倶利伽羅峠の戦い
1183年 · 日本 重量
平家 — 源氏 · 13ターン · 駒 82
ブリーフィング
さばかり深き谷一つを、平家の勢七万余騎でぞうめたりける
「あれほど深い谷ひとつを、平家の軍勢七万余騎で埋めてしまった」――『平家物語』巻七「倶梨迦羅落」
加賀と越中の境、砺波山。北陸へ攻め下った平家の大軍は、山の中の「猿の馬場」に下りて馬を休めている。前の黒坂の上には源氏の白旗が三十流、ずらりと立った。大軍に見える。平家は広い所へ打って出るのをやめた。「この山は四方が岩だ。背後へは回れまい」。
寿永2年5月11日の午後4時、陣と陣のあいだはわずか三町。源氏は十五騎、三十騎、百騎と鏑矢を射かけてくるが、勝負はさせない。日が暮れるのを待っている。北と南からは、樋口兼光の搦手一万余騎が山を巻いて、平家の背後「倶利伽羅の堂」へ回りつつある。猿の馬場の南は、地獄谷の崖である。
【平家の勝ち方】一度に動かせるのは12駒。拠点は猿の馬場(30点)・倶利伽羅の堂(20)・竹橋(10)を持って始まり、源氏の埴生八幡(20)・黒坂(10)を奪えば点差が開く。総大将の平維盛(Taira Koremori)はサドンデスで、討たれればその場で源氏の勝ち。地獄谷(Jigoku-dani)の升には入れず、そこへしか退けない駒は壊滅する。勝利線は+30。平家から見た点差が+30を上回れば、史実よりよく戦ったことになる。
【源氏の勝ち方】一度に動かせるのは昼のあいだ8駒、日没のT7(19時)から18駒。搦手11駒(樋口兼光・巴ほか)がT6に盤の北の縁と南の縁から入る。平家を前と後ろから挟み、谷の縁へ押しつけること。維盛を討てば即座に勝ち。
【指揮官】平家:平維盛(Taira Koremori・総大将)/平通盛(Michimori)/平行盛(Yukimori)/平経正(Tsunemasa)/平忠度(Tadanori・薩摩守)/平盛俊(Moritoshi・越中前司)/伊藤景家(Ito Kageie・飛騨守)/藤原忠綱(Tadatsuna・上総大夫判官)/藤原景高(Kagetaka・飛騨大夫判官)/平秀国(Hidekuni・河内判官)/瀬尾兼康(Senoo Kaneyasu)/平泉寺の長吏斎明(Saimei)。北陸の陣にいた斎藤実盛・俣野景久・伊東祐清・高橋長綱・武蔵有国も置いた。残りは諸国から駆り集めた軍兵である。
源氏:木曽義仲(Kiso Yoshinaka)/手塚光盛・落合兼行・仁科盛家・高梨高信/越中の石黒光弘・宮崎長康/手書の大夫房覚明(Kakumei)/松長の柳原に根井行親・海野幸広・望月重隆・余田次郎、加賀の林光明・倉光成澄/日宮林に今井兼平(Imai Kanehira)/搦手に樋口兼光(Higuchi Kanemitsu)・巴(Tomoe)・根井小弥太・楯親忠。叔父の源行家は北の志保山で平家のもう一手と向き合っていて、この盤にはいない。
【この盤で試せる判断】
・(平家)昼のうちに黒坂の白旗へ打ちかかるか、山の中で構えて待つか。枠は12しかない。
・(平家)背後の堂へ搦手が出たとき、前を捨てて竹橋へ退くか、堂を取り返しに向かうか。
・(源氏)昼の8駒で何をするか。前へ出て矢を射かけるか、日没まで松長と日宮林の兵を寄せておくか。
【結末】暗くなると、搦手が倶利伽羅の堂の辺りで鬨を上げ、白旗が雲のように差し上がった。大手もこれに合わせ、松長と日宮林の兵も声を上げた。前後四万騎のわめく声に、平家は「返せ、返せ」と言う者も多かったが、崩れかかった大軍は止まらない。先に落ちた者の姿が見えないのを、谷の底に道があるのだと思い、親が落ちれば子も、兄が落ちれば弟も続いた。上総大夫判官忠綱・飛騨大夫判官景高・河内判官秀国は谷に埋もれ、瀬尾兼康は加賀の倉光成澄に生け捕られた。維盛と通盛は加賀へ逃れ、七万余騎のうち逃れたのは二千余騎と『平家物語』は書く(九条兼実の日記『玉葉』は平家を四万余騎とする)。義仲はこの勢いのまま、翌日は志保山の行家を救いに向かい、6月1日に加賀の篠原で平家を再び破った。7月、平家は幼い帝を連れて都を落ちた。
白旗が三十、坂の上に立った
平家は山の中で、馬を休めた
矢は射かけても、勝負はさせなかった
日が暮れて、背後の堂に鬨が上がった
前も後ろも、敵の声だった
谷は、七万の兵で埋まった
『源平盛衰記』は、義仲が牛の角に松明を結んで平家の陣へ追い入れたと書く(火牛の計)。『平家物語』の諸本には無く、中国の田単の故事に倣った後代の脚色と見られるので、この盤には載せていない。陣立ては『平家物語』巻七に従い、源氏の七手の名は『源平盛衰記』から補った。黒坂の位置は推定である。
1ヘクス=250m、1ターン=30分、1CS≒400名。T1=5月11日16:00、T7=19:00(日没のころ)、T13=22:00。
地図
倶利伽羅峠
加賀
越中
能登
越前
火打城(4月 平家が落とす)
般若野(5月9日 今井が平家の先鋒を破る)
志保山(平家の搦手 三万余騎)
平家の北陸遠征(4月〜5月)
日本海
→ 信濃
→ 京
猿の馬場(平家本陣)
倶利伽羅の堂
地獄谷(倶利伽羅が谷)
黒坂(白旗三十流)
埴生(義仲の陣・八幡)
松長の柳原(一万余騎)
日宮林(今井 六千余騎)
搦手 一万余騎(樋口)
竹橋(→ 加賀)
北陸道