中国(殷周〜三国)(古代)
- 殷周革命 1
- 春秋の争覇 14
- 戦国七雄の興亡 18
- 秦末の反乱と楚漢戦争 6
- 新末・後漢の成立 1
- 黄巾の乱と涼州の乱 3
- 反董卓連合 5
- 李傕・郭汜の乱 3
- 群雄割拠 12
- 劉備の道 6
- 三国志・魏呉蜀の争い 30
殷周革命 BC1046
牧野の戦い
SP-1 · BC1046年 · 王朝が一日で倒れる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(周 22 ・ 殷 30)
- 歴史的概要
- 周の武王が諸侯を率いて殷の都・朝歌の郊外へ迫った。殷の紂王は奴隷と捕虜をかき集めた大軍で迎えたが、前列が寝返って自軍へ向き直り、一日で王朝が終わった。
- 主な武将
- 周軍: 武王(姫発)、太公望(呂尚)、周公旦、召公奭、畢公、諸侯連合(庸・蜀・羌・微・盧・彭・濮)/殷軍: 紂王(帝辛)、悪来、飛廉、寝返る前列(奴隷兵)
- 史料
- 『史記』周本紀・殷本紀、『尚書』牧誓、『逸周書』世俘解
春秋の争覇 BC707 〜 BC478
繻葛
C-21 · じゅかつ)の戦い(BC707年 · 春秋時代
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 30(鄭 14 ・ 周王室連合 16)
- 歴史的概要
- 周の桓王が自ら諸侯連合軍を率いて鄭を討ち、鄭の荘公がこれを破った。 周王の権威が地に落ち、「春秋の争覇」が始まった戦い。
長勺の戦い
SP-53 · BC684年 · 三度目の太鼓を待つ
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(魯 20 ・ 斉 24)
- 歴史的概要
- 曹劌は斉が一度目・二度目の太鼓を鳴らしても動かず、三度目で士気が落ちた所を押した。「一鼓作気、再而衰、三而竭」の出典であり、戦意を時間で測った最初期の記録。
- 主な武将
- 魯軍: 荘公、曹劌/斉軍: 鮑叔牙、斉の戦車隊
- 史料
- 『春秋左氏伝』荘公十年、『史記』
泓水の戦い
SP-54 · BC638年 · 渡り終わるまで待って、負ける
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(宋 20 ・ 楚 26)
- 歴史的概要
- 宋の襄公は楚軍が川を渡っている最中も、陣を組み終わるまでも攻めなかった。「君子は傷ついた者を再び傷つけない」と言い、そのまま押し潰された。「宋襄の仁」の出典。
- 主な武将
- 宋軍: 襄公(負傷・翌年死去)、子魚(目夷・攻めよと進言)/楚軍: 成王、成得臣(子玉)
- 史料
- 『春秋左氏伝』僖公二十二年、『史記』宋微子世家
城濮
C-1 · じょうぼく)の戦い(BC632年 · 春秋時代
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(晋・宋・斉・秦連合 26 ・ 楚・陳・蔡連合 26)
- 歴史的概要
- 晋の文公が楚の大軍を破り、春秋の覇者となった大戦。
- 主な武将
- - 晋軍: 晋文公(重耳)、先軫(中軍将・総指揮)、狐毛(上軍将)、欒枝(下軍将・後退陽動) - 楚軍: 楚成王(後方)、子玉(総指揮・敗戦後自決)、子上(右翼)
殽
SP-791 · 崤)の戦い(BC627年 · 遠征から帰る秦軍を、山の谷の両側で待つ
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(晋・姜戎 22 ・ 秦 18)
- 歴史的概要
- 秦の穆公は孟明視らに鄭を襲わせたが、途中で鄭の商人弦高に見破られて引き返した。その帰り道、晋は喪中の襄公自ら出て、姜戎とともに殽山の狭い谷で待ち伏せし、秦軍を全滅させて三人の将を捕らえた。
- 主な武将
- 晋軍: 晋の襄公、先軫、姜戎の兵/秦軍: 孟明視、西乞術、白乙丙
- 史料
- 『春秋左氏伝』僖公三十三年、『史記』秦本紀
邲 実装済み
C-22 · ひつ)の戦い(BC597年 · 春秋時代
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 45(晋 23 ・ 楚 22)
- 歴史的概要
- 楚の荘王が鄭を降した直後、救援に来た晋軍と黄河南岸の邲で激突。 晋軍は指揮系統が割れたまま戦って大敗し、楚荘王が覇者となった。
鞌 実装済み
C-2 · あん)の戦い(BC589年 · 春秋時代
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 49(斉軍 23 ・ 晋魯衛曹連合軍 26) ── ※出荷済 Scenarios/mAnBC589.json
- 歴史的概要
- 晋の郤克は、かつて斉へ使いした際に足が悪いのを笑われた恨みを抱えていた。斉の頃公が魯・衛を攻めたのを機に晋が出兵し、鞌(済南の近く)の平野で激突する。頃公は「この連中を片付けてから朝飯にしよう」と言って轡も着けずに突撃したが、逆に追われ、華不注山のまわりを三度まわって逃げた。
鄢陵
C-3 · えんりょう)の戦い(BC575年 · 春秋時代
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(晋 26 ・ 楚 26)
- 歴史的概要
- 晋 vs 楚。楚の共王の目への被弾(サドンデス負傷)と、湿地帯に挟まれた陣地攻防。
- 主な武将
- - 晋軍: 晋厲公(国君)、欒書(中軍将)、魏錡(楚王を射た弓の名手)、却至 - 楚軍: 楚共王(目を射られ重傷)、子反(副将・酒に酔い自決)、子重(総指揮)
平陰の戦い
SP-792 · BC555年 · 旗と砂煙で大軍を装い、斉の君を夜のうちに逃げさせる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(晋と諸侯 26 ・ 斉 20)
- 歴史的概要
- 晋は諸侯の兵を集めて斉を攻めた。斉の霊公は平陰に堀を掘って守ったが、晋は通れない山や沢にまで旗を立て、車に柴を引かせて砂煙を上げ、大軍がいるように見せた。霊公は恐れて夜のうちに退き、晋の楽師の師曠は「鳥の声が楽しげだ。斉の軍は逃げた」と言った。
- 主な武将
- 晋軍: 晋の平公、荀偃(中行献子)、士匄/斉軍: 斉の霊公、夙沙衛(殿)
- 史料
- 『春秋左氏伝』襄公十八年
雞父の戦い
SP-793 · BC519年 · 罪人の囮で連合軍の端を乱し、まとまりのない連合を一つずつ崩す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 48(楚と諸侯 28 ・ 呉 20)
- 歴史的概要
- 楚は胡・沈・陳・頓・許・蔡の兵を集めて呉と雞父で向き合った。呉の公子光は、連合が寄せ集めで楚の令尹も死んだばかりだと見て、罪人三千を先に出して胡・沈・陳の兵を乱し、その君を捕らえた。捕らえた者を放して「我が君は死んだ」と叫ばせると、残りの国の兵も崩れ、楚も退いた。
- 主な武将
- 呉軍: 公子光(のちの闔閭)、罪人の隊/楚と諸侯: 薳越(楚)、胡の君、沈の君、陳の夏齧
- 史料
- 『春秋左氏伝』昭公二十三年
柏挙
C-4 · はくきょ)の戦い(BC506年 · 春秋時代
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(呉 22 ・ 楚 28)
- 歴史的概要
- 孫武・伍子胥率いる呉軍が楚の大軍を破り首都郢を攻略。
- 主な武将
- - 呉軍: 闔閭(呉王)、孫武(軍師・兵法の祖)、伍子胥(参謀・楚への復讐)、夫概(先鋒) - 楚軍: 昭王(楚王・逃亡)、子常(総指揮・逃亡)、史皇(先鋒・討死)
檇李の戦い
SP-794 · BC496年 · 陣の前で罪人が自ら首をはね、呉軍が呆然とした隙に越が突く
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(越 20 ・ 呉 20)
- 歴史的概要
- 呉の闔閭は越を攻め、檇李で越の句践と向き合った。越は決死の兵を二度突っ込ませても呉の陣を崩せず、罪人を三列に並べて陣の前へ進ませ、その場で自ら首をはねさせた。呉の兵が見入っている隙に越が攻め、呉は敗れた。闔閭は足の指を戈で打たれ、その傷がもとで帰り道に死ぬ。
- 主な武将
- 越軍: 越王句践、霊姑浮(闔閭を傷つける)/呉軍: 呉王闔閭(致命傷)、太子夫差
- 史料
- 『春秋左氏伝』定公十四年、『史記』越王句践世家
艾陵の戦い
SP-795 · BC484年 · 北へ出た呉の夫差が、斉の大軍を正面から破る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(呉・魯 28 ・ 斉 24)
- 歴史的概要
- 越を下した呉の夫差は北へ兵を出し、魯と組んで斉と艾陵で戦った。呉は軍を三つに分けて当たり、斉の中軍の将国書を討ち、戦車八百乗を奪った。春秋で最大級の野戦で、呉の力が頂点に達した日とされる。
- 主な武将
- 呉軍: 呉王夫差、胥門巣、王子姑曹、展如/魯軍: 叔孫州仇/斉軍: 国書(討死)、高無丕、公孫夏
- 史料
- 『春秋左氏伝』哀公十一年、『史記』呉太伯世家
笠沢の戦い
SP-796 · BC478年 · 両翼で夜に太鼓を鳴らして呉軍を割り、空いた中央を渡る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(越 24 ・ 呉 22)
- 歴史的概要
- 越の句践は呉を攻め、笠沢の川を挟んで夫差と向き合った。越は夜、左右の部隊に太鼓を鳴らさせて川を渡るふりをさせ、呉が兵を分けて両翼へ向かうと、中軍がひそかに中央を渡って呉の本陣を突いた。呉は三度戦って三度敗れ、五年後に滅ぶ。
- 主な武将
- 越軍: 越王句践、范蠡/呉軍: 呉王夫差
- 史料
- 『春秋左氏伝』哀公十七年、『国語』呉語
戦国七雄の興亡 BC453 〜 BC224
晋陽の戦い
SP-797 · BC453年 · 水攻めの堤を切り返し、攻め手の陣を水に沈める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(趙・韓・魏 24 ・ 智氏 22)
- 歴史的概要
- 晋の実権を握る智伯は、韓・魏とともに趙を晋陽に囲み、川をせき止めて城を水に浸した。城が落ちかけたとき、趙の張孟談はひそかに城を出て韓・魏に「趙の次はあなた方だ」と説き、寝返らせた。三家は夜に堤を切って水を智伯の陣へ流し込み、智伯を討った。晋は韓・魏・趙の三国に分かれ、戦国の時代が始まる。
- 主な武将
- 趙軍: 趙襄子、張孟談/韓・魏: 韓康子、魏桓子(寝返る)/智氏: 智伯瑤(討死)
- 史料
- 『史記』趙世家、『戦国策』趙策、『資治通鑑』巻一
陰晋の戦い
SP-798 · BC389年 · 手柄のない兵五万が、秦の大軍を破ったと伝わる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(魏 22 ・ 秦 24)
- 歴史的概要
- 魏の西の守りを任された呉起は、手柄を立てていない兵を集めて自ら奮い立たせ、陰晋で攻めてきた秦の大軍を破ったと伝わる。兵法書『呉子』の「励士」の篇に出てくる話で、兵の数は誇張とみられる。
- 主な武将
- 魏軍: 呉起、魏の武侯(盤外)/秦軍: 秦の将(※名は伝わらない)
- 史料
- 『呉子』励士篇、『史記』孫子呉起列伝(※兵数は伝承)
桂陵の戦い
SP-55 · BC353年 · 囲まれた城を助けに、敵の都を突く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(斉 26 ・ 魏 26)
- 歴史的概要
- 趙の都を囲む魏軍を救うため、孫臏は趙へ行かず魏の都・大梁へ向かった。慌てて引き返す魏軍を、桂陵の途上で待ち伏せる。「囲魏救趙」の出典。
- 主な武将
- 斉軍: 田忌、孫臏(車上の軍師)/魏軍: 龐涓、魏の武卒
- 史料
- 『史記』孫子呉起列伝、『孫臏兵法』(銀雀山漢簡)
馬陵
C-5 · ばりょう)の戦い(BC341年 · 戦国時代
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(斉 24 ・ 魏 26)
- 歴史的概要
- 孫臏が「減竈の計」で魏の龐涓を隘路へ誘い込み全滅させた戦い。
- 主な武将
- - 斉軍: 田忌(総大将)、孫臏(軍師・策謀家)、田嬰(副将) - 魏軍: 魏太子申(総大将・捕虜)、龐涓(副将・自決)
丹陽の戦い
SP-799 · BC312年 · 秦が楚を大破して漢中を取り、怒った楚の総攻めも藍田で退ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 48(秦 26 ・ 楚 22)
- 歴史的概要
- 秦の張儀に欺かれた楚の懐王は秦を攻めた。秦は丹陽で楚軍を大破し、楚の将屈匄を捕らえて八万を斬り、漢中を奪った。怒った懐王は国を挙げて兵を出し、秦の内側の藍田まで攻め込んだが、ここでも敗れた。
- 主な武将
- 秦軍: 魏章、樗里疾/楚軍: 屈匄(捕らわれる)、逢侯丑
- 史料
- 『史記』楚世家・秦本紀・屈原賈生列伝
垂沙の戦い
SP-800 · BC301年 · 半年の睨み合いの末、浅瀬を探り当てて夜に川を渡る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 48(斉・魏・韓 28 ・ 楚 20)
- 歴史的概要
- 斉の匡章が率いる斉・魏・韓の連合軍は、沘水を挟んで楚の唐眜と半年睨み合った。斉は川の深さを測りかねていたが、楚の兵が多く守る所が浅瀬だと知り、夜にそこを渡って楚軍を破り、唐眜を討った。
- 主な武将
- 連合軍: 匡章(斉)、魏と韓の将/楚軍: 唐眜(討死)
- 史料
- 『呂氏春秋』、『荀子』議兵篇、『史記』楚世家
伊闕
C-6 · いけつ)の戦い(BC293年 · 戦国時代
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(秦 24 ・ 韓・魏連合 28)
- 歴史的概要
- 秦の白起が韓・魏24万大軍の主力を錯覚させ、背後から奇襲して全滅させた戦い。
- 主な武将
- - 秦軍: 白起(総指揮・後に武安君)、向寿(副将) - 韓・魏連合軍: 犀武(魏将・捕虜)、公孫喜(韓将・討死)
済西の戦い
SP-801 · BC284年 · 五国の連合軍が斉の主力を破り、斉が二つの城だけになる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(連合軍 32 ・ 斉 22)
- 歴史的概要
- 燕の楽毅は秦・韓・趙・魏と組んで五国の連合軍を率い、済水の西で斉の主力を破った。楽毅はそのまま燕の兵だけで斉の都臨淄へ入り、半年ほどで七十余城を落とした。斉に残ったのは莒と即墨の二城だけだった。
- 主な武将
- 連合軍: 楽毅(燕)、秦・韓・趙・魏の将/斉軍: 触子、達子、斉の湣王(盤外)
- 史料
- 『史記』楽毅列伝・田単列伝、『戦国策』燕策
鄢・郢
C-7 · えん・えい)の戦い(BC279年 · 戦国時代
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(秦 26 ・ 楚 26)
- 歴史的概要
- 白起が楚の要衝・鄢城を長江の水(水攻め)で陥落させた攻略戦。
- 主な武将
- - 秦軍: 白起(総指揮)、胡陽(副将) - 楚軍: 楚頃襄王(逃亡)、景缺(守将)
即墨の戦い
SP-56 · BC279年 · 尾に火をつけた牛が夜に出る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(斉 22 ・ 燕 28)
- 歴史的概要
- 田単は城内で牛千頭の角に刃を付け、尾に油を塗って火を放ち、夜に城壁の穴から出した。燕軍は崩れ、失った七十余城を斉が取り返す。
- 主な武将
- 斉軍: 田単、火牛(一度だけの駒)、城内の壮丁/燕軍: 騎劫(討死)、燕の囲み陣
- 史料
- 『史記』田単列伝、『戦国策』
華陽の戦い
SP-802 · BC273年 · 八日駆け通した白起が、韓を囲む魏・趙の軍を急襲する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(秦 24 ・ 魏・趙 22)
- 歴史的概要
- 魏と趙は韓の華陽を攻めた。韓の求めで秦の白起は八日で駆けつけ、不意を突いて魏軍を破り、魏の将芒卯を走らせた。趙の兵二万は黄河へ追い落とされた。
- 主な武将
- 秦軍: 白起、胡陽/魏軍: 芒卯/趙軍: 賈偃
- 史料
- 『史記』白起王翦列伝・魏世家(※斬首の数は誇張とみられる)
閼与の戦い
SP-57 · BC270年 · 二十八日動かず、二日で着く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(趙 26 ・ 秦 26)
- 歴史的概要
- 趙奢は都を出て三十里で止まり、二十八日も塁を築いて動かなかった。秦の間者がそれを見て安心した所で、二日で閼与へ駆けつけ、先に北山の高所を取った。
- 主な武将
- 趙軍: 趙奢(馬服君)、許歴(北山を取れと進言)/秦軍: 胡傷、秦の先鋒
- 史料
- 『史記』廉頗藺相如列伝
長平 実装済み
C-8 · ちょうへい)の戦い(BC260年 · 戦国時代
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 16ターン / 駒 78(秦 40 ・ 趙 38)
- 歴史的概要
- 白起が趙括率いる趙軍40万の補給線を遮断し、46日間の完全包囲で全滅させた大戦。
- 主な武将
- - 秦軍: 白起(実質総指揮・秘密裏に着任)、王齕(表向きの指揮官) - 趙軍: 趙括(臨時総司令・討死)、廉頗(前任・慎重な防衛策)
邯鄲
C-9 · かんたん)包囲戦(BC259年 · 戦国時代
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 70(秦 34 ・ 趙・魏・楚連合 36)
- 歴史的概要
- 秦軍に包囲された趙の首都邯鄲を、魏の信陵君が時限増援として救った戦い。
- 主な武将
- - 趙・魏・楚連合軍: 信陵君(魏公子・増援指揮)、平原君(趙公子・外交)、春申君(楚将)、毛遂(舌戦で楚を動かした士) - 秦軍: 王齕(包囲指揮官)、鄭安平(後に降伏)
李牧の匈奴撃破
SP-803 · BC3世紀半ば · 何年も守りに徹して油断させ、家畜を囮に騎兵を両翼で包む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(趙 26 ・ 匈奴 24)
- 歴史的概要
- 趙の北の守りに就いた李牧は、何年ものろしを上げて守るだけで戦わず、臆病者と言われた。兵の士気が十分に上がると、家畜と民を野に出して匈奴を誘い、小さく負けて逃げて見せた。匈奴の単于が大軍で来ると、李牧は左右に構えた陣で包み、十余万の騎兵を討ったと伝わる。
- 主な武将
- 趙軍: 李牧/匈奴: 単于、騎兵の群れ
- 史料
- 『史記』廉頗藺相如列伝(※年と数は伝承)
肥の戦い
SP-58 · BC233年 · 本陣を空にして、来る所を横から
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(趙 26 ・ 秦 28)
- 歴史的概要
- 李牧は自陣に守りを残さず、秦軍が本営を攻めに来た所を主力で横から突いた。秦の桓齮を破り、趙は滅亡を十年先延ばしにする。
- 主な武将
- 趙軍: 李牧(武安君)、司馬尚/秦軍: 桓齮(敗走)、秦の軍団
- 史料
- 『史記』廉頗藺相如列伝(李牧伝)、『戦国策』
城父の戦い
SP-804 · BC225年 · 楽に勝ったはずの二十万を、項燕が三日三晩追いすがって夜襲で崩す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 48(楚 24 ・ 秦 24)
- 歴史的概要
- 秦の李信は「二十万あれば楚は取れる」と言い、蒙恬とともに楚を攻めた。初めは楚の城を落として進んだが、城父で合流したところを、三日三晩追いかけてきた項燕の楚軍に襲われ、陣を二つ破られて七人の都尉を討たれた。
- 主な武将
- 楚軍: 項燕/秦軍: 李信、蒙恬
- 史料
- 『史記』白起王翦列伝
蘄の戦い
SP-805 · BC224年 · 陣を固めて一年動かず、退き始めた楚軍を追って項燕を討つ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(秦 34 ・ 楚 22)
- 歴史的概要
- 李信の敗北を受けて、秦は老将王翦に六十万を与えた。王翦は陣を固めて戦わず、兵には石投げや跳び比べをさせて休ませた。楚軍が戦いを諦めて東へ動き始めると、王翦は一気に追って蘄の南で楚軍を破り、項燕は死んだ。翌年、楚は滅ぶ。
- 主な武将
- 秦軍: 王翦、蒙武/楚軍: 項燕(討死)
- 史料
- 『史記』白起王翦列伝・楚世家
秦末の反乱と楚漢戦争 BC207 〜 BC202
巨鹿
C-10 · きょろく)の戦い(BC207年 · 秦末
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 64(楚・諸侯連合 30 ・ 秦 34)
- 歴史的概要
- 項羽率いる楚軍が秦の章邯・王離の大軍に対し「破釜沈舟」で挑み、9戦9勝で粉砕した戦い。
- 主な武将
- - 楚軍: 項羽(総指揮)、英布(前衛突撃隊長)、蒲将軍(先鋒) - 秦軍: 章邯(南方主力指揮官・後に降伏)、王離(北方軍指揮官・捕虜)、渉間(副将・自決)
彭城
K-1 · ほうじょう)の戦い(BC205年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 54(楚(項羽) 20 ・ 漢連合(劉邦) 34)
- 歴史的概要
- 項羽がわずか3万の精鋭騎兵を率い、劉邦率いる56万の諸侯連合軍を電撃的に側面急襲して壊滅させた軍事史上最高の奇襲戦。
- 主な武将
- - 楚軍(項羽方): 項羽(西楚の覇王)、鐘離眜(項羽の右腕)、季布(百戦百勝の猛将)、桓楚 - 漢・諸侯連合軍(劉邦方): 劉邦(漢王)、張良(謀臣)、韓信(大将軍・別軍)、周勃、灌嬰、夏侯嬰
- 史料
- 『史記』項羽本紀、高祖本紀。
安邑
K-2 · あんゆう)の戦い(木罌の渡河)(BC205年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(漢(韓信) 22 ・ 魏(魏豹) 20)
- 歴史的概要
- 韓信が魏王豹を破った戦い。正面の渡河点に船を集めて陽動し、木樽の船(木罌)で上流を渡って背後を急襲。
- 主な武将
- - 漢軍: 韓信(大将軍)、曹参(正面陽動指揮)、灌嬰(騎兵隊長) - 魏軍: 魏豹(魏王・捕虜)、柏直(正面守備指揮)、馮敬
- 史料
- 『史記』淮陰侯列伝。
井陘
K-3 · せいけい)の戦い(背水の陣)(BC204年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(漢(韓信) 22 ・ 趙(陳余) 26)
- 歴史的概要
- 韓信が数万の兵で趙の陳余率いる20万の大軍を破った歴史的名戦。
- 主な武将
- - 漢軍: 韓信(大将軍)、張耳(趙の元王・韓信配下)、曹参(副将) - 趙軍: 陳余(趙の大将・討死)、李左車(直言した名将・捕虜)、成安君
- 史料
- 『史記』淮陰侯列伝。
濰水
K-4 · いすい)の戦い(BC203年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(漢(韓信) 24 ・ 楚・斉連合(龍且) 24)
- 歴史的概要
- 韓信が楚の名将・龍且の20万大軍を、川の上流に仕掛けた土嚢の水攻めで分断撃破した戦い。
- 主な武将
- - 漢軍: 韓信(大将軍)、灌嬰(騎兵突撃隊長) - 楚軍: 龍且(楚随一の猛将・討死)、項声(龍且の副将)
- 史料
- 『史記』淮陰侯列伝。
垓下
K-5 · がいか)の戦い(四面楚歌)(BC202年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 62(漢連合 38 ・ 楚(項羽) 24)
- 歴史的概要
- 楚漢戦争の最終決戦。韓信率いる30万の大軍が項羽を包囲し、「四面楚歌」で楚軍を解体。
- 主な武将
- - 漢・諸侯連合軍: 韓信(総指揮・中軍30万)、彭越(游撃隊)、英布(九江王・左翼)、劉賈(右翼)、周勃、灌嬰(騎兵追撃隊長) - 楚軍: 項羽(西楚の覇王・自刎)、虞姫(項羽の愛姫・自刎)、鐘離眜(最後まで付き従う)、項伯(内通者)
- 史料
- 『史記』項羽本紀。
新末・後漢の成立 23
昆陽の戦い
C-16 · 23年 · 新末後漢初
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 60(漢(劉秀) 22 ・ 新(王邑) 38)
- 歴史的概要
- 光武帝・劉秀の数千精鋭が、王尋・王邑の40万大軍の本陣を直撃潰走させた奇跡の合戦。
- 主な武将
- - 漢(更始帝)軍: 劉秀(後の光武帝・突撃隊長)、王常(昆陽城守将)、李軼(援軍) - 新軍: 王邑(総指揮)、王尋(副将・討死)、厳尤(城包囲指揮)
黄巾の乱と涼州の乱 184 〜 189
長社の戦い
SP-806 · 184年 · 草むらに陣取った黄巾の大軍へ、夜の風に乗せて火を放つ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(漢軍 20 ・ 黄巾 26)
- 歴史的概要
- 黄巾の波才の大軍は長社に籠った皇甫嵩・朱儁を囲んだ。城の兵は少なく怯えていたが、皇甫嵩は「賊は草に寄って陣を結んでいる。風が吹けば火で焼ける」と見て、夜の大風に乗せて火を放ち、城から打って出た。黄巾は崩れ、駆けつけた曹操の兵も加わって数万を討った。
- 主な武将
- 漢軍: 皇甫嵩、朱儁、曹操(援軍)/黄巾: 波才
- 史料
- 『後漢書』皇甫嵩伝、『三国志』武帝紀
美陽の戦い
SP-815 · 185年 · 夜に流れ星が反乱軍の陣へ落ち、怯えて退くところを追う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(漢軍 24 ・ 涼州の反乱軍 22)
- 歴史的概要
- 涼州で辺章・韓遂が反乱を起こして長安の近くまで迫り、張温の率いる漢軍は美陽で向き合った。ある夜、火のような流れ星が反乱軍の陣に落ち、驢馬がいっせいに鳴いた。怯えた反乱軍が西へ退き始めると、翌日、董卓らが追って破った。
- 主な武将
- 漢軍: 張温、董卓、孫堅、周慎/反乱軍: 辺章、韓遂
- 史料
- 『後漢書』董卓伝
陳倉の戦い
SP-816 · 189年 · 八十日の囲みに疲れて退く敵を、皇甫嵩が董卓の反対を押して追う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(漢軍 24 ・ 涼州の反乱軍 22)
- 歴史的概要
- 涼州の王国の大軍が陳倉を囲み、皇甫嵩と董卓がそれぞれ二万を率いて救いに向かった。董卓は早く救えと迫ったが、皇甫嵩は「戦わずに屈させるのが上」と言って動かなかった。陳倉は八十日余りの攻めに耐え、疲れた王国の軍が退き始めると、皇甫嵩は「窮寇は追うな」と反対する董卓を置いて追い、一万余を討った。董卓はこれを恨んだ。
- 主な武将
- 漢軍: 皇甫嵩、董卓(追撃に反対する)/反乱軍: 王国、韓遂
- 史料
- 『後漢書』皇甫嵩伝・董卓伝
反董卓連合 190 〜 191
河陽津の戦い
SP-406 · 190年 · 見せる渡しと、渡る渡し
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(董卓 22 ・ 王匡 18)
- 歴史的概要
- 河内太守の王匡は泰山兵を河陽津に屯させて洛陽を窺った。董卓は平陰から渡ると見せる疑兵を出し、精鋭をひそかに小平津から北へ渡らせて背後へ回し、津の北で王匡の兵をほぼ全滅させた。
- 主な武将
- 董卓軍: 董卓(みずから指図)、平陰の疑兵、小平津を渡る精鋭/王匡軍: 王匡(河内太守)、韓浩(従事として孟津を拒ぐ)、泰山兵
- 史料
- 『三国志』魏書・董卓伝(本文)、『後漢書』董卓伝。韓浩は『三国志』夏侯惇伝注引『魏書』
汴水の戦い
SP-407 · 190年 · 誰も出ない連合から一軍だけ出て、負けて高く売る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(曹操 16 ・ 徐栄 24)
- 歴史的概要
- 酸棗の諸侯が進まないなか、曹操は自軍と張邈が付けた衛茲の兵だけで西へ出て成皋を目指し、滎陽の汴水で董卓の将・徐栄に敗れた。曹操は流れ矢を受け、従弟の曹洪が馬を譲って夜に逃れる。徐栄は、少ない兵で終日戦い抜いたのを見て「酸棗は容易に攻められない」と判断し、兵を引いた。
- 主な武将
- 曹操軍: 曹操(負傷)、曹洪(馬を譲る)、衛茲(張邈の将・討死)、鮑信(負傷)、鮑韜(討死)/董卓軍: 徐栄、徐栄の騎兵
- 史料
- 『三国志』魏書・武帝紀(本文)、曹洪伝、鮑信伝(鮑韜の戦死)、衛臻伝(衛茲の戦死)
梁東の戦い
SP-408 · 190年 · 赤い頭巾を渡して、主将だけ抜ける
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(孫堅 16 ・ 董卓軍 24)
- 歴史的概要
- 梁の東に進んだ孫堅は董卓軍の大軍に攻められ、数十騎で囲みを破った。いつも被っていた赤い罽の頭巾を親衛の祖茂に被らせ、騎兵が祖茂を追う間に間道から逃れる。祖茂は墓地の焼け柱に頭巾を掛けて草に伏せ、騎兵は幾重にも囲んでから柱だと気づいた。 ※対になる逸話:少し前、魯陽城外で送別の宴の最中に董卓の騎兵が現れたとき、孫堅は席を立たずに隊列を整えさせ、後続が増えてから静かに兵を城へ入れた(「すぐ立てば兵が踏み合って入れない」)。董卓の兵は整った陣を見て攻めずに去る。
- 主な武将
- 孫堅軍: 孫堅、祖茂(頭巾を被って囮になる)、李旻(潁川太守・捕らえられる)/董卓軍: 徐栄(※李傕とする記述もある・要照合)、董卓の騎兵
- 史料
- 『三国志』呉書・孫破虜伝(本文:魯陽城外の宴・梁東・祖茂)、『後漢書』董卓伝(徐栄が梁で孫堅を破り、潁川太守李旻を捕える)
陽人の戦い
SP-409 · 191年 · 督と騎督の不和で、夜に自軍が崩れる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(孫堅 22 ・ 董卓軍 28)
- 歴史的概要
- 梁東で敗れた孫堅は兵を集め直して陽人に屯した。董卓は大督護・胡軫に歩騎五千を与え、騎督の呂布を付けて攻めさせる。胡軫を嫌う呂布らは「陽人の賊はもう逃げた」と偽って夜通し進ませ、備えの固い城の前で陣も張れずにいる所へ、今度は「城から賊が出た」と叫んで全軍を潰走させた。孫堅は打って出て大いに破り、都督の華雄を梟首した。
- 主な武将
- 孫堅軍: 孫堅、程普、黄蓋・韓当(孫堅の旧臣。列伝に陽人の名は無い※)/董卓軍: 胡軫(大督護)、呂布(騎督・自軍を崩す)、華雄(都督・梟首)
- 史料
- 『三国志』呉書・孫破虜伝(本文:陽人で大破し華雄を梟首)、同注引『英雄記』(胡軫と呂布の不和・二度の偽報)、程普伝(陽人で董卓を撃破)、『後漢書』董卓伝
大谷・洛陽の戦い
SP-410 · 191年 · 董卓みずから出て、焼けた都を明け渡す
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(孫堅 20 ・ 董卓 24)
- 歴史的概要
- 陽人の後、董卓は李傕を送って和親を求めたが孫堅は拒み、大谷へ進んで洛陽から九十里に迫った。董卓はみずから出て歴代の陵墓の間で戦い、敗れて澠池へ退き、陝に兵を集める。孫堅は洛陽へ入って呂布を破り、焼かれた宗廟を清め、暴かれた陵を塞いだ。
- 主な武将
- 孫堅軍: 孫堅、程普/董卓軍: 董卓(みずから出陣)、呂布(洛陽で敗走)、李傕(和親の使者)
- 史料
- 『三国志』呉書・孫破虜伝(本文)、『後漢書』董卓伝
李傕・郭汜の乱 192 〜 195
長安の戦い
SP-817 · 192年 · 董卓を失った涼州兵が都を囲み、八日目に城内の兵が門を開く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 48(李傕・郭汜 28 ・ 呂布・王允 20)
- 歴史的概要
- 董卓が呂布に殺されたのち、王允は涼州の兵を許さなかった。李傕は賈詡の勧めで郭汜・張済・樊稠らと兵を集めて長安を囲んだ。八日目、城内の叟兵が寝返って門を開き、呂布は数百騎で城を抜けて落ち延びた。王允は殺され、長安は涼州の将たちのものとなる。
- 主な武将
- 李傕軍: 李傕、郭汜、張済、樊稠、賈詡(献策)/長安: 呂布、王允
- 史料
- 『三国志』董卓伝・呂布伝・賈詡伝、『後漢書』王允伝
長平観の戦い
SP-818 · 194年 · 都の内応を頼みに攻め上った馬騰・韓遂が、長平観で押し返される
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(李傕方 24 ・ 馬騰・韓遂 22)
- 歴史的概要
- 馬騰と韓遂は長安の李傕らを討とうと兵を挙げ、城内の劉範・种劭らが内から応じる手はずだった。だが内応は漏れ、郭汜・樊稠・李利の軍が長平観で馬騰・韓遂を破って一万余を討った。劉範・种劭らは殺され、馬騰・韓遂は涼州へ退いた。
- 主な武将
- 李傕方: 郭汜、樊稠、李利/涼州軍: 馬騰、韓遂、劉範・种劭(城内・盤外)
- 史料
- 『後漢書』董卓伝、『三国志』董卓伝 注
曹陽の戦い
SP-819 · 195年 · 都を逃れた献帝の一行を、涼州の将たちが黄河まで追う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(李傕・郭汜 26 ・ 献帝の護衛 20)
- 歴史的概要
- 長安を逃れて東へ向かった献帝の一行を、李傕・郭汜が追った。護衛の楊奉・董承は白波の李楽・韓暹・胡才と南匈奴の去卑を呼んで一度は押し返したが、曹陽で再び破られ、多くの公卿が殺された。献帝は夜に小舟で黄河を渡り、翌年、曹操に迎えられる。
- 主な武将
- 李傕軍: 李傕、郭汜/献帝の護衛: 楊奉、董承、李楽・韓暹・胡才(白波)、去卑(南匈奴)
- 史料
- 『後漢書』献帝紀・董卓伝、『三国志』董卓伝
群雄割拠 191 〜 207
界橋の戦い
SP-59 · 191年 · 白馬の精鋭に、伏せた弩で応える
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(袁紹 24 ・ 公孫瓚 26)
- 歴史的概要
- 公孫瓚の「白馬義従」の突撃に対し、麴義は八百の兵を盾の下に伏せさせ、千張の強弩を近づくまで撃たせなかった。突撃が届く直前に一斉射して崩す。
- 主な武将
- 袁紹軍: 袁紹(本人も前線に出る)、麴義(伏せた弩兵)、顔良、文醜/公孫瓚軍: 公孫瓚、白馬義従(白馬の精騎)、厳綱(討死)
- 史料
- 『三国志』魏書・公孫瓚伝、『後漢書』袁紹伝
襄陽の戦い
SP-411 · 191年 · 勝っている側の大将が、一騎で山へ入る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(孫堅 20 ・ 劉表 22)
- 歴史的概要
- 袁術の命で荊州を攻めた孫堅は、樊・鄧の間で劉表の将・黄祖を破り、漢水を渡って襄陽を囲んだ。ところが単騎で峴山へ入ったところを黄祖の兵に射られて死ぬ(『典略』は劉表の将・呂公の伏兵が山上から石を落としたとする)。孫賁が残った兵をまとめて袁術のもとへ退いた。※年は191年とも192年ともされる。
- 主な武将
- 孫堅軍: 孫堅(討死)、孫賁(兵をまとめて退く)、程普、黄蓋、韓当/劉表軍: 劉表(襄陽に籠る)、黄祖(樊・鄧で敗れ、峴山で孫堅を討つ)、呂公(『典略』)
- 史料
- 『三国志』呉書・孫破虜伝(本文)、同注引『典略』『英雄記』、魏書・劉表伝
濮陽の戦い
SP-447 · 194年 · 城門の内側で、火に巻かれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 46(曹操 24 ・ 呂布 22)
- 歴史的概要
- 曹操が徐州へ出ている間に、陳宮・張邈が呂布を迎えて兗州のほとんどを奪った。戻った曹操は濮陽で呂布と対峙し、城内へ誘い込まれて火の中を手を焼いて逃れた。百日余りの対陣のあと蝗害で両軍が退く。
- 主な武将
- 曹操: 曹操、典韋、夏侯惇、曹仁、楽進/呂布: 呂布、陳宮、張遼、高順
- 史料
- 『三国志』武帝紀・呂布伝・典韋伝
牛渚・神亭の戦い
SP-412 · 195年 · 渡った先の兵糧庫を取り、背後で取り返される
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 52(孫策 24 ・ 劉繇 28)
- 歴史的概要
- 孫策は横江・当利口を抜いて長江を渡り、牛渚の陣を取って邸閣(兵糧と武具の倉)を手に入れた。秣陵の笮融・薛礼を攻める間に、劉繇の将・樊能・于麋が背後の牛渚を奪い返したが、孫策は引き返して破る。股に矢を受けた孫策が死んだという報せを信じて出てきた笮融の将・于茲を、偽って退いた先の伏兵で討った。神亭では偵察に出た太史慈が孫策と鉢合わせして一騎打ちになる。劉繇は曲阿を捨てて逃れた。
- 主な武将
- 孫策軍: 孫策(股に矢を受ける)、周瑜(歴陽で合流)、程普、黄蓋、韓当、宋謙(神亭で孫策に従った13騎)、呂範、蒋欽、周泰、陳武/劉繇軍: 劉繇(曲阿を捨てる)、樊能、于麋、張英、笮融、薛礼、于茲、太史慈(偵察の一騎打ち)
- 史料
- 『三国志』呉書・孫討逆伝(注引『江表伝』に経過が詳しい)、周瑜伝・呂範伝(横江・当利)、劉繇伝、太史慈伝(本文:神亭の一騎打ち)
定陶・鉅野の戦い
SP-448 · 195年 · 麦刈りの兵を囮に、堤の陰から
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 40(曹操 18 ・ 呂布 22)
- 歴史的概要
- 翌年、呂布が定陶の曹操の陣へ攻め寄せたとき、曹操の兵の多くは麦刈りに出ていた。曹操は女たちに城壁を守らせ、堤の西の林に伏兵を置いて呂布を破った(武帝紀注所引『魏氏春秋』)。兗州はこの後、曹操の手に戻る。
- 主な武将
- 曹操: 曹操、曹仁、夏侯淵/呂布: 呂布、陳宮、高順
- 史料
- 『三国志』武帝紀とその注
宛城の戦い
SP-414 · 197年 · 降った相手が、陣の中で敵に戻る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(張繍 20 ・ 曹操 24)
- 歴史的概要
- 曹操が淯水に至ると張繍は衆を挙げて降った。だが曹操が張済の未亡人を納れたことを張繍は恨み、賈詡の策で「陣を移したい、道が曹操の陣中を通る、車が少ないので兵に鎧を着けさせたい」と願い出て、そのまま陣中で襲った。曹操は右臂に流れ矢を受けて乗馬の絶影を失い、長子の曹昂・甥の曹安民・典韋が討たれる。典韋は陣門で戦い続けて曹操を逃がした。退く途中で略奪に走った青州兵を于禁は討ち、曹操のもとへ行く前にまず陣営を築いた。
- 主な武将
- 張繍軍: 張繍、賈詡(策)、胡車児/曹操軍: 曹操(負傷)、曹昂(討死)、曹安民(討死)、典韋(陣門で討死)、于禁(青州兵を討ち、陣を立てる)、青州兵(略奪に走る)
- 史料
- 『三国志』魏書・武帝紀(注引『魏書』:絶影/『世語』:曹昂が馬を譲る)、張繍伝(注引『呉書』:鎧を着けて陣中を通る/『傅子』:胡車児)、典韋伝、于禁伝、賈詡伝
下邳の戦い
SP-807 · 198年 · 川をせき止めて城を水に浸し、部下に寝返られた呂布が捕らえられる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(曹操・劉備 26 ・ 呂布 18)
- 歴史的概要
- 曹操は呂布を下邳に囲んだが、城は固く兵は疲れた。荀攸と郭嘉の進言で沂水と泗水をせき止めて城を水に浸すと、城内の心は離れ、呂布の部将侯成・宋憲・魏続は陳宮を捕らえて降った。呂布は白門楼で降り、首を斬られる。
- 主な武将
- 曹操軍: 曹操、荀攸、郭嘉、劉備/呂布軍: 呂布、陳宮、高順、侯成(寝返る)
- 史料
- 『三国志』呂布伝・武帝紀
沙羨の戦い
SP-808 · 199年 · 父の仇の黄祖を、孫策が江東の将を総出にして攻める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(孫策 26 ・ 黄祖・劉表 20)
- 歴史的概要
- 孫策は父孫堅を討った黄祖を沙羨に攻めた。劉表は援兵を送ったが、孫策は周瑜・程普・孫権・韓当・黄蓋らを並べて攻め、黄祖の軍を破った。黄祖は逃れたが、その妻子と船六千艘を奪った。
- 主な武将
- 孫策軍: 孫策、周瑜、程普、孫権、韓当、黄蓋/黄祖軍: 黄祖、劉虎・韓晞(劉表の援兵)
- 史料
- 『三国志』孫策伝 注引『江表伝』(孫策の上表文)
易京の戦い
SP-809 · 199年 · 楼閣の城の下へ地下道を掘り、柱を焼いて楼ごと崩す
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(袁紹 26 ・ 公孫瓚 14)
- 歴史的概要
- 公孫瓚は易京に土の山を幾重にも築き、その上に楼閣を並べて籠った。袁紹は救援を呼ぶ公孫瓚の密書を奪って偽の合図で援軍を誘い出して破り、さらに地下道を掘って楼の下の柱を焼き、楼を次々に崩した。追い詰められた公孫瓚は妻子を殺し、火を放って自ら死んだ。
- 主な武将
- 袁紹軍: 袁紹、麴義/公孫瓚軍: 公孫瓚、公孫続(張燕の援軍を呼びに出る)
- 史料
- 『三国志』公孫瓚伝・袁紹伝
白馬・延津の戦い
SP-415 · 200年 · 西へ渡ると見せて東を救い、輜重を撒いて追わせる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(曹操 22 ・ 袁紹 28)
- 歴史的概要
- 袁紹は郭図・淳于瓊・顔良に白馬の劉延を攻めさせた。曹操は荀攸の策で延津へ向かい、河を渡って袁紹の背後を突くと見せる。袁紹が兵を西へ分けると、曹操は軽兵で白馬へ急行し、張遼・関羽を先鋒に顔良を急襲した。関羽は顔良の麾蓋を見つけて馬を駆り、万軍の中で刺して首を持ち帰る。曹操が白馬の民を連れて河沿いに西へ退くと、袁紹は河を渡って延津の南まで追った。曹操は南の坂の下に陣を置いて騎兵に鞍を解かせ、輜重を道に並べる。文醜と劉備の五、六千騎が輜重に群がったところを、六百に満たない騎兵で撃って文醜を斬った。
- 主な武将
- 曹操軍: 曹操、荀攸(策・駒にしない)、張遼・関羽(先鋒)、徐晃(白馬・延津に従う)、于禁(延津を守る)、劉延(白馬の守将)/袁紹軍: 袁紹(黄河の北)、顔良(討死)、文醜(討死)、劉備(文醜とともに騎兵を率いる)、郭図・淳于瓊(白馬を攻める)
- 史料
- 『三国志』魏書・武帝紀(本文:延津の陽動/荀攸「此れ敵を餌する所以なり」)、蜀書・関羽伝(顔良を刺す)、魏書・荀攸伝、張遼伝、徐晃伝、于禁伝、袁紹伝
南皮の戦い
SP-810 · 205年 · 一度は押し返された曹操が、自ら太鼓を打って攻め直す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(曹操 26 ・ 袁譚 18)
- 歴史的概要
- 袁紹の死後、曹操は河北の袁譚を南皮に攻めた。初めの攻めは押し返され、曹操は退くことも考えたが、曹純が「千里を来て退けば威が落ちる」と止めた。曹操は自ら太鼓を打って攻め直し、袁譚を討って冀州を平らげた。
- 主な武将
- 曹操軍: 曹操、曹純(虎豹騎)/袁譚軍: 袁譚(討死)、郭図
- 史料
- 『三国志』武帝紀・曹純伝
白狼山の戦い
SP-416 · 207年 · 隊列が伸びたまま出会い、敵の陣が整う前に打つ
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(曹操 20 ・ 烏桓・袁氏 24)
- 歴史的概要
- 袁尚・袁熙をかくまう烏桓を討つため、曹操は輜重を後に残して軽兵で北へ出た。海沿いの道が水に浸かって通れず、田疇の案内で盧龍塞から山を越える五百余里を進み、白狼山で蹋頓と袁氏の数万騎に突然出会う。鎧を着けた兵は輜重とともに後方にあり、左右は皆恐れた。曹操は山に登って敵の陣が整っていないのを見て取り、張遼を先鋒に打ちかかって大破し、蹋頓を斬った。
- 主な武将
- 曹操軍: 曹操、張遼(先鋒・曹操の麾を授かる)、張郃(先鋒)、曹純(虎豹騎)/田疇・郭嘉は駒にしない(道案内と進言)/烏桓・袁氏: 蹋頓(討死)、袁尚、袁熙、楼班(遼西単于)、能臣抵之(右北平単于)
- 史料
- 『三国志』魏書・武帝紀、張遼伝(曹操が自らの麾を授ける)、張郃伝(張遼とともに軍鋒)、曹純伝(配下の騎兵が蹋頓を獲る)、田疇伝(盧龍の道)、郭嘉伝(輜重を留めて軽兵で)、烏丸伝
劉備の道 196 〜 228
徐州侵攻・下邳の奪取 実装済み
SP-413 · 196年 · 淮水で対峙している間に、背後の下邳が開く
- 規模
- 中量 m 〜 重量 w ── 二つの切り方がある
- 歴史的概要
- 建安元年、袁術はみずから徐州へ出て劉備を攻め、劉備は盱眙・淮陰で一月あまり拒いだ(淮陰の石亭で勝ち負けがあった)。袁術は書を送って、小沛に客将として置かれていた呂布に下邳を襲わせ、呂布は泗水を水陸から下る。下邳では留守の張飛が陶謙の旧将・曹豹と争い、丹楊兵を率いる中郎将・許耽が夜に使いを出して西白門を開き、呂布を入れた。劉備の妻子は捕らえられ、下邳へ戻る途中で兵は潰え、東の広陵で袁術と戦ってまた敗れ、海西で飢えた。糜竺が奴客二千と財を差し出して、劉備はようやく立ち直る。 ※淮陰の「石亭」は 228年の石亭(SP-63)とは別の地。
- 史料
- 『三国志』蜀書・先主伝(本文:盱眙・淮陰で拒ぎ一月あまり相持す/下邳の守将曹豹が反して呂布を迎える)、同注引『英雄記』(淮陰の石亭/張飛が曹豹を殺そうとした/広陵で再び敗れる)、魏書・呂布伝注引『英雄記』(袁術の書/許耽・章誑/西白門/同年6月の郝萌の乱)、蜀書・糜竺伝(奴客二千)、呉書・妃嬪伝(呉夫人伝附呉景「術方に劉備と徐州を争い、景を以て広陵太守と為す」) ⚠ 曹豹の扱いは史料で割れる——先主伝本文は「曹豹が反して呂布を迎えた」、『英雄記』には「張飛が曹豹を殺した」とする記述と「殺されかけた曹豹が呂布を招いた」とする記述がある。盤は本文に従って曹豹・許耽の両方を寝返らせ、『英雄記』の筋は SOURCES に書く。
博望坡
R-1 · はくぼうは)の戦い(202年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(劉備軍 20 ・ 曹操軍(夏侯惇) 22)
- 歴史的概要
- 劉備が新野で夏侯惇率いる曹操軍を破った伏兵戦。
- 主な武将
- - 劉備軍: 劉備(総指揮)、諸葛亮(軍師・初陣)、関羽(伏兵左翼)、張飛(伏兵右翼)、趙雲(正面陽動) - 曹操軍: 夏侯惇(討伐軍総指揮)、于禁(副将)、李典(夏侯惇を諫めた副将)
- 史料
- 『三国志』蜀書・先主伝。
長坂坡
R-2 · ちょうはんは)の戦い(208年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(劉備軍 20 ・ 曹操軍 24)
- 歴史的概要
- 曹操の精鋭「純騎兵」に追いつめられた劉備の撤退戦。張飛の長坂橋での仁王立ちと趙雲の阿斗救出。
- 主な武将
- - 劉備軍: 劉備(逃亡主公)、趙雲(阿斗救出・単騎突撃)、張飛(長坂橋・3声の怒鳴り)、糜竺(民衆護衛) - 曹操軍: 曹操(追撃総指揮)、曹純(純騎兵「虎豹騎」指揮官)、張遼、張郃
- 史料
- 『三国志』蜀書・張飛伝、趙雲伝。
成都攻略戦・雒城
R-3 · らくじょう)の戦い(213年 〜 214年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 54(劉備軍 28 ・ 劉璋軍 26)
- 歴史的概要
- 劉備の入蜀戦争。軍師・龐統の戦死と、張飛の厳顔捕獲・義釈による破竹の進撃。
- 主な武将
- - 劉備軍: 劉備(総指揮)、龐統(軍師・討死・落鳳坡)、張飛(江州方面軍)、黄忠、魏延 - 劉璋(益州)軍: 劉璋(益州牧・降伏)、厳顔(捕虜→寝返り)、張任(討死・忠義の将)、劉循
- 史料
- 『三国志』蜀書・先主伝、龐統伝。
漢中攻防戦・米倉山 / 陽平関の戦い
R-4 · 219年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(蜀 26 ・ 魏 26)
- 歴史的概要
- 劉備が曹操から漢中を奪い取った激戦。黄忠の兵糧奪取と趙雲の「空城の計」。
- 主な武将
- - 劉備軍: 劉備(総指揮)、黄忠(兵糧強奪隊長)、趙雲(空城の計・弩兵指揮)、法正(参謀)、魏延(前線副将) - 曹操軍: 曹操(直接来援)、夏侯淵(討死・別戦場)、張郃(陽平関守備)、徐晃
- 史料
- 『三国志』蜀書・趙雲伝。
街亭
R-5 · がいてい)の戦い(228年 · 第一次北伐
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 46(蜀(馬謖) 22 ・ 魏(張郃) 24)
- 歴史的概要
- 諸葛亮の北伐の命運を賭けた戦い。馬謖が指示に背いて山頂に陣を張り、魏の張郃に水源を断たれて大壊滅。
- 主な武将
- - 蜀軍: 馬謖(前線司令・斬首)、王平(山麓に陣を張れと諫めた副将・唯一善戦)、高翔(援軍指揮) - 魏軍: 張郃(迎撃総指揮)、郭淮(補佐)、費曜(別働隊)
- 史料
- 『三国志』蜀書・馬謖伝。
三国志・魏呉蜀の争い 200 〜 272
官渡の戦い 実装済み
C-11 · 200年 · 三国志
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 13ターン / 駒 69(曹操軍 27 ・ 袁紹軍 42) ── ※出荷済 Scenarios/mGuandu200.json
- 歴史的概要
- 曹操が圧倒的兵力の袁紹を烏巣襲撃で破った戦い。
- 主な武将
- - 曹操軍: 曹操、荀彧(後方参謀)、荀攸(前線参謀)、賈詡、関羽(顔良討取)、張遼、徐晃、曹仁、許攸(袁紹軍から寝返り) - 袁紹軍: 袁紹、顔良(討死)、文醜(討死)、張郃・高覧(降伏)、田豊(諫言して投獄)、沮授(捕虜)、淳于瓊(烏巣・討死)
江夏の戦い
SP-811 · 208年 · 川口を塞ぐ二隻の大船の綱を斬り、黄祖の城へなだれ込む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(孫権 26 ・ 黄祖 20)
- 歴史的概要
- 孫権は黄祖を攻めた。黄祖は沔口に二隻の大船を綱でつないで川口を塞ぎ、上から弩を射かけた。董襲と凌統が決死の兵を率いて船に乗り込み、綱を斬って船を流すと、孫権の軍は川口を抜けて城を攻め落とした。黄祖は逃げる途中で討たれた。赤壁の同じ年の戦い。
- 主な武将
- 孫権軍: 孫権、董襲、凌統、呂蒙、甘寧/黄祖軍: 黄祖(討死)、陳就(呂蒙に討たれる)
- 史料
- 『三国志』董襲伝・凌統伝・呂蒙伝・呉主伝
赤壁の戦い
C-12 · 208年 · 三国志
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 64(孫劉連合 28 ・ 曹操軍 36)
- 歴史的概要
- 孫権・劉備連合軍が長江の水上で曹操の80万大軍を火計で打ち破った戦い。
- 主な武将
- - 孫権・劉備連合軍: 周瑜(呉軍総指揮)、程普(副将)、黄蓋(火船突入)、諸葛亮(外交・祈風の儀)、魯粛(外交)、関羽、張飛 - 曹操軍: 曹操、蔡瑁(水軍指揮・後に讒言で処刑)、蒋幹(諜報失敗)、張允
江陵の戦い
SP-449 · 208〜209年 · 赤壁の後、一年かけて一つの城を
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 58(周瑜 30 ・ 曹仁 28)
- 歴史的概要
- 赤壁の後、周瑜は長江を遡って江陵の曹仁を囲んだ。甘寧が夷陵を奪って逆に囲まれ、周瑜は流れ矢で負傷しながら一年余り攻め続け、曹仁はついに江陵を捨てた。
- 主な武将
- 周瑜: 周瑜、程普、甘寧、呂蒙、凌統/曹仁: 曹仁、牛金、徐晃(援軍)
- 史料
- 『三国志』周瑜伝・曹仁伝・甘寧伝
渭水の戦い
C-13 · 211年 · 三国志
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 60(曹操軍 30 ・ 関中連合 30)
- 歴史的概要
- 曹操が馬超・韓遂の強力な西涼騎兵軍団と渭水で激突。
- 主な武将
- - 曹操軍: 曹操、賈詡(離間の計策謀)、夏侯淵、曹仁、許褚(渡河時に曹操を守った猛将) - 西涼軍: 馬超(西涼の錦馬超)、韓遂(後に離間されて寝返り)、成宜、侯選
濡須口の戦い
SP-450 · 213年 · 「子を生むなら孫仲謀のような」
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(曹操 24 ・ 孫権 20)
- 歴史的概要
- 曹操が四十万と号して濡須口へ攻め寄せ、孫権は濡須の塢(とりで)で守り、一か月余りで曹操が退いた。曹操が孫権の軍の整いぶりを見て嘆息した言葉が残る(呉主伝注所引『呉歴』)。
- 主な武将
- 曹操: 曹操、張遼、臧覇/孫権: 孫権、呂蒙、甘寧、周泰
- 史料
- 『三国志』呉主伝とその注、呂蒙伝
陽平関の戦い
SP-417 · 215年 · 落ちない塁を、引き上げて見せて崩す
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(曹操 26 ・ 張魯 18)
- 歴史的概要
- 曹操は張魯を討つため陽平関に至った。張魯の弟・張衛と楊昂は山に沿って十余里の塁を築いて拒ぎ、曹操は攻めて落とせず、軍を還そうとする。武帝紀によれば、大軍が退くのを見て守りが緩んだところを、解剽・高祚らに険を越えて夜襲させ、楊任を斬って張衛を夜のうちに逃走させた。張魯は巴中へ逃れる。
- 主な武将
- 曹操軍: 曹操、夏侯惇、許褚、解剽、高祚、劉曄(進言・駒にしない)/張魯軍: 張衛、楊昂、楊任(討死)、張魯(盤外・巴中へ)
- 史料
- 『三国志』魏書・武帝紀(本文:引き上げて守りが緩んだ所を夜襲)、同注引『魏名臣奏』董昭・楊暨の表(前衛が夜に道を失って敵陣へ入った偶然とする)、『世語』(数千頭の鹿が陣へ乱入)、劉曄伝、張魯伝 ⚠ 勝因が史料で割れる(武帝紀=計略/董昭らの表=偶然)。盤は武帝紀の筋で作り、偶然の説はノートで出す。
合肥・逍遥津の戦い
SP-60 · 215年 · 八百人で十万の前に出る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 48(魏 16 ・ 呉 32)
- 歴史的概要
- 張遼は夜のうちに八百を選び、朝に城門を開けて孫権の本陣へ突っ込んだ。退く呉軍を逍遥津の橋で追い、孫権は馬を跳ばせて橋を越えた。
- 主な武将
- 魏軍: 張遼、楽進、李典、八百の決死隊/呉軍: 孫権(危うく討たれかける)、甘寧、凌統(一族を失う)、呂蒙、陳武(討死)
- 史料
- 『三国志』魏書・張遼伝、呉書・呉主伝/甘寧伝/凌統伝
定軍山の戦い 実装済み
C-14 · 219年 · 三国志
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(蜀 24 ・ 魏 24)
- 歴史的概要
- 老将・黄忠が定軍山の高地から一気に駆け下りて夏侯淵を討ち取った戦い。
- 主な武将
- - 劉備軍: 黄忠(蜀の五虎将・高地突撃)、法正(合図の旗)、趙雲(別働)、刘備(総指揮) - 曹操軍: 夏侯淵(西方総司令・討死)、張郃(後継指揮)、郭淮(副将)
漢水の戦い
SP-812 · 219年 · 陣の門を開け放って静まり返り、伏兵を恐れて退く曹操軍へ弓を浴びせる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 36(劉備 18 ・ 曹操 18)
- 歴史的概要
- 定軍山の後、黄忠は曹操軍の兵糧を奪いに出たが戻らなかった。趙雲は数十騎で迎えに出て曹操の大軍に当たり、部将を救いながら陣へ退いた。趙雲は陣の門を開け放ち、旗を伏せ太鼓を止めて静まり返らせた。伏兵を恐れた曹操軍が退くと、太鼓を鳴らして弩を背後から浴びせ、曹操軍は漢水に落ちて多くが死んだ。
- 主な武将
- 劉備軍: 趙雲、黄忠、張著(救われる)/曹操軍: 曹操、徐晃、張郃
- 史料
- 『三国志』趙雲伝 注引『趙雲別伝』(※正史の本文ではなく注の伝)
樊城の戦い
SP-61 · 219年 · 秋の長雨で、囲んだ側が沈む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 56(蜀 26 ・ 魏 30)
- 歴史的概要
- 関羽が樊城を囲んだところ、漢水が溢れて城外に布陣していた于禁の七軍が水没した。于禁は降り、龐徳は斬られる。関羽の威は中原を震わせたが、直後に背後を呂蒙に突かれる。
- 主な武将
- 蜀軍: 関羽、関平、廖化/魏軍: 曹仁(樊城に籠る)、満寵、于禁(降伏)、龐徳(棺を持参して戦い、斬られる)、徐晃(救援)
- 史料
- 『三国志』蜀書・関羽伝、魏書・于禁伝/龐徳伝/徐晃伝
臨沮への道・関羽の最期
SP-451 · 219年 · 帰る城が、背後で落ちている
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 40(関羽 16 ・ 呉 24)
- 歴史的概要
- 樊城を囲んでいた関羽は、呂蒙が江陵・公安を無血で取ったと知って南へ引き返したが、兵は家族のいる江陵へ散り、関羽は麦城から西の臨沮へ逃れる途中で捕らえられた。
- 主な武将
- 関羽: 関羽、関平、趙累/呉: 呂蒙、陸遜、潘璋、朱然、馬忠(関羽を捕らえる)
- 史料
- 『三国志』関羽伝・呂蒙伝・呉主伝
夷陵の戦い
C-15 · 222年 · 三国志
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 62(蜀 32 ・ 呉 30)
- 歴史的概要
- 陸遜が蜀軍700里の連営を火計で壊滅させた戦い。
- 主な武将
- - 呉軍: 陸遜(総指揮・戦略家)、朱然(南翼)、韓当(副将)、孫桓(別働) - 蜀軍: 劉備(総大将・敗走)、張南(先鋒・討死)、馮習(副将・討死)、傅彤(断後・討死)、黄権(魏に降伏)
濡須口の戦い
SP-418 · 222〜223年 · 陽動に兵を割かれた五千で、数万を受ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(呉 20 ・ 魏 30)
- 歴史的概要
- 曹丕の三方面の南征で、曹仁は歩騎数万で濡須へ向かった。曹仁はまず東の羨渓を攻めると言いふらし、朱桓が兵を分けて羨渓へ送った後で濡須へ進む。朱桓の手元には五千しか残らず、旗と太鼓を伏せて弱く見せた。曹仁の子・曹泰が濡須城を攻め、常雕・諸葛虔・王双が油を塗った船で中洲(将兵の家族がいる)を襲う。朱桓は兵を分けて常雕を討たせ、自らは曹泰を拒いで、曹泰は陣を焼いて退いた。常雕は斬られ、王双は生け捕られた。 ※同じ濡須口では213年に曹操自身が攻めている(呂蒙の築いた塢と強弩/孫権が船で曹操の陣を見て回る=『呉歴』)。こちらは一月余りの対陣で終わるので、盤は朱桓の一戦を採った(対陣を主題にしない=本編 C-23 の教訓)。
- 主な武将
- 呉軍: 朱桓(濡須督・五千)、厳圭(常雕を破る)、羨渓へ送られた別働隊/魏軍: 曹仁(一万で橐皋に留まり後詰め)、曹泰(濡須城を攻める)、常雕(中洲を襲い斬られる)、諸葛虔、王双(生け捕り) ※王双は SP-62 陳倉(228年)で斬られる王双と同名。同一人物かは不明——名簿で混ぜない。
- 史料
- 『三国志』呉書・朱桓伝(本文に経過が詳しい)、呉主伝(厳圭が常雕を破る)、魏書・文帝紀
上庸の戦い
SP-813 · 228年 · 寝返りを企てた孟達を、司馬懿が八日で駆けつけて囲む
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(司馬懿 26 ・ 孟達 14)
- 歴史的概要
- 魏の新城太守孟達は蜀へ寝返ろうとしていた。孟達は「司馬懿の許しを得て兵を出すまで一か月はかかる」と見ていたが、司馬懿は許しを待たずに千二百里を八日で駆けて城を囲んだ。十六日目、孟達の甥と部将が門を開いて降り、孟達は斬られた。
- 主な武将
- 司馬懿軍: 司馬懿/孟達軍: 孟達(斬られる)、鄧賢・李輔(門を開く)
- 史料
- 『晋書』宣帝紀、『三国志』明帝紀 注引『魏略』
陳倉の戦い
SP-62 · 228年 · 千人で二十日、二十倍を止める
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 10ターン / 駒 42(蜀 28 ・ 魏 14)
- 歴史的概要
- 郝昭はわずか千余で陳倉に籠り、諸葛亮の雲梯・衝車・地道をことごとく打ち返した。二十日余りで蜀軍は糧が尽きて退き、追ってきた王双は斬られる。
- 主な武将
- 蜀軍: 諸葛亮、魏延、雲梯・衝車の攻城具/魏軍: 郝昭(千余で守る)、王生、追撃して斬られる王双
- 史料
- 『三国志』魏書・明帝紀(魏略)、蜀書・諸葛亮伝
石亭の戦い
SP-63 · 228年 · 偽の降伏に釣られて、深く入る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(呉 28 ・ 魏 28)
- 歴史的概要
- 周魴が髪を切って詫びる芝居までして魏へ内応を装い、曹休を誘い込んだ。石亭で三方から囲まれた魏軍は大敗し、曹休は憤死する。
- 主な武将
- 呉軍: 陸遜(大都督)、朱桓、全琮、周魴(偽りの内応)/魏軍: 曹休(憤死)、賈逵(救援に駆けつける)
- 史料
- 『三国志』呉書・周魴伝/陸遜伝、魏書・曹休伝
箕谷の戦い
SP-452 · 228年 · 囮の軍が、負けながら整然と退く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 38(蜀 14 ・ 魏 24)
- 歴史的概要
- 第一次北伐で諸葛亮は、趙雲・鄧芝に箕谷から郿へ向かうと見せかけさせ、魏の曹真の大軍を引きつけた。趙雲は兵が少なく敗れたが、殿(しんがり)となって兵をまとめ、棧道を焼いて大きな損害なく退いた。
- 主な武将
- 蜀: 趙雲、鄧芝/魏: 曹真(※曹真の配下の将名は要確認)
- 史料
- 『三国志』趙雲伝とその注所引『雲別伝』、諸葛亮伝
祁山・鹵城の戦い
SP-419 · 231年 · 堅く守っていた側が、部下に突き上げられて出る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 54(蜀 26 ・ 魏 28)
- 歴史的概要
- 諸葛亮の第四次北伐。祁山を囲んで木牛で糧を運び、司馬懿が救援に来ると、囲みに兵を残して北へ出て上邽の麦を刈った。司馬懿は亮を追って鹵城まで来たが、山に登って塁を掘り、戦わない。諸将は「公は蜀を虎のように畏れている、天下の笑いものになる」と迫り、司馬懿はついに出る。張郃が南の囲み(王平)を攻め、司馬懿は正面から亮に向かったが、亮は魏延・高翔・呉班を出して大破し、甲首三千・玄鎧五千・角弩三千百を得た。のち糧が続かず亮が退くと、追った張郃は木門で右膝に矢を受けて死んだ。
- 主な武将
- 蜀軍: 諸葛亮、魏延、高翔、呉班、王平(何平・無当監・南の囲み)、木牛の輸送隊/魏軍: 司馬懿、張郃(木門で討死)、郭淮、費曜・戴陵(上邽を守る精兵四千)、賈嗣(『漢晋春秋』は賈栩)・魏平(出戦を迫る。※祁山の守将と同一か要照合) ※本編 C-23 五丈原の A-4 で「231年の名簿」として外した高翔・呉班は、この盤の名簿である。
- 史料
- 『三国志』蜀書・諸葛亮伝(本文:木牛で運ぶ)、同注引『漢晋春秋』(上邽の麦・「蜀を畏るること虎の如し」・鹵城の戦果)、蜀書・王平伝(南の囲みを守って動かず)、魏書・張郃伝(木門) ⚠ 『晋書』宣帝紀は司馬懿の勝ちとする=食い違う。盤は『漢晋春秋』の筋で作り、晋書の説はノートで出す。
五丈原の戦い
C-23 · 234年 · 三国志
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 13ターン / 駒 50(蜀漢軍 26 ・ 魏軍 24) ── ※出荷済 Scenarios/mWuzhangyuan234.json
- 歴史的概要
- 諸葛亮の第五次北伐。渭水南岸の五丈原に布陣した蜀軍に対し、司馬懿は堅く守って戦わず、 100日あまりの対陣ののち諸葛亮が陣没して蜀軍が退いた。 対陣中も無為だったわけではなく、隴道を断つ要地・北原をめぐって実際の戦闘が起きている。 ※盤に使える地名は4つ:五丈原(蜀の本営)・北原(隴道を断つ要地)・陽遂(郭淮が夜襲を読み切った地点)・ 積石(晋書「積石に会し、原に臨みて戦う」)。※武功水(孟琰の営/竹の橋)を加えると東翼も引ける。 ※輸送は 流馬(諸葛亮伝「十二年春、亮、大衆をことごとく率いて斜谷より出で、流馬をもって運ぶ」=この年の記述。 木牛は231年なので混ぜないこと)。
遼隧の戦い
SP-420 · 238年 · 塁を攻めずに素通りして、塁から敵を引きずり出す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 52(魏 26 ・ 公孫淵 26)
- 歴史的概要
- 司馬懿は四万で遼東の公孫淵を討った。公孫淵は卑衍・楊祚に歩騎数万を与えて遼隧に屯させ、二十余里にわたって塹を巡らせる。司馬懿は「堅い塁は我が兵を疲れさせるためのもので、攻めれば敵の計に落ちる」として取り合わず、東南へ向かうと見せて塁の囲みを抜け、東北の襄平へ急行した。都が空くのを恐れた卑衍らは夜のうちに塁を捨てて追い、首山で迎え撃ったが大敗した。
- 主な武将
- 魏軍: 司馬懿、胡遵(遼隧で卑衍を破る)、毌丘倹(幽州刺史・従軍)、高句麗の援兵(数千)/公孫軍: 公孫淵(盤外の襄平)、卑衍、楊祚 ⚠ 公孫側の名前は2人しかない=部隊名で埋める(遼東兵・玄菟兵など)。
- 史料
- 『三国志』魏書・公孫度伝(淵)(本文:胡遵が卑衍を破る/囲みを抜けて襄平へ/首山)、『晋書』宣帝紀(旗を南に張って北へ渡る/攻めれば敵の計に落ちる)、毌丘倹伝、東夷伝(高句麗が援兵を送る)
芍陂の役
SP-421 · 241年 · 押し込まれてから、二枚目・三枚目で押し返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(呉 26 ・ 魏 24)
- 歴史的概要
- 孫権は淮南と荊州へ兵を出し(呉主伝は全琮・諸葛恪・朱然・諸葛瑾の四手を挙げる)、全琮は芍陂の堤を切って安城の邸閣を焼いた。魏の王淩・孫礼と戦って呉は押し込まれ、秦晃の隊が討たれる。張休・顧承が奮戦して魏の勢いを止め、止まったところへ全緒・全端が押し出して王淩を退かせた。孫礼は朝から暮れまで戦い、兵の半ばを失う。恩賞は「止めた功」の張休・顧承を「退けた功」の全氏より上に置き、この遺恨がのちの二宮事件へつながった。
- 主な武将
- 呉軍: 全琮(大都督)、全緒・全端(全氏の子弟・押し返す)、張休(張昭の子)、顧承、秦晃(討死)/魏軍: 王淩(征東将軍)、孫礼(揚州刺史・朝から暮れまで戦う)
- 史料
- 『三国志』呉書・呉主伝(芍陂を決し邸閣を焼く/秦晃ら十余人戦死)、顧雍伝附顧譚伝(張休・顧承と全緒・全端の功の争い)、魏書・孫礼伝、王淩伝
興勢の役
SP-422 · 244年 · 関を前で持つか、城まで下がるか
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 56(蜀 22 ・ 魏 34)
- 歴史的概要
- 大将軍・曹爽は十余万で駱谷から漢中へ入った。漢中の守りは三万に満たず、諸将は漢・楽の二城に籠って成都からの援軍を待とうとしたが、王平は「関を取られれば深い禍になる」として、護軍の劉敏と参軍の杜祺を興勢に拠らせ、自らは後詰めとなって、敵が黄金谷へ回れば千人で自ら当たると決めた。魏軍は興勢を抜けず、関中と氐・羌の輸送の牛馬が次々に倒れ、費禕が成都から大軍を率いて来る。曹爽は退いたが、費禕に三嶺を塞がれ、険を争ってようやく抜けた。郭淮は形勢不利と見て早く兵を引き、大敗を免れた。
- 主な武将
- 蜀軍: 王平(漢中の総指揮)、劉敏(護軍・興勢)、杜祺(参軍・興勢)、王林(夜襲)、費禕(成都からの援軍)/魏軍: 曹爽(大将軍)、夏侯玄(征西将軍)、郭淮(前鋒・早く退く)、司馬昭(撤退を進言)、夏侯霸(※前鋒とする『魏略』・要照合) 楊偉(参軍)・李勝(長史)は駒にしない(進言した幕僚)。
- 史料
- 『三国志』蜀書・王平伝(本文に作戦が詳しい)、費禕伝、蔣琬伝附劉敏、魏書・曹爽伝(輸送の牛馬が死ぬ)、同注引『漢晋春秋』(三嶺)、郭淮伝(早く退く)、『晋書』文帝紀(司馬昭の撤退進言・蜀将王林の夜襲)
東興の戦い
SP-423 · 252年 · 雪の中、鎧を脱いだ三千が堤を駆け上がる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(呉 22 ・ 魏 28)
- 歴史的概要
- 孫権の死の直後、諸葛恪は東興の堤を築き直し、両側の山に二つの城を置いて全端・留略に千人ずつ守らせた。魏は胡遵・諸葛誕に七万を与えて攻めさせ、浮橋を架けて堤に陣を布き、両城を攻めたが、城は高く険しく抜けない。諸葛恪が四万で救援に向かうと、丁奉は「諸軍の動きは遅い」として三千を率いて先行した。雪の日で魏の将たちは酒宴を開いていた。丁奉は兵に鎧を脱がせ、兜と刀と盾だけで堤を登らせて突っ込み、魏の前屯を破る。呂拠らが続き、逃げる魏兵が群がった浮橋は壊れて多くが水に落ちた。呉からの降将で魏の前軍督だった韓綜、楽安太守の桓嘉らが討たれた。
- 主な武将
- 呉軍: 諸葛恪(太傅・救援の本隊)、丁奉(三千で先行)、留賛・呂拠・唐咨(前部)、全端・留略(両城の守将)/魏軍: 胡遵、諸葛誕、韓綜(前軍督・呉からの降将・討死)、桓嘉(楽安太守・討死)
- 史料
- 『三国志』呉書・諸葛恪伝(本文)、丁奉伝(本文)、魏書・三少帝紀、同注引『漢晋春秋』(司馬師が敗戦の責を自分に帰す)
楽嘉の戦い
SP-453 · 255年 · 十八歳の夜襲、太鼓が鳴らない
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 38(文欽 16 ・ 司馬師 22)
- 歴史的概要
- 毌丘倹・文欽が寿春で司馬師に対して兵を挙げた。文欽の子文鴦(18歳)は楽嘉の司馬師の陣へ夜襲をかけ、父の合図を待ったが父の隊は間に合わず、文鴦は整然と退いた。司馬師はこの時の驚きで目の病が悪化して死んだと伝わる。
- 主な武将
- 文欽: 文欽、文鴦/司馬師: 司馬師、鄧艾(※楽嘉で文欽を誘う側)
- 史料
- 『三国志』毌丘倹伝とその注、『晋書』景帝紀・文帝紀
洮西の戦い
SP-454 · 255年 · 河を背にした陣を、一日で
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 42(蜀 20 ・ 魏 22)
- 歴史的概要
- 姜維が狄道へ出ると、魏の雍州刺史王経は洮水の西で迎え撃って大敗し、兵の多くが洮水に落ちて死んだ。姜維の北伐でもっとも大きな勝ち。
- 主な武将
- 蜀: 姜維、夏侯覇、張翼/魏: 王経、陳泰(救援)
- 史料
- 『三国志』姜維伝、陳泰伝
段谷の戦い
SP-455 · 256年 · 来るはずの友軍が来ず、一人で山を越える
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 40(蜀 20 ・ 魏 20)
- 歴史的概要
- 姜維は鎮西将軍胡済と上邽で合流する約束で出たが胡済は来ず、段谷で鄧艾に大敗した。蜀の国力がこれで大きく削られる。
- 主な武将
- 蜀: 姜維、張嶷(※段谷の前年に戦死=入れない)/魏: 鄧艾、司馬望
- 史料
- 『三国志』姜維伝、鄧艾伝
綿竹の戦い
SP-64 · 263年 · 出ないほうが良い所で出て、一族で死ぬ
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(魏 24 ・ 蜀 22)
- 歴史的概要
- 鄧艾が陰平の険路を踏破して現れたあと、諸葛瞻は険を守らず平地へ出て戦い、父子ともに討たれた。数日後、成都は降る。
- 主な武将
- 魏軍: 鄧艾、鄧忠、師纂/蜀軍: 諸葛瞻(討死)、諸葛尚(子・討死)、張遵、黄崇(険を守れと進言)
- 史料
- 『三国志』蜀書・諸葛亮伝(付・諸葛瞻)、魏書・鄧艾伝
剣閣の戦い
SP-456 · 263年 · 関は落ちなかったが、国が落ちた
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 11ターン / 駒 56(蜀 22 ・ 魏 34)
- 歴史的概要
- 魏の鍾会の大軍が漢中を抜いて南下すると、姜維は剣閣の関に拠ってこれを止めた。鍾会は兵糧が尽きかけて退却を考えたが、その間に鄧艾が陰平から間道を抜けて成都へ迫り、蜀は降った。
- 主な武将
- 蜀: 姜維、廖化、張翼、董厥/魏: 鍾会、胡烈、衛瓘(監軍)
- 史料
- 『三国志』姜維伝、鍾会伝、鄧艾伝
西陵の戦い
SP-814 · 272年 · 寝返った城を囲みながら、外から来る晋の援軍を同じ陣で退ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 48(呉 24 ・ 晋・歩闡 24)
- 歴史的概要
- 呉の西陵の守将歩闡は晋に寝返った。陸抗は西陵を囲み、内に向けて城を囲む壁と、外に向けて援軍を防ぐ壁を築いた。晋の羊祜は江陵へ向かって呉の兵を引き付け、楊肇が西陵を救いに来た。呉の部将俞贊が晋へ逃げると、陸抗は彼が知る弱い陣の兵を夜のうちに精兵と入れ替え、そこを攻めた楊肇を破った。西陵は落ち、歩闡は斬られた。
- 主な武将
- 呉軍: 陸抗、俞贊(晋へ逃げる)/晋軍: 楊肇、羊祜(江陵へ向かう・盤外)/歩闡軍: 歩闡
- 史料
- 『三国志』陸抗伝、『晋書』羊祜伝