ラヴェンナの戦い
1512年 · ヨーロッパ 中量
仏・フェラーラ軍 — 神聖同盟軍 · 10ターン · 駒 50
ブリーフィング
"Monsieur, si le roi a gagné bataille, je vous jure que les pauvres gentilhommes l'ont bien perdue."
「王が戦に勝ったのなら、誓って申しますが、それを失ったのは我ら貧しい貴族のほうです」──バヤールの騎士、戦いの三日後に叔父のグルノーブル司教へ宛てた手紙(『忠実な従者の書』付録)
堀の中に座っているか、堀を出て殴りに行くか。この盤は、神聖同盟軍にその一つだけを問う。
ロンコ川の右岸に、同盟軍の野営地 Molinaccio がある。左手は川、正面と右手は堀と土塁、堀の前にはペドロ・ナバーロの荷車が三十台、鎌と連装砲を積んで並ぶ。野営地の升はすべて陣地で、中の駒には攻撃の義務が無い。白兵戦で攻められれば守る側が二倍になる。土の色をした正面の一列は要塞で、後退の結果を受けても動かない。座っていれば負けないように見える。ナバーロはそう信じ、副王カルドナはそれに従った。
だが陣地の二倍は、隣に立った敵にしか効かない。隣接する攻撃側が一人もいない砲撃には、堀も土塁も関係が無い。仏軍の砲は五十四門、フェラーラ公アルフォンソ・デステの重砲は射程3で、野営地の奥に詰まった騎兵と歩兵を一倍で撃つ。後ろの升は味方で埋まり、後退できない駒はそのまま消える。
盤は1512年4月11日、復活祭の日曜日の朝八時から始まる。仏軍は夜のうちにロンコ川に橋を架けて渡り、堀の前に弧を張った。川の向こうの左岸には、イヴ・ダレーグルの後衛と二門の重砲が残っている。増援は無い。両軍とも、盤の上にあるのが全部である。
【ガストンの勝ち方/カルドナの勝ち方】画面の「点差」は仏・フェラーラ軍から見た一本の数字で、持っている地点の点の差に、与えた損害と受けた損害の差を足したものである。Molinaccio 30点は同盟軍が、北の縁の Ravenna 15点と仏軍の橋 Bridge 10点は仏軍が持って始まる。開幕の点差は −5、勝利線は +26。線より上なら仏・フェラーラ軍、下なら神聖同盟軍の勝ちで、線からのひらきが大きいほど勝ちの級が上がる。Molinaccio の持ち主が入れ替わると点差は60動くので、仏軍が野営地を取れば、損害が五分でも +55 で線の上に出る。取れなければ −5 のまま、損害の差だけで31点を積まねばならない。同盟軍は Molinaccio を持ったまま、撃たれて失う駒を、外へ出て殴って取り返すこと。スペイン歩兵の五体は、南西の縁 Forli と南の縁 Cesena の張り出しから盤外へ出ると、一体につき6点になる。他の同盟軍の駒も出られ、こちらは戦闘力と同じ点になる。
【一度に動かせる駒】仏・フェラーラ軍は三十体のうち十三。神聖同盟軍は二十体のうち八。堀の中で待つか出るかで、同盟軍の指揮は最後まで割れていた。
【指揮官】仏・フェラーラ軍:Foix Nemours=ガストン・ド・フォワ、ヌムール公(総指揮・二十二歳)/Lautrec=オデ・ド・フォワ=ロートレック(従兄弟・重傷を負って生還)/La Palice=ジャック・ド・ラ・パリス(前衛の重装騎兵)/Bohier=トマ・ボイエ(本隊の槍騎兵)/Bayard=バヤールの騎士/d'Ars=ルイ・ダルス/Sanseverino Cardinal=フェデリーコ・サンセヴェリーノ枢機卿/Empser=ヤーコプ・エンプサー(ランツクネヒトの隊長)/Schlabrndf=ファビアン・フォン・シュラブレンドルフ(その副将)/Molart=モラール(ガスコーニュ兵の隊長)/Alfonso Este=フェラーラ公アルフォンソ1世・デステと、その重砲/Bozzolo=フェデリーコ・ゴンザーガ・ダ・ボッツォロ(イタリア歩兵)/Alegre=イヴ・ダレーグル(左岸の後衛)/Viverois=その子ヴィヴロワ。
神聖同盟軍:Cardona Viceroy=ラモン・デ・カルドナ、ナポリ副王/Navarro=ペドロ・ナバーロ(スペイン歩兵と工兵の長・堀と荷車の考案者)/Zamudio=クリストバル・デ・サムディオ/Paz=ペドロ・デ・パス/F.Colonna=ファブリツィオ・コロンナ(教皇軍の前衛)/Palude=パルーデ侯/Carvajal=アルフォンソ・デ・カルバハル(後衛)/Bitonto=ビトント侯/Pescara=ペスカーラ侯フェルナンド・ダバロス(軽騎兵)。スペイン歩兵の五体は熟練の兵として一つ強い。駒になっていない人:ジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿(教皇特使・兵を率いていない)、マルカントーニオ・コロンナ(ラヴェンナの町の守将)、パリス・スコット(モントーネ川の橋を守った)。
【この盤で試せる判断】
一、座るか、出るか。堀の中なら白兵戦では負けない。だが砲は奥の升を撃ち続ける。同盟軍はどのターンに、誰を外へ出すか。コロンナは許しを待たずに重装騎兵を押し出し、ナバーロを罵った。
二、撃つか、突くか。仏軍が堀に取り付けば攻撃の義務が生まれ、正面の要塞と二倍で組むことになる。二升離れて砲に任せれば義務は生まれない。ガストンはどこまで待てるか。
三、左岸の後衛。ダレーグルの四百騎と二門の砲は川の向こうにいる。川越しに撃ち続けるか、橋と浅瀬を渡って右岸の騎兵戦に加えるか。史実では、崩れかけたコロンナの横を突いたのはこの新手だった。
四、堤の道。崩れる前にスペイン歩兵を南西へ出せば点になる。だが出た分だけ、Molinaccio を守る兵が減る。
【結末】二時間を超える砲撃のあと、同盟軍の騎兵は堀を出て、溝と植え込みに列を乱されながら仏軍の重装騎兵にぶつかり、崩れた。ランツクネヒトは堀を越えて陣に入り、エンプサーとシュラブレンドルフがその場で倒れ、盾と剣のスペイン兵に押し返された。やがて仏騎兵が四方から野営地へ入り、ナバーロもコロンナもペスカーラも捕えられた。それでもスペイン歩兵の二つの隊は隊列を解かず、川と堤のあいだの道を南西へ歩いて退いた。ガストン・ド・フォワは十五騎ほどでそれを追い、堤の上で囲まれて、槍で脇腹を突かれて死んだ。死者は少なくとも一万。ラヴェンナは降って略奪された。だが総大将を失った仏軍は、その年のうちにスイス兵に押されてミラノを手放し、翌年ノヴァーラで敗れてアルプスの向こうへ戻った。捕虜のメディチ枢機卿は逃げ出し、翌年、教皇レオ10世になった。四十五年後、戦場の堤のそばに、一本の柱が立てられた。
堀の前に、荷車が三十台
座っている者には、砲が届いた
堤の道を、隊列のまま二つの隊が行く
追ったのは、勝った側の総大将だった
王は戦に勝ち、貧しい貴族たちはそれを失った
川の右岸に、柱が一本残っている
夜の架橋と渡河、ラヴェンナの町と守備隊、モントーネ川の橋の守りは盤に載せていない。盤は両軍が布陣を終えた朝八時から始まる。ガストンの死は勝負が決まった後の追撃なので、サドンデスにはしていない。ロンコ川は1733〜1739年に付け替えられたので、盤の北の端の流れは、町の南の城壁へ向かっていた旧流路を推した線である。資料に残る時刻は「夜明けの渡河」「二時間を超える砲撃」「八時間の戦い」だけで、各ターンの時刻はそこから割った推定である。
1ヘクス=200m、1ターン=45分、1CS≒400名。T1=4/11 08:00(砲撃の始まり)、T4=10:15(同盟軍の騎兵が堀を出るころ)、T6=11:45(ランツクネヒトが堀を攻める)、T9=14:00(仏騎兵が野営地へ入る)、T10=14:45(日没までまだ間があるが、勝負はここで決まっている)。
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