シナリオ

鳥羽・伏見の戦い

1868年 · 日本 中量

旧幕府軍 — 新政府軍 · 11ターン · 駒 59

ブリーフィング

「鳥羽一発の砲声は、百万の味方を得たるよりも嬉しかりし」 ──西郷隆盛(伝) 盤を斜めに、二本の堤が走っている。西の一本は To-ji から Koeda Bridge で鴨川を渡り、Shimotoba、Tominomori、Noso と村をつないで Yodo Castle の北へ着く。東の一本は伏見の Fushimi Bugyosho から Chushojima を過ぎ、宇治川の北の堤を Senryomatsu へ下って、やはり淀へ着く。二本のあいだは冬の湿田で、堤を降りた駒は一升に倍かかる。東は Ogura Pond の水である。 慶応四年一月三日の午後、大坂から上ってきた旧幕府軍一万五千は、この二本の堤に縦に並んでいる。鳥羽街道だけで九つの駒が一列になり、その先頭の見廻組は、小枝橋の北で道を塞いだ薩摩と押し問答をしている。討薩の表を携えた大目付は「通せ」と言い、薩摩は「朝命により通せぬ」と言う。日が暮れかかっている。伏見では、奉行所と城下に詰めた伝習隊・会津・新選組の真上、Gokonomiya の高みに薩摩の砲が据わっている。 京へ上る道は、ほかに二本ある。竹田街道と、桂川の西の西国街道である。どちらにも、守りはほとんど居ない。 【旧幕府の勝ち方/新政府の勝ち方】勝敗は点差ひとつで決まる。点差=(旧幕府が支配する拠点の点 − 新政府が支配する拠点の点)+(新政府に与えた損害 − 旧幕府が受けた損害)+(大坂へ抜けた旧幕府の点)。拠点は七つで155点。旧幕府は Yodo Castle 30・Fushimi Bugyosho 20・Hashimoto 20・Otokoyama 15・Tominomori 10 の95点、新政府は To-ji 40・Gokonomiya 20 の60点を握って始まる。勝利線は旧幕府の+30。開幕の差は+35だから、旧幕府は拠点をひとつ落とせば線の下へ割る。線の上で終われば旧幕府の勝ち、線の下なら新政府の勝ち。勝利線から11点離れて終われば戦術的勝利、92点で作戦的勝利、183点で圧倒的勝利。伏見奉行所ひとつで40点動くので、ここを落とせるかどうかが段階をひとつ変える。 【大坂への口】旧幕府だけが、盤の南西の縁の四升(京街道を枚方・大坂へ)から盤の外へ抜けられる。抜けた駒は戦闘力一につき三点。京に入れないなら、兵を大坂へ持ち帰るのも勝ち方である。ただし最終ターンに四升すべてが新政府の支配地域に入っていれば、抜けた駒は撃破として数えられる。口の真上、淀川の北岸には Takahama Battery がある。 【動かない者たち】淀城の淀藩兵(稲葉家。藩主は老中として江戸に居た)と、山崎の関門・高浜砲台の津藩兵(藤堂家)は、旧幕府の色をしているが自分からは動かない。淀藩は一月五日の昼(T7)から60%、以後ターンごとに40%ずつ上がる確率で新政府へ寝返る。寝返った瞬間、淀城は新政府の城になる。津藩の二駒は一月六日の朝(T9)から同じ確率で寝返る。淀川は渡れない大河で、高浜の砲は射程が三升ある──対岸の Hashimoto と Kuzuha Battery に届く。 新政府の側にも待つ者が居る。土佐の三駒は藩主容堂の「手出し厳禁」の下にあり、T3 から60%+40%で参戦する。東寺と東福寺の後詰め九駒は T3 から50%+50%、在京の鳥取・芸州の三駒は T6 から60%+40%。どれも攻撃されるか敵に隣接されれば、その場で起きる。 【一度に動かせる数】旧幕府は八。軍令らしい軍令の無いまま堤に並んでいる。二日目の朝(T3)に四増えて十二。新政府は十二。錦の御旗が翻る五日の朝(T6)に八増えて二十。竹田の旗を旧幕府が取っているあいだ、新政府は三減る。 【指揮官】旧幕府軍:Mimawarigumi=京都見廻組(佐々木只三郎)、1st Inf Rgt=歩兵第一連隊、5th Inf Rgt=歩兵第五連隊(秋山下総守)、4th・7th Inf Rgt=歩兵第四(横田伊豆守)・第七連隊(大沢顕一郎)、11th・12th Inf Rgt=歩兵第十一(佐久間信久)・第十二連隊(窪田鎮章)、Denshutai=伝習隊(鳥羽は小笠原石見守)、Kuwana=桑名藩(服部半蔵)、Ogaki=大垣藩、Takamatsu=高松藩、Aizu Bessen=会津別選隊(佐川官兵衛)、Aizu Hayashi Bty・Shirai Bty=会津の砲兵(林権助・白井五郎太夫)、Aizu Tanaka・Hori・Ikoma・Ueda=会津の本隊(田中土佐・堀半右衛門・生駒五兵衛・上田八郎右衛門)、Shinsengumi=新選組(土方歳三)、Yugekitai=遊撃隊(今堀越前守)、Obama Bty=小浜藩(楠葉台場)、Yodo=淀藩(稲葉家)、Tsu=津藩。盤の外に総督・大河内正質、伏見の指揮を執った陸軍奉行・竹中重固、鳥羽の大目付・滝川具挙。近藤勇は前月に撃たれて大坂に居た。 新政府軍:Satsuma 1st〜12th=薩摩の城下士小銃隊(五番・野津鎮雄、六番・市来勘兵衛、一番・鈴木武五郎、二番・辺見十郎太、三番・篠原国幹、四番・川村純義、七番・新納軍八、八番・野元助八、九番・樺山資紀、十二番・伊集院与一)、Tojo=外城の小銃隊(一番・村田経芳、二番・土持雄四郎、三番・有馬誠之丞、四番・中村源助)、Shiryo 2nd=私領二番隊(鮫島八十郎)、Heigu 1st=兵具一番隊(川路利良)、1st Bty・2nd Bty=薩摩の砲隊(一番・中原猶介、二番・大山弥助)、Choshu=長州(整武隊・田村甚允、第二奇兵隊・林友幸と世良修蔵、遊撃隊・後藤正則、奇兵隊・福田侠平、振武隊・石川厚狭介)、Tosa=土佐(山地忠七・吉松速之助・山田喜久馬・二川元助・北村長兵衛)、Tottori=鳥取藩(唯武次郎・近藤類蔵)、Geishu=芸州藩(南部健介)。盤の外に参謀の伊地知正治(鳥羽)・吉井友実(伏見)・山田顕義(長州)、京に西郷隆盛・大久保利通、東寺に征討大将軍・仁和寺宮嘉彰親王。 【この盤で試せる判断】ひとつめ。旧幕府は堤を降りるか。縦隊のまま押せば、撃たれるのは先頭の一駒か二駒だけで、後ろの駒は何もできない。降りれば一升に倍かかり、そのあいだ横から撃たれる。 ふたつめ。空いた道へ回るか。竹田を取れば新政府の手が三つ減る。西国街道は桂川の向こうで、湿田を斜めに抜けなければ届かない。回したぶん、二本の堤は薄くなる。 みっつめ。どこで見切るか。淀城は T7 から、橋本は T9 から、足元が崩れはじめる。京に入れないと分かった軍を、どれだけ大坂へ持ち帰れるか。 新政府は逆に、どこまで追うかを問われる。伏見と鳥羽を守り切れば負けはしない。だが勝つには、淀まで下りなければならない。 【結末】一月五日の夕方、淀小橋を焼いて退いてきた旧幕府軍の前で、淀城の門は開かなかった。藩主は江戸で老中の職に就いていた。軍は淀大橋も焼いて木津川を渡り、男山と橋本に最後の線を張る。六日の昼、その線の西の脇腹へ、淀川の向こうの山崎から藤堂家の砲が撃ち込まれた。慶応元年からそこを守り、三日のあいだ一発も撃たなかった砲だった。橋本の線は崩れ、軍は京街道を大坂へ下る。 その夜、大坂城の徳川慶喜は、会津と桑名の藩主を連れて城を出た。港の外のアメリカの軍艦で一夜を明かし、開陽丸で江戸へ向かう。将軍の居ない城に着いた兵は、ばらばらに東へ散った。戦死は旧幕府がおよそ二百八十、新政府がおよそ百十。四日間の小さな会戦は、ここから一年半、箱館まで続く戦争の最初の四日になった。   小枝橋で、一発   伏見の空は、夜どおし赤かった   淀の門は開かず   対岸の山崎から、藤堂の砲   一万五千は、大坂へ下った   その夜、船は江戸へ向かった 大坂からの行軍と、討薩の表をめぐる大坂城の評定は畳んだ。川筋は明治の付け替えの前(木津川は淀の南で合流、宇治川は淀と納所のあいだ)に戻した推定である。浜田藩・鳥羽藩などの小さな隊は他の駒に畳み、伊予松山藩などの淀の後詰めは盤から落とした。錦の御旗が最初に翻った場所と刻には諸説があり、盤では五日の朝に新政府の手数が増える形で表した。 1ヘクス=500m、1ターン≒4時間(夜は畳む)、1CS≒100名を目安に練度と火器の差を乗せた。T1=1/3 16:00(小枝橋の開戦)、T2=1/3 21:00(奉行所が燃える)、T3=1/4 07:00、T6=1/5 07:00(錦の御旗)、T7=1/5 11:00(淀の門)、T9=1/6 07:00(橋本の線)、T11=1/6 15:00(大坂へ)。

地図

周辺図(概略) 鳥羽・伏見 京都 伏見 淀 山崎 橋本・八幡 枚方 大坂 大坂湾 淀川 巨椋池 旧幕府軍 薩摩・長州 西国街道
周辺図(概略)
戦場図(概略) 東寺 小枝橋 御香宮 伏見奉行所 富ノ森 千両松 淀城 橋本 男山 山崎・津藩 竹田 巨椋池 冬の湿田 西国街道 → 大坂
戦場図(概略)