞の伊豆・相模平定 1493 〜 1512
伊豆討ち入り・深根城の戦い
S-1 · 1493年 〜 1495年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 34(伊勢宗瑞 18 ・ 足利茶々丸方 16)
- 歴史的概要
- 伊勢宗瑞が堀越御所を襲って足利茶々丸を追い、伊豆一国を取るまでの2年。最後まで抵抗した深根城が落ちて片が付く。
- 主な武将
- - 伊勢方: 伊勢宗瑞(北条早雲)、大道寺重時、荒木兵庫、在竹兵衛尉 - 堀越公方方: 足利茶々丸(逃亡の末に自刃)、関戸吉信(深根城主・一族もろとも討死)、外山豊前
小田原城奪取
S-2 · 1495年頃
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 28(伊勢宗瑞 14 ・ 大森方 14)
- 歴史的概要
- 宗瑞が大森藤頼から小田原城を奪った一件。「鹿狩りを装って山へ人を入れ、夜に火をつけた」と伝わるが、年次も経緯も諸説あり、火牛の計は後世の潤色とする説が有力。
- 主な武将
- - 伊勢方: 伊勢宗瑞、大道寺重時、多目権兵衛、山中才四郎 - 大森方: 大森藤頼(城主・追われる)、大森実頼
権現山城の戦い
S-3 · 1510年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 10ターン / 駒 34(伊勢宗瑞 18 ・ 上杉方 16)
- 歴史的概要
- 上杉方の上田政盛が宗瑞へ寝返って権現山に籠り、上杉朝良・憲房が10日かけて攻め落とした。宗瑞の関東進出はここで一度止まる。
- 主な武将
- - 上杉方: 上杉朝良、上杉憲房、太田資康(討死)、三浦道寸 - 伊勢・上田方: 上田政盛(寝返り=籠城側)、伊勢宗瑞(後詰・間に合わない)
三浦氏滅亡・新井城の攻防
S-4 · 1512年 〜 1516年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 40(伊勢宗瑞 24 ・ 三浦方 16)
- 歴史的概要
- 宗瑞に押された三浦道寸・義意父子が、三浦半島の先端の新井城へ籠り3年持ちこたえた末に討って出て全滅した。「まさかの時の友」=油壺の由来。
- 主な武将
- - 三浦方: 三浦道寸(自刃)、三浦義意(最後の突撃で討死)、荒次郎の郎党 - 伊勢方: 伊勢宗瑞、北条氏綱、大道寺重時、山中才四郎
北条の関東制覇と関東の諸家 1524 〜 1584
高輪原の戦い
SP-99 · 1524年 · 江戸城が、一日で北条のものになる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(北条 24 ・ 扇谷上杉 22)
- 歴史的概要
- 北条氏綱が武蔵へ攻め入り、高輪原で扇谷上杉朝興を破った。城代の太田資高が寝返っていたため江戸城はそのまま開き、北条の武蔵進出が始まる。
- 主な武将
- 北条方: 北条氏綱、北条綱成(のち)、太田資高(寝返る江戸城代)/扇谷上杉方: 上杉朝興(河越へ退く)、難波田憲重
- 史料
- 『関八州古戦録』、『北条五代記』、『小田原記』
小沢原の戦い 実装済み
SP-427 · 1530年 · 十六歳の初陣が、夜の多摩川を渡る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 38(北条 18 ・ 扇谷 20)
- 歴史的概要
- 扇谷上杉朝興が小田原へ向けて南下し、北条氏綱の嫡子・氏康(16歳)がこれを多摩川の南の小沢原で迎え撃って破った。氏康の初陣である。
- 主な武将
- 北条: 北条氏康(※氏綱は小田原)/扇谷: 上杉朝興。※両軍の将名は軍記にしか出ない=作るときに史料を当たって名簿を作る
- 史料
- 『北条記』、『相州兵乱記』(※後世の軍記=細部は「伝」)
河越城奪取・三木の戦い
SP-428 · 1537年 · 当主が死んだ半年後に、城ごと失う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 42(北条 22 ・ 扇谷 20)
- 歴史的概要
- 扇谷上杉朝興が没して若い朝定が継ぐと、北条氏綱はすぐに武蔵へ入り、河越城の南の三木で扇谷勢を破って河越城を取った。扇谷は松山城へ退く。
- 主な武将
- 北条: 北条氏綱、北条氏康、北条綱成/扇谷: 上杉朝定(13歳)、難波田憲重(※他の将名は要確認)
- 史料
- 『快元僧都記』、『北条記』
第一次国府台合戦
S-5 · 1538年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(北条氏綱 26 ・ 足利義明・里見連合 24)
- 歴史的概要
- 北条氏綱が、房総から出た小弓公方・足利義明を国府台で迎え撃ち、義明を討ち取って関東での主導権を確立した。
- 主な武将
- - 北条方: 北条氏綱、北条氏康(初期の戦)、遠山直景、富永直勝 - 小弓公方方: 足利義明(討死=サドンデス)、基頼・義純(弟と嫡子・共に討死)、里見義堯(後方に留まり退却する)
河東一乱 実装済み
S-6 · 1545年 · 今川・武田 vs 北条
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(今川・武田連合 26 ・ 北条 24)
- 歴史的概要
- 北条氏康が駿河東部で今川義元と対峙している最中に、背後で上杉憲政・朝定が河越城を囲んだ。氏康は駿河を捨てて関東へ引き返す——S-7 河越夜戦の前夜である。
- 主な武将
- - 北条方: 北条氏康、北条綱成(この時は河越城に籠っている)、北条為昌 - 今川・武田方: 今川義元、太原雪斎(軍師)、武田晴信(仲介に入る)
河越夜戦 実装済み
S-7 · 1546年
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 90(北条 35 ・ 上杉連合 55)
- 歴史的概要
- 河越城に籠る北条綱成3千を、上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の連合が半年囲んだ。氏康は夜陰に紛れて外から突き入れ、綱成が城から呼応して包囲を割った。扇谷上杉家はここで滅び、憲政は上野へ、やがて越後へ落ちる。
- 主な武将
- - 北条方: 北条氏康(外から突入)、北条綱成(城内・呼応して打って出る)、多目元忠、北条綱高 - 連合方: 上杉憲政(関東管領・敗走)、上杉朝定(討死=扇谷上杉家断絶)、足利晴氏(古河公方・戦わずに退く)、難波田憲重(討死)
喜連川五月女坂の戦い
SP-429 · 1549年 · 大将が坂の上で狙撃される
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 36(宇都宮 20 ・ 那須 16)
- 歴史的概要
- 宇都宮尚綱が那須高資を攻めて喜連川の五月女坂(さおとめざか)で戦い、尚綱が討たれて宇都宮勢は崩れた。以後、宇都宮家は重臣の壬生氏に城を奪われる。
- 主な武将
- 宇都宮: 宇都宮尚綱、芳賀高照/那須: 那須高資、鮎ヶ瀬弥五郎(尚綱を射たと伝わる)
- 史料
- 『那須記』(※軍記=伝)、『宇都宮興廃記』
平井城の陥落と上杉憲政の越後亡命
S-10 · 1552年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(北条 24 ・ 上杉憲政 20)
- 歴史的概要
- 北条氏康に押され続けた関東管領・上杉憲政が、居城平井城を捨てて越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼る。関東管領という400年の枠がここで関東から消える。
- 主な武将
- - 上杉方: 上杉憲政(逃れる側)、上杉龍若丸(人質に出され殺される嫡子)、長尾憲景、安中久繁 - 北条方: 北条氏康、北条氏堯、大道寺盛昌
山王堂の戦い
SP-430 · 1556年 · 城を空けて出た当主が、帰る城を失う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(結城・北条 24 ・ 小田 20)
- 歴史的概要
- 結城政勝が北条氏の援軍を得て常陸へ入り、小田氏治が海老ヶ島の山王堂で迎え撃って大敗した。氏治は小田城を失う(のちに奪い返す=「戦国最弱」と呼ばれながら何度も城を取り戻した人物)。
- 主な武将
- 結城方: 結城政勝、水谷正村、北条の援兵/小田: 小田氏治、菅谷政貞
- 史料
- 結城・小田両氏の文書、軍記類(※細部は伝)
小田原城包囲
SP-115 · 1561年 · 十万で囲んで、一か月で帰る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 68(上杉連合 40 ・ 北条 28)
- 歴史的概要
- 長尾景虎は関東の諸将を集めて十万を号する軍で小田原城を囲んだが、北条は城から出ず、兵糧と関東諸将の足並みの乱れで一か月で引き上げた。
- 主な武将
- 上杉方: 長尾景虎(上杉謙信)、太田資正、里見義堯、足並みの揃わない関東諸将/北条方: 北条氏康、北条氏政、出てこない城兵
- 史料
- 『関八州古戦録』、『北条五代記』、『歴代古案』
第二次国府台の戦い
TG-2 · 1564年 · 勝った翌朝に寝込みを襲われる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(北条方 26 ・ 里見方 24)
- 歴史的概要
- 初日に北条軍を破った里見勢は、その夜、勝利を祝って備えを解いた。北条氏康は夜のうちに軍を回し、明け方に横から入る。里見方は総崩れとなった。
- 主な武将
- 北条方: 北条氏康、北条氏政、遠山綱景(初日に討死)、富永直勝(討死)、大藤秀信(夜の迂回)/里見方: 里見義弘、正木信茂(討死)、安西実元
臼井城の戦い
SP-116 · 1566年 · 謙信が、関東で唯一の負けを喫する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 52(上杉 30 ・ 北条・千葉 22)
- 歴史的概要
- 上杉輝虎が下総の臼井城を攻めたが、堀と土塁を頼んだ城兵の逆襲で大きな損害を出して退いた。これを境に関東諸将の上杉離れが進む。
- 主な武将
- 上杉方: 上杉輝虎(謙信)、太田資正、大損害を出す先手/城方: 原胤貞、白井入道浄三(軍配者)、北条方の援兵
- 史料
- 『関八州古戦録』、『戦国遺文』後北条氏編、『別本和光院和漢合運』
三船山合戦
SP-431 · 1567年 · 追う側が、谷に誘い込まれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 42(里見 20 ・ 北条 22)
- 歴史的概要
- 第二次国府台で敗れた里見義弘が、上総の三船山で北条氏政の軍を破った。北条方の岩付城主太田氏資が殿(しんがり)で討死し、北条は上総の拠点を失う。
- 主な武将
- 里見: 里見義弘、正木憲時/北条: 北条氏政、太田氏資(討死)、原胤貞
- 史料
- 『里見軍記』(※伝)、『北条記』
三増峠の戦い
TG-3 · 1569年 · 帰り道を塞ぐ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(武田方 26 ・ 北条方 24)
- 歴史的概要
- 小田原を囲んで引き揚げる武田軍の帰路に、北条氏照・氏邦が峠で先回りして待ち構えた。武田は山県昌景を峠の上へ回して逆に高地を取り、押し返す。追う側と帰る側が入れ替わる。
- 主な武将
- 武田方: 武田信玄、山県昌景(迂回して高所へ)、馬場信春、浅利信種(討死)/北条方: 北条氏照、北条氏邦、北条氏政(後詰・間に合わない)
手這坂の戦い
SP-432 · 1569年 · 留守の城を、隣の敵が取る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 38(佐竹方 20 ・ 小田 18)
- 歴史的概要
- 小田氏治が片野城の太田資正(三楽斎)・梶原政景を攻めに出たところを手這坂(てばいざか)で逆に破られ、その隙に小田城を佐竹方に奪われた。
- 主な武将
- 佐竹方: 太田資正、梶原政景、真壁氏幹(鬼真壁)/小田: 小田氏治、菅谷政貞
- 史料
- 『太田三楽斎記』(※伝)、佐竹氏の文書
神流川の戦い
TG-5 · 1582年 · 本能寺の報せが届いた後
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(滝川方 22 ・ 北条方 26)
- 歴史的概要
- 本能寺の変を知った北条氏直が5万で上野へ入り、関東を任されていた滝川一益が1万8千で迎え撃った。初日は勝ったが、翌日に数で押し切られ、一益は伊勢へ落ちていく。
- 主な武将
- 滝川方: 滝川一益、篠岡平右衛門(討死)、上野の国衆(次々に離反)/北条方: 北条氏直、北条氏邦、北条氏照
沼尻の対陣
TG-6 · 1584年 · 鉄砲を撃ち合って、動かない
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(北条方 26 ・ 連合軍 26)
- 歴史的概要
- 北条と佐竹・宇都宮連合が沼地を挟んで三か月にらみ合い、大量の鉄砲を撃ち合った。決戦はついに起きず、兵糧の切れた側が退く。
- 主な武将
- 北条方: 北条氏直、北条氏照、大道寺政繁/連合軍: 佐竹義重(鬼義重)、宇都宮国綱、多賀谷重経、太田資正
越後・北陸の争乱と御館の乱 1506 〜 1582
九頭竜川の戦い
SP-531 · 1506年 · 朝倉宗滴が、川を越えて押し寄せた一向一揆を夜に突く
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 92(一揆方 56 ・ 朝倉 36)
- 歴史的概要
- 加賀・越中の一向一揆が大挙して越前へ攻め込み、朝倉方は九頭竜川の線で迎えた。朝倉教景(宗滴)が川を渡って一揆の陣を突き、一揆を加賀へ押し返した。
- 主な武将
- 朝倉方: 朝倉教景(宗滴)、朝倉景豊(※)/一揆方: ※大将は名のない駒(加賀・越中の坊主衆)
- 史料
- 『朝倉宗滴話記』、『朝倉始末記』(※軍記・兵数は誇張)
長森原の戦い
SP-95 · 1510年 · 関東管領が、越後の雪の中で討たれる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(長尾 24 ・ 上杉 20)
- 歴史的概要
- 越後を制圧していた関東管領・上杉顕定は、雪で退路が塞がる前に関東へ帰ろうとしたところを長尾為景に追われ、長森原で討たれた。関東管領が戦場で討たれた唯一の例。
- 主な武将
- 長尾方: 長尾為景(謙信の父)、高梨政盛、待ち伏せる国人衆/上杉方: 上杉顕定(討死)、上杉憲房(脱出)
- 史料
- 『上杉家御年譜』、『松隣夜話』、『越後過去名簿』
般若野の戦い
SP-96 · 1521年 · 越中の国人が、雪解けの川で分かれる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(長尾 20 ・ 神保 20)
- 歴史的概要
- 長尾為景が越中へ入り、神保・椎名の国人衆と庄川の河原で戦った。どちらに付くか決めかねた国人が、戦いの最中に旗色を変えるという、戦国初期の北陸らしい一戦。
- 主な武将
- 長尾方: 長尾為景、椎名慶胤(のち離反)/神保方: 神保慶宗(討死)、一向一揆の門徒
- 史料
- 『為景公御書』、『越中古城記』
尻垂坂の戦い
SP-117 · 1572年 · 一向一揆を、坂の上から崩す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(上杉 26 ・ 一向一揆 28)
- 歴史的概要
- 越中の一向一揆二万余に対し、上杉謙信は尻垂坂で坂の上を取り、数で勝る一揆勢を崩した。加賀・越中の一揆が上杉の足を止め続けた時代の転機。
- 主な武将
- 上杉方: 上杉謙信、河田長親、鰺坂長実/一向一揆: 杉浦玄任、椎名康胤、土地に詳しい門徒衆
- 史料
- 『上杉家文書』、『越中古城記』、『信長公記』
御館の乱・御館の攻防
TG-4 · 1578年 · 家中が二つに割れる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 48(景勝方 24 ・ 景虎方 24)
- 歴史的概要
- 上杉謙信の急死後、景勝が春日山城の金蔵と本丸を先に押さえ、景虎は御館に拠った。北条・武田の思惑が絡み、冬を越せなかった側が負ける。
- 主な武将
- 景勝方: 上杉景勝、直江兼続(若年)、斎藤朝信、樋口兼豊/景虎方: 上杉景虎(北条氏康の子)、北条景広(討死)、武田勝頼(介入し、途中で手を引く)
魚津城の戦い
SP-126 · 1582年 · 城が落ちた三日前に、主家が滅んでいた
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 50(織田 32 ・ 上杉 18)
- 歴史的概要
- 柴田勝家らの大軍に囲まれた魚津城の十三将は、耳に穴を開けて名札を通し全員自刃した。落城の三日前に本能寺の変が起きており、あと三日持てば助かっていた。
- 主な武将
- 織田方: 柴田勝家、佐々成政、前田利家、佐久間盛政/上杉方: 中条景泰、吉江宗信(80歳)、十三将(全員自刃)
- 史料
- 『魚津在城衆十三人連署状』、『上杉家御年譜』、『信長公記』
畿内の争乱 管領家・三好・六角)(1493 〜 1562
正覚寺の戦い
SP-525 · 明応の政変・1493年 · 将軍が出陣している間に、留守の京で将軍が替えられる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(基家方 30 ・ 政長方 24)
- 歴史的概要
- 将軍足利義材(義稙)が畠山政長と河内の畠山基家を攻めている間に、細川政元が京で新将軍を立てた。義材に従っていた大名は離れ、政長は河内正覚寺で囲まれて自害、義材は捕らえられた。
- 主な武将
- 政元・基家方: 畠山基家、上原元秀、安富元家/政長方: 畠山政長、畠山尚順、足利義材
- 史料
- 『大乗院寺社雑事記』、『後法興院記』
如意ヶ嶽の戦い
SP-526 · 1509年 · 京を追われた三好之長が、東山の陣から押し返される
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 52(高国方 28 ・ 澄元方 24)
- 歴史的概要
- 永正の錯乱のあと京を追われた細川澄元方の三好之長は、京の東の如意ヶ嶽に陣して巻き返しを図ったが、細川高国・大内義興の軍に攻められて敗走した。
- 主な武将
- 高国方: 細川高国、大内義興/澄元方: 三好之長(※同陣の将は要確認)
- 史料
- 『実隆公記』、『細川両家記』
船岡山合戦
O-9 · 1511年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(細川高国・大内 20 ・ 細川澄元方 18)
- 歴史的概要
- 京の北の船岡山を巡る、戦国前夜の最後の「京の合戦」。細川高国・大内義興が細川澄元方を破り、以後10年、高国が京を握る。
- 主な武将
- - 高国方: 細川高国、大内義興、細川尹賢、足利義稙(将軍・後方) - 澄元方: 細川澄元、三好之長、赤松義村、細川政賢(討死)
等持院の戦い
SP-527 · 1520年 · 京へ戻った三好之長が、高国の巻き返しに捕らわれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(高国方 30 ・ 之長方 24)
- 歴史的概要
- 細川澄元と三好之長は一度は京を回復したが、近江から戻った細川高国が六角定頼らの大軍で攻め、等持院付近の戦いで之長方は崩れた。之長は捕らえられて自害させられた。
- 主な武将
- 高国方: 細川高国、六角定頼/之長方: 三好之長、三好長光、三好長則
- 史料
- 『二水記』、『細川両家記』
桂川原の戦い
SP-100 · 1527年 · 将軍と管領が、京を捨てて近江へ逃げる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(細川晴元・三好 26 ・ 細川高国 24)
- 歴史的概要
- 阿波から上洛した細川晴元・三好元長の軍が、桂川を挟んで細川高国・将軍義晴の軍を破った。将軍は近江へ落ち、京は十年近く不安定になる。
- 主な武将
- 晴元方: 細川晴元、三好元長、柳本賢治、波多野稙通/高国方: 細川高国、足利義晴(近江へ逃れる)、朝倉宗滴の援軍
- 史料
- 『細川両家記』、『応仁後記』、『二水記』
大物崩れ
SP-101 · 1531年 · 味方の後ろに、味方でない軍が現れる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(晴元・赤松 28 ・ 高国 24)
- 歴史的概要
- 細川高国が優勢に戦っていたところ、援軍のはずだった赤松政祐が背後に回って晴元方へ付いた。高国の軍は一日で崩れ、高国は尼崎の藍染屋の甕に隠れて捕らえられ自刃する。
- 主な武将
- 晴元方: 細川晴元、三好一秀、赤松政祐(背後で寝返る)/高国方: 細川高国(自刃)、浦上村宗(討死)
- 史料
- 『細川両家記』、『足利季世記』、『昔日北華録』
飯盛城の戦い
SP-528 · 1532年 · 城を囲んでいた軍が、一向一揆の大軍に外から囲まれる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 90(一揆方 56 ・ 畠山義堯方 34)
- 歴史的概要
- 細川晴元は三好元長を除くため本願寺に一揆の動員を頼み、数万の一向一揆が、河内飯盛城の木沢長政を囲む畠山義堯の軍の背後を襲った。義堯は自害し、一揆はそのまま堺へ進んで元長も自害させた。※盤は飯盛城の囲みの一日だけ。
- 主な武将
- 一揆・木沢方: 木沢長政(城の守将)、※一揆の大将は名のない駒(坊官・門徒)/畠山方: 畠山義堯、三好一秀(※)
- 史料
- 『細川両家記』、『証如上人日記』(※)
舎利寺の戦い
SP-529 · 1547年 · 畿内の戦国で最大の野戦
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 86(晴元方 46 ・ 氏綱方 40)
- 歴史的概要
- 細川晴元方の三好長慶・三好実休らが、細川氏綱を担ぐ遊佐長教らの軍と摂津の舎利寺付近で戦って勝った。「畿内の戦国期で最大規模の戦い」とされる。長慶はこの後、晴元から離れて遊佐と結ぶ。
- 主な武将
- 晴元方: 三好長慶、三好実休、安宅冬康、松浦守(※)/氏綱方: 遊佐長教(※在陣の諸将は要確認)
- 史料
- 『細川両家記』、『足利季世記』(※)
江口の戦い
SP-435 · 1549年 · 川の中州で、主家の重臣を討つ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(三好長慶 24 ・ 三好政長 20)
- 歴史的概要
- 三好長慶が同族の宿敵・三好政長(宗三)を、淀川と神崎川に挟まれた江口に囲み、六角の援軍が着く前に討った。これで主君細川晴元は京を追われ、三好政権が始まる。
- 主な武将
- 長慶方: 三好長慶、三好実休、安宅冬康、十河一存/政長方: 三好政長(討死)、細川晴元(後方)
- 史料
- 『細川両家記』
北白川の戦い
SP-530 · 1558年 · 京へ戻ろうとする将軍を、三好が東山で迎える
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(三好方 26 ・ 将軍方 24)
- 歴史的概要
- 近江朽木にいた将軍足利義輝は六角義賢の支援で京へ戻ろうと、東山の将軍山城に入った。三好方の松永久秀・三好長逸らと北白川・如意ヶ嶽で戦い、のち和睦して義輝は帰京した。
- 主な武将
- 三好方: 松永久秀、松永長頼、三好長逸/将軍方: 足利義輝、細川晴元、六角勢(※将の名は要確認)
- 史料
- 『言継卿記』、『細川両家記』
野良田の戦い
SP-436 · 1560年 · 十六歳の当主が、主筋を破って名を替える
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(浅井 18 ・ 六角 26)
- 歴史的概要
- 浅井賢政(のちの長政)が、父の代から従っていた六角義賢の大軍を愛知川の野良田で破った。六角氏の偏諱を捨てて「長政」と名乗るのはこの後である。桶狭間と同じ年。
- 主な武将
- 浅井: 浅井賢政、赤尾清綱、磯野員昌、遠藤直経/六角: 六角義賢、蒲生定秀、進藤賢盛
- 史料
- 『江濃記』(※軍記=伝)
久米田の戦い
SP-437 · 1562年 · 和泉の池の縁で、三好の柱が折れる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(畠山・根来 24 ・ 三好 22)
- 歴史的概要
- 畠山高政が根来衆の鉄砲を連れて和泉へ入り、久米田で三好実休の軍を破った。実休は討死し、京の三好長慶は一時京を離れる。
- 主な武将
- 畠山: 畠山高政、安見宗房、根来衆(津田監物・射程2)/三好: 三好実休(討死)、篠原長房、三好康長
- 史料
- 『細川両家記』、『足利季世記』
教興寺の戦い
SP-438 · 1562年 · 二か月後の、倍返し
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 11ターン / 駒 62(三好 34 ・ 畠山・根来 28)
- 歴史的概要
- 久米田の二か月後、三好義興・松永久秀らが河内の教興寺で畠山・根来勢を大破した。畿内の三好の覇権がこれで固まる。
- 主な武将
- 三好: 三好義興、松永久秀、三好長逸、安宅冬康/畠山: 畠山高政、湯川直光(討死)、根来衆
- 史料
- 『細川両家記』
西国・北九州の争い 1523 〜 1570
鏡山城の戦い
SP-97 · 1523年 · 内応を約束した城将を、約束どおりに死なせる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 42(尼子 24 ・ 大内 18)
- 歴史的概要
- 尼子経久に従った毛利元就の初陣。城内の蔵田直信に内応を約束させて落としたが、尼子は約束を守らず直信を自刃させた。元就が尼子を見限る遠因になる。
- 主な武将
- 尼子方: 尼子経久、毛利元就(初陣)、亀井秀綱/大内方: 蔵田房信(城主・自刃)、蔵田直信(内応)
- 史料
- 『陰徳太平記』、『毛利家文書』、『閥閲録』
田手畷の戦い
SP-98 · 1530年 · 赤熊をかぶった一隊が、横から駆け込む
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(少弐 20 ・ 大内 26)
- 歴史的概要
- 大内の大軍に押される少弐方へ、赤い熊の毛をかぶった鍋島清房の一隊が横合いから突っ込み、大内勢が崩れた。肥前の鍋島氏が名を上げる最初の戦い。
- 主な武将
- 少弐方: 少弐資元、龍造寺家兼、鍋島清房(赤熊の一隊)/大内方: 杉興運、大内の北九州遠征軍
- 史料
- 『北肥戦誌』、『歴代鎮西志』、『鍋島直茂譜考補』
勢場ヶ原の戦い
SP-745 · 1534年 · 山を越えて入ってきた大内勢を、大友勢が大将を失いながら押し返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(大友 24 ・ 大内 22)
- 歴史的概要
- 大内義隆は北九州をめぐって大友義鑑と争い、陶興房に兵を与えて豊後へ攻め込ませた。大友方は吉弘氏直・寒田親将らが勢場ヶ原で迎えたが、緒戦で両将が討たれる。それでも大友勢は踏みとどまって押し返し、大内勢は豊前へ退いた。
- 主な武将
- 大友方: 吉弘氏直(討死)、寒田親将(討死)(※後詰の大将は制作時に確かめる)/大内方: 陶興房
- 史料
- 『大友興廃記』ほか軍記(※後世の記録で、兵数・経過は諸書で揺れる)
多々良浜の戦い 実装済み
SP-441 · 1569年 · 立花城をめぐって、川を挟んで半年
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 64(大友 34 ・ 毛利 30)
- 歴史的概要
- 毛利元就が筑前の立花城を奪い、大友宗麟は戸次鑑連(立花道雪)らを送って多々良川を挟んで対陣、何度もぶつかった。最後は大友方の策(大内輝弘の山口侵入)で毛利が撤退する。
- 主な武将
- 大友: 戸次鑑連(道雪)、吉弘鑑理、臼杵鑑速(豊後三老)/毛利: 吉川元春、小早川隆景(※他の将名は要確認)
- 史料
- 『大友興廃記』(※軍記)、『吉川家文書』
今山の戦い
SP-442 · 1570年 · 夜明け前、敵の本陣の宴の最中に
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 38(龍造寺 14 ・ 大友 24)
- 歴史的概要
- 大友宗麟の大軍が佐賀城を囲むなか、大友親貞が今山に本陣を置いた。龍造寺隆信の家臣鍋島信生(直茂)が夜明けに少数で本陣へ切り込み、親貞を討った。
- 主な武将
- 龍造寺: 龍造寺隆信、鍋島信生(直茂)、成松信勝/大友: 大友親貞(討死)、吉弘鑑理(佐賀の包囲側)
- 史料
- 『北肥戦誌』(※軍記=伝)、『鍋島家譜』
中国地方の争い 毛利・尼子・大内・宇喜多)(1517 〜 1570
有田中井手の戦い
O-10 · 1517年 · 「西国の桶狭間」
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 34(毛利方 14 ・ 武田元繁方 20)
- 歴史的概要
- 毛利元就21歳の初陣。安芸の小勢力にすぎなかった元就が、数倍の武田元繁を迎え撃ち、元繁を矢で射落として勝った。ここから毛利の70年が始まる。
- 主な武将
- - 毛利・吉川方: 毛利元就(初陣)、吉川元経、井上元盛 - 武田方: 武田元繁(討死=サドンデス)、熊谷元直(先に討死)、香川行景(討死)
吉田郡山城の戦い
SG-1 · 1540年 · 三千で三万を受ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 48(毛利方 18 ・ 尼子方 30)
- 歴史的概要
- 尼子晴久3万に囲まれた毛利元就は、城下の民ごと山城に籠り、夜討ちを繰り返して敵を眠らせなかった。翌年、大内の援軍が着いて尼子は退く。元就が「毛利」になった戦い。
- 主な武将
- 毛利方: 毛利元就、毛利隆元、福原貞俊、児玉就忠/尼子方: 尼子晴久、尼子久幸(討死)、高尾久友/大内援軍: 陶隆房(のちの厳島の相手)
大寧寺の変
SP-111 · 1551年 · 家臣が主を寺に追い詰める
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(陶 26 ・ 大内 16)
- 歴史的概要
- 陶晴賢が主君・大内義隆に背き、山口を急襲した。義隆は長門の大寧寺まで逃げて自刃し、西国一の大名家が家臣の手で終わる。四年後の厳島へ続く。
- 主な武将
- 陶方: 陶晴賢、内藤興盛(動かず)、杉重矩/大内方: 大内義隆(自刃)、冷泉隆豊(最後まで戦う)、大内義尊(幼子・殺される)
- 史料
- 『大内義隆記』、『陰徳太平記』、『房顕覚書』
厳島の戦い
L-4 · 1555年 · 日本・戦国
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 30(毛利方 14 ・ 陶方 16)
- 歴史的概要
- 毛利元就の約4千が、厳島に誘い込んだ陶晴賢の約2万を、暴風雨の夜に上陸強襲して壊滅させた。
折敷畑の戦い
SP-112 · 1555年 · 厳島の前に、山の上の陣を落とす
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(毛利 22 ・ 陶 20)
- 歴史的概要
- 陶方の宮川房長が安芸へ侵入し折敷畑山に陣取ったのを、毛利元就が三方から囲んで崩した。この勝ちが厳島合戦の前提になる。
- 主な武将
- 毛利方: 毛利元就、毛利隆元、吉川元春、小早川隆景/陶方: 宮川房長(討死)
- 史料
- 『陰徳太平記』、『毛利家文書』
忍原崩れ
SP-113 · 1558年 · 銀山を取りに来た軍が、谷で潰れる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(尼子 22 ・ 毛利 22)
- 歴史的概要
- 石見銀山をめぐる毛利と尼子の争いで、尼子晴久が忍原の谷で毛利軍を大破した。毛利が銀山を取り戻すには、さらに数年かかる。
- 主な武将
- 尼子方: 尼子晴久、本城常光/毛利方: 毛利隆元、谷で崩れる先手
- 史料
- 『陰徳太平記』、『閥閲録』、『石見銀山旧記』
月山富田城の戦い
SG-2 · 1565年 · 兵糧を断って、出させない
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 13ターン / 駒 50(毛利方 28 ・ 尼子方 22)
- 歴史的概要
- 一度は力攻めで大敗した経験から、元就は支城を一つずつ落とし、城を裸にしてから囲んだ。城内では内通の疑いで重臣が殺され、餓えた兵から降っていく。
- 主な武将
- 毛利方: 毛利元就、吉川元春、小早川隆景、熊谷信直/尼子方: 尼子義久、宇山久兼(内通の疑いで殺される)、山中鹿介(脱出して再興を図る)
明善寺合戦
SP-440 · 1566年 · 三倍の敵を、城を取らせてから叩く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 42(宇喜多 16 ・ 三村 26)
- 歴史的概要
- 父を暗殺された三村元親が大軍で備前へ入り、宇喜多直家が奪った明善寺城を攻めた。直家は城を取らせてから三方に分かれた三村勢を各個に破った。
- 主な武将
- 宇喜多: 宇喜多直家、戸川秀安、岡家利、長船貞親/三村: 三村元親、庄元祐(討死)、石川久智
- 史料
- 『備前軍記』(※軍記=伝)
布部山の戦い
SP-125 · 1570年 · 尼子を再興しようとした者たちが、山で散る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(毛利 28 ・ 尼子再興軍 22)
- 歴史的概要
- 山中幸盛らが擁した尼子勝久の再興軍が、布部山に陣を敷いて毛利を迎えたが破られた。「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」の山中鹿介が敗走する一戦。
- 主な武将
- 毛利方: 吉川元春、小早川隆景、毛利輝元/尼子方: 尼子勝久、山中幸盛(鹿介)、立原久綱
- 史料
- 『陰徳太平記』、『雲陽軍実記』、『毛利家文書』
東海・甲斐・奥羽の家督争い 1521 〜 1542
飯田河原の戦い
SP-532 · 1521年 · 今川の大軍が甲府の目の前まで来て、信虎が押し返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(今川方 30 ・ 武田 22)
- 歴史的概要
- 今川方の福島正成(※氏名は要確認)が甲斐へ大軍で侵入し、甲府の目前の飯田河原に迫った。武田信虎は寡兵でこれを破り、翌月の上条河原で今川勢を追い払った。この年に晴信(信玄)が生まれる。
- 主な武将
- 武田方: 武田信虎、荻原昌勝(※)、原虎胤(※)/今川方: 福島正成(※)
- 史料
- 『勝山記』(『妙法寺記』)、『高白斎記』
井田野の戦い
SP-102 · 1524年 · 十七歳の当主が、三河を取り始める
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(松平 20 ・ 国人連合 20)
- 歴史的概要
- 松平清康(家康の祖父)が十七歳で岡崎の北の井田野に攻め寄せた国人連合を破った。以後わずか数年で三河をまとめるが、二十五歳で家臣に斬られる。
- 主な武将
- 松平方: 松平清康(17歳)、阿部定吉、植村氏明/国人連合: 桜井松平、大草松平、岡崎周辺の国人衆
- 史料
- 『三河物語』、『松平記』
三分一原の戦い
SP-103 · 1536年 · 娘婿の国を、留守に突く
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(武田 22 ・ 北条 22)
- 歴史的概要
- 今川の家督争い(花倉の乱)に介入した武田信虎に対し、北条氏綱が甲斐へ侵入。信虎は引き返して三分一原で北条勢を破った。甲相の同盟が破れ、河東一乱へ続く。
- 主な武将
- 武田方: 武田信虎、飯富虎昌、板垣信方/北条方: 北条氏綱の部将、玉縄衆
- 史料
- 『勝山記』、『妙法寺記』、『甲陽軍鑑』
花倉の乱
SP-104 · 1536年 · 寺で育った兄弟が、家督を争う
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(今川義元 22 ・ 玄広恵探 20)
- 歴史的概要
- 今川氏輝の急死で、僧籍にあった二人の弟が家督を争った。太原雪斎が支えた栴岳承芳(のちの今川義元)が、花倉城に籠る玄広恵探を破る。
- 主な武将
- 義元方: 栴岳承芳(今川義元)、太原雪斎、岡部親綱/恵探方: 玄広恵探(自害)、福島越前守
- 史料
- 『今川記』、『快元僧都記』、『妙法寺記』
天文の乱・桑折西山城
SP-105 · 1542年 · 父と子が、六年間、奥州を二つに割る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(晴宗 28 ・ 稙宗 26)
- 歴史的概要
- 伊達稙宗が三男を越後へ養子に出そうとしたことから、嫡男・晴宗が父を城に幽閉し、奥州の諸家が二つに割れて六年戦った。蘆名・相馬・最上・大崎まで巻き込む大乱。
- 主な武将
- 晴宗方: 伊達晴宗(政宗の祖父)、中野宗時、蘆名盛氏(途中で寝返る)/稙宗方: 伊達稙宗、相馬顕胤、懸田俊宗、最上義守
- 史料
- 『伊達正統世次考』、『晴宗公采地下賜録』、『性山公治家記録』
武田の信濃侵攻・川中島と甲州征伐 1548 〜 1582
小田井原の戦い
S-8 · 1548年 · 佐久
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(武田 22 ・ 上杉憲政方 22)
- 歴史的概要
- 武田晴信に囲まれた志賀城へ、上杉憲政が援軍を出したが野戦で撃破された。武田は討ち取った首を城から見える場所に並べ、志賀城は落ちる。
- 主な武将
- - 武田方: 板垣信方、甘利虎泰、武田晴信(本隊は志賀城を包囲中) - 関東管領方: 金井秀景、高田憲頼(討死)、笠原清繁(志賀城主・城内で待つ側)
上田原の戦い
S-9 · 1548年 · 武田 vs 村上義清
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 46(武田 24 ・ 村上 22)
- 歴史的概要
- 武田晴信の初めての大敗。板垣信方・甘利虎泰という重臣2人を同じ日に失い、晴信自身も負傷して20日間動けなかった。
- 主な武将
- - 武田方: 武田晴信(負傷)、板垣信方(討死・戦勝後の首実検の最中に討たれる)、甘利虎泰(討死)、才間河内守(討死) - 村上方: 村上義清(自ら槍を取る)、屋代政国、雨宮正利
塩尻峠の戦い
SP-108 · 1548年 · 油断した陣へ、夜明けに駆け上がる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(武田 24 ・ 小笠原 22)
- 歴史的概要
- 上田原で板垣信方を失った直後、小笠原長時が諏訪へ攻め込んだ。武田晴信は夜のうちに動いて夜明けに峠の陣を突き、油断していた小笠原勢を崩した。
- 主な武将
- 武田方: 武田晴信(信玄)、甘利虎泰、夜間行軍の先手/小笠原方: 小笠原長時(敗走)、諏訪西方衆(寝返る)
- 史料
- 『高白斎記』、『甲陽軍鑑』、『妙法寺記』
砥石崩れ
TG-1 · 1550年 · 武田がまともに負けた日
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 35(武田方 20 ・ 村上方 15)
- 歴史的概要
- 村上義清の砥石城を7千で囲んだ武田軍は、堅い山城を抜けず、退き際に城兵と後詰に挟まれて崩れた。横田高松ら重臣が討たれ、信玄が生涯で最も鮮やかに負けた戦いとされる。
- 主な武将
- 武田方: 武田晴信(信玄)、横田高松(討死)、板垣信方の遺臣、真田幸隆(翌年、この城を調略で落とす)/村上方: 村上義清、砥石城の城兵、清野氏
犀川の戦い
SP-110 · 第二次川中島・1555年 · 二百日にらみ合って、誰も渡らない
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 56(武田 28 ・ 上杉 28)
- 歴史的概要
- 犀川を挟んで二百日以上も対陣し、大きな戦いは起きなかった。今川義元の仲介で兵を引く。川中島五度のうち、戦わないことが主題になる唯一の回。
- 主な武将
- 武田方: 武田晴信、馬場信春、旭山城の守備隊/上杉方: 長尾景虎、北条高広、渡ろうとしない本隊
- 史料
- 『妙法寺記』、『甲陽軍鑑』、『歴代古案』
川中島の戦い・八幡原本戦 実装済み
B-7 · 1561年 · 日本・戦国
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 90(武田 45 ・ 上杉 45)
- 歴史的概要
- 上杉謙信の車懸かりの陣が、八幡原の武田信玄本陣に直接斬り込んだ川中島最大の死闘。
箕輪城の戦い
SP-751 · 1566年 · 上州の名将の子が、最後に城を出て斬り込む
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(武田 26 ・ 長野 14)
- 歴史的概要
- 長野業正が死ぬと、武田信玄は毎年のように西上州へ入り、ついに箕輪城を囲んだ。業正の子・業盛は城外へ打って出て戦ったが押し戻され、城の御前曲輪で自害した。箕輪城は武田の上州支配の拠点になる。
- 主な武将
- 武田方: 武田信玄、内藤昌秀(のちの城代)/長野方: 長野業盛(自害)、上泉信綱(伝)
- 史料
- 『甲陽軍鑑』、『箕輪軍記』(※後世の軍記で、細部は伝承)
蒲原城の戦い
SP-752 · 1569年 · 城下に火を放って誘い出し、一日で落とす
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(武田 26 ・ 北条 14)
- 歴史的概要
- 武田信玄の駿河侵攻に北条氏は今川を助けて兵を出し、東海道の要の蒲原城に北条氏信らを入れた。武田勢は城下に火を放って城兵を誘い出し、一日の攻めで城を落とした。城将の北条氏信は討死し、武田は駿河の東の口を押さえる。
- 主な武将
- 武田方: 武田勝頼、武田信豊/北条方: 北条氏信(討死)
- 史料
- 『甲陽軍鑑』、武田信玄の書状(勝頼・信豊が「思慮なく」攻め落としたと書く)
鳥居峠の戦い
SP-754 · 1582年 · 寝返った木曽勢が、峠で武田の討伐軍を返す
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(木曽・織田 20 ・ 武田 18)
- 歴史的概要
- 武田の親族衆だった木曽義昌は織田に寝返った。勝頼は兵を木曽谷へ向かわせたが、鳥居峠で木曽勢と織田の援兵に破られる。これを合図に織田の大軍が信濃へ入り、武田は一か月で滅ぶ。
- 主な武将
- 木曽方: 木曽義昌、織田の援兵(遠山友忠)/武田方: 今福昌和、武田信豊(※率いた将は諸書で揺れる)
- 史料
- 『信長公記』巻十五、『甲陽軍鑑』
天目山の戦い
SP-127 · 1582年 · 四十一人まで減って、山で終わる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 36(織田 24 ・ 武田 12)
- 歴史的概要
- 新府城を焼いて逃れた武田勝頼は、岩殿城へ向かう途中で小山田信茂に裏切られ、天目山の麓で四十一人まで減って自刃した。甲斐源氏の嫡流が終わる。
- 主な武将
- 織田方: 滝川一益、織田信忠、河尻秀隆/武田方: 武田勝頼(自害)、武田信勝(16歳)、土屋昌恒(片手千人斬り)、小山田信茂(裏切る)
- 史料
- 『信長公記』巻十五、『甲陽軍鑑』、『理慶尼記』
信長の尾張・美濃平定 1547 〜 1568
加納口
SP-106 · 井ノ口)の戦い(1547年 · 城下まで入って、引き上げる時にやられる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(織田 26 ・ 斎藤 24)
- 歴史的概要
- 織田信秀が稲葉山の城下まで焼いたが、日暮れに引き上げ始めた所を斎藤道三が城から突いた。織田方は数千を失い、信秀の弟や重臣が討たれる。
- 主な武将
- 織田方: 織田信秀、織田信康(討死)、青山信昌(討死)、殿を務める部隊/斎藤方: 斎藤道三、稲葉良通、安藤守就
- 史料
- 『信長公記』首巻、『美濃国諸旧記』、『江濃記』
小豆坂の戦い
SP-107 · 1548年 · 七本槍が、坂の上で踏みとどまる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(今川 26 ・ 織田 24)
- 歴史的概要
- 三河をめぐる今川と織田の会戦。太原雪斎が別働隊を山の陰に置き、正面がぶつかった所で横から出した。織田信秀は敗れ、三河は今川のものになる。
- 主な武将
- 今川方: 太原雪斎、朝比奈泰能、別働隊/織田方: 織田信秀、小豆坂七本槍(織田信房・岡田重善ら)
- 史料
- 『信長公記』首巻、『三河物語』、『松平記』
赤塚の戦い
SP-746 · 1552年 · 顔見知りどうしが朝から昼まで射合い、捕虜も馬も返して別れる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 36(織田 18 ・ 山口 18)
- 歴史的概要
- 父信秀の死後、鳴海城の山口教継・教吉父子は今川方へ寝返った。家督を継いだばかりの信長は八百で出て、赤塚で山口勢と朝から昼まで矢を射合い、槍で打ち合った。勝負はつかず、互いに顔見知りだったので、捕らえた者も逃げた馬も返して引き上げた。
- 主な武将
- 織田方: 織田信長、荒川与十郎(顔に矢を受けて討死)/山口方: 山口教吉
- 史料
- 『信長公記』首巻
萱津の戦い
SP-109 · 1552年 · 十八歳の当主が、家中の敵に勝つ
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(信長 20 ・ 清洲織田 20)
- 歴史的概要
- 父の死で家督を継いだ信長が、同じ織田一族の清洲方と初めて正面から戦った。中村の砦を落とし、萱津で坂井甚介を討つ。尾張統一の最初の一歩。
- 主な武将
- 信長方: 織田信長(18歳)、織田信光、柴田勝家、中条家忠・織田造酒丞(坂井甚介を討つ)/清洲方: 坂井甚介(討死)、坂井大膳、河尻与一
- 史料
- 『信長公記』首巻
村木砦の戦い
NB-1 · 1554年 · 鉄砲を撃ち替えながら攻める
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 20(織田方 11 ・ 今川方 9)
- 歴史的概要
- 今川方の砦を攻めるにあたり、信長は鉄砲を代わる代わる撃たせて自ら虎口へ寄せた。損害は大きかったが半日で落とし、信長が「城を攻める」ことを覚えた最初の戦いとされる。
- 主な武将
- 織田方: 織田信長、織田信光、佐々孫介(討死)、水野信元/今川方: 砦の守将(今川方在番衆)
稲生の戦い
NB-2 · 1556年 · 弟との内戦
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 25(信長方 12 ・ 信行方 13)
- 歴史的概要
- 弟信行を担ぐ柴田勝家・林秀貞の軍と、信長がわずかな手勢で正面から戦った。信長が大音声で名乗って一喝し、敵兵が退いたと伝わる乱戦の末に勝つ。
- 主な武将
- 信長方: 織田信長、森可成、佐脇良之、丹羽氏勝/信行方: 柴田勝家(のちに信長の重臣)、林秀貞、林通具(討死)
長良川の戦い
SP-114 · 1556年 · 父が、息子に討たれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 48(斎藤義龍 30 ・ 斎藤道三 18)
- 歴史的概要
- 家督を譲った息子・義龍と対立した斎藤道三は、味方が集まらないまま長良川の河原で戦い、討たれた。信長は救援に向かったが間に合わず、川を挟んだまま引き返す。
- 主な武将
- 義龍方: 斎藤義龍、長井道利、日根野弘就/道三方: 斎藤道三(討死)、長井道勝/(第三勢力): 織田信長(間に合わない救援)
- 史料
- 『信長公記』首巻、『美濃国諸旧記』、『江濃記』
浮野の戦い
NB-3 · 1558年 · 尾張の内側を片づける
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 25(信長方 13 ・ 岩倉方 12)
- 歴史的概要
- 岩倉織田氏との決戦。信長は敵の背後の村々を焼いて誘い出し、浮野の原で正面から破った。尾張の統一がここでほぼ決まる。
- 主な武将
- 信長方: 織田信長、浅野長勝、犬山の織田信清(この時は味方)/岩倉方: 織田信賢、林弥七郎(討死)
丸根・鷲津砦の戦い
SP-747 · 1560年 · 桶狭間の朝、二つの砦が今川の先鋒に落とされる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 36(今川 22 ・ 織田 14)
- 歴史的概要
- 今川義元は大高城を囲む織田の砦を除くため、松平元康(家康)に丸根砦を、朝比奈泰朝に鷲津砦を攻めさせた。佐久間盛重の丸根、織田秀敏・飯尾定宗の鷲津は、ともに朝のうちに落ちた。知らせを聞いた信長は清洲を出て熱田へ向かい、昼に桶狭間で義元を討つ。
- 主な武将
- 今川方: 松平元康、朝比奈泰朝/織田方: 佐久間盛重(討死)、織田秀敏(討死)、飯尾定宗(討死)
- 史料
- 『信長公記』首巻、『三河物語』
桶狭間の戦い 実装済み
L-1 · 1560年 · 日本・戦国
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 49(今川軍 33 ・ 織田軍 16) ── ※出荷済 Scenarios/lOkehazama1560.json
- 歴史的概要
- 織田信長の約2千が、上洛途上の今川義元本隊を豪雨に紛れて桶狭間で強襲し、義元を討ち取った。兵力差およそ10倍を、戦闘ではなく到達で覆した戦い。
森部の戦い
NB-4 · 1561年 · 美濃へ入る最初の一歩
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(織田方 20 ・ 斎藤方 20)
- 歴史的概要
- 斎藤義龍の死の直後に川を渡り、待ち構えていた斎藤方と正面から衝突した。前田利家が首を取って帰参を許された戦いとしても知られる。
- 主な武将
- 織田方: 織田信長、前田利家(帰参)、佐々成政、木下秀吉(若年)/斎藤方: 長井甲斐守(討死)、日比野清実(討死)
十四条の戦い
SP-748 · 1561年 · 森部の十日後、美濃に踏み込んだ信長が押し返される
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(織田 20 ・ 斎藤 18)
- 歴史的概要
- 森部で勝った信長は墨俣に砦を構えたが、斎藤龍興が兵を出して十四条で戦った。織田方は織田広良が討たれて退き、翌朝もう一度対陣したのち、信長は墨俣を引き払った。
- 主な武将
- 織田方: 織田信長、織田広良(討死)/斎藤方: 斎藤龍興
- 史料
- 『信長公記』首巻
馬頭原の戦い
SP-439 · 1564年 · 家臣が敵に回った一揆を、主君が野で破る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 40(松平 20 ・ 一向一揆 20)
- 歴史的概要
- 三河一向一揆のさなか、松平家康は家臣の多くが一揆方に付いたまま、岡崎の南の馬頭原で一揆勢を破った。これで一揆は和議に向かう。
- 主な武将
- 松平: 松平家康、大久保忠世、酒井忠次/一揆方: 本多正信(一揆側)、夏目吉信、渡辺守綱(一揆側)
- 史料
- 『三河物語』(大久保忠教)、『松平記』
堂洞城の戦い
NB-5 · 1565年 · 三つの城を切り離す
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 42(織田方 22 ・ 中濃三城 20)
- 歴史的概要
- 中濃の三城が同盟していたのを、信長は間に割って入って一つずつ落とした。堂洞は一日で落ち、翌日には関城の後詰と野戦になる。
- 主な武将
- 織田方: 織田信長、丹羽長秀、河尻秀隆、佐藤忠能(内応)/中濃三城: 岸信周(自刃)、長井道利(後詰)
観音寺城の戦い
NB-6 · 1568年 · 上洛の途中で一日だけ
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 30(織田方 18 ・ 六角方 12)
- 歴史的概要
- 上洛の途上、六角氏の支城・箕作城を日暮れから夜にかけて力攻めで落とし、翌朝には本城の観音寺城が空になっていた。上洛の行程を一日も遅らせなかったことが値打ち。
- 主な武将
- 織田方: 織田信長、木下秀吉(夜の攻め口)、丹羽長秀、滝川一益/六角方: 六角義賢・義治(退去)、吉田出雲守(守将)
信長包囲網 1570 〜 1581
姉川の戦い 実装済み
B-1 · 1570年 · 日本・戦国
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 52(織田・徳川 26 ・ 浅井・朝倉 26)
- 歴史的概要
- 織田・徳川連合軍 vs 浅井・朝倉連合軍。姉川の河原から平野にかけての純粋な正面白兵激突。
志賀の陣
NB-7 · 1570年 · 動けなくなる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(織田方 16 ・ 浅井・朝倉方 22)
- 歴史的概要
- 浅井・朝倉が比叡山に籠り、信長は山を囲んだまま二か月動けなくなった。背後で一向一揆と三好が起ち、四方が敵になる。最後は勅命による講和で解く。
- 主な武将
- 織田方: 織田信長、森可成(宇佐山城で討死)、織田信治(討死)、柴田勝家/浅井・朝倉方: 浅井長政、朝倉義景、延暦寺(中立を装う第三勢力)
金ヶ崎の退き口
SP-118 · 1570年 · 挟まれた軍が、殿を立てて逃げる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 52(織田 28 ・ 朝倉・浅井 24)
- 歴史的概要
- 越前へ攻め入った信長は、同盟者の浅井長政が背後で離反したと知って即座に退却を決めた。木下秀吉・明智光秀・池田勝正が殿を務め、信長は京へ逃げ延びる。
- 主な武将
- 織田方: 織田信長(先に離脱)、木下秀吉(殿)、明智光秀、池田勝正、徳川家康/朝倉・浅井方: 朝倉景健、浅井長政(背後を塞ぐ)、朝倉義景の追手
- 史料
- 『信長公記』巻三、『朝倉家記』、『武家事紀』
野田・福島の戦い
SP-119 · 1570年 · 鉄砲が昼夜鳴り続け、誰も前に出られない
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 56(織田 30 ・ 三好・本願寺 26)
- 歴史的概要
- 摂津の川中島のような中洲にある二つの砦をめぐり、両軍あわせて三千丁の鉄砲が撃ち合った。石山本願寺の挙兵で信長は撤退し、十年の石山合戦が始まる。
- 主な武将
- 織田方: 織田信長、佐久間信盛、鉄砲衆/三好・本願寺方: 三好三人衆、雑賀衆・根来衆(鉄砲)、本願寺の門徒
- 史料
- 『信長公記』巻三、『細川両家記』、『言継卿記』
坂本の戦い
SP-533 · 1570年 · 姉川の二か月後、浅井・朝倉が京の喉元へ出て森可成を討つ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(浅井・朝倉 32 ・ 織田 22)
- 歴史的概要
- 信長が摂津で三好三人衆と対している間に、浅井長政・朝倉義景の軍が近江坂本へ出た。宇佐山城の森可成と織田信治が坂本で迎えたが、延暦寺の加勢も得た浅井・朝倉勢に討たれた。宇佐山城は持ちこたえ、信長が戻って志賀の陣(NB-7)になる。
- 主な武将
- 浅井・朝倉方: 浅井長政、朝倉景健、朝倉景紀(※)/織田方: 森可成(討死)、織田信治(討死)、青地茂綱(討死)
- 史料
- 『信長公記』巻三、『言継卿記』
白井河原の戦い
SP-120 · 1571年 · 少数が、朝霧の中で待ち伏せる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(荒木・中川 18 ・ 和田・茨木 24)
- 歴史的概要
- 摂津の国人同士の争いで、荒木村重と中川清秀が少数で待ち伏せ、和田惟長の軍を崩した。村重が摂津を握る足がかりになる。
- 主な武将
- 荒木方: 荒木村重、中川清秀、高山友照/和田方: 和田惟政(討死)、茨木重朝(討死)
- 史料
- 『信長公記』巻四、『細川両家記』
一言坂の戦い
SP-121 · 1572年 · 「家康に過ぎたるもの」と落書きされる殿
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(徳川 18 ・ 武田 22)
- 歴史的概要
- 三方ヶ原の前哨。偵察に出た徳川軍が武田の大軍に見つかり、本多忠勝が殿を務めて坂で踏みとどまった。「家康に過ぎたるものが二つあり」の落書はこの時のもの。
- 主な武将
- 徳川方: 徳川家康、本多忠勝(殿)、大久保忠佐/武田方: 馬場信春、内藤昌豊、山県昌景
- 史料
- 『三河物語』、『信長公記』、『甲陽軍鑑』
三方ヶ原の戦い
B-3 · 1573年 · 日本・戦国
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 86(武田 47 ・ 徳川・織田 39)
- 歴史的概要
- 武田信玄の野戦陣形「魚鱗」が、徳川家康の「鶴翼」を台地平原で正面から叩き潰した戦い。
刀根坂の戦い
SP-443 · 1573年 · 退く軍を、峠で追いつく
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 44(織田 24 ・ 朝倉 20)
- 歴史的概要
- 小谷城の救援に来た朝倉義景が撤退を始めると、信長は自ら追撃を指揮し、越前へ抜ける刀根坂で朝倉勢に追いついて大破した。朝倉家はこの半月後に滅ぶ。
- 主な武将
- 織田: 織田信長、柴田勝家、羽柴秀吉、佐久間信盛(※追撃に遅れて叱責された)/朝倉: 朝倉義景、山崎吉家(討死)、斎藤龍興(討死)
- 史料
- 『信長公記』
長島一向一揆
SP-122 · 1574年 · 中洲を一つずつ、囲んで干す
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 70(織田 42 ・ 一揆 28)
- 歴史的概要
- 木曽三川の中洲に築かれた砦群を、織田軍が船で囲んで干上がらせた。降伏して船で出る所を撃たれた一揆勢が逆襲し、織田の一族も多数討たれる。
- 主な武将
- 織田方: 織田信長、織田信広・織田秀成(討死)、九鬼嘉隆(水軍)/一揆方: 下間頼旦、願証寺の門徒衆
- 史料
- 『信長公記』巻七、『勢州軍記』
長篠の戦い・正面野戦軸
B-4 · 1575年 · 日本・戦国
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 86(織田・徳川 45 ・ 武田 41)
- 歴史的概要
- 設楽原の馬防柵を前に、武田四天王率いる武田軍が織田・徳川連合軍の火線へ突撃した正面激突。
岩村城の戦い
SP-123 · 1575年 · 降伏を認めておいて、磔にする
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 50(織田 30 ・ 武田 20)
- 歴史的概要
- 長篠の後、織田信忠が美濃の岩村城を囲んだ。城将・秋山虎繁は助命を条件に開城したが、信長は彼と信長の叔母(おつやの方)を磔にした。
- 主な武将
- 織田方: 織田信忠、河尻秀隆、佐藤六左衛門/武田方: 秋山虎繁(磔)、おつやの方(信長の叔母・磔)、大島杉右衛門
- 史料
- 『信長公記』巻八、『甲陽軍鑑』、『美濃国諸旧記』
天王寺の戦い
NB-8 · 1576年 · 三千で一万五千の中へ入る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(織田方 18 ・ 本願寺方 28)
- 歴史的概要
- 本願寺勢に囲まれた砦を救うため、信長は集まっただけの三千で出て、自ら先頭に立って敵中を割った。脛に鉄砲傷を受けながら砦の兵と合流し、そのまま押し返す。
- 主な武将
- 織田方: 織田信長(負傷)、原田直政(討死)、佐久間信盛、明智光秀(砦で籠城)/本願寺方: 下間頼廉、雑賀衆(鉄砲隊)
紀州征伐・小雑賀川の戦い
SP-753 · 1577年 · 川底の仕掛けと対岸の鉄砲が、大軍の渡河を止める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(織田 32 ・ 雑賀 18)
- 歴史的概要
- 信長は石山本願寺を支える雑賀衆を討つため、大軍で紀伊へ入った。小雑賀川の対岸に柵を構えた雑賀衆は、川底に桶や逆茂木を沈めて渡河をはばみ、渡りかけた織田勢を鉄砲で撃った。織田勢は攻めあぐね、雑賀の頭領たちが誓紙を出す形で兵を引いた。
- 主な武将
- 織田方: 堀秀政、佐久間信盛、明智光秀/雑賀方: 鈴木孫一(雑賀孫市)、土橋守重
- 史料
- 『信長公記』巻十、『紀伊続風土記』
手取川の戦い
NB-9 · 1577年 · 増水した川を背に退く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(上杉方 24 ・ 織田方 26)
- 歴史的概要
- 上杉謙信の南下に対し、柴田勝家の軍は七尾城が既に落ちたことを知らずに川を渡っていた。夜、増水した手取川を背に追われ、多くが流される。信長方が上杉に唯一まともに当たった戦い。
- 主な武将
- 上杉方: 上杉謙信、柿崎晴家、直江信綱/織田方: 柴田勝家、羽柴秀吉(意見が合わず帰陣)、丹羽長秀、滝川一益
信貴山城の戦い
SP-124 · 1577年 · 茶釜と共に爆死する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 48(織田 30 ・ 松永 18)
- 歴史的概要
- 二度目の謀反を起こした松永久秀が信貴山城に籠り、平蜘蛛の茶釜を叩き割って天守に火を放ったと伝わる。織田信忠・筒井順慶が攻め、久秀の甥が寝返って城が落ちる。
- 主な武将
- 織田方: 織田信忠、筒井順慶、明智光秀、細川藤孝/松永方: 松永久秀(自害)、松永久通、森好久(寝返る)
- 史料
- 『信長公記』巻十、『多聞院日記』、『大和軍記』
天正伊賀の乱
NB-10 · 1581年 · 四方から同時に入る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 54(織田方 32 ・ 伊賀衆 22)
- 歴史的概要
- 前回の失敗を踏まえ、四方の入口から同時に軍を入れて、伊賀の抵抗を面で潰した。地の利で戦う側は、どこか一方に集まれば他が抜ける。
- 主な武将
- 織田方: 織田信雄、丹羽長秀、蒲生氏郷、筒井順慶、堀秀政/伊賀衆: 百地丹波、藤林長門、平楽寺・柏原城に籠る土豪衆
島津の九州席巻 1554 〜 1586
岩剣城の戦い
SP-749 · 1554年 · 島津の三兄弟が初めて揃い、城を救いに来た兵を先に叩く
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(島津 24 ・ 祁答院・蒲生 16)
- 歴史的概要
- 島津貴久は大隅の祁答院良重・蒲生範清らと争い、子の義久・義弘・歳久を連れて岩剣城を攻めた。三兄弟の初陣で、城を救いに来た援軍を麓で破ると、城兵は夜のうちに城を捨てた。鉄砲が実戦で使われた最初の例の一つとされる。
- 主な武将
- 島津方: 島津貴久、島津義久、島津義弘、島津歳久/祁答院方: 祁答院良重、蒲生範清(援軍)
- 史料
- 『島津国史』、『貴久記』(※後世の編纂で、鉄砲の初使用は異説あり)
木崎原の戦い
SG-3 · 1572年 · 九州の桶狭間
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 20(島津方 8 ・ 伊東方 12)
- 歴史的概要
- 島津義弘300が伊東軍3千を、退いて見せて狭い場所へ引き込み、伏せていた隊で挟んだ。伊東方は大将級が次々に討たれ、日向の勢力が傾く。
- 主な武将
- 島津方: 島津義弘、川上忠智、鎌田政年/伊東方: 伊東祐安(討死)、伊東新次郎(討死)、柚木崎正家(討死)
耳川の戦い
SG-4 · 1578年 · 川を渡らせてから
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 86(島津方 41 ・ 大友方 45)
- 歴史的概要
- 大友の大軍が高城を囲む中、島津はわざと川を渡らせ、高城の守兵と挟み撃ちにした。渡った側は増水した耳川を背に崩れ、大友家中の重臣がまとめて失われる。
- 主な武将
- 島津方: 島津義久、島津家久、山田有信(高城を守り抜く)、島津義弘/大友方: 田原親賢(総大将)、佐伯惟教(討死)、吉弘鎮信(討死)、角隈石宗(討死)
沖田畷の戦い
SG-5 · 1584年 · 湿地の一本道
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 35(島津・有馬方 14 ・ 龍造寺方 21)
- 歴史的概要
- 龍造寺隆信の大軍は、両側が泥田の畷(あぜ道)を縦に進むしかなかった。先頭が止まったところへ横合いから鉄砲と伏兵が入り、隆信は輿に乗ったまま討たれる。
- 主な武将
- 島津・有馬方: 島津家久、有馬晴信、川上忠堅(隆信を討つ)/龍造寺方: 龍造寺隆信(討死)、成松信勝(討死)、百武賢兼(討死)、江里口信常(討死)
岩屋城の戦い
SG-6 · 1586年 · 七百で五万を十六日
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 12ターン / 駒 25(大友方(高橋紹運) 8 ・ 島津方 17)
- 歴史的概要
- 島津5万の北上を、高橋紹運はわずか763人で十六日間止めた。降伏勧告を退け、全員が城で死ぬ。この十六日が、秀吉軍の到着に間に合わせた。
- 主な武将
- 大友方: 高橋紹運(自刃)、福田民部、萩尾大学(城兵763名)/島津方: 島津忠長、伊集院忠棟、島津義弘
長宗我部の四国統一 1560 〜 1583
長浜の戦い
SP-750 · 1560年 · 二十二歳の初陣が、槍の使い方を聞いてから突き込む
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 36(長宗我部 18 ・ 本山 18)
- 歴史的概要
- 土佐の長宗我部国親は本山氏の長浜城を夜襲で奪い、取り返しに来た本山茂辰の兵と城の外の戸ノ本で戦った。これが嫡男元親の初陣で、家臣に槍の使い方を聞いてから自ら突き込んだと伝わる。本山勢は浦戸城へ退き、元親は「姫若子」から「鬼若子」と呼ばれるようになる。
- 主な武将
- 長宗我部方: 長宗我部国親、長宗我部元親(初陣)、長宗我部親貞/本山方: 本山茂辰
- 史料
- 『元親記』、『土佐物語』
渡川
SP-444 · 四万十川)の戦い(1575年 · 旧主が、川を渡って戻ってくる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 38(長宗我部 20 ・ 一条 18)
- 歴史的概要
- 土佐を追われた一条兼定が豊後から戻って四万十川の西に陣を張り、長宗我部元親が川を渡って攻め、これを破った。元親の土佐統一がここで成る。
- 主な武将
- 長宗我部: 長宗我部元親、吉良親貞、福留親政/一条: 一条兼定、加久見左衛門
- 史料
- 『元親記』(※軍記)
中富川の戦い
SP-445 · 1582年 · 本能寺の二か月後、四国の空白を埋める
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 11ターン / 駒 58(長宗我部 34 ・ 十河 24)
- 歴史的概要
- 本能寺の変で信長の四国攻めが消えると、長宗我部元親は阿波へ入り、中富川で十河存保を破った。元親の四国制覇への一歩。
- 主な武将
- 長宗我部: 長宗我部元親、長宗我部信親、香宗我部親泰/十河: 十河存保、三好康長の一族
- 史料
- 『元親記』、『南海通記』(※軍記)
引田の戦い
SP-755 · 1583年 · 讃岐へ渡った秀吉の先手が、長宗我部の大軍に押し返される
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(長宗我部 26 ・ 仙石 18)
- 歴史的概要
- 賤ヶ岳の年、秀吉は仙石秀久を讃岐へ入れて長宗我部元親に当たらせた。秀久は引田で長宗我部勢を迎え撃ったが、数に勝る長宗我部勢に押し返され、引田城へ退いた。讃岐の大半は長宗我部のものとなる。
- 主な武将
- 仙石方: 仙石秀久/長宗我部方: 長宗我部元親(※本人が出ていたかは諸書で揺れる)
- 史料
- 『元親記』、『南海通記』
本能寺の変と天下の継承 1582 〜 1584
山崎の戦い・正面激突軸
B-5 · 1582年 · 日本・戦国
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(羽柴方 44 ・ 明智方 40)
- 歴史的概要
- 本能寺の変直後、天王山麓の円明寺川を挟んで羽柴軍先鋒と明智軍先鋒が正面から衝突。
賤ヶ岳の戦い・本戦 実装済み
B-6 · 1583年 · 日本・戦国
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 86(羽柴方 45 ・ 柴田方 41)
- 歴史的概要
- 羽柴秀吉の本隊強行軍(大返し)と、柴田勝家本陣・佐久間盛政の決戦。
長久手・白山林の戦い
B-8 · 1584年 · 日本・戦国
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 46(徳川方 22 ・ 羽柴方(池田・森) 24)
- 歴史的概要
- 徳川家康・井伊直政率いる徳川軍が、行軍中の池田恒興・森長可の羽柴中入部隊を平地で急襲。
羽黒の戦い
SP-128 · 1584年 · 小牧の最初の一当たりで、森長可が負ける
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(徳川 24 ・ 羽柴 20)
- 歴史的概要
- 小牧・長久手の緒戦。森長可が独断で南下したところを、酒井忠次らが夜のうちに回り込んで朝に両側から突いた。この負けが、のちの長久手の遠因になる。
- 主な武将
- 徳川方: 酒井忠次、奥平信昌、松平家忠/羽柴方: 森長可(敗走・のち長久手で討死)
- 史料
- 『小牧陣始末記』、『三河物語』、『総見記』
長久手の戦い・本戦 実装済み
SP-129 · 1584年 · 引き返してきた軍が、間に合う
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 84(徳川 41 ・ 羽柴 43)
- 歴史的概要
- 三河へ向かった別働隊の後尾(白山林)が崩れたと知り、池田恒興・森長可の本隊が引き返した所へ家康の本隊が正面から当たった。池田父子と森長可が討たれる。
- 主な武将
- 徳川方: 徳川家康、井伊直政(赤備え)、本多忠勝、榊原康政/羽柴方: 池田恒興(討死)、池田元助(討死)、森長可(討死)、堀秀政(唯一勝つ)
- 史料
- 『小牧陣始末記』、『三河物語』、『太閤記』、『池田家履歴略記』
末森城の戦い
SP-130 · 1584年 · 夜通し歩いて、朝に囲みを破る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(前田 24 ・ 佐々 22)
- 歴史的概要
- 佐々成政が前田方の末森城を囲んだ。前田利家は夜のうちに二十数里を駆け、朝に背後から囲みを破った。加賀百万石の基礎が、この一夜で決まる。
- 主な武将
- 前田方: 前田利家、奥村永福(城を守る)、村井長頼/佐々方: 佐々成政、佐々平左衛門
- 史料
- 『三壺記』、『前田家譜』、『佐々家譜』
蟹江城合戦
SP-534 · 1584年 · 長久手のあと、海から入った滝川一益が城を取り、すぐ囲まれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(徳川・織田 30 ・ 羽柴方 22)
- 歴史的概要
- 小牧・長久手の対陣のさなか、羽柴方の滝川一益・九鬼嘉隆が海路で尾張の蟹江城を奪った。徳川家康・織田信雄はすぐに兵を返して前田城・下市場城を落とし、蟹江城を囲んで一益を降した。
- 主な武将
- 徳川・織田方: 徳川家康、織田信雄、酒井忠次、榊原康政/羽柴方: 滝川一益、九鬼嘉隆、前田長定
- 史料
- 『家忠日記』、『当代記』
秀吉の天下統一 1582 〜 1591
備中高松城の水攻め
HY-1 · 1582年 · 作れない盤の代表
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 52(豊臣方 28 ・ 毛利方 24)
- 歴史的概要
- 沼地の中の城を、秀吉は堤を築いて水没させた。毛利の後詰は水の向こうで手が出せず、本能寺の変の報せが届いた直後に和睦がまとまり、中国大返しが始まる。
- 主な武将
- 豊臣方: 羽柴秀吉、黒田孝高(水攻めの献策)、蜂須賀正勝/毛利方: 清水宗治(切腹)、吉川元春、小早川隆景(後詰・動けない)
千石堀城の戦い
HY-2 · 1585年 · 紀州攻めの一日
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 25(豊臣方 14 ・ 根来・雑賀方 11)
- 歴史的概要
- 根来・雑賀の拠る城を、豊臣方が一日で力攻めに落とした。城内の火薬に火が入って大爆発が起き、女子供を含め皆殺しになったと伝わる。
- 主な武将
- 豊臣方: 筒井定次、堀秀政、長谷川秀一/根来・雑賀方: 大谷左大仁(城将)、雑賀の鉄砲衆
一宮城の戦い
HY-3 · 1585年 · 四国が十日で終わる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(豊臣方 28 ・ 長宗我部方 22)
- 歴史的概要
- 三方から同時に上陸した豊臣軍10万に対し、長宗我部元親の兵は各所に分散していた。一宮城が落ちた時点で、元親は土佐一国を条件に降る。
- 主な武将
- 豊臣方: 羽柴秀長、蜂須賀正勝、宇喜多秀家、小早川隆景/長宗我部方: 長宗我部元親、江村親俊(一宮城将)、谷忠澄(降伏を勧める)
第一次上田城の戦い
SP-131 · 1585年 · 城下へ引き入れてから、閉める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 48(徳川 30 ・ 真田 18)
- 歴史的概要
- 真田昌幸はわざと城下へ徳川勢を引き入れ、狭い町割りの中で挟み撃ちにした。七千対二千で徳川が千三百を失う。十五年後の第二次上田城と同じ手である。
- 主な武将
- 徳川方: 鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉/真田方: 真田昌幸、真田信幸、矢沢頼康
- 史料
- 『真田家文書』、『三河物語』、『上田軍記』
戸次川の戦い
SG-7 · 1587年 · 命令を無視して渡る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(豊臣方 22 ・ 島津方 22)
- 歴史的概要
- 軍監の仙石秀久が、諸将の反対を押し切って川を渡らせた。待っていた島津の釣り野伏せに嵌り、長宗我部信親と十河存保が討たれる。仙石は所領を失った。
- 主な武将
- 豊臣方: 仙石秀久(渡河を強行・のち改易)、長宗我部信親(討死)、十河存保(討死)、長宗我部元親(子を失う)/島津方: 島津家久、新納忠元
根白坂の戦い
SG-8 · 1587年 · 夜襲を受け止める
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 35(豊臣方 20 ・ 島津方 15)
- 歴史的概要
- 豊臣軍の付城に島津が夜襲をかけたが、宮部継潤が柵と鉄砲で持ちこたえ、藤堂・小早川の後詰が入って島津は退いた。九州の勝負がここで決まる。
- 主な武将
- 豊臣方: 宮部継潤(受け止める)、藤堂高虎、小早川隆景、黒田孝高/島津方: 島津義弘、島津忠隣(討死)、島津家久
山中城の戦い
HY-4 · 1590年 · 半日で落ちる名城
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 30(豊臣方 18 ・ 北条方 12)
- 歴史的概要
- 小田原攻めの入口、障子堀と畝堀で名高い山中城が、豊臣軍7万の力攻めに半日ももたなかった。一柳直末が討たれ、城将松田康長も討死する。
- 主な武将
- 豊臣方: 豊臣秀次、一柳直末(討死)、中村一氏、堀尾吉晴、渡辺勘兵衛(一番乗り)/北条方: 松田康長(討死)、間宮康俊(討死)、松田直長
忍城の戦い
HY-5 · 1590年 · 攻める側が失敗する
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 10ターン / 駒 35(豊臣方 20 ・ 成田方 15)
- 歴史的概要
- 石田三成は秀吉に倣って堤を築いて水攻めにしたが、堤が切れて逆に寄せ手が水を浴びた。城は小田原が開城するまで落ちず、「浮き城」の名が残る。
- 主な武将
- 豊臣方: 石田三成、大谷吉継、長束正家、真田昌幸・信繁父子/成田方: 成田長親(のぼうの城)、正木丹波守、柴崎和泉守、甲斐姫
八王子城の戦い
SP-133 · 1590年 · 一日で落ちた城が、小田原を降ろす
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(豊臣 34 ・ 北条 20)
- 歴史的概要
- 城主不在の八王子城を、前田・上杉の軍が一日で攻め落とした。籠っていた女性や家臣が滝に身を投げ、その報せが小田原城の北条氏を降伏へ傾けた。
- 主な武将
- 豊臣方: 前田利家、上杉景勝、直江兼続、真田昌幸/北条方: 横地吉信、中山家範、狩野一庵、城代と籠城の家族
- 史料
- 『北条五代記』、『関八州古戦録』、『上杉家文書』
九戸政実の乱
HY-6 · 1591年 · 天下統一の最後の一日
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 30(豊臣方 18 ・ 九戸方 12)
- 歴史的概要
- 奥州で最後まで従わなかった九戸政実の城を、豊臣の奥州仕置軍6万が囲んだ。城は堅く、降伏を約束して開けさせた上で、約束は守られなかった。
- 主な武将
- 豊臣方: 豊臣秀次、蒲生氏郷、浅野長政、井伊直政/九戸方: 九戸政実、九戸実親、櫛引清長
伊達政宗の南奥州統一と奥羽 1585 〜 1589
人取橋の戦い
TG-7 · 1585年 · 十七歳が三万に囲まれる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(伊達方 16 ・ 連合軍 24)
- 歴史的概要
- 伊達政宗7千が、佐竹を中心とする連合3万に囲まれた。老臣鬼庭良直が殿を務めて討たれ、政宗自身も矢を受ける。夜、佐竹方に国元の急報が入り、連合軍が引き揚げて助かった。
- 主な武将
- 伊達方: 伊達政宗(18歳・負傷)、鬼庭良直(73歳・殿で討死)、伊達成実、片倉景綱/連合軍: 佐竹義重、蘆名亀王丸、二階堂・岩城・石川の各勢
郡山合戦
SP-132 · 1588年 · 川を挟んで、鉄砲だけ撃ち合う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(伊達 28 ・ 蘆名・佐竹 26)
- 歴史的概要
- 伊達政宗と蘆名・佐竹連合が阿武隈川を挟んで対陣し、数十日にわたって鉄砲と小競り合いだけが続いた。決着はつかず和睦するが、翌年の摺上原へ繋がる。
- 主な武将
- 伊達方: 伊達政宗、伊達成実、片倉景綱/連合方: 佐竹義重、蘆名義広、岩城常隆
- 史料
- 『伊達治家記録』、『政宗記』、『会津旧事雑考』
十五里ヶ原の戦い
SP-446 · 1588年 · 天下の停戦令の下で、庄内が取られる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(上杉方 22 ・ 最上方 22)
- 歴史的概要
- 上杉景勝の家臣本庄繁長が、実子の大宝寺義勝を立てて庄内へ入り、最上義光の後ろ盾を持つ東禅寺義長を十五里ヶ原で破った。秀吉の惣無事令のもとで起きた戦いとして、のちに問題になる。
- 主な武将
- 上杉方: 本庄繁長、大宝寺義勝/最上方: 東禅寺義長(討死)、東禅寺勝正(討死)
- 史料
- 『奥羽永慶軍記』(※軍記=伝)、上杉家文書
摺上原の戦い
TG-8 · 1589年 · 風が変わる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(伊達方 44 ・ 蘆名方 40)
- 歴史的概要
- 伊達と蘆名が磐梯山の麓で激突。朝は蘆名に有利な風だったが、昼に風向きが変わって砂塵が逆へ吹いたと伝わる。蘆名方の猪苗代盛国が寝返っており、蘆名氏はこの一戦で滅ぶ。
- 主な武将
- 伊達方: 伊達政宗、猪苗代盛国(寝返り・道を開く)、伊達成実、片倉景綱、原田宗時/蘆名方: 蘆名義広、佐瀬種常・富田将監(討死)、金上盛備(討死)
文禄・慶長の役 1592 〜 1598
忠州・弾琴台の戦い
KR-1 · 1592年 · 川を背にして騎兵で受ける
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 30(朝鮮軍 14 ・ 日本軍 16)
- 歴史的概要
- 朝鮮の名将・申砬は、鳥嶺の険を捨てて平地に出て川を背に騎兵で構えた。しかし湿田に足を取られ、小西行長の鉄砲に押されて崩れ、申砬は川へ入って死ぬ。
- 主な武将
- 朝鮮軍: 申砬(自刃)、金汝岉(討死)、李鎰(敗走)/日本軍: 小西行長、宗義智、松浦鎮信
碧蹄館の戦い
KR-2 · 1593年 · 狭い谷で大軍が使えない
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 45(日本軍 24 ・ 明軍 21)
- 歴史的概要
- 平壌を奪って南下する李如松の明軍に対し、小早川隆景らが谷間の狭い場所で待ち受けた。泥に足を取られた明の騎兵は数を活かせず、李如松は落馬して危うく討たれかける。
- 主な武将
- 日本軍: 小早川隆景、立花宗茂(先鋒)、宇喜多秀家、吉川広家、粟屋景雄/明軍: 李如松(落馬・辛くも脱出)、李如柏、査大受、李有昇(李如松を庇って討死)
幸州山城の戦い
KR-3 · 1593年 · 山の上の柵を九度守る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 10ターン / 駒 30(朝鮮軍 12 ・ 日本軍 18)
- 歴史的概要
- 権慄が漢江沿いの山に柵を巡らせて籠り、日本軍の九度にわたる攻めを一日で受け止めた。矢が尽きかけたところへ舟で矢が届き、持ちこたえる。
- 主な武将
- 朝鮮軍: 権慄、趙儆、処英(僧兵)、城内の女たち(石を運ぶ)/日本軍: 宇喜多秀家(負傷)、吉川広家、石田三成(負傷)、小早川秀包
晋州城の戦い
SP-134 · 1593年 · 亀甲車で壁を崩し、九日で落とす
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(日本 40 ・ 朝鮮 24)
- 歴史的概要
- 前年に落とせなかった晋州城を、九万余で囲み直した。亀甲車で城壁の根を掘り、土山を築いて九日で落とした。守将・金千鎰は南江に身を投げる。
- 主な武将
- 日本方: 加藤清正、黒田長政(亀甲車)、小西行長、宇喜多秀家/朝鮮方: 金千鎰(投身)、黄進(討死)、徐礼元、義兵
- 史料
- 『宣祖実録』、『懲毖録』、『日本戦史・朝鮮役』
稷山の戦い
KR-4 · 1597年 · 平地での遭遇戦
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(日本軍 22 ・ 明軍 22)
- 歴史的概要
- 北上する黒田長政の先鋒と、南下する明の解生の騎兵が稷山の丘陵で正面から出会った。半日の混戦の末に双方が退き、日本軍の北上はここで止まる。
- 主な武将
- 日本軍: 黒田長政、栗山利安、母里友信、毛利秀元(後詰)/明軍: 解生、牛伯英、頗貴、楊登山
鳴梁の海戦
SP-135 · 1597年 · 十二隻で、潮の速い瀬戸を塞ぐ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 44(朝鮮 12 ・ 日本 32)
- 歴史的概要
- 李舜臣は十二隻の残存艦で鳴梁の狭い海峡に陣取り、潮の流れが変わる時刻に合わせて戦った。狭い水道で数の多い側が身動きできず、日本水軍は退く。
- 主な武将
- 朝鮮方: 李舜臣、安衛、金応諴/日本方: 来島通総(討死)、藤堂高虎、脇坂安治
- 史料
- 『乱中日記』、『宣祖実録』、『日本戦史・朝鮮役』
蔚山城の戦い
KR-5 · 1598年 · 未完成の城で水も食料も無い
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 12ターン / 駒 35(日本軍 16 ・ 明・朝鮮軍 19)
- 歴史的概要
- 普請の途中の城に加藤清正が入った直後、明・朝鮮の大軍に囲まれた。井戸も兵糧も無く、馬を殺し、紙を食い、雨水と尿を飲んで十日耐える。援軍が着いて包囲は解けた。
- 主な武将
- 日本軍: 加藤清正、浅野幸長、太田一吉、(後詰)毛利秀元・黒田長政・鍋島直茂/明・朝鮮軍: 楊鎬、麻貴、権慄、李徳馨
泗川の戦い
KR-6 · 1598年 · 寡兵で城を出る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(日本軍(島津) 16 ・ 明・朝鮮軍 28)
- 歴史的概要
- 島津義弘は7千で、囲みに来た数万に対し城に籠らず打って出た。折しも敵陣の火薬が爆発し、混乱に乗じて押し切る。「鬼島津」の名が半島に残る。
- 主な武将
- 日本軍: 島津義弘、島津忠恒、川上忠実、(老兵の一隊)/明・朝鮮軍: 董一元、茅国器、彭信古、鄭起龍
関ヶ原 1600
伏見城の戦い
SK-1 · 1600年 · 十三日を稼いで死ぬ
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 13ターン / 駒 35(東軍(鳥居元忠・守) 12 ・ 西軍 23)
- 歴史的概要
- 家康が会津へ発つとき、鳥居元忠は「城は落ちる。何日持たせればよいか」だけを聞いた。1800で4万を十三日引き受け、全員が死ぬ。その十三日が、東軍の集結を間に合わせた。
- 主な武将
- 東軍(守): 鳥居元忠(討死)、松平家忠(討死)、内藤家長(討死)、甲賀衆(家族を人質に取られ内応)/西軍: 宇喜多秀家、小早川秀秋、島津義弘、長束正家
杭瀬川の戦い
SK-2 · 1600年 · 前日の小競り合い
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 18(西軍 10 ・ 東軍 8)
- 歴史的概要
- 関ヶ原の前日、島左近がわずかな兵で東軍を挑発し、追ってきたところを伏せ勢で叩いた。西軍の士気を上げるためだけの、半日の小さな戦い。
- 主な武将
- 西軍: 島左近(誘い出し)、明石全登(伏せ勢)、蒲生頼郷/東軍: 中村一栄、有馬豊氏、野一色頼母(討死)
関ヶ原の戦い・中央本戦軸 実装済み
B-2 · 1600年 · 日本・戦国
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 72(東軍 42 ・ 西軍 30) ── ※出荷済 Scenarios/mSekigahara1600.json
- 歴史的概要
- 裏切りを除いた関ヶ原中央部(藤堂・京極 vs 大谷吉継、福島 vs 宇喜多)の激烈な槍合わせ。
第二次上田城の戦い
SK-3 · 1600年 · 三万八千を足止めする
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 12ターン / 駒 30(真田方 10 ・ 徳川秀忠勢 20)
- 歴史的概要
- 真田昌幸は2500で徳川秀忠の3万8千を城に引きつけ、挑発しては引き、稲を刈らせては襲い、十日以上足止めした。秀忠は関ヶ原に間に合わない。
- 主な武将
- 真田方: 真田昌幸、真田信繁(幸村)、河原綱家/徳川方: 徳川秀忠、榊原康政、大久保忠隣、牧野康成、(父の側にいる)真田信之
長谷堂城の戦い
SK-4 · 1600年 · 退き口
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 45(上杉方 22 ・ 最上・伊達連合 23)
- 歴史的概要
- 上杉の直江兼続が最上領へ攻め込んだ最中に、関ヶ原の結果が届く。兼続は殿軍を自ら務め、追い迫る最上・伊達勢を鉄砲で押さえながら、軍を崩さずに退いた——「見事な退き口」と敵方が記した。
- 主な武将
- 上杉方: 直江兼続(殿)、前田慶次、上泉泰綱(討死)、水原親憲/最上・伊達方: 最上義光(兜に銃弾を受ける)、志村光安(長谷堂を守り抜く)、留守政景(伊達の援軍)
岐阜城の戦い
SP-136 · 1600年 · 本戦の五日前に、東軍が前進する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(東軍 32 ・ 西軍 20)
- 歴史的概要
- 福島正則と池田輝政が先陣を争いながら木曽川を渡り、一日で織田秀信の岐阜城を落とした。これで東軍は美濃へ進出し、関ヶ原本戦の前提が整う。
- 主な武将
- 東軍: 福島正則、池田輝政、浅野幸長、井伊直政/西軍: 織田秀信(信長の孫)、百々綱家、飯沼長資
- 史料
- 『関原軍記大成』、『福島太夫殿御事』、『池田家履歴略記』
浅井畷の戦い
SP-137 · 1600年 · 加賀の道一本で、前田と丹羽がすれ違う
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(前田 26 ・ 丹羽 20)
- 歴史的概要
- 前田利長が北陸を進む途中、湿地に挟まれた畷(一本道)で丹羽長重に横から襲われた。前田は損害を出しながら通り抜け、関ヶ原には間に合わなかった。
- 主な武将
- 前田方: 前田利長、長連龍(殿)、山崎長徳/丹羽方: 丹羽長重、江口三郎右衛門
- 史料
- 『三壺記』、『加賀藩史料』、『関原軍記大成』
大津城の戦い
SP-138 · 1600年 · 落ちた日が、関ヶ原の当日
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 52(西軍 34 ・ 京極 18)
- 歴史的概要
- 京極高次が大津城に籠り、西軍一万五千を十日間釘付けにした。城が開城した日が関ヶ原の当日で、この一万五千は本戦に間に合わなかった。
- 主な武将
- 西軍: 立花宗茂、毛利元康、小早川秀包、筑紫広門/京極方: 京極高次、赤尾伊豆、山田大炊
- 史料
- 『関原軍記大成』、『京極家譜』、『舜旧記』
石垣原の戦い
SP-139 · 1600年 · 九州で、黒田如水が別の戦争をする
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(黒田 28 ・ 大友 22)
- 歴史的概要
- 黒田如水が寄せ集めの軍で九州を切り取る中、旧領回復を目指した大友義統と別府の石垣原で戦った。吉弘統幸が主君を諌めながらも先頭で戦って討死する。
- 主な武将
- 黒田方: 黒田如水(官兵衛)、井上之房、母里友信/大友方: 大友義統、吉弘統幸(討死)、宗像鎮続
- 史料
- 『黒田家譜』、『大友記』、『豊府聞書』
大坂の陣 1614 〜 1615
大坂冬の陣・真田丸の戦い
SK-5 · 1614年 · 出丸ひとつ
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 30(豊臣方(真田丸) 10 ・ 徳川方 20)
- 歴史的概要
- 真田信繁が惣構の南に築いた出丸へ、前田・井伊の兵が命令を待たずに攻めかかった。三方から撃ち下ろされ、寄せ手は一日で大損害を出す。堀は、その後の和睦で埋められる。
- 主な武将
- 豊臣方: 真田信繁(幸村)、大野治長、木村重成、後藤又兵衛/徳川方: 前田利常、井伊直孝、松平忠直、(抜け駆けした足軽たち)
今福・鴫野の戦い
SP-140 · 1614年 · 川と堤の上で、四度取り返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(徳川 30 ・ 豊臣 24)
- 歴史的概要
- 大坂冬の陣の前哨。大和川沿いの堤と柵をめぐって、一日のうちに四度も持ち主が変わった。上杉景勝・佐竹義宣が苦戦し、木村重成・後藤又兵衛が押し返す。
- 主な武将
- 徳川方: 上杉景勝、佐竹義宣、堀尾忠晴、水野勝成/豊臣方: 木村重成、後藤又兵衛基次、矢野正倫(討死)
- 史料
- 『大坂陣山口休庵咄』、『上杉家御年譜』、『駿府記』
樫井の戦い
SP-756 · 1615年 · 先駆けを争った大将が、本隊の着く前に討たれる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 36(浅野 20 ・ 豊臣 16)
- 歴史的概要
- 夏の陣の初め、大坂方は紀伊の浅野長晟を討とうと南へ兵を出した。先手の塙直之(団右衛門)と岡部則綱は先駆けを争って本隊より先に進み、樫井で浅野勢に当たった。塙と淡輪重政は討死し、遅れて来た大野治長の本隊は戦わずに引き返した。
- 主な武将
- 豊臣方: 塙直之(討死)、岡部則綱、淡輪重政(討死)、大野治長(遅れて来る)/浅野方: 浅野長晟、亀田高綱、上田宗箇
- 史料
- 『大坂御陣覚書』、『難波戦記』
大坂夏の陣・天王寺口
SK-6 · 1615年 · 最後の突撃
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 96(豊臣方 42 ・ 徳川方 54)
- 歴史的概要
- 城の堀を失った豊臣方は野戦に出るしかなかった。真田信繁は三千で家康の本陣へ二度突き入り、旗を倒させたが、三度目に力尽きる。この日で戦国が終わる。
- 主な武将
- 豊臣方: 真田信繁(討死)、毛利勝永、大野治房、明石全登、木村重成(前日に討死)/徳川方: 徳川家康(本陣を崩される)、松平忠直(越前勢)、本多忠朝(討死)、井伊直孝
八尾・若江の戦い
SP-141 · 1615年 · 二つの村で、同時に二人の将が死ぬ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(徳川 30 ・ 豊臣 26)
- 歴史的概要
- 夏の陣で、八尾では長宗我部盛親が藤堂高虎を破り、若江では木村重成が井伊直孝に討たれた。同じ時刻に隣り合う村で、勝ちと負けが同時に起きる。
- 主な武将
- 徳川方: 藤堂高虎(甥ら一族を失う)、井伊直孝、藤堂良勝(討死)/豊臣方: 長宗我部盛親、木村重成(討死・兜に香を焚き込めていた)、山口弘定
- 史料
- 『大坂御陣覚書』、『藤堂家覚書』、『井伊家譜』
道明寺・誉田の戦い
SP-142 · 1615年 · 霧で味方が来ず、一人で迎える
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(徳川 30 ・ 豊臣 24)
- 歴史的概要
- 後藤又兵衛は濃い霧で後続の味方が到着しないまま、小松山で伊達・水野の大軍を迎えて討たれた。遅れて着いた真田信繁が、退く味方の殿を務める。
- 主な武将
- 徳川方: 水野勝成、伊達政宗、片倉重長、本多忠政/豊臣方: 後藤又兵衛基次(討死)、薄田兼相(討死)、真田信繁(殿)、毛利勝永
- 史料
- 『大坂御陣覚書』、『伊達治家記録』、『難波戦記』
島原の乱 1638
原城の戦い
SP-143 · 1638年 · 廃城に籠った三万七千を、十二万で囲む
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 70(幕府 46 ・ 一揆 24)
- 歴史的概要
- 島原・天草の一揆勢が廃城の原城に籠り、四か月持ちこたえた。最初の総攻撃で幕府方の総大将・板倉重昌が戦死。兵糧が尽きた所で総攻めとなり、ほぼ全員が死ぬ。
- 主な武将
- 幕府方: 板倉重昌(戦死)、松平信綱(知恵伊豆)、細川忠利、鍋島勝茂、立花宗茂/一揆方: 天草四郎時貞、益田好次、女子供を含む籠城衆
- 史料
- 『島原天草日記』、『細川家史料』、『徳川実紀』、オランダ商館日記
城攻めと籠城 ※参考の節)(1577 〜 1581
七尾城の戦い
JO-2 · 1577年 · 内側から開く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 44(上杉方 24 ・ 畠山方 20)
- 歴史的概要
- 上杉謙信が囲んだ能登の巨城は、力攻めでは抜けなかった。城内で疫病が広がり、遊佐続光が内応して門を開く。落城の報せを知らずに進んでいた織田軍が、直後に手取川で崩れる(NB-9)。
- 主な武将
- 上杉方: 上杉謙信、直江信綱、遊佐続光(内応)/畠山方: 長続連(討死)、長綱連(討死)、畠山春王丸(幼君)
上月城の戦い
JO-1 · 1578年 · 見殺しにされる城
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 10ターン / 駒 30(尼子再興軍(守) 10 ・ 毛利方 20)
- 歴史的概要
- 尼子再興を託された山中鹿介らが籠る上月城を、毛利の大軍が囲んだ。羽柴秀吉は救援に出たが、信長の命で三木攻めへ回され、城は見捨てられる。尼子勝久は自刃し、鹿介は護送の途中で殺された。
- 主な武将
- 尼子・織田方: 尼子勝久(自刃)、山中鹿介(護送中に殺される)、立原久綱/毛利方: 吉川元春、小早川隆景、宇喜多直家/(来ない援軍): 羽柴秀吉
有岡城の戦い
JO-3 · 1579年 · 一年籠って、城主が出ていく
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 13ターン / 駒 48(織田方 28 ・ 荒木方 20)
- 歴史的概要
- 荒木村重が信長に叛いて籠城し、一年近く持ちこたえた末、村重は単身で尼崎城へ移った。残された家族と家臣は皆殺しにされる。黒田官兵衛は土牢に一年閉じ込められた。
- 主な武将
- 荒木方: 荒木村重(城を出る)、荒木久左衛門、中川清秀・高山右近(先に織田方へ寝返る)/織田方: 織田信忠、滝川一益、羽柴秀吉、黒田孝高(土牢に幽閉)
三木合戦
JO-4 · 1580年 · 干殺し
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 48(豊臣方 28 ・ 別所方 20)
- 歴史的概要
- 別所長治の三木城を、秀吉は支城と補給路をすべて断って二年近く干した。城兵の助命と引き換えに長治は自刃する。
- 主な武将
- 別所方: 別所長治(自刃)、別所吉親、淡河定範(囮の牝馬で寄せ手を崩す)/豊臣方: 羽柴秀吉、黒田孝高、竹中重治(陣中で病没)
鳥取城の戦い
JO-5 · 1581年 · 米を買い占めてから囲む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 46(豊臣方 28 ・ 吉川方 18)
- 歴史的概要
- 秀吉は先に若狭商人を送って城下の米を高値で買い占めさせ、それから囲んだ。城内は三か月で食い尽くし、吉川経家は城兵の助命と引き換えに腹を切る。
- 主な武将
- 毛利方: 吉川経家(自刃)、森下道誉、中村春続/豊臣方: 羽柴秀吉、宮部継潤(※SG-8 根白坂の受け止め役)、黒田孝高
高天神城の戦い
JO-6 · 1581年 · わざと助けない
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 40(徳川方 24 ・ 武田方 16)
- 歴史的概要
- 徳川家康は六つの砦で城を囲み、一年かけて干した。武田勝頼は後詰を出せず、「勝頼は味方を見殺しにする」ことが東海の国衆に知れ渡る。翌年、武田は戦わずに崩れていく。
- 主な武将
- 武田方: 岡部元信(城将・討死)、横田尹松(脱出して報せる)/徳川方: 徳川家康、大久保忠世、本多忠勝、(来ない後詰)武田勝頼