シナリオ

徐州侵攻

196年 · 中国 重量

劉備軍 — 袁術・呂布軍 · 12ターン · 駒 84

ブリーフィング

「術生年以來,不聞天下有劉備」 「生まれてこのかた、天下に劉備という者がいると聞いたことがない」――袁術、呂布に下邳を襲わせた書状で(『三国志』魏書呂布伝注引『英雄記』) 許耽は、劉備が連れてきた将ではない。陶謙の代からの丹楊兵を千人預かり、下邳の西白門の内に屯している。同じ城には、陶謙の旧将で下邳相の曹豹もいる。二人とも、留守を預かる張飛とは折り合いが悪い。 劉備その人は、南の淮水にいる。建安元年、寿春から出てきた袁術を、淮水の南岸の二つの城で一月あまり拒いできた。西の盱眙に関羽、東の淮陰に劉備。北西の小沛には、前の年に兗州を追われた呂布が客として置かれている。袁術はその呂布に書を送り、米二十万斛で下邳を買った。盤はそこから始まる。 T2に呂布軍14駒が、北西の縁から泗水の道を下ってくる。T3から下邳の5駒(曹豹・曹豹の兵・許耽・下邳丹楊兵・章誑)に寝返りの判定がかかり、T3で50%、T4には必ず寝返る。許耽は西白門の升に立っている。寝返りは隠していない。張飛を西白門の升へ入れ、許耽を城から出してしまうこともできる。 T6には呉景の広陵軍5駒が、南の縁の邗溝の道から淮陰の背後へ上ってくる。 【劉備の勝ち方/袁術と呂布の勝ち方】点差は1本で、(持っている拠点の点-相手の拠点の点)+(与えた損害-受けた損害)+(盤外へ抜けた点)。劉備軍から見た点差が勝利線-81より上なら劉備軍の勝ち、下なら袁術・呂布軍の勝ち。戦術的・作戦的・圧倒的の段は、勝利線からそれぞれ11・89・178点離れた所にある。劉備は下邳40・盱眙20・淮陰20・下相10の拠点を持って始まり、海西(20)は袁術方にある(呉景が袁術の広陵太守)。史料どおり「軍を海西に転ず」なら、海西を取ること自体が点になる。下邳を失うだけで、点差は80動く。 東の縁の、海西から淮浦の沖までの5升は、劉備軍だけの脱出の口である。ここから盤の外へ抜けた駒は戦闘力1につき1点、劉備その人は15点。抜けた駒はもう撃破されない。ただし最終ターンに5升すべてが袁術・呂布軍のZOCの下にあれば、抜けた駒は撃破されたものとして数える。 一度に動かせる駒は、劉備軍が13(34駒のうち)。袁術・呂布軍は12で始まり、T2に呂布が入ると17、T6に呉景が入ると19になる。 【旗の下の名前】劉備軍=劉備 Liu Bei(淮陰・帥の旗)、関羽 Guan Yu(盱眙)、陳到 Chen Dao、糜芳 Mi Fang、張飛 Zhang Fei(下邳の留守)、そして寝返る曹豹 Cao Bao・許耽 Xu Dan・章誑 Zhang Kuang。袁術軍=袁術 Yuan Shu(帥の旗)、紀霊 Ji Ling、張勲 Zhang Xun、橋蕤 Qiao Rui、李豊 Li Feng、梁綱 Liang Gang、楽就 Yue Jiu、陳蘭 Chen Lan、雷薄 Lei Bo、孫賁 Sun Ben、張闓 Zhang Kai、呉景 Wu Jing(T6)。呂布軍=呂布 Lu Bu、高順 Gao Shun、張遼 Zhang Liao、陳宮 Chen Gong、郝萌 Hao Meng、曹性 Cao Xing、侯成 Hou Cheng、宋憲 Song Xian、魏続 Wei Xu。 関羽を盱眙に、紀霊を盱眙の正面に置いたのは推定である。正史が紀霊の名を挙げるのは、この年の後半の小沛攻めだけである。駒になっていない人=糜竺(州の別駕。海西で劉備に奴客二千と財を差し出す)、孫乾・簡雍(従事)、陳登(この年は典農校尉)。趙雲は居ない。兄の喪で去っていて、劉備と再会するのは四年後である。 【この盤の問い】下邳が開いたあと、淮水の線をどうするか。引き返して下邳を取り返すか(淮陰から下邳まで道で3〜4日)。淮陰を持って粘るか(淮陰を持っていれば20点と、東への道が残る)。早めに海西の沖へ出て、兵を残すか。袁術と呂布を持つなら、下邳のあと呂布をどこへ向けるか。南へ下って劉備を淮水に押しつけるか、東の口を塞ぎに行くか。 【結末】劉備は下邳へ引き返したが、着く前に兵は潰えた。散った兵を拾って東の広陵へ出たが、袁術にまた敗れ、海西で飢えた。兵は互いを食うところまで追い詰められた。そこへ糜竺が妹と奴客二千と金銀を差し出し、軍はようやく持ち直す。劉備は呂布に降り、小沛へ戻された。約束の米は届かず、呂布は袁術を見限った。その年の六月の夜、袁術に通じた郝萌が下邳の府を襲い、高順がこれを鎮めた。二年後、曹操と劉備は下邳を囲み、泗水と沂水を切って城を水に浸す。呂布は白門楼で縛られた。   米二十万斛は、届かなかった   西白門は、夜明けに開いた   海西で、兵は互いを食った   糜竺の奴客二千が、それを拾った   天下に劉備という者がいるとは、聞いたことがない   その名は、この負け戦の後から聞こえはじめる 淮水での一月あまりの対峙は盤の前に畳んだ。ターン表の月は、資治通鑑が一連の出来事を置いた六月の条による。日は盤の1日刻みで、史料に日付は無い。城は川の辺を持たない升へ1升ずらした。曹豹については、自ら呂布を迎えたとする記述(先主伝)と、張飛に殺されたとする記述(英雄記)がある。この盤は両方の筋を採り、5駒とも寝返らせた。 駒の四角の州の一字(徐・揚・并)と「帥」の旗は小説・漫画の約束事にならったもので、史料に見える旗ではない。呂布は本拠を持たなかったので、兵の出自の并州の字を置いた。 1ヘクス=7km、1ターン=1日、1CS≒300名。T1=6/1(呂布が小沛を出た日)、T2=6/2(呂布軍が盤に入る)、T6=6/6(呉景が入る)、T12=6/12。

地図

周辺図(概略) 下邳 寿春(袁術の本拠) 小沛(呂布の屯所) 彭城 淮陰 盱眙 広陵 海西 朐(糜竺の家) 鍾離 淮水 泗水 長江 海
周辺図(概略)
戦場図(概略) 下邳(西白門が開く) 呂布(泗水を下る) 袁術の本隊 劉備(盱眙で拒ぐ) 淮陰の守り 呉景(広陵から) 糜竺の奴客二千 → 海西へ(退路) → 寿春へ 泗水 淮水 射陽湖
戦場図(概略)