シナリオ

関ヶ原の戦い

1600年 · 日本 中量 体験版に収録

東軍 — 西軍 · 8ターン · 駒 72

ブリーフィング

「人面獣心なり」――大谷吉継、松尾山を下ってくる小早川勢を見て(伝) 関ヶ原、慶長5年9月15日(1600年10月21日)、美濃国不破郡。伊吹と鈴鹿の山なみが迫り、中山道・北国街道・伊勢街道が一点で交わる隘路。前夜、雨の中を大垣城から先回りした西軍が、北から南へ鶴翼に陣を敷いた――笹尾山に石田三成、天満山に宇喜多秀家、その南に小西行長、藤川台に大谷吉継、松尾山に小早川秀秋。追ってきた徳川家康は桃配山に陣を置く。朝8時、霧が晴れると同時に井伊直政が福島隊の前を横切って抜け駆けし、戦端が開いた。だが西軍には動かない味方が二種類いた。南宮山の毛利勢28,000は吉川広家が道を塞いで一歩も下りず、松尾山の小早川15,000は正午まで動かない。正午(T6)、家康が松尾山へ鉄砲を撃ちかけると、小早川勢が山を下って大谷隊の側面へなだれ込んだ。脇坂・小川らも続き、西軍は四半刻で崩れる。最後に残った島津義弘は、退路として背後ではなく東軍の正面を選んだ。戦いは午後2時に終わっている。 【勝ち方】勝敗は点差ひとつで決まる。点差=(自軍が支配する拠点の点数 − 敵軍が支配する拠点の点数)+(敵に与えた損害 − 自軍が受けた損害)。勝敗の境目は東軍+43点。東軍は+54点以上のリードで勝ち、西軍は東軍のリードを+32点以下に抑えれば勝ち。その間は引き分けである。境目からさらに88点で作戦的勝利、175点で圧倒的勝利(西軍から見れば−45点・−132点)。盤の拠点は全部で115点。笹尾山と天満山の本陣は重く、どちらかに手をかけないかぎり大きな差はつかない。 【西軍】石田三成(笹尾山)・島左近・蒲生郷舎・舞兵庫。宇喜多秀家(天満山)・明石全登・花房職之・延原景能。小西行長。島津義弘・豊久。伊藤盛正。大谷吉継(藤川台)・大谷吉勝・木下頼継・平塚為広・戸田重政。松尾山の小早川秀秋・平岡頼勝・稲葉正成はT6から、脇坂安治・小川祐忠はT7から寝返る(小川の駒には赤座直保・朽木元綱をまとめてある)。南宮山の毛利秀元・吉川広家・長宗我部盛親・安国寺恵瓊・長束正家は待機部隊で、自分からは動かない。 【東軍】徳川家康(桃配山。旗本30,000を5体に分けてある)。福島正則・可児才蔵、黒田長政・後藤基次、細川忠興・忠隆、加藤嘉明、田中吉政、京極高知、藤堂高虎。井伊直政・木俣守勝と松平忠吉が抜け駆けの先陣(赤備えは移動力5)。本多忠勝。南宮山の押さえに浅野幸長・池田輝政・山内一豊・有馬豊氏。戸田重政を討ち取った織田長孝、地元不破郡の竹中重門ほか。 【この盤で試せる判断】南宮山の押さえにどれだけ割くか(足りなくなると28,000が動き出す)。小早川が寝返る前にどこまで押せるか。島津1,500をどう使うか。西軍として鶴翼を守り切れるか。東軍として6時間で終わらせられるか。 【結末】六時間で終わった。松尾山が動いた瞬間に、鶴翼は内側から折れる。大谷吉継は藤川台で腹を切り、湯浅五助がその首を土に隠した。小西行長は伊吹の山中で捕らえられ、安国寺恵瓊は京で見つかり、石田三成は古橋の岩窟から引き出されて、十月一日に六条河原で斬られた。刑場へ引かれる道で干し柿を勧められ、痰の毒だからと断ったという――今から死ぬ者が何を、と笑われて、大志を抱く者は最期の瞬間まで身を惜しむのだ、と答えた。島津義弘は退路に敵の正面を選んで薩摩へ帰り、その家だけが二百六十年後まで残って、今度は徳川を倒す側に立つ。毛利は百二十万石から三十七万石へ、上杉は会津から米沢へ、豊臣家は摂津・河内・和泉の六十五万石になった。三年後、家康は征夷大将軍になる。天下分け目と呼ぶけれども、分けたのは半日である。   山がひとつ動いて、鶴の翼が折れた   藤川台に血、伊吹の山に隠れた男   六条河原で、柿をひとつ断った男   薩摩へ帰った男は、二百六十年待った   天下分け目という   分けたのは、半日である 1,000名に満たない部隊は駒になっていない。長寿院盛淳(義弘の身代わりで討死)・山田有栄・湯浅五助(吉継を介錯)・大山伯耆・河尻秀長・戸田内記はその日そこにいたが盤には出ない。 1ヘクス=200m、1ターン=45分、1CS≒1,000名。T1 = 8:00、T6 = 正午、T8 = 14:00。
ゲーム画面・1ターン目(英語表示)
ゲーム画面・1ターン目(英語表示)

地図

周辺図(概略) 関ヶ原 京 大津 琵琶湖 佐和山 長浜 大垣 岐阜 清洲 伊勢湾 伊吹山 鈴鹿山脈 → 江戸
周辺図(概略)
戦場図(概略) 笹尾山 石田 天満山 宇喜多 松尾山 小早川 南宮山 毛利 桃配山 徳川 関ヶ原宿 藤川 中山道 北国街道 伊勢街道
戦場図(概略)