ヨーロッパ(近代)
- フランス革命戦争 29
- ナポレオン戦争・第三次〜第五次対仏大同盟 22
- ナポレオン戦争・半島戦争 20
- ナポレオン戦争・ロシア戦役 11
- ナポレオン戦争・ドイツ解放戦争 12
- ナポレオン戦争・フランス戦役と百日天下 15
- イタリア統一戦争 7
- ハンガリー独立戦争 7
- クリミア戦争 3
- ドイツ統一戦争 10
フランス革命戦争 対仏大同盟・イタリア戦役・エジプト遠征)(1792 〜 1801
ヴァルミーの戦い
SP-274 · 1792年 · 撃ち合っただけで、王政が終わる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス 28 ・ プロイセン 26)
- 歴史的概要
- 実際の戦闘は砲撃戦だけで、死者は数百。しかし志願兵の隊列が崩れずに「国民万歳」と叫んだことで、プロイセン軍は攻撃を断念して退いた。翌日、共和政が宣言される。
- 主な武将
- フランス: ケレルマン、デュムーリエ、義勇兵大隊/プロイセン: ブラウンシュヴァイク公、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世、ゲーテ(観戦)
- 史料
- ゲーテ『滞仏陣中記』(現場にいた)、ケレルマンの報告
ジェマップの戦い
SP-275 · 1792年 · 縦隊で、丘の陣地へ押し上がる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(フランス 32 ・ オーストリア 26)
- 歴史的概要
- フランス革命軍が数を頼んだ縦隊で丘の砲台へ正面から押し上がった。損害は大きいが、革命軍が初めて野戦で陣地を奪った戦い。
- 主な武将
- フランス: デュムーリエ、ルイ=フィリップ(のちのフランス王・当時19歳)、義勇兵の縦隊/オーストリア: アルベルト公、ボーリュー
- 史料
- デュムーリエの報告、オーストリア側の記録
ネールヴィンデンの戦い
SP-276 · 1793年 · 勝った司令官が、そのまま敵側へ亡命する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(オーストリア 30 ・ フランス 28)
- 歴史的概要
- 敗れたデュムーリエはその一月後に敵側へ亡命した。フランスはベルギーを失い、恐怖政治が始まる。
- 主な武将
- オーストリア: コーブルク公、カール大公(若年)/フランス: デュムーリエ(のち亡命)、ミランダ(左翼が崩れる)
- 史料
- 双方の報告、コーブルクの記録
オンズコートの戦い
SP-659 · 1793年 · 生垣と運河の間で、革命軍がダンケルクの包囲を解く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス 30 ・ 英・ハノーファー 26)
- 歴史的概要
- ダンケルクを囲むヨーク公の英軍を救うため来た、フライターク元帥のハノーファー軍の掩護部隊を、ウシャール将軍の共和国軍がオンズコートで攻めて破った。ヨーク公は包囲を解いた。
- 主な武将
- フランス: ジャン・ニコラ・ウシャール、ジャン=バティスト・ジュールダン(※)、ドミニク・ヴァンダム/連合: ヴァルモーデン伯(※)、フライターク元帥
- 史料
- ※
ワッティニーの戦い
SP-660 · 1793年 · 二日目の霧の朝、包囲を解きに丘の上の村を取る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス 30 ・ オーストリア 26)
- 歴史的概要
- モブージュを囲むコーブルク公のオーストリア軍の掩護部隊を、ジュールダン将軍の共和国軍(公安委員カルノー同行)が二日間攻め、二日目にワッティニーの村を取って包囲を解かせた。
- 主な武将
- フランス: ジャン=バティスト・ジュールダン、ラザール・カルノー/オーストリア: コーブルク公、クレルファイ伯
- 史料
- ※
フルーリュスの戦い
SP-277 · 1794年 · 気球から戦場を見下ろす
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 66(フランス 36 ・ 連合 30)
- 歴史的概要
- 世界で初めて観測気球が実戦で使われた会戦。五方向から攻める連合軍を、フランス軍は内側の短い道で兵を回して凌ぎ、押し返した。
- 主な武将
- フランス: ジュールダン、クレベール、マルソー、クーテル(気球)/連合: コーブルク公、オラニエ公
- 史料
- ジュールダンの報告、クーテルの気球隊記録
トゥルコワンの戦い
SP-661 · 1794年 · 六つの縦隊が噛み合わず、包囲する側が逆に崩れる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 86(連合軍 46 ・ フランス 40)
- 歴史的概要
- コーブルク公の連合軍は、フランス軍をフランドルで包囲しようと六つの縦隊で進んだが、連携が取れなかった。スーアム将軍(モロー同行)の共和国軍は中にいる利点を使って縦隊を一つずつ叩き、ヨーク公の縦隊を潰走させた。
- 主な武将
- フランス: ジョゼフ・スーアム、ジャン・ヴィクトール・モロー、ドミニク・ヴァンダム/連合軍: コーブルク公、ヨーク公、クレルファイ伯(※到着せず)
- 史料
- ※
ロディの戦い
SP-278 · 1796年 · 橋の上を、密集したまま駆け抜ける
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(フランス 26 ・ オーストリア 20)
- 歴史的概要
- 二百メートルの木橋の向こうに砲が並ぶ中、擲弾兵が密集縦隊のまま橋を走って渡った。ナポレオンが自分の運命を意識したと語る一戦。
- 主な武将
- フランス: ボナパルト、マッセナ・ベルティエ(自ら先頭に立つ)、擲弾兵/オーストリア: セボッテンドルフ、橋を狙う砲列
- 史料
- ナポレオンの報告、マルモン回想録
カスティリオーネの戦い
SP-279 · 1796年 · 敵を引きつけておいて、後ろから来た隊で挟む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(フランス 30 ・ オーストリア 28)
- 歴史的概要
- ナポレオンは正面でわざと下がって敵を引き寄せ、背後に回らせたセリュリエの師団が着いた瞬間に全軍で押した。「中央突破と挟撃」の型が最初に完成した戦い。
- 主な武将
- フランス: ボナパルト、オージュロー、マッセナ、フィオレッラ(セリュリエ師団・背後から)/オーストリア: ヴルムザー
- 史料
- ナポレオンの報告、オーストリア側の記録
アルコレの戦い
SP-280 · 1796年 · 沼の中の堤の上で、三日かかる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 56(フランス 28 ・ オーストリア 28)
- 歴史的概要
- 沼に挟まれた堤の上でしか戦えず、三日かけて橋を取り合った。ナポレオン自身が軍旗を持って橋へ出たが押し戻され、最後は迂回した分隊で決まる。
- 主な武将
- フランス: ボナパルト(沼に落ちる)、オージュロー、マッセナ、ギュイユー(迂回する分隊)/オーストリア: アルヴィンツィ、プロヴェラ
- 史料
- ナポレオンの報告、マルモン、グロの絵
モンテノッテの戦い
SP-662 · 1796年 · イタリア方面軍の司令官になったボナパルトの、最初の勝利
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(フランス 28 ・ オーストリア 24)
- 歴史的概要
- イタリア方面軍の司令官になったボナパルトは、アペニン山脈のモンテノッテで、アルジャントー伯のオーストリア軍の前衛を三方から攻めて破った。オーストリアとサルデーニャの軍の間を割る作戦の最初の一撃。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン・ボナパルト、アンドレ・マッセナ、アマデ・ラアルプ/オーストリア: アルジャントー伯ウジェーヌ(※)
- 史料
- ボナパルトの報告
デーゴの戦い
SP-663 · 1796年 · 取った村を夜明けに取り返されて、もう一度取る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(フランス 26 ・ オーストリア 24)
- 歴史的概要
- モンテノッテの二日後、マッセナはデーゴの村を落としたが、略奪に散った翌朝、霧の中から来たヴカソヴィチのオーストリア旅団に取り返された。ボナパルトが兵を集め直して再び取った。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン・ボナパルト、アンドレ・マッセナ、ジャン・ランヌ(※)/オーストリア: フィリップ・ヴカソヴィチ
- 史料
- ※
バッサーノの戦い
SP-664 · 1796年 · 山の谷を下って、敵の後ろの町へ出る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス 30 ・ オーストリア 24)
- 歴史的概要
- マントヴァを救いに来たヴルムザー元帥のオーストリア軍を、ボナパルトはブレンタ川の谷を急いで下って追い、バッサーノで破った。ヴルムザーは残兵とともにマントヴァへ逃げ込んだ。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン・ボナパルト、アンドレ・マッセナ、ピエール・オージュロー/オーストリア: ダゴベルト・フォン・ヴルムザー
- 史料
- ※
ヴュルツブルクの戦い
SP-665 · 1796年 · 大公が、内側の道で二つのフランス軍の間に割って入る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(オーストリア 46 ・ フランス 38)
- 歴史的概要
- カール大公はドイツに入った二つのフランス軍の間を割り、ジュールダン将軍のサンブル=エ=ムーズ軍をヴュルツブルクで破った。ジュールダンはライン川まで退いた。
- 主な武将
- オーストリア: カール大公、パウル・クライ(※)、ヴァルテンスレーベン伯/フランス: ジャン=バティスト・ジュールダン、ジャン=バティスト・クレベール(※)
- 史料
- カール大公『1796年の戦役』
リヴォリの戦い
SP-281 · 1797年 · 五方向から来る敵を、着いた順に潰す
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(フランス 30 ・ オーストリア 34)
- 歴史的概要
- オーストリア軍は五つの縦隊に分かれて包囲するつもりだったが、ナポレオンは中央の高地を保ち、到着した縦隊から順に叩いた。イタリア戦役の決着。
- 主な武将
- フランス: ボナパルト、ジューベール、マッセナ(強行軍で到着)、ルクレール(騎兵突撃)/オーストリア: アルヴィンツィ、ケブレス、ルジニャン(背後へ回って孤立)
- 史料
- ナポレオンの報告、オーストリア側の記録
ピラミッドの戦い
P-14 · 1798年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(フランス 24 ・ マムルーク 24)
- 歴史的概要
- 平地の中央に配置された5つの巨大人造要塞(歩兵方陣)。全方位にZOCを出し突撃を返り討ち。
- 主な武将
- - フランス軍: ナポレオン・ボナパルト(総指揮)、ジャン・ルイ・デゼー将軍、ミシェル・ネイ将軍、ルイ・シャルル・ヴァンサン・ルクレルク将軍 - マムルーク・エジプト軍: ムラード・ベイ(マムルーク騎兵指揮官)、イブラヒム・ベイ(共同指揮者)
トレッビアの戦い
SP-282 · 1799年 · 三日間、同じ川を渡り合う
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(露墺 34 ・ フランス 30)
- 歴史的概要
- スヴォーロフが強行軍で先に到着し、三日にわたって川を挟んで押し合った。マクドナルの軍は合流できずに退く。1218年の同じ川(本編 PU-2)と同じ場所。
- 主な武将
- 露墺: スヴォーロフ、メラス、バグラチオン/フランス: マクドナル、ヴィクトール、来ないモローの合流
- 史料
- スヴォーロフの報告、フランス側の記録
ノヴィの戦い
SP-283 · 1799年 · 丘の上の陣を、十時間攻め続ける
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(露墺 34 ・ フランス 28)
- 歴史的概要
- フランス軍は丘の上の強い位置を保っていたが、十時間の攻撃の末に側面を回られて崩れた。若い司令官ジューベールは最初の三十分で戦死する。
- 主な武将
- 露墺: スヴォーロフ、クライ、メラス(側面へ)/フランス: ジューベール(開戦直後に戦死)、モロー(引き継ぐ)、サン=シール
- 史料
- スヴォーロフの報告、フランス側の記録
第二次チューリヒの戦い
SP-284 · 1799年 · 川を渡って、市ごと囲む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(フランス 32 ・ 露墺 26)
- 歴史的概要
- マッセナはリマト川を舟で渡って市を包み、コルサコフのロシア軍を崩した。これによりスヴォーロフのアルプス越えが孤立し、第二次同盟が崩れる。
- 主な武将
- フランス: マッセナ、ウーディノ、ロルジュ/露墺: コルサコフ、ホッツェ(戦死)
- 史料
- マッセナの報告、ロシア側の記録
シュトックアハの戦い
SP-666 · 1799年 · 大公が、森の丘の陣をもう一度守り切る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(オーストリア 30 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- ドナウ源流域へ入ったジュールダン将軍のフランス軍は、シュトックアハでカール大公のオーストリア軍を攻めたが、森の丘の陣を抜けずに撃退され、ライン川へ退いた。
- 主な武将
- オーストリア: カール大公/フランス: ジャン=バティスト・ジュールダン、グヴィオン・サン=シール、ドミニク・ヴァンダム
- 史料
- ※
カッサーノの戦い
SP-667 · 1799年 · ロシアの老元帥が、アッダ川を渡ってイタリアへ入る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(ロシア・オーストリア 30 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- アレクサンドル・スヴォーロフのロシア・オーストリア連合軍は、アッダ川を渡ってカッサーノでモロー将軍のフランス軍を破り、ミラノに入った。
- 主な武将
- 連合軍: アレクサンドル・スヴォーロフ、ミヒャエル・フォン・メラス、ピョートル・バグラチオン(※)/フランス: ジャン・ヴィクトール・モロー、ジャン・セリュリエ(捕虜)
- 史料
- ※
ベルヘンの戦い
SP-668 · 1799年 · 砂丘と運河の国へ、英露の軍が上陸する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(英露連合 30 ・ フランス・バタヴィア 26)
- 歴史的概要
- 北ホラントに上陸したヨーク公の英露連合軍は、ベルヘンでブリューヌ将軍のフランス・バタヴィア軍を攻めた。ロシア軍の縦隊は早く出すぎて孤立し、敗れた。
- 主な武将
- フランス・バタヴィア: ギヨーム・ブリューヌ、ヘルマン・ウィレム・ダーンデルス、ドミニク・ヴァンダム/英露連合: ヨーク公、イヴァン・ヘルマン(ロシア・捕虜)
- 史料
- ※
タボル山の戦い
SP-669 · 1799年 · 方陣で半日耐えた所へ、ボナパルトが背後から着く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(オスマン 34 ・ フランス 20)
- 歴史的概要
- シリア遠征中、クレベール将軍の少数のフランス軍はタボル山の麓で、ダマスカスから来たオスマン軍の大軍に囲まれ、方陣で半日耐えた。そこへボナパルトが別の師団を率いて背後から着き、オスマン軍は崩れた。
- 主な武将
- フランス: ジャン=バティスト・クレベール、ナポレオン・ボナパルト(増援)、ジャン・アンドシュ・ジュノー(※)/オスマン: ダマスカスのパシャ(※名は要確認)
- 史料
- ※
アブキールの戦い
SP-670 · 陸戦・1799年 · 上陸したオスマン軍を、騎兵が海へ追い落とす
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(フランス 26 ・ オスマン 26)
- 歴史的概要
- アブキール湾に上陸したムスタファ・パシャのオスマン軍を、ボナパルトのフランス軍が攻めた。ミュラの騎兵が陣を突き抜けてムスタファを捕らえ、多くのオスマン兵が海へ追い落とされた。ボナパルトがエジプトを去る前の最後の勝利。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン・ボナパルト、ジョアシャン・ミュラ(負傷)、ジャン・ランヌ/オスマン: ムスタファ・パシャ(捕虜)
- 史料
- ※
マレンゴの戦い
NP-1 · 1800年 · 負けた戦を夕方に取り返す
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 80(フランス 39 ・ オーストリア 41)
- 歴史的概要
- 兵を分散させすぎたナポレオンは午後まで押され続けた。別方向へ出していたドゼーの師団が砲声を聞いて自発的に引き返し、夕方に到着して逆転する。ドゼーはその突撃で死んだ。
- 主な武将
- フランス軍: ナポレオン、ドゼー(引き返して到着・討死)、ケレルマン(騎兵突撃)、ランヌ、ヴィクトール/オーストリア軍: メラス(老将・勝ったと思って本営へ戻る)、ツァッハ(捕虜)、オライリー
ホーエンリンデンの戦い
SP-285 · 1800年 · 雪の森の道で、縦隊の腹を突く
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(フランス 32 ・ オーストリア 32)
- 歴史的概要
- 雪の森の中を四つの道に分かれて進むオーストリア軍に対し、モローは待ち受けた上でリシュパンスの師団を横から入れた。オーストリアが講和に追い込まれる。
- 主な武将
- フランス: モロー、リシュパンス(横から入る)、ネイ、グルーシー/オーストリア: ヨハン大公(18歳)、ラトゥール
- 史料
- モローの報告、オーストリア側の記録
ヘリオポリスの戦い
SP-671 · 1800年 · 一万のフランス軍が、エジプトを取り返しに来た大軍を破る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(オスマン 50 ・ フランス 34)
- 歴史的概要
- ボナパルトが去ったあとのエジプトで、クレベール将軍はカイロ近くのヘリオポリスで、大宰相ユースフ・ズィヤ・パシャのオスマン軍の大軍を方陣で迎えて破った。
- 主な武将
- フランス: ジャン=バティスト・クレベール、ジャック・ムヌー(※)、ルイ・フリアン(※)/オスマン: ユースフ・ズィヤ・パシャ
- 史料
- ※
モンテベッロの戦い
SP-672 · 1800年 · マレンゴの五日前、ランヌの前衛が倍の敵を押し切る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(オーストリア 30 ・ フランス 24)
- 歴史的概要
- アルプスを越えたボナパルトの軍の前衛、ランヌ将軍の軍団は、モンテベッロでオット将軍のオーストリア軍と遭遇した。ヴィクトールの師団が着くまで持ちこたえ、押し切って勝った。
- 主な武将
- フランス: ジャン・ランヌ、クロード・ヴィクトール・ペラン(増援)/オーストリア: ペーター・カール・オット
- 史料
- ※
カノープスの戦い
SP-673 · 1801年 · 夜明け前の攻撃が、英軍の陣地の前で崩れる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス 28 ・ 英軍 26)
- 歴史的概要
- アブキールに上陸したアバークロンビー将軍の英軍を、ムヌー将軍のフランス軍がアレクサンドリアの東、カノープスの遺跡の近くで夜明け前に攻めたが撃退された。アバークロンビーは致命傷を負った。フランス軍はこの年エジプトから去る。
- 主な武将
- 英軍: ラルフ・アバークロンビー(致命傷)、ジョン・ムーア/フランス: ジャック・ムヌー、フリアン、ラノス(※討死)
- 史料
- ※
ナポレオン戦争・第三次〜第五次対仏大同盟 1805 〜 1809
アウステルリッツの戦い・プラツェン高地突撃 実装済み
B-15 · 1805年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 70(フランス 34 ・ 露墺連合 36)
- 歴史的概要
- ナポレオンがスールト元帥の軍団に命じ、連合軍の防衛手薄な中央プラツェン高地を一気に駆け上らせた決戦。
エルヒンゲンの戦い
SP-674 · 1805年10月 · 壊れた橋を板で直して渡り、修道院の丘を取る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(フランス 26 ・ オーストリア 26)
- 歴史的概要
- ウルムに閉じ込められつつあったマックのオーストリア軍の脱出路を断つため、ネイ元帥はエルヒンゲンでドナウ川の壊れた橋を板で直しながら渡り、修道院の丘のオーストリア軍を攻めて取った。※ウルム戦役(機動全体)は扱わない——その中の一つの会戦だけを切る(巻末「作らない」の表と矛盾しない)。
- 主な武将
- フランス: ミシェル・ネイ、ルイ・アンリ・ロワゾン(※)/オーストリア: ヨハン・ジギスムント・リーシュ
- 史料
- ※
カルディエーロの戦い
SP-675 · 1805年10月 · イタリアで、マッセナと大公が三日間ぶつかる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 86(オーストリア 46 ・ フランス 40)
- 歴史的概要
- アウステルリッツの戦役の裏で、イタリアのマッセナ元帥はカルディエーロでカール大公の陣地を攻めた。大公の陣は破れなかったが、大公はウィーンの危機のため退却していく。
- 主な武将
- フランス: アンドレ・マッセナ、ガブリエル・モリトール(※)/オーストリア: カール大公、ベルガルド伯(※)
- 史料
- ※
デュレンシュタインの戦い
SP-469 · 1805年11月 · ドナウの谷で、一個師団が挟まれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 42(仏 16 ・ 露墺 26)
- 歴史的概要
- ドナウ北岸を一人で進んでいたモルティエの軍団(ガザン師団)が、クトゥーゾフの露軍にデュレンシュタインの谷で前後を挟まれた。夜にデュポン師団が着いて、モルティエは舟で南岸へ逃れた。
- 主な武将
- 仏: モルティエ、ガザン、デュポン(増援)/露墺: クトゥーゾフ、ミロラドヴィチ、ドフトゥロフ、シュミット(墺・戦死)
- 史料
- 仏軍の戦報、『大陸軍公報』
シェーングラーベルンの戦い
SP-470 · 1805年11月 · 八千が三万を一日止める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 40(露 14 ・ 仏 26)
- 歴史的概要
- クトゥーゾフの本軍を逃がすため、バグラチオンの後衛約七千がシェーングラーベルン(ホラブルン)でミュラとランヌの軍を一日食い止め、夜に包囲を抜けて本軍に追いついた。
- 主な武将
- 露: バグラチオン(※配下の連隊長の名簿は作るときに作る)/仏: ミュラ、ランヌ、スールト
- 史料
- 仏露双方の戦報、トルストイ『戦争と平和』(※小説=史料でなく雰囲気の典拠)
イエナ=アウエルシュタットの戦い
NP-2 · 1806年 · 同じ日に、隣で本物と戦う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 68(フランス 34 ・ プロイセン 34)
- 歴史的概要
- ナポレオンはイエナでプロイセンの分遣隊を主力と思って叩き、十数km離れたアウエルシュタットでは、ダヴーの1個軍団が本物の主力を単独で破っていた。プロイセン王国は二週間で消える。
- 主な武将
- フランス軍: ナポレオン、ダヴー(単独で主力を破る)、ベルナドット(どちらへも行かず動かない)、ランヌ、オージュロー/プロイセン軍: ブラウンシュヴァイク公(討死)、ホーエンローエ、シュメッタウ(討死)、ブリュッヘル
マイダの戦い
SP-473 · 1806年7月 · 横隊が縦隊を止めた最初の一例
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 7ターン / 駒 30(英 14 ・ 仏 16)
- 歴史的概要
- 南イタリアに上陸した英軍のスチュアートが、マイダでレニエの仏軍と正面から撃ち合い、横隊の一斉射撃で仏軍の縦隊を崩した。のちのウェリントンの戦い方の先触れと言われる。
- 主な武将
- 英: スチュアート、ケンプト(軽歩兵)/仏: レニエ、コンペール
- 史料
- 英軍の戦報、オマーン『半島戦争史』の序
ザールフェルトの戦い
SP-471 · 1806年10月 · 王子が、軽騎兵の剣で死ぬ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 38(仏 20 ・ 普 18)
- 歴史的概要
- イエナの4日前、ランヌの前衛がザールフェルトでプロイセン王族ルイ・フェルディナント公の部隊を破った。公は仏の軽騎兵の下士官と一騎打ちになって討たれた。
- 主な武将
- 仏: ランヌ、シュシェ、第10軽騎兵連隊(ギンデ)/普: ルイ・フェルディナント(戦死)
- 史料
- 仏軍の戦報、プロイセンの記録
プウトゥスクの戦い
SP-472 · 1806年12月 · 泥の中の冬の戦い
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(仏 20 ・ 露 24)
- 歴史的概要
- ポーランドの冬の泥の中で、ランヌの軍団がプウトゥスクでベニグセンの露軍に攻めかかった。どちらも決め手を欠き、露軍は夜に退いた。
- 主な武将
- 仏: ランヌ、シュシェ、ガザン/露: ベニグセン、バルクライ・ド・トーリ
- 史料
- 仏露双方の戦報
ゴウィミンの戦い
SP-676 · 1806年12月 · プウトゥスクと同じ日、泥の中でロシアの後衛が逃げ切る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(フランス 28 ・ ロシア 22)
- 歴史的概要
- プウトゥスク(SP-472)と同じ日、ゴウィミンでミュラとダヴー・オージュローの軍がゴリーツィン公のロシア軍を攻めた。泥と雪で動きが鈍く、ロシア軍は夜に逃げ切った。
- 主な武将
- フランス: ジョアシャン・ミュラ、ピエール・オージュロー、ルイ・ダヴー(※師団)/ロシア: ドミトリー・ゴリーツィン
- 史料
- ※
アイラウの戦い 実装済み
B-16 · 1807年 · ナポレオン戦争
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 90(フランス 45 ・ ロシア・プロイセン 45)
- 歴史的概要
- 雪覆う広大な平原で、ナポレオンとベンニグセン率いるロシア軍が真っ向から激突。
フリードラントの戦い
P-16 · 1807年
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 86(フランス 45 ・ ロシア 41)
- 歴史的概要
- 正面から押し潰すことで、敵の後退(DR)先を奪い、大軍を連鎖壊滅(DE)に追い込む。
- 主な武将
- - フランス軍: ナポレオン(総指揮)、ネイ元帥(右翼突撃)、ランヌ元帥(中央)、モルティエ元帥(左翼) - ロシア軍: ベンニグセン将軍(総指揮)、バグラチオン将軍(右翼・背水の壊滅)
ハイルスベルクの戦い
SP-474 · 1807年6月 · 堡塁の前で、夜まで攻め続ける
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 10ターン / 駒 58(仏 30 ・ 露 28)
- 歴史的概要
- ベニグセンの露軍がハイルスベルクの堡塁に拠り、ミュラとスールトが夜まで攻めて大きな損害を出した。翌日ベニグセンは退き、4日後のフリートラント(本編 P-16)へ続く。
- 主な武将
- 仏: ミュラ、スールト、ランヌ(夜に着く)/露: ベニグセン、バグラチオン
- 史料
- 仏露双方の戦報
アスペルン=エスリンクの戦い
NP-4 · 1809年 · 橋が流される
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 16ターン / 駒 88(オーストリア 47 ・ フランス 41)
- 歴史的概要
- ドナウを渡ったフランス軍に対し、オーストリアは上流から筏や船を流して舟橋を何度も切った。増援も弾薬も届かないまま二日戦い、ナポレオンは初めて自ら指揮した会戦で退く。ランヌが戦死した。
- 主な武将
- フランス軍: ナポレオン、ランヌ(両脚を砕かれ戦死)、マセナ(アスペルン村を守る)、ブードゥ/オーストリア軍: カール大公(自ら軍旗を持って前へ出る)、ヒラー、ローゼンベルク
ヴァグラムの戦い・マクドナル縦隊
P-17 · 1809年
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 16ターン / 駒 100(フランス 50 ・ オーストリア 50)
- 歴史的概要
- 平原に形成された敵中央へ、大砲兵の支援のもと巨大縦隊スタックが突入。
- 主な武将
- - フランス軍: ナポレオン(総指揮)、マクドナル将軍(中央大縦隊指揮・後に元帥)、ダヴー元帥(右翼包囲)、ベシエール元帥(騎兵予備) - オーストリア軍: カール大公(総指揮)、ローゼンベルク将軍(右翼)、クーニム将軍
エックミュールの戦い
SP-476 · 1809年4月 · 横から来た軍団が、戦線を裏返す
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 11ターン / 駒 64(仏 34 ・ 墺 30)
- 歴史的概要
- ダヴーの軍団がカール大公の墺軍を正面で抑えている間に、ナポレオンがランヌとヴュルテンベルク・バイエルン兵を率いて南から墺軍の左翼を突いた。墺軍はレーゲンスブルクへ退く。
- 主な武将
- 仏: ナポレオン、ダヴー、ランヌ、ヴァンダム(ヴュルテンベルク)/墺: カール大公、ローゼンベルク、ホーエンツォレルン
- 史料
- 仏墺双方の戦報
アーベンスベルクの戦い
SP-677 · 1809年4月 · 皇帝が、ドイツの同盟軍を率いて敵の真ん中を割る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス・同盟 30 ・ オーストリア 26)
- 歴史的概要
- レーゲンスブルクの周りで分かれて進むオーストリア軍の真ん中を、ナポレオンはバイエルン・ヴュルテンベルクの同盟軍とランヌの軍団でアーベンスベルクから割って押した。
- 主な武将
- フランス・同盟: ナポレオン、ジャン・ランヌ、バイエルン王太子ルートヴィヒ、フランソワ・ジョゼフ・ルフェーヴル/オーストリア: ルートヴィヒ大公、ヨハン・フォン・ヒラー
- 史料
- ※
ランツフートの戦い
SP-678 · 1809年4月 · 燃える橋を、副官が先頭で渡る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(フランス 28 ・ オーストリア 24)
- 歴史的概要
- アーベンスベルクの翌日、ナポレオンは退くヒラー将軍のオーストリア軍を追ってランツフートへ迫った。イーザル川の燃える橋を、ナポレオンの副官ムートン将軍が擲弾兵の先頭で渡って町を取った。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン、ジョルジュ・ムートン、ジャン・ランヌ(※)/オーストリア: ヨハン・フォン・ヒラー
- 史料
- ※
サチーレの戦い
SP-679 · 1809年4月 · イタリアで、皇帝の義理の息子が大公に負ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(オーストリア 30 ・ フランス・イタリア 26)
- 歴史的概要
- イタリア副王ウジェーヌ・ド・ボアルネのフランス・イタリア軍は、サチーレでヨハン大公のオーストリア軍を攻めて敗れ、退いた。
- 主な武将
- オーストリア: ヨハン大公/フランス・イタリア: ウジェーヌ・ド・ボアルネ、ポール・グルニエ(※)
- 史料
- ※
ピアーヴェ川の戦い
SP-680 · 1809年5月 · 増水した川を渡り切って、二か月前の雪辱を果たす
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス・イタリア 30 ・ オーストリア 26)
- 歴史的概要
- ウジェーヌはピアーヴェ川を渡り、退いていくヨハン大公のオーストリア軍を攻めて破った。増水した川の渡りが勝負を分けた。
- 主な武将
- フランス・イタリア: ウジェーヌ・ド・ボアルネ、ジャック・マクドナル/オーストリア: ヨハン大公
- 史料
- ※
ラープの戦い
SP-477 · 1809年6月 · イタリア軍が、ハンガリーの貴族軍を破る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 48(仏伊 26 ・ 墺 22)
- 歴史的概要
- ナポレオンの養子ウジェーヌの率いるイタリア方面軍が、ハンガリーのラープでヨハン大公の墺軍(ハンガリーの民兵=インスレクツィオを含む)を破り、ヴァグラム(本編 P-17)へ合流する道を開いた。
- 主な武将
- 仏伊: ウジェーヌ、マクドナルド、グルーシー/墺: ヨハン大公、ヨーゼフ大公(ハンガリー副王)
- 史料
- 仏墺双方の戦報
ツナイムの戦い
SP-681 · 1809年7月 · ヴァグラムの後の追撃戦が、休戦の報で止まる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス 30 ・ オーストリア 26)
- 歴史的概要
- ヴァグラムで敗れたカール大公の軍を、マルモン・マッセナの軍団がツナイムで追いついて攻めた。激しい戦いの最中に休戦が成立し、戦いは止まった。
- 主な武将
- フランス: オーギュスト・マルモン、アンドレ・マッセナ/オーストリア: カール大公
- 史料
- ※
ナポレオン戦争・半島戦争 1808 〜 1814
バイレンの戦い
NP-3 · 1808年 · 無敵の軍が降伏する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(スペイン 28 ・ フランス 24)
- 歴史的概要
- スペインの峠道で、分散したデュポン軍団が両側から挟まれ、水も無いまま二日戦って降伏した。ナポレオン軍が初めて丸ごと降伏した戦いで、ヨーロッパ中が蜂起を始める。
- 主な武将
- スペイン軍: カスターニョス、レディング(スイス人将軍・峠を塞ぐ)、コウポニー/フランス軍: デュポン(降伏・のち軍法会議)、ヴェデル(間に合わない)、スイス人連隊(敵側へ渡る)
メディナ・デ・リオセコの戦い
SP-682 · 1808年7月 · スペインの二つの軍の間を、元帥が割る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(スペイン 30 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- ベシエール元帥のフランス軍は、メディナ・デ・リオセコでクエスタ将軍とブレイク将軍のスペイン軍を攻め、二つの軍の間を割って破った。
- 主な武将
- フランス: ジャン=バティスト・ベシエール、アントワーヌ・ラサール(騎兵)/スペイン: グレゴリオ・デ・ラ・クエスタ、ホアキン・ブレイク
- 史料
- ※
ヴィメイロの戦い
SP-475 · 1808年8月 · 丘の裏の横隊が、縦隊を待つ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(英葡 24 ・ 仏 20)
- 歴史的概要
- ポルトガルに上陸したウェルズリー(のちのウェリントン)が、ヴィメイロの丘の反対斜面に兵を伏せ、ジュノーの仏軍の縦隊を一斉射撃で破った。
- 主な武将
- 英葡: ウェルズリー、ファーガソン、アンストラザー/仏: ジュノー、ラボルド、ケレルマン
- 史料
- ウェリントンの書簡、オマーン『半島戦争史』
ソモシエラの戦い
SP-683 · 1808年11月 · 騎兵が、峠の四つの砲台を駆け上がる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 24(スペイン 14 ・ フランス 10)
- 歴史的概要
- マドリードへ向かうナポレオンの軍は、ソモシエラ峠の街道に四段に置かれたスペインの砲台に阻まれた。皇帝の命で、ポーランド近衛軽騎兵の一隊が街道を駆け上がって砲台を次々に取った。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン、ヤン・コジェトゥルスキ(ポーランド近衛軽騎兵)/スペイン: ベニート・デ・サン・フアン
- 史料
- ※
トゥデラの戦い
SP-684 · 1808年11月 · 広がりすぎたスペインの線の、真ん中を抜く
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(スペイン 46 ・ フランス 38)
- 歴史的概要
- ランヌ元帥のフランス軍は、エブロ川沿いのトゥデラに長く広がって陣したカスターニョス将軍とパラフォックス将軍のスペイン軍を攻め、線の真ん中を抜いて破った。
- 主な武将
- フランス: ジャン・ランヌ、ボン=アドリアン・ジャノ・ド・モンセ(※)/スペイン: フランシスコ・カスターニョス、ホセ・デ・パラフォックス
- 史料
- ※
コルンナの戦い
SP-286 · 1809年 · 船に乗るまでの一日を、買う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(イギリス 26 ・ フランス 28)
- 歴史的概要
- 冬の山を越えて退いたイギリス軍が、乗船の時間を稼ぐために港の手前で振り返って戦った。ムーア将軍は戦死するが、軍は船に乗って帰る。
- 主な武将
- イギリス: ジョン・ムーア(戦死)、ベアード(片腕を失う)、ペジェット/フランス: スールト、ラウル
- 史料
- ムーアの書簡、ネイピア『半島戦争史』
タラベラの戦い
SP-287 · 1809年 · 夜に一度、昼に二度、同じ丘を攻める
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(英西 32 ・ フランス 32)
- 歴史的概要
- メデリンの丘をめぐって三度の攻撃があり、そのたびに斜面の裏に伏せていたイギリス歩兵が立ち上がって斉射した。ウェルズリーがウェリントン子爵となる。
- 主な武将
- 英西: アーサー・ウェルズリー(のちウェリントン)、ヒル、クエスタ(動かないスペイン軍)/フランス: ヴィクトール、ジョゼフ・ボナパルト、ジュールダン
- 史料
- ウェルズリーの報告、ネイピア
メデジンの戦い
SP-685 · 1809年3月 · 半月形に広げた線が、騎兵の逃げ出しで崩れる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(スペイン 32 ・ フランス 24)
- 歴史的概要
- クエスタ将軍のスペイン軍は、グアディアナ川沿いのメデジンでヴィクトール元帥のフランス軍を半月形の長い線で囲もうとしたが、スペインの騎兵の逃げ出しから線が崩れ、大損害を受けた。
- 主な武将
- フランス: クロード・ヴィクトール・ペラン、ラサール(騎兵)/スペイン: グレゴリオ・デ・ラ・クエスタ
- 史料
- ※
オカーニャの戦い
SP-686 · 1809年11月 · スペイン最大の野戦軍が、一日で消える
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 92(スペイン 52 ・ フランス 40)
- 歴史的概要
- マドリードを取り返そうとしたアレイサガ将軍のスペイン軍は、オカーニャでスールト元帥とジョゼフ王のフランス軍に大敗した。スペインの最大の野戦軍がこの一日で消え、アンダルシアへの道が開いた。
- 主な武将
- フランス: ジャン・ド・デュー・スールト、ジョゼフ・ボナパルト(スペイン王)、エドゥアール・モルティエ、オラース・セバスティアーニ/スペイン: フアン・カルロス・デ・アレイサガ
- 史料
- ※
ブサコの戦い
SP-288 · 1810年 · 尾根の向こう側に、全部隠す
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(英葡 30 ・ フランス 32)
- 歴史的概要
- ウェリントンは長い尾根の裏に全軍を伏せ、登ってきたフランスの縦隊を至近距離の斉射で叩き落とした。縦隊対横隊の教科書。
- 主な武将
- 英葡: ウェリントン、クロフォード(軽師団)、ポルトガル兵/フランス: マッセナ、ネイ、レニエ
- 史料
- ウェリントンの報告、ネイピア、フランス側の記録
フエンテス・デ・オニョロの戦い
SP-289 · 1811年 · 村を取り合いながら、戦線を折り曲げる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(英葡 30 ・ フランス 34)
- 歴史的概要
- 右翼を回られたウェリントンは、戦いの最中に戦線を直角に折り曲げて新しい線を作った。村は三日にわたって何度も持ち主が変わる。
- 主な武将
- 英葡: ウェリントン、クロフォードの軽師団(方陣で退く)、スペンサー/フランス: マッセナ、ベシエール、モンブラン
- 史料
- ウェリントンの報告(「もしボニーがいたら我々は負けていた」)、ネイピア
アルブエラの戦い
SP-290 · 1811年 · 丘の上で、旅団が消えるまで撃ち合う
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(連合 32 ・ フランス 32)
- 歴史的概要
- 雨で銃が使えないところへ槍騎兵が突っ込み、コルボーン旅団は数分で三分の二を失った。それでもフュージリア旅団が丘を登り返して押し切る。「これほど頑固な戦いはなかった」。
- 主な武将
- 連合: ウィリアム・ビーレスフォード、ローリー・コール(フュージリア旅団)、ブレイク(スペイン軍)/フランス: スールト、ラトゥール=モーブール、ヴィスワ槍騎兵
- 史料
- ビアズリー『半島戦争』、ネイピア、ビーレスフォードの報告
バロサの戦い
SP-478 · 1811年3月 · 包囲を解きに出た軍が、丘を取り合う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 38(英西 20 ・ 仏 18)
- 歴史的概要
- カディス包囲を解くために上陸した英・西の軍のうち、グレアムの英軍がバロサの丘で仏のヴィクトールの軍と正面から戦って勝った。英軍が仏軍の軍旗(鷲章)を初めて奪った戦い。
- 主な武将
- 英西: グレアム、ラペーニャ(西・動かなかった)/仏: ヴィクトール、リュフィン(戦死)、ルヴァル
- 史料
- グレアムの戦報、オマーン『半島戦争史』
サラマンカの戦い
NP-5 · 1812年 · 四十分で四万人を打ち破る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 86(イギリス・ポルトガル連合 43 ・ フランス 43)
- 歴史的概要
- 並走していたフランス軍の先頭が伸びすぎたのを見て、ウェリントンは食事を放り出して「マルモンは終わりだ」と言い、丘の陰から一斉に降ろした。指揮官が相次いで倒れたフランス軍は、数時間で崩れる。
- 主な武将
- 英・ポルトガル・スペイン軍: ウェリントン、パケナム(第3師団・先頭を叩く)、ル・マルシャン(騎兵・討死)、コットン/フランス軍: マルモン(負傷)、ボネ(負傷)、クローゼル(後任・退却を仕切る)
ビトリアの戦い
SP-291 · 1813年 · 荷物を捨てて逃げる軍を、四方から囲む
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 70(連合 38 ・ フランス 32)
- 歴史的概要
- ウェリントンは四つの縦隊で同時に包囲にかかり、フランス軍は略奪品を積んだ荷車の列を捨てて逃げた。追撃した兵が財宝に群がって追撃が止まる。
- 主な武将
- 連合: ウェリントン、グラハム(退路を断つ)、ヒル、ダルハウジー/フランス: ジョゼフ・ボナパルト、ジュールダン(元帥杖を落とす)、捨てられた荷車の列
- 史料
- ウェリントンの報告、ネイピア、ベートーヴェン『ウェリントンの勝利』
ソラウレンの戦い
SP-479 · 1813年7月 · ピレネーの峠を越えて、救援に来た
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 10ターン / 駒 56(仏 30 ・ 英葡西 26)
- 歴史的概要
- ビトリア(本書 SP-291)の後、スールトがパンプローナを救うためにピレネーの峠を越えて攻め入り、ソラウレンの尾根でウェリントンに阻まれて退いた。
- 主な武将
- 仏: スールト、クローゼル、レイユ、デルロン/英葡西: ウェリントン、ピクトン、コール
- 史料
- ウェリントンの書簡、オマーン『半島戦争史』
サン・マルシアルの戦い
SP-687 · 1813年8月 · スペイン軍が単独で、フランス軍の攻撃を尾根で受ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス 30 ・ スペイン 24)
- 歴史的概要
- サン・セバスティアンを救おうとするスールト元帥のフランス軍が、ビダソア川を渡ってサン・マルシアルの尾根を攻めたが、スペインのフレイレ将軍の軍が単独で撃退した。
- 主な武将
- スペイン: マヌエル・フレイレ/フランス: ジャン・ド・デュー・スールト、オノレ・レイユ(※)
- 史料
- ※
ニヴェルの戦い
SP-688 · 1813年11月 · フランスへ入った最初の日、長い陣地線を一日で抜く
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 86(同盟軍 46 ・ フランス 40)
- 歴史的概要
- ウェリントンの同盟軍はピレネーを越えてフランスに入り、ニヴェル川沿いに長く築かれたスールト元帥の陣地線を一日で抜いた。
- 主な武将
- 同盟軍: ウェリントン、ローランド・ヒル、ウィリアム・ベレスフォード、ジョン・ホープ/フランス: ジャン・ド・デュー・スールト、ベルトラン・クローゼル
- 史料
- ※
トゥールーズの戦い
SP-292 · 1814年 · 退位を知らないまま、最後の一戦をやる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(連合 34 ・ フランス 28)
- 歴史的概要
- ナポレオンは既に退位していたが、その報せが届かないまま、両軍は市の東の丘で戦った。半島戦争の最後の会戦。
- 主な武将
- 連合: ウェリントン、ビーレスフォード、フレイレ(スペイン軍)/フランス: スールト、クローゼル
- 史料
- ウェリントンの報告、スールトの記録
オルテズの戦い
SP-689 · 1814年2月 · 尾根の陣を、正面と横から同時に崩す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(同盟軍 30 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- ウェリントンの同盟軍は、オルテズの尾根に陣したスールト元帥のフランス軍を正面と横から攻めて破った。ウェリントンはこの戦いで負傷した。
- 主な武将
- 同盟軍: ウェリントン(負傷)、ローランド・ヒル、トマス・ピクトン、ウィリアム・ベレスフォード/フランス: ジャン・ド・デュー・スールト
- 史料
- ※
ナポレオン戦争・ロシア戦役 1812
スモレンスクの戦い
SP-293 · 1812年 · 城壁の町を焼きながら、時間を稼ぐ
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 66(フランス 36 ・ ロシア 30)
- 歴史的概要
- ロシア軍は古い城壁の町で一日持ちこたえ、夜のうちに町を焼いて退いた。ナポレオンは会戦を求めたが、またも逃げられる。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン、ネイ、ダヴー、ミュラ/ロシア: バルクライ・ド・トリー、ドフトゥロフ(町を守る)、ラエフスキー
- 史料
- セギュール『ロシア戦役記』、ロシア側の記録
マロヤロスラヴェツの戦い
SP-294 · 1812年 · 町を八回取り合って、退路が決まる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(フランス 30 ・ ロシア 32)
- 歴史的概要
- 一つの町が一日で八回も持ち主を変えた。結果としてナポレオンは南の豊かな道を諦め、来た道(焼けた道)を戻ることになる。
- 主な武将
- フランス: ウジェーヌ・ド・ボアルネ、デルゾン(戦死)、ピノ/ロシア: ドフトゥロフ、ラエフスキー、クトゥーゾフ(後方)
- 史料
- セギュール、ロシア側の報告
クラスヌイの戦い
SP-295 · 1812年 · 通り過ぎる軍を、横から一つずつ切り取る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 64(ロシア 34 ・ フランス 30)
- 歴史的概要
- 街道を退くフランス軍の各軍団を、ロシア軍が横から順に食いちぎった。ネイの後衛は包囲され、夜に凍った川を渡って本隊に戻るという離れ業をやってのける。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン(親衛隊で助けに戻る)、ネイ(包囲され、川を渡って帰還)、ダヴー、ウジェーヌ/ロシア: クトゥーゾフ、ミロラドヴィチ、トルマソフ
- 史料
- セギュール、ロシア軍役簿、ネイの報告
ボロジノの戦い
B-13 · 1812年 · ナポレオン戦争
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 16ターン / 駒 86(フランス 44 ・ ロシア 42)
- 歴史的概要
- モスクワ手前でナポレオン軍とロシア軍が数百門の大砲を撃ち合った野戦史上屈指のガチンコ流血戦。
ベレジナ渡河
NP-6 · 1812年 · 帰るための戦い
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(フランス 26 ・ ロシア 24)
- 歴史的概要
- 退却するフランス軍が凍っていない川に行き当たり、工兵が氷水の中で二本の橋を架けた。両岸で挟撃を受けながら数日かけて渡り、橋が焼かれた後に取り残された者は数万に及ぶ。
- 主な武将
- フランス軍: ナポレオン、エブレ(工兵将軍・橋を架け、最後に焼く)、ウディノ/ネイ(西岸の防御)、ヴィクトール(東岸の殿)/ロシア軍: チチャゴフ(西岸)、ヴィトゲンシュタイン(北)、クトゥーゾフ(追撃を緩める)
オストロヴノの戦い
SP-690 · 1812年7月 · 「何もしない、立って死ね」
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス 28 ・ ロシア 26)
- 歴史的概要
- ヴィテプスクへ向かうミュラとウジェーヌの前衛を、オステルマン=トルストイ伯のロシア後衛がオストロヴノで迎えた。何をすべきか問われた伯爵は「何もしない、立って死ね」と答えたと伝わる。
- 主な武将
- フランス: ジョアシャン・ミュラ、ウジェーヌ・ド・ボアルネ(※)/ロシア: アレクサンドル・オステルマン=トルストイ、ピョートル・コノヴニーツィン(※)
- 史料
- ※
第一次ポロツクの戦い
SP-691 · 1812年8月 · ボロジノの裏で、北の翼が二日間ぶつかる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス・バイエルン 30 ・ ロシア 26)
- 歴史的概要
- ウディノ元帥とグヴィオン・サン=シールのフランス・バイエルン軍は、ポロツクでヴィトゲンシュタイン将軍のロシア軍と二日間戦った。ウディノの負傷で指揮を継いだサン=シールが二日目に勝ち、元帥になった。
- 主な武将
- フランス・バイエルン: ニコラ・ウディノ(負傷)、ローラン・グヴィオン・サン=シール、ベルンハルト・エラスムス・フォン・ドロワ(※)/ロシア: ペーター・ヴィトゲンシュタイン
- 史料
- ※
ヴァルティナ・ゴラの戦い
SP-693 · 1812年8月 · 退くロシア軍の後衛が、元帥の軍団を一日止める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス 30 ・ ロシア 24)
- 歴史的概要
- スモレンスクから退くバルクライ・ド・トーリのロシア軍の後衛を、ネイ元帥がヴァルティナ・ゴラ(ルビノ)で攻めた。ジュノーの軍団が側面に回る機会を活かさず、ロシア軍は逃げ切った。
- 主な武将
- フランス: ミシェル・ネイ、シャルル・ギュダン(討死)、ジャン・アンドシュ・ジュノー(動かない)/ロシア: パヴェル・トゥチコフ(捕虜)、バルクライ・ド・トーリ
- 史料
- ※
第二次ポロツクの戦い
SP-692 · 1812年10月 · 二か月後、同じ町を今度はロシア軍が取る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 84(ロシア 46 ・ フランス・バイエルン 38)
- 歴史的概要
- 増援を得たヴィトゲンシュタインのロシア軍は、ポロツクに籠るサン=シールのフランス・バイエルン軍を攻めた。町の土塁を巡る三日の戦いの末、フランス軍はドヴィナ川を渡って退いた。
- 主な武将
- ロシア: ペーター・ヴィトゲンシュタイン、ファビアン・シュタインヘル(※)/フランス・バイエルン: ローラン・グヴィオン・サン=シール(負傷)
- 史料
- ※
タルティノの戦い
SP-694 · 1812年10月 · 野営で油断したミュラの前衛を、森から急襲する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(ロシア 32 ・ フランス 24)
- 歴史的概要
- モスクワから南へ出ていたミュラの前衛は、タルティノ近くのチェルニシニャ川で野営していたところを、ベニグセン将軍のロシア軍に森から急襲された。ロシア軍の縦隊は時間に遅れて足並みが揃わなかったが、ミュラは退いた。ナポレオンがモスクワを出る直接のきっかけ。
- 主な武将
- ロシア: レオンティ・ベニグセン、ヴァシーリー・オルロフ=デニソフ、カール・バゴヴート(討死)/フランス: ジョアシャン・ミュラ、オラース・セバスティアーニ
- 史料
- ※
ヴャジマの戦い
SP-480 · 1812年11月 · 退く軍の後衛が、雪の前に削られる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(仏 24 ・ 露 22)
- 歴史的概要
- モスクワから退く大陸軍の後衛(ダヴー)が、ヴャジマでミロラドヴィチの露軍に追いつかれて挟まれ、ウジェーヌ・ネイ・ポニャトフスキが引き返して救った。後衛はネイに替わる。
- 主な武将
- 仏: ダヴー、ウジェーヌ、ネイ、ポニャトフスキ/露: ミロラドヴィチ、プラートフ(コサック)
- 史料
- 仏露双方の戦報、セギュール『ロシア遠征記』
ナポレオン戦争・ドイツ解放戦争 1813
リュッツェンの戦い
SP-296 · 1813年 · 新兵ばかりの軍で、四つの村を守り抜く
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 68(フランス 36 ・ 連合 32)
- 歴史的概要
- ロシア戦役で騎兵を失ったナポレオンが、徴集したばかりの少年兵で四つの村を保ち、中央突破で押し返した。勝ったが追撃できる騎兵がいない。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン、ネイ(村を守る)、マルモン、ベルトラン/連合: ヴィトゲンシュタイン、ブリュッヒャー(負傷)、シャルンホルスト(負傷・のち死去)
- 史料
- ナポレオンの報告、マルモン
バウツェンの戦い
SP-297 · 1813年 · 回り込んだ軍が、近すぎる所へ来てしまう
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 70(フランス 38 ・ 連合 32)
- 歴史的概要
- ナポレオンはネイに大きく迂回して退路を断たせるつもりだったが、ネイは目の前の村に引き寄せられて近くを攻めてしまい、連合軍は退路を保って退いた。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン、ネイ(迂回を誤る)、ウーディノ、スールト/連合: ヴィトゲンシュタイン、ブリュッヒャー、ミロラドヴィチ
- 史料
- ナポレオンの報告、ジョミニ(この直後に亡命)
グロースベーレンの戦い
SP-298 · 1813年 · 雨で銃が撃てず、銃床で殴り合う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(プロイセン 30 ・ フランス 28)
- 歴史的概要
- 豪雨で火器が使えなくなり、プロイセンの民兵(ラントヴェーア)が銃床と槍で戦った。ベルリンを守り切る。
- 主な武将
- プロイセン: ビューロー、ラントヴェーア(民兵)/フランス: ウーディノ、レニエ、ベルトラン
- 史料
- ビューローの報告、プロイセン側の記録
カッツバッハの戦い
SP-299 · 1813年 · 増水した川の手前で、突き落とす
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(プロイセン・ロシア 32 ・ フランス 30)
- 歴史的概要
- ブリュッヒャーは川を渡り終えたばかりのフランス軍を、増水で戻れなくなった所で突いた。多くが川で失われる。
- 主な武将
- 連合: ブリュッヒャー、グナイゼナウ、ヨルク、ランジュロン/フランス: マクドナル、ラウリストン、セバスティアーニ
- 史料
- ブリュッヒャーの報告、フランス側の記録
クルムの戦い
SP-300 · 1813年 · 山を降りてきた軍の前後を、塞ぐ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(連合 30 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- ドレスデンの勝利のあと追撃に出たヴァンダムの軍が、谷を降りた所で正面をロシア軍に、背後をプロイセン軍に塞がれて降伏した。
- 主な武将
- 連合: オステルマン=トルストイ(片腕を失う)、クライスト(背後から降りてくる)、エルモーロフ/フランス: ヴァンダム(捕虜)
- 史料
- オステルマン=トルストイの報告、プロイセン側の記録
デネヴィッツの戦い
SP-301 · 1813年 · 命令を無視した元帥が、自分の軍を壊す
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(連合 34 ・ フランス 30)
- 歴史的概要
- ネイは部隊を逐次に投入し、隣の軍団との連携を欠いたまま戦い、押し切られた。ベルリンへの三度目の進撃が失敗する。
- 主な武将
- 連合: ビューロー、タウエンツィーン、ベルナドット(遅れて到着)/フランス: ネイ、ベルトラン、レニエ、バイエルン・ザクセン兵(士気が低い)
- 史料
- プロイセン側の報告、フランス側の記録
ハーナウの戦い
SP-302 · 1813年 · 帰り道を塞いだ軍を、砲で吹き飛ばす
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(フランス 32 ・ バイエルン 26)
- 歴史的概要
- ライプツィヒから退くナポレオンの前に、昨日までの同盟者バイエルン軍が立ち塞がった。ドルーオの砲兵が森の縁から集中射撃し、道を開ける。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン、ドルーオ(砲兵の集中)、親衛隊/バイエルン・オーストリア: ヴレーデ(負傷)
- 史料
- ナポレオンの報告、バイエルン側の記録
ライプツィヒの戦い
NP-7 · 1813年 · 諸国民の戦い
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 16ターン / 駒 100(連合軍 56 ・ フランス 44)
- 歴史的概要
- 三日間、四方から寄せる連合軍にナポレオンが囲まれ、途中でザクセン軍が戦列のまま敵側へ移った。退却の最中に唯一の橋が早く爆破され、後衛は取り残される。
- 主な武将
- 連合軍: シュヴァルツェンベルク、ブリュッヘル、ベルナドット(かつての元帥)、ベニヒセン/フランス軍: ナポレオン、ポニャトフスキ(元帥・川で溺死)、ネイ、マクドナル、ザクセン軍(寝返り)
ドレスデンの戦い
NP-8 · 1813年 · 大雨の中の最後の大勝
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 90(フランス 44 ・ 連合軍 46)
- 歴史的概要
- 雨で火薬が湿り、銃が撃てなくなった連合軍の左翼を、ミュラの騎兵が泥の中で押し包んだ。ナポレオン最後の大きな勝利だが、追撃に出した軍団がクルムで包囲されて帳消しになる。
- 主な武将
- フランス軍: ナポレオン、ミュラ(泥の中の騎兵突撃)、サン=シール、ヴァンダム(クルムで捕虜)/連合軍: シュヴァルツェンベルク、モロー(かつての仏将・砲弾で両脚を失う)、バークライ・ド・トリー
ハイナウの戦い
SP-695 · 1813年5月 · 村の風車を合図に、騎兵の待ち伏せが動く
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 30(プロイセン 16 ・ フランス 14)
- 歴史的概要
- バウツェンの後、追ってきたメゾン将軍のフランス師団を、ブリュッヒャーのプロイセン騎兵がハイナウ近くで待ち伏せた。風車の帆の動きを合図に騎兵が突入し、師団は大損害を受けた。
- 主な武将
- プロイセン: ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヒャー、フリードリヒ・フォン・ドルムス(※)/フランス: ニコラ・ジョゼフ・メゾン
- 史料
- ※
ゲールデの戦い
SP-697 · 1813年9月 · 北ドイツの森の中で、小さな軍団同士が当たる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(同盟軍 26 ・ フランス 24)
- 歴史的概要
- ヴァルモーデン伯の同盟軍(ロシア・ドイツ・英国の混成)は、ゲールデの森でペシュー将軍のフランス師団を破った。英国のロケット砲隊が使われた。
- 主な武将
- 同盟軍: ルートヴィヒ・フォン・ヴァルモーデン=ギンボルン、アレクサンダー・フォン・テッテンボルン(※)/フランス: マルク・ニコラ・ルイ・ペシュー
- 史料
- ※
ヴァルテンブルクの戦い
SP-696 · 1813年10月 · エルベの湾曲部の奥を、沼を抜けて回り込む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(プロイセン 28 ・ フランス 24)
- 歴史的概要
- ヨルク将軍のプロイセン軍団はエルベ川を渡り、ヴァルテンブルクの村と堤に陣したベルトラン将軍のフランス軍を攻めた。正面からは抜けず、沼を抜けて回り込んだ部隊で陣を崩した。ライプツィヒへの道が開く。
- 主な武将
- プロイセン: ルートヴィヒ・ヨルク、カール・フォン・シュタインメッツ(※)/フランス: アンリ・ガティアン・ベルトラン
- 史料
- ※
ナポレオン戦争・フランス戦役と百日天下 1814 〜 1815
ラ・ロティエールの戦い
SP-303 · 1814年 · 雪の中で、三倍の敵と正面から
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(連合 38 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- 吹雪の中、ナポレオンは三倍の連合軍と正面から戦い、夜になってから村を捨てて退いた。フランス国内でナポレオンが初めて明確に敗れた戦い。
- 主な武将
- 連合: ブリュッヒャー、ヴレーデ、ザクセン=ヴァイマル公/フランス: ナポレオン、ジェラール、マルモン、ドルーオ
- 史料
- ナポレオンの報告、ブリュッヒャーの報告
シャンポベール=ヴォーシャンの六日間
SP-304 · 1814年 · 六日で四回、別々の軍を叩く
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 66(フランス 28 ・ 連合 38)
- 歴史的概要
- ナポレオンは六日間で四つの戦いを行い、ブリュッヒャーの各軍団を順に叩いた。彼の戦術家としての最高傑作と言われる。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン、マルモン、ネイ、グルーシー(騎兵)/連合: ブリュッヒャー、オルスーフィエフ(捕虜)、ザッケン、ヨルク
- 史料
- ナポレオンの報告、コランクール
クラオンヌの戦い
SP-305 · 1814年 · 高原の端から端まで、一本道で押し合う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(フランス 28 ・ ロシア 28)
- 歴史的概要
- 幅の狭い高原(シュマン・デ・ダム)の上でしか戦えず、両軍が一本の台地の上で正面から押し合った。ナポレオンは勝つが損害が大きい。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン、ネイ、ヴィクトール(負傷)、ドルーオ/ロシア: ヴォロンツォフ、サッケン、ヴィンツィンゲローデ(迂回に失敗)
- 史料
- ナポレオンの報告、ヴォロンツォフの報告
ランの戦い
SP-306 · 1814年 · 夜襲で、片方の翼が消える
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 66(連合 38 ・ フランス 28)
- 歴史的概要
- 丘の上の町に拠る連合軍に対しナポレオンが攻めたが、夜にヨルクの軍がマルモンの陣を襲って一翼を壊滅させた。フランス戦役の潮目が変わる。
- 主な武将
- 連合: ブリュッヒャー(病床で指揮)、ヨルク(夜襲)、ビューロー/フランス: ナポレオン、マルモン(夜襲を受ける)、ネイ
- 史料
- ブリュッヒャーの報告、マルモンの回想
アルシ=シュル=オーブの戦い
SP-307 · 1814年 · 砲弾の前に馬を進めて、兵を立たせる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(連合 38 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- ナポレオンが自ら落ちてきた砲弾の前に馬を進めて兵を踏みとどまらせた。彼が最後に戦った会戦で、退いて以後は皇帝としての戦いを終える。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン(最後の会戦)、ウーディノ、セバスティアーニ/連合: シュヴァルツェンベルク、ヴレーデ、ラジヴィウ
- 史料
- コランクール、連合側の報告
モンミライユの戦い
NP-9 · 1814年 · 六日間で四度勝つ
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 46(フランス 22 ・ プロイセン・ロシア 24)
- 歴史的概要
- 数で圧倒的に劣るナポレオンが、分かれて進む連合軍の間に入り込み、六日間で四つの軍を順に叩いた(六日間戦役)。勝ち続けても、全体の数の差は埋まらない。
- 主な武将
- フランス軍: ナポレオン、ネイ、モルティエ、若い徴集兵(マリー・ルイーズ)/連合軍: ブリュッヘル、オルスフィエフ(捕虜)、ザッケン、ヨルク
ブリエンヌの戦い
SP-481 · 1814年1月 · 少年の日の士官学校の町で
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 42(仏 20 ・ 普露 22)
- 歴史的概要
- フランス本国に攻め込んだブリュッヒャーを、ナポレオンは自分が少年時代を過ごした士官学校の町ブリエンヌで襲い、城館を取った。ブリュッヒャーは危うく捕らわれかけた。
- 主な武将
- 仏: ナポレオン、ネイ、グルーシー/普露: ブリュッヒャー、オルスーフィエフ、サッケン
- 史料
- 仏普双方の戦報
モントローの戦い
SP-482 · 1814年2月 · 橋を取らせるな、と皇帝が砲を据える
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(仏 22 ・ 墺ヴュルテンベルク 22)
- 歴史的概要
- セーヌ川とヨンヌ川の合流するモントローで、ナポレオンがヴュルテンベルク皇太子の軍を丘から追い落とし、橋を渡って逃げる敵を追った。皇帝が自ら砲を据えて「弾はまだ鋳られていない」と言ったと伝わる(伝)。
- 主な武将
- 仏: ナポレオン、ジェラール、パジョル(騎兵)/同盟: ヴュルテンベルク皇太子ヴィルヘルム
- 史料
- 仏軍の戦報
ランスの戦い
SP-698 · 1814年3月 · 皇帝が、敵の最後の勝ちを町ごと取り返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス 28 ・ ロシア・プロイセン 26)
- 歴史的概要
- ランを抜けなかったナポレオンは、ランスを取ったサン=プリースト伯(亡命フランス人)のロシア・プロイセン軍を急襲して町を取り返した。サン=プリーストは致命傷を負った。ナポレオンの最後の勝利の一つ。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン、オーギュスト・マルモン、エティエンヌ・ナンスーティ(※)/ロシア・プロイセン: エマニュエル・ド・サン=プリースト(致命傷)
- 史料
- ※
フェール=シャンプノワーズの戦い
SP-699 · 1814年3月 · 国民衛兵の方陣が、平原で騎兵に囲まれる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(連合軍 48 ・ フランス 36)
- 歴史的概要
- マルモンとモルティエの元帥の軍と、物資を護送していた国民衛兵の二つの師団は、フェール=シャンプノワーズの平原で連合軍の大騎兵団に囲まれた。国民衛兵は方陣で最後まで戦い、ロシア皇帝アレクサンドル1世がみずから降伏を勧めたと伝わる。
- 主な武将
- 連合軍: アレクサンドル1世(臨席)、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世(臨席)、ピョートル・パーレン(※)/フランス: オーギュスト・マルモン、エドゥアール・モルティエ、ミシェル=マリー・パクトー(国民衛兵)
- 史料
- ※
パリの戦い
SP-700 · 1814年3月 · モンマルトルとベルヴィルの高地で、首都を一日守る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 90(連合軍 52 ・ フランス 38)
- 歴史的概要
- シュヴァルツェンベルク公の連合軍はパリの北と東の高地(モンマルトル、ベルヴィル、ロマンヴィル)を攻めた。マルモンとモルティエの残兵、国民衛兵、理工科学校の学生が守ったが、夕方にマルモンが降伏の交渉に入り、パリは開城した。ナポレオンはその数日後に退位する。
- 主な武将
- 連合軍: シュヴァルツェンベルク公、ブリュッヒャー、バルクライ・ド・トーリ/フランス: オーギュスト・マルモン、エドゥアール・モルティエ、ボン=アドリアン・ジャノ・ド・モンセ(国民衛兵)
- 史料
- ※
ワーヴルの戦い
SP-308 · 1815年 · 隣で決戦が起きているのに、命令どおり戦い続ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 58(フランス 30 ・ プロイセン 28)
- 歴史的概要
- グルーシーはワーテルローの砲声を聞きながら、命令どおりワーヴルでプロイセンの後衛と戦い続けた。その間にブリュッヒャーの主力はワーテルローへ向かい、勝敗が決まる。
- 主な武将
- フランス: グルーシー元帥、ヴァンダム、ジェラール(「砲声の方へ行くべき」と進言)/プロイセン: ティールマン、主力を行かせる後衛
- 史料
- グルーシーの弁明書、プロイセン側の報告
リニーとカトル・ブラの戦い
NP-10 · 1815年 · 二日前の二つの戦場
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 64(フランス 32 ・ プロイセン・連合軍 32)
- 歴史的概要
- ワーテルローの二日前、ナポレオンはリニーでブリュッヘルを破り、ネイはカトル・ブラでウェリントンを止め損ねた。そしてデルロンの1個軍団は、両方の戦場の間を往復して、どちらでも戦わなかった。
- 主な武将
- フランス軍: ナポレオン(リニー)、ネイ(カトル・ブラ)、デルロン(両方の間を往復して何もしない)、グルーシー/連合軍: ブリュッヘル(落馬・馬の下敷き)、ガイゼナウ、ウェリントン、ブラウンシュヴァイク公(討死)
ワーテルローの戦い・中央激突 実装済み
B-14 · 1815年 · ナポレオン戦争
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 68(フランス 34 ・ 英・連合軍 34)
- 歴史的概要
- ナポレオン最終決戦。ウェリントン公爵の英軍戦列とナポレオン近衛兵の正面衝突。
トレンティーノの戦い
SP-701 · 1815年5月 · ナポリ王になった元帥が、百日天下の裏で負ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(ナポリ 28 ・ オーストリア 26)
- 歴史的概要
- ナポレオンのエルバ脱出に呼応して北上したナポリ王ジョアシャン・ミュラは、トレンティーノでビアンキ将軍のオーストリア軍と二日戦って敗れ、王国を失った。
- 主な武将
- ナポリ: ジョアシャン・ミュラ/オーストリア: フリードリヒ・ビアンキ、アダム・アルベルト・フォン・ナイペルク
- 史料
- ※
イタリア統一戦争 1848 〜 1860
クストーツァの戦い
SP-320 · 1848年 · 分散した軍が、集まる前に叩かれる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(オーストリア 32 ・ サルデーニャ 30)
- 歴史的概要
- ラデツキーは要塞四辺形の内側の短い道を使い、広がったサルデーニャ軍を各個に叩いた。八十一歳の元帥の作戦。
- 主な武将
- オーストリア: ラデツキー元帥(81歳)、ヴラティスラフ/サルデーニャ: カルロ・アルベルト、バーヴァ
- 史料
- ラデツキーの報告、イタリア側の記録
ノヴァーラの戦い
SP-321 · 1849年 · 王が死に場所を求めて、見つからずに退位する
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(オーストリア 34 ・ サルデーニャ 28)
- 歴史的概要
- 再開した戦争で、カルロ・アルベルトは前線に出て死のうとしたが死ねず、その夜に退位した。イタリア統一は十年遅れる。
- 主な武将
- オーストリア: ラデツキー元帥、ダスプレ/サルデーニャ: カルロ・アルベルト(退位)、ベルガモ公、ラ・マルモラ
- 史料
- 双方の報告
ローマ共和国の防衛
SP-322 · 1849年 · 市壁の一角を、三十日守る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 54(フランス 32 ・ ローマ共和国 22)
- 歴史的概要
- マッツィーニのローマ共和国を、フランス軍がジャニコロの丘の稜堡から攻めた。ガリバルディが防戦を指揮し、落城後は義勇兵を率いて脱出する。
- 主な武将
- 共和国: ジュゼッペ・ガリバルディ、ゴッフレド・マメリ(国歌の作詞者・戦死)、ルチアーノ・マナラ(戦死)/フランス: ウディノ将軍
- 史料
- ガリバルディ『回想』、フランス側の報告
サン・マルティーノの戦い
SP-323 · 1859年 · 同じ丘を、八回登り直す
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(サルデーニャ 30 ・ オーストリア 32)
- 歴史的概要
- ソルフェリーノの北側で、サルデーニャ軍が同じ丘に八度攻め上がってようやく取った。一つの丘の取り合いだけで一日が終わる。
- 主な武将
- サルデーニャ: ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、モッロ、クッキアーリ/オーストリア: ベネデク(のち1866年の司令官)
- 史料
- イタリア側の報告、オーストリア側の記録
マジェンタの戦い
SP-324 · 1859年 · 運河と鉄道橋で、軍が二つに分かれる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(仏・サルデーニャ 32 ・ オーストリア 32)
- 歴史的概要
- 運河を渡る橋が限られていたため、両軍とも兵力を一度に使えなかった。近衛擲弾兵が橋を確保し、遅れて着いた軍団が決め手になる。
- 主な武将
- フランス: ナポレオン3世、マクマオン(この功でマジェンタ公)、近衛/オーストリア: ギュライ、クラム=ガラス
- 史料
- フランス側の報告、オーストリア側の記録
カラタフィミの戦い
SP-325 · 1860年 · 千人が、丘の段々畑を登る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(千人隊 20 ・ 両シチリア 24)
- 歴史的概要
- ガリバルディの千人隊が段々畑の斜面を一段ずつ登って、数で勝る王国軍を退けた。「ここでイタリアを作るか、死ぬかだ」の言葉が残る。
- 主な武将
- 千人隊: ジュゼッペ・ガリバルディ、ニーノ・ビクシオ、赤シャツ隊/両シチリア: ランディ将軍
- 史料
- ガリバルディ『回想』、ブロンドの従軍記
ヴォルトゥルノの戦い
SP-326 · 1860年 · 義勇兵が、正規軍の反撃を受け止める
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(ガリバルディ 30 ・ 両シチリア 34)
- 歴史的概要
- ナポリを取ったガリバルディの義勇軍が、立て直した王国正規軍の反攻を一日受け止めた。これでイタリア統一が固まる。
- 主な武将
- ガリバルディ軍: ガリバルディ、ビクシオ、メディチ、義勇兵/両シチリア: フランチェスコ2世、リッティ・ボヴェンツィ
- 史料
- ガリバルディの報告、両シチリア側の記録
ハンガリー独立戦争 1848 〜 1849
パーコズドの戦い
SP-556 · 1848年 · 生まれたばかりの国民軍が、クロアチア総督の進軍を止める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(クロアチア軍 28 ・ ハンガリー 26)
- 歴史的概要
- ハンガリーの自立を阻もうとクロアチア総督イェラチッチが軍を進めたが、ヴェレンツェ湖の北のパーコズドで、モガ・ヤーノシュの率いるハンガリーの正規軍と国民衛兵が迎えて押しとどめた。イェラチッチは休戦を求めてウィーンの方へ去る。
- 主な武将
- ハンガリー: モガ・ヤーノシュ、ゲルゲイ・アルトゥール(※参陣は要確認)/クロアチア: ヨシップ・イェラチッチ
- 史料
- ※ハンガリー側・クロアチア側の戦史(要確認)
シュヴェヒャートの戦い
SP-557 · 1848年 · ウィーンを救いに国境を越え、押し返される
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(皇帝軍 30 ・ ハンガリー 26)
- 歴史的概要
- 包囲されたウィーンの革命派を救うため、ハンガリー軍は国境を越えてシュヴェヒャートで皇帝軍を攻めたが撃退された。この戦いで若いゲルゲイ・アルトゥールが頭角を現す。
- 主な武将
- ハンガリー: モガ・ヤーノシュ、ゲルゲイ・アルトゥール、コシュート・ラヨシュ(同行)/皇帝軍: ヴィンディシュグレーツ公、イェラチッチ
- 史料
- ※
テメシュヴァールの戦い
SP-342 · 1849年 · 弾薬車が来ないまま、最後の戦いをする
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(墺露 36 ・ ハンガリー 28)
- 歴史的概要
- ハンガリー独立戦争の最後の会戦。弾薬の補給が届かず、砲兵が撃てなくなって崩れた。数日後にヴィラーゴシュで降伏する。
- 主な武将
- 墺露: ハイナウ、シュリク/ハンガリー: ベム(ポーランド人将軍・負傷)、デンビンスキ、コシュート(政治指導者)
- 史料
- ハイナウの報告、ハンガリー側の記録
イサセグの戦い
SP-343 · 1849年 · 森の中の村を、四度取り合う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(ハンガリー 30 ・ オーストリア 26)
- 歴史的概要
- ハンガリー軍の春の攻勢の山場。森と村を四度取り合い、日没前に押し切ってペストへの道を開いた。
- 主な武将
- ハンガリー: ゲルゲイ・アルトゥール、ダムヤニチ、クラプカ/オーストリア: ヴィンディシュ=グレーツ、イェラチッチ
- 史料
- ハンガリー側の報告、オーストリア側の記録
カーポルナの戦い
SP-558 · 1849年 · 二日間の野戦で、外国人の総司令官の下で連携が崩れる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 82(皇帝軍 42 ・ ハンガリー 40)
- 歴史的概要
- ハンガリー軍の総司令官に任じられたポーランド人デンビンスキは、カーポルナでヴィンディシュグレーツの皇帝軍と二日間戦い、各隊の連携が取れずに敗れた。
- 主な武将
- ハンガリー: ヘンリク・デンビンスキ、クラプカ・ジェルジ、※ほかの軍団長は要確認/皇帝軍: ヴィンディシュグレーツ公、シュリック伯(※)
- 史料
- ※
ナジシャローの戦い
SP-559 · 1849年 · 春の戦役、包囲された要塞への道を開く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(ハンガリー 30 ・ 皇帝軍 26)
- 歴史的概要
- ゲルゲイの「春の戦役」。ナジシャロー(現スロヴァキアのトレコヴィツェ)でハンガリー軍がヴォールゲムートの皇帝軍を破り、包囲されていたコマーロム要塞の救援への道を開いた。
- 主な武将
- ハンガリー: ゲルゲイ・アルトゥール、ダミャニチ・ヤーノシュ、クラプカ・ジェルジ/皇帝軍: ルートヴィヒ・フォン・ヴォールゲムート
- 史料
- ※
シェゲシュヴァールの戦い
SP-560 · 1849年 · ロシア軍の介入に敗れ、詩人が戦場から消える
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(ロシア 28 ・ ハンガリー 22)
- 歴史的概要
- トランシルヴァニアで、ベム・ユゼフのハンガリー軍がリューダース将軍のロシア軍とシェゲシュヴァール(現シギショアラ)近くで戦って敗れた。従軍していた詩人ペテーフィ・シャーンドルはこの戦いの後、行方不明となった。
- 主な武将
- ハンガリー: ベム・ユゼフ、ペテーフィ・シャーンドル(副官)/ロシア: アレクサンドル・リューダース
- 史料
- ※
クリミア戦争 1854 〜 1855
バラクラヴァの戦い
SP-327 · 1854年 · 間違った谷へ、騎兵旅団が突っ込む
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(連合 30 ・ ロシア 32)
- 歴史的概要
- 「薄い赤い線」の歩兵二列がロシア騎兵を止め、重騎兵旅団が坂を登って勝った。そのあと命令の取り違えで軽騎兵旅団が砲列の並ぶ谷へ突撃し、半数を失う。
- 主な武将
- 連合: ラグラン卿、コリン・キャンベル(薄い赤い線)、カーディガン卿(軽騎兵突撃)、ルーカン、ノーラン大尉(命令を伝えて戦死)/ロシア: リプランディ、砲列
- 史料
- ラグランの命令書、ラッセルの従軍記、テニスン『軽騎兵旅団の突撃』
チェルナヤ川の戦い
SP-328 · 1855年 · 橋と水路を渡った先が、すべて登り坂
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(ロシア 34 ・ 仏・サルデーニャ 28)
- 歴史的概要
- ロシア軍は川と水路を渡ってから急斜面を登らねばならず、渡り切った部隊から順に撃たれた。セヴァストポリ救援の最後の試み。
- 主な武将
- ロシア: ゴルチャコフ、リプランディ、リード(戦死)/連合: ペリシエ、ラ・マルモラ(サルデーニャ軍)
- 史料
- 双方の報告、ラ・マルモラの記録
カルスの戦い
SP-329 · 1855年 · 飢えた守備隊が、攻撃だけは跳ね返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 56(ロシア 32 ・ オスマン 24)
- 歴史的概要
- イギリス人将校の指導で築かれた堡塁に籠るオスマン軍が、ロシアの総攻撃を撃退した。だが飢えには勝てず、数か月後に降伏する。
- 主な武将
- オスマン: ウィリアム・フェンウィック・ウィリアムズ(英)、ケルンリ・イスマイル/ロシア: ムラヴィヨフ、バザン
- 史料
- ウィリアムズの報告、ロシア側の記録
ドイツ統一戦争 第二次シュレースヴィヒ・普墺・普仏)(1864 〜 1870
デュッペルの戦い
SP-336 · 1864年 · 塹壕を、砲で十八日削ってから入る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 58(プロイセン 34 ・ デンマーク 24)
- 歴史的概要
- プロイセン軍は十八日にわたり施条砲で堡塁を削り、突撃は最後の数時間だけだった。近代の攻城戦の型ができる。
- 主な武将
- プロイセン: フリードリヒ・カール親王、施条砲隊/デンマーク: ゲルラハ、デュッペルの堡塁群
- 史料
- プロイセン参謀本部『1864年戦役』、デンマーク側の記録
ナーホトの戦い
SP-337 · 1866年 · 峠を出た先の台地を、着いた順に取り合う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(プロイセン 26 ・ オーストリア 30)
- 歴史的概要
- 山を越えて出てきたプロイセン第5軍団が、台地の縁を確保して後続の到着を待った。針銃の速射が数の不利を補う。
- 主な武将
- プロイセン: シュタインメッツ、キルヒバッハ/オーストリア: ラミング、ヨナク
- 史料
- プロイセン参謀本部『1866年戦役』、オーストリア側の記録
トラウテナウの戦い
SP-338 · 1866年 · 普墺戦争でオーストリアが勝った唯一の日
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(オーストリア 30 ・ プロイセン 26)
- 歴史的概要
- 普墺戦争でオーストリア軍が唯一勝った会戦。町と丘を取り合い、プロイセン第1軍団を押し返した。ただし損害はオーストリア側が倍だった。
- 主な武将
- オーストリア: ガブレンツ、モンデル/プロイセン: ボーニン、クラウゼネック
- 史料
- プロイセン参謀本部『1866年戦役』、ガブレンツの報告
ランゲンザルツァの戦い
SP-339 · 1866年 · 盲目の王の軍が、勝ってから降伏する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(ハノーファー 26 ・ プロイセン 26)
- 歴史的概要
- 盲目のハノーファー王ゲオルク5世の軍がプロイセン軍を破ったが、四方を囲まれていたため二日後に降伏した。王国はそのまま消滅する。
- 主な武将
- ハノーファー: ゲオルク5世(盲目)、アルペンスレーベン/プロイセン: フリース、フロンメル
- 史料
- ハノーファー側の記録、プロイセン参謀本部
第二次クストーツァの戦い
SP-340 · 1866年 · 南で勝っても、北で負けていれば領土を失う
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 66(オーストリア 32 ・ イタリア 34)
- 歴史的概要
- オーストリアがイタリア軍を破ったが、同じ戦争の北(ケーニヒグレーツ)で負けたためヴェネツィアを手放した。勝った戦場が意味を持たない例。
- 主な武将
- オーストリア: アルブレヒト大公、マロイッチ/イタリア: ラ・マルモラ、ドゥランド、ウンベルト王子(方陣を組む)
- 史料
- オーストリア側の報告、イタリア側の記録
リッサの海戦
SP-341 · 1866年 · 木造艦が、体当たりで装甲艦を沈める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 48(オーストリア 22 ・ イタリア 26)
- 歴史的概要
- 数と装甲で劣るオーストリア艦隊が楔形の隊形で突っ込み、旗艦が体当たりでイタリアの装甲艦を沈めた。以後半世紀、各国の軍艦に衝角が付く。
- 主な武将
- オーストリア: ヴィルヘルム・フォン・テゲトフ、木造艦隊/イタリア: ペルサーノ(のち罷免)、ファ・ディ・ブルーノ(沈没艦の艦長)
- 史料
- テゲトフの報告、イタリア側の記録
ケーニヒグレーツ 実装済み
PR-1 · サドヴァ)の戦い(1866年 · 午後に別の軍が現れる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 80(プロイセン 44 ・ オーストリア・ザクセン 36)
- 歴史的概要
- 第一軍が正面で押さえている間、別の道を来た第二軍が午後に敵の右翼へ現れた。オーストリアの砲兵は最後まで見事に戦ったが、針銃を持つプロイセン歩兵が森の中で圧倒する。
- 主な武将
- プロイセン軍: モルトケ(参謀総長)、フリードリヒ・カール(第一軍)、皇太子フリードリヒ(第二軍・午後に到着)、ヘルヴァルト/オーストリア軍: ベネデク、フェスティティチュ、モリナリ、砲兵予備(最後まで残る)
シュピヘレンの戦い
PR-2 · 1870年 · 誰も命じていないのに始まる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(プロイセン 26 ・ フランス 22)
- 歴史的概要
- 前衛同士の接触が、上級司令部の意図と関係なく大きな戦闘に膨れ上がった。プロイセンの各軍団長が砲声を聞いて次々と勝手に加入し、フランス軍は高地を捨てて退く。
- 主な武将
- プロイセン軍: カメケ(勝手に始める)、ゲーベン、アルフェンスレーベン(砲声を聞いて来る)/フランス軍: フロサール、バゼーヌ(援けない)
グラヴロット=サン・プリヴァの戦い
PR-3 · 1870年 · 親衛隊が正面から歩く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 70(プロイセン 38 ・ フランス 32)
- 歴史的概要
- 石造りの村に籠るフランス軍へ、プロイセン親衛軍団が支援も待たずに開けた斜面を正面から前進し、20分で8千を失った。日没後、迂回したザクセン軍が村へ入り、決着する。
- 主な武将
- プロイセン軍: アウグスト・フォン・ヴュルテンベルク(親衛軍団)、ザクセン軍(迂回)、シュタインメッツ(無用な突撃を命じる)/フランス軍: バゼーヌ、カンロベール(サン・プリヴァを守る)、ルボーフ
セダンの戦い
PR-4 · 1870年 · 袋の口が閉じる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 66(プロイセン・ドイツ連合 36 ・ フランス 30)
- 歴史的概要
- 谷底の町に追い込まれたフランス軍を、プロイセン砲兵が周囲の高地から一日中撃ち下ろした。何度かの騎兵突撃も届かず、ナポレオン3世は自ら白旗を掲げる。
- 主な武将
- プロイセン軍: モルトケ、皇太子フリードリヒ、砲兵(高地から)/フランス軍: ナポレオン3世(捕虜)、マクマオン(負傷)、デュクロ、ヴィンプフェン、マルグリット(騎兵突撃・戦死)