ロイテンの戦い
1757年 · ヨーロッパ 中量
プロイセン軍 — オーストリア軍 · 10ターン · 駒 62
ブリーフィング
Ich werde gegen alle Regeln der Kunst die beinahe dreimal stärkere Armee des Prinzen Karl angreifen, wo ich sie finde.
「わしは兵法のあらゆる定めに背いて、ほぼ三倍の兵を持つカール公子の軍を、見つけ次第攻める」――フリードリヒ2世、会戦の二日前、パルヒヴィッツで将校たちに(伝)
3万5千と6万5千。だが一度に動かせる数は、小さい軍のほうが多い。
12月5日の正午、オーストリア軍は北のニッペルンから南のザクシュッツまで約7キロの線を、西へ向けて張っている。朝、プロイセン軍はボルネで北翼を突くと見せた。ルッケジは右翼が危ないと援軍を求め、ダウンは予備を北へ回した。そのあいだに、プロイセン軍の縦隊は低い丘の陰を南へ回り、いまロベティンツで東へ折れたところである。前にあるのは線の南の端、ザクシュッツ。そこを守るのはヴュルテンベルクとバイエルンの援兵だ。
【プロイセン軍の勝ち方】一度に動かせるのは12駒。オーストリア軍は10駒。南の端に全部を寄せ、ザクシュッツ(15点)から北へ線を巻き上げる。ロイテン村(30)が新しい線の軸になる。その先にリッサの橋(20)がある。ラダクスドルフの陰にいるドリーゼンの胸甲騎兵(Driesen Cuirassiers)は奇襲の駒で、最初の戦闘をきっかけにそろってもう一度動く。北から来るルッケジの騎兵の横腹を叩くのに使う。勝利線は-48。プロイセン軍から見た点差が-48を上回れば勝ち。
【オーストリア軍の勝ち方】線を捨てずに向きを変えること。北の予備(Daun Reserve)とルッケジの騎兵を南へ戻し、ロイテンの教会の墓地(Rot-Wurzburg)を軸に南北の線を作る。数は倍ある。問題は枠と距離である。
【指揮官】プロイセン:フリードリヒ2世(Frederick II)/前衛ヴェーデル(Wedel)/右翼歩兵アンハルト=デッサウ公子モーリッツ(Moritz)/左翼歩兵レッツォウ(Retzow)とフォルカード(Forcade)/右翼騎兵ツィーテン(Zieten)とレントゥルス(Lentulus)/左翼騎兵ドリーゼン(Driesen)/近衛第3大隊(Garde)/マイエリンク連隊(Meyerinck)/グローガウの要塞から運んだ12ポンド砲「ブルマー」(Brummer)。
オーストリア:ロートリンゲン公子カール(Charles)/ダウン(Daun)/右翼騎兵ルッケジ(Lucchesi)/左翼ナーダシュディ(Nadasdy)/騎兵セルベローニ(Serbelloni)/アーレンベルク(Arenberg)/ロート=ヴュルツブルク連隊(Rot-Wurzburg)/ヴュルテンベルク・バイエルンの援兵/クロアチアの国境兵。
【この盤で試せる判断】
・(普)北に残した左翼(Retzow・Forcade)を、最後まで戦わせずに置いておけるか。斜形陣は「当てない翼」があって初めて成り立つ。
・(普)ザクシュッツを抜いたあと、ロイテンへ正面から行くか、南東へ回り込むか。
・(墺)北の予備を南へ戻すか。戻す途中で、ドリーゼンの横に出るかもしれない。
【結末】ザクシュッツの南の小丘(Kiefernberg)が落ち、ヴュルテンベルク兵が崩れた。オーストリア軍はロイテン村を軸に向きを変え、教会の墓地の壁の中で近衛の第3大隊と撃ち合った。午後4時、ルッケジの騎兵が北からプロイセン軍の左を突こうとしたが、ラダクスドルフの陰から出たドリーゼンの胸甲騎兵に横から崩され、ルッケジは討たれた。日が落ちると、オーストリア軍はヴァイストリッツ川を越えて退いた。その夜、リッサの館に入った王は、中にいたオーストリアの将校たちに「今晩は、諸君。ここにまだ泊まれるかね」と言ったと伝えられる(伝)。オーストリア軍は2万を超える兵を失い、その半ばは捕虜だった。二週間後にブレスラウが開城し、シュレージエンは再びプロイセンの手に戻った。行軍の夜、兵のあいだから歌われたという讃美歌「いざ、みな神に感謝せよ」は、のちに「ロイテンのコラール」と呼ばれる。ナポレオンはこの一日を、動きと機動と決断の傑作と評した(伝)。
丘の陰を、縦隊が南へ歩いた
三倍の敵の、南の端だけを叩いた
教会の墓地の壁が、最後の軸になった
ラダクスドルフの陰から、胸甲騎兵が出た
兵法の定めに背いた一日は
それから兵法の教科書に載った
朝のボルネの騎兵戦と、北翼への見せかけの攻撃は、開幕の配置(普の縦隊が南へ回り込んだ所・ダウンの予備が北へ出た所)に畳んだ。オーストリア軍の線は連隊単位でなく、翼ごとの数体にまとめた。
1ヘクス=300m、1ターン=30分、1CS≒800名。T1=12月5日12:00、T3=13:00(ザクシュッツ)、T8=15:30(ロイテン)、T10=16:30(日没)。
地図
ロイテン
ブレスラウ
ノイマルクト
シュヴァイトニッツ(墺が奪った要塞)
オーデル川
シュレージエン
← ロスバッハから(11月5日の勝利の後)
ロイテン(教会の墓地)
ニッペルン
ザクシュッツ
ボルネ
ロベティンツ
リッサ
北翼を突くと見せる
丘の陰を南へ
斜形陣
ヴュルテンベルク兵
ルッケジの反撃
ドリーゼン(ラダクスドルフの陰)
ヴァイストリッツ川