ヨーロッパ(近世)
- イタリア戦争 17
- 宗教改革期のドイツ 3
- フランス宗教戦争 7
- オランダ独立戦争 6
- アイルランド九年戦争 1
- 三十年戦争と仏西戦争 28
- イングランド内戦 10
- ルイ14世の戦争 10
- ジャコバイトの蜂起 7
- スペイン継承戦争 12
- ポーランド継承戦争 3
- オーストリア継承戦争 15
- 七年戦争 30
イタリア戦争 1495 〜 1558
フォルノーヴォの戦い
I-1 · 1495年 · イタリア戦争の開幕戦
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(フランス 22 ・ ヴェネツィア同盟 26)
- 歴史的概要
- ナポリから引き揚げるシャルル8世の軍を、ヴェネツィア中心の同盟軍がタロ川の渡渉点で待ち伏せた。増水した川と泥、そして同盟軍のストラディオット軽騎兵が戦わずにフランス軍の輜重(ナポリで積んだ戦利品)へ殺到したため、フランスは血路を開いて北へ抜けた。双方が勝利を宣言した戦い。
- 主な武将
- - フランス軍: シャルル8世、ルイ・ド・ラ・トレムイユ、ジャン・ジャコモ・トリヴルツィオ、ピエール・ド・ロアン(ジエ元帥) - 同盟軍: フランチェスコ2世・ゴンザーガ(マントヴァ侯・総指揮)、ロドルフォ・ゴンザーガ(討死)、ベルナルド・コンタリーニ(ストラディオット隊長・討死)、メルキオーレ・トレヴィザン(ヴェネツィア軍務委員)
セミナーラの戦い
SP-224 · 1495年 · 重装の騎士が、軽い騎兵に振り回される
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(フランス 24 ・ スペイン・ナポリ 22)
- 歴史的概要
- ゴンサロ・デ・コルドバが初めてフランス軍と戦って負けた一戦。この敗北から彼はスペイン軍の編成を作り直し、チェリニョーラ(本編 I-2)へ繋がる。
- 主な武将
- スペイン・ナポリ: ゴンサロ・デ・コルドバ(大将軍)、フェルディナンド2世(ナポリ王)/フランス: ドービニー、スイス槍兵
- 史料
- ギッチャルディーニ『イタリア史』、パオロ・ジョーヴィオ
チェリニョーラの戦い
I-2 · 1503年 · 火器が野戦を決めた最初の戦い
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(スペイン 18 ・ フランス 22)
- 歴史的概要
- ゴンサロ・デ・コルドバ(大将軍)が葡萄畑の斜面に堀と土塁を掘り、その裏にアルケブス銃兵を並べた。フランスの重装騎兵は堀へ落ち、指揮官ヌムール公は柵の前で討たれた。戦闘は1時間足らずで終わっている。
- 主な武将
- - スペイン軍: ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ(大将軍)、ペドロ・ナバーロ(工兵・堀の設計)、ディエゴ・ガルシア・デ・パレデス、プロスペロ・コロンナ、ファブリツィオ・コロンナ - フランス軍: ヌムール公ルイ・ダルマニャック(総指揮・討死)、シャンデュー(スイス槍兵隊長・討死)、イヴ・ダレーグル
ガリリャーノの戦い
I-3 · 1503年 · 冬の渡河
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(スペイン 26 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- 川と湿地を挟んで1か月以上にらみ合った末、ゴンサロが上流に舟橋を架けて夜のうちに渡り、宿営に散っていたフランス軍を側面から突いた。退路のガリリャーノ川で多数が溺死し、ピエロ・デ・メディチもここで死んだ。
- 主な武将
- - スペイン軍: ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ、プロスペロ・コロンナ、ペドロ・ナバーロ、バルトロメオ・ダルヴィアーノ(この時はスペイン側) - フランス軍: サルッツォ侯ルドヴィーコ2世(総指揮)、ピエロ・デ・メディチ(溺死)、イヴ・ダレーグル
アニャデッロ
I-4 · ヴァイラ)の戦い(1509年 · カンブレー同盟戦争
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(フランス 26 ・ ヴェネツィア 24)
- 歴史的概要
- 行軍中のヴェネツィア軍にフランス軍が追いつき、後衛のダルヴィアーノだけが引き返して戦った。本隊を率いるピティリアーノは「戦うな」の命令どおり行軍を続け、孤立した後衛は包囲されてダルヴィアーノは捕虜。ヴェネツィアは1日で本土領のほぼ全てを失った。
- 主な武将
- - フランス軍: ルイ12世、シャルル・ダンボワーズ(ショーモン)、ジャック・ド・ラ・パリス、ジャン・ジャコモ・トリヴルツィオ、バヤール - ヴェネツィア軍: バルトロメオ・ダルヴィアーノ(後衛・捕虜)、ニッコロ・オルシーニ(ピティリアーノ伯・本隊・戦わずに離脱)、サルッツォ侯
ラヴェンナの戦い 実装済み
E-21 · 1512年 · イタリア戦争・カンブレー同盟戦争
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 60(フランス 30 ・ 神聖同盟 30)
- 歴史的概要
- ロンコ川沿いに塹壕と土塁で籠もったスペイン・教皇連合軍(約16,000)へ、フランス=フェラーラ軍(約23,000)が渡河して肉薄し、砲で横合いから撃ち抜いて陣の外へ引きずり出した戦い。守る側が籠もったままでは削られ続けるため自分から出て攻めるしかなくなる——MUST ATTACK の機構が、そのまま史実の勝負どころになっている稀な盤である。フランスは野戦に勝ったが、退却するスペイン歩兵を追った総司令ガストン・ド・フォワが討死し、勝った側がイタリアを失った。
- 主な武将
- - フランス・フェラーラ軍: ガストン・ド・フォワ(ヌムール公・総指揮・討死)、アルフォンソ1世・デステ(フェラーラ公・砲兵指揮)、ジャック・ド・ラ・パリス(後継指揮)、オデ・ド・フォワ=ロートレック(重傷)、イヴ・ダレーグル(討死)、ヤーコプ・エンプサー(ランツクネヒト隊長・討死) - 神聖同盟軍(スペイン・教皇): ラモン・デ・カルドナ(ナポリ副王・総指揮・戦場離脱)、ペドロ・ナバーロ(工兵・荷車陣の考案者・捕虜)、ファブリツィオ・コロンナ(教皇軍・捕虜)、マルカントニオ・コロンナ、ペスカーラ侯フェルナンド・ダバロス(負傷・捕虜)、ジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿(教皇特使・捕虜/後の教皇レオ10世)
ノヴァーラの戦い
I-5 · 1513年 · スイス槍兵の絶頂
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 46(スイス 22 ・ フランス 24)
- 歴史的概要
- ノヴァーラを囲むフランス軍の宿営へ、砲も騎兵も持たないスイス槍兵が払暁に突っ込み、フランスの砲列をそのまま奪って勝った。ランツクネヒトはほぼ全滅。火器の時代に、槍だけで勝った最後の戦い。
- 主な武将
- - フランス軍: ルイ・ド・ラ・トレムイユ(総指揮)、ロベール・ド・ラ・マルク、ジャック・ド・ラ・パリス、ランツクネヒト諸隊 - スイス軍: ※総司令官がいない(州ごとの隊長制)。史料に残るのはウーリ・シュヴィーツ・ルツェルンなどの旗と、煽動者マッテウス・シナー枢機卿
マリニャーノの戦い
I-6 · 1515年 · 「巨人たちの戦い」
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 70(フランス・ヴェネツィア 38 ・ スイス 32)
- 歴史的概要
- ミラノを出たスイス軍がフランス軍の陣地へ午後遅くに突入し、月明かりの中で真夜中まで戦い、夜明けとともに再開。2日目の朝、ヴェネツィアのダルヴィアーノ隊が到着してスイス軍が崩れた。トリヴルツィオは「これに比べれば今までの戦は子供の遊びだ」と書き残した。
- 主な武将
- - フランス・ヴェネツィア軍: フランソワ1世(親征・戦後にバヤールから騎士に叙される)、ジャン・ジャコモ・トリヴルツィオ、バヤール、シャルル・ド・ブルボン(大元帥)、ガリオ・ド・ジュヌイヤック(砲兵総監)、バルトロメオ・ダルヴィアーノ(2日目朝に到着=時限増援) - スイス軍: マッテウス・シナー枢機卿(煽動)、州ごとの隊長
ビコッカの戦い
I-7 · 1522年 · 「攻めるしかない」が史実だった盤
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(スイス・フランス 22 ・ 帝国・スペイン 18)
- 歴史的概要
- プロスペロ・コロンナが窪んだ農道と土手に籠り、火縄銃兵を段に並べて待った。給料の未払いに怒ったスイス槍兵が「今すぐ戦わせろ、さもなくば帰る」と司令官ロートレックに迫り、正面から農道へ突入して、30分で3,000人と隊長22人を失った。スイス傭兵の神話が終わった日。
- 主な武将
- - 帝国・教皇軍: プロスペロ・コロンナ(総指揮・陣地の設計)、ペスカーラ侯フェルナンド・ダバロス(火縄銃兵)、ゲオルク・フォン・フルンツベルク(ランツクネヒト)、アントニオ・デ・レイヴァ - フランス・スイス軍: オデ・ド・フォワ=ロートレック(総指揮/※ラヴェンナの重傷から生還した男)、アンヌ・ド・モンモランシー、レスキュン(トマ・ド・フォワ)、ジョヴァンニ・デ・メディチ(黒隊)、スイス州隊長22名(討死)
セージア川の戦い
SP-589 · 1524年 · 退く軍の殿で、「恐れなく非の打ち所なき騎士」が火縄銃に撃たれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(スペイン帝国軍 26 ・ フランス 24)
- 歴史的概要
- ボニヴェ提督のフランス軍はロンバルディアから撤退する途中、セージア川でペスカーラ侯のスペイン帝国軍の火縄銃兵の追撃を受けた。殿を務めたバヤール騎士が撃たれて死んだ。
- 主な武将
- フランス: ボニヴェ提督(負傷)、バヤール騎士(討死)、サン=ポル伯(※)/帝国軍: ペスカーラ侯フェルナンド・ダヴァロス、シャルル・ド・ブルボン
- 史料
- 『忠実な従者の物語』(バヤール伝)、グイッチャルディーニ『イタリア史』
パヴィアの戦い 実装済み
E-11 · 1525年
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 84(帝国軍 42 ・ フランス 42)
- 歴史的概要
- 火縄銃兵が公園の防壁(陣地)を利用し重装騎兵を射殺。フランス国王捕獲(サドンデス)。
- 主な武将
- - 神聖ローマ帝国(スペイン)軍: カルロス1世(後方)、フェルナンド・ダヴァロス(総指揮)、ペスカーラ侯(主力指揮) - フランス軍: フランソワ1世(国王・捕虜・サドンデス)、アランソン公(逃亡)、バヤール騎士(討死)
ガヴィナーナの戦い
SP-590 · 1530年 · 包囲された共和国を救いに来た将が、山の村で討たれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(帝国軍 28 ・ フィレンツェ 22)
- 歴史的概要
- 包囲されたフィレンツェ共和国を救うため、フランチェスコ・フェッルッチが山越えで向かったが、ガヴィナーナでオラニエ公フィリベールの帝国軍に阻まれた。オラニエ公は討死したが、フェッルッチは捕らえられマラマルドに殺され、共和国は降伏した。
- 主な武将
- フィレンツェ: フランチェスコ・フェッルッチ、ジャンパオロ・オルシーニ(※)/帝国軍: オラニエ公フィリベール(討死)、ファブリツィオ・マラマルド
- 史料
- ヴァルキ『フィレンツェ史』
チェレゾーレの戦い
SP-225 · 1544年 · 槍衾が正面からぶつかり、互いに突き抜ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(フランス 30 ・ 帝国 28)
- 歴史的概要
- 両軍の槍兵が正面から突き合い、前列が同時に倒れた。銃兵を槍列の中に混ぜて至近で撃つという戦い方が試され、死者の多さで知られる。
- 主な武将
- フランス: アンギャン公フランソワ、モンリュック、スイス・グリゾン兵/帝国: デル・ヴァスト侯、ランツクネヒト、スペイン銃兵
- 史料
- ブレーズ・ド・モンリュック『覚書』(現場にいた)、ジョーヴィオ
マルシアーノの戦い
SP-227 · 1554年 · トスカーナの共和国が、最後に負ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フィレンツェ・帝国 30 ・ シエナ・フランス 24)
- 歴史的概要
- シエナ共和国とフランスの連合軍が敗れ、イタリアの都市共和国の時代が事実上ここで終わる。ヴァザーリがこの戦いをパラッツォ・ヴェッキオに描いた。
- 主な武将
- フィレンツェ・帝国: ジャン・ジャコモ・メディチ(マリニャーノ侯)、アスカニオ・デッラ・コルニア/シエナ・フランス: ピエロ・ストロッツィ(負傷)、シエナの市民兵
- 史料
- モンリュック『覚書』、ヴァザーリの壁画
レンティの戦い
SP-248 · 1554年 · 若き二人の名将が、同じ側で初めて戦う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(フランス 26 ・ 帝国 26)
- 歴史的概要
- 攻城の最中に現れた帝国軍と野戦になり、フランス側が押し返した。決着はつかなかったが、コリニーら次代の指揮官が名を上げる。
- 主な武将
- フランス: アンリ2世、コリニー、ネヴェール公/帝国: カール5世(病身で臨む)、エマヌエーレ・フィリベルト
- 史料
- フランス側の記録、ブラントーム
サン・カンタンの戦い
SP-228 · 1557年 · 救援に来た軍が、城の前で挟まれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(スペイン 30 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- 包囲された城へ救援に向かったフランス軍が、川を渡る途中で騎兵に横から突かれ壊滅した。フェリペ2世はこの日を記念してエル・エスコリアルを建てる。
- 主な武将
- スペイン: サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルト、エグモント伯(騎兵)/フランス: モンモランシー大元帥(捕虜)、コリニー(城に籠る)、ネヴェール公
- 史料
- スペイン側の報告、ブラントーム
グラヴリーヌの戦い
SP-229 · 1558年 · 海から味方の艦隊が撃ってくる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(スペイン 26 ・ フランス 22)
- 歴史的概要
- 海岸線での会戦の最中、沖を通りかかったイングランド艦隊がフランス軍の側面へ砲撃した。これでイタリア戦争が終わり、カトー・カンブレジ条約へ向かう。
- 主な武将
- スペイン: エグモント伯ラモラール、ドイツ騎兵/フランス: ド・テルム元帥(捕虜)、フランス歩兵
- 史料
- スペイン・イングランド側の記録
宗教改革期のドイツ 農民戦争・シュマルカルデン戦争)(1525 〜 1553
フランケンハウゼンの戦い
HR-5 · 1525年 · 虹の旗と、砲
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 46(諸侯軍 22 ・ 農民軍 24)
- 歴史的概要
- 荷車で囲んだ丘の上に集まった農民たちに、諸侯の砲が撃ち込まれた。空に虹が出たのを吉兆と見て歌い始めた直後の一斉射撃で陣は崩れ、逃げ場は無かった。トマス・ミュンツァーは町の屋根裏で見つかり、処刑される。
- 主な武将
- 農民軍: トマス・ミュンツァー(処刑)、ハインリヒ・プファイファー/諸侯軍: ヘッセン方伯フィリップ、ザクセン公ゲオルク、ブラウンシュヴァイク公ハインリヒ
ミュールベルクの戦い
SP-226 · 1547年 · 夜明けの霧に紛れて、川を泳いで渡る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(帝国 32 ・ シュマルカルデン同盟 24)
- 歴史的概要
- カール5世は濃霧の朝、スペイン兵に剣をくわえてエルベ川を泳いで渡らせ、対岸の浅瀬を確保した。ザクセン選帝侯は捕らえられ、ティツィアーノの騎馬像が描かれる。
- 主な武将
- 帝国: カール5世(痛風の身で出る)、アルバ公、モーリッツ(同じザクセン家から寝返る)/同盟: ヨハン・フリードリヒ(捕虜)、ザクセン兵
- 史料
- アビラ・イ・スニガの記録、ティツィアーノの絵
ジーフェルスハウゼンの戦い
SP-591 · 1553年 · 勝った総大将が、戦傷で二日後に死ぬ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(ザクセン方 30 ・ アルブレヒト方 26)
- 歴史的概要
- ザクセン選帝侯モーリッツは、ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯アルブレヒト・アルキビアデスの軍をジーフェルスハウゼンで破ったが、自身も重傷を負って二日後に死んだ。
- 主な武将
- ザクセン方: モーリッツ(ザクセン選帝侯)、ブラウンシュヴァイク公ハインリヒ(※息子二人が討死)/アルブレヒト方: アルブレヒト・アルキビアデス
- 史料
- ※
フランス宗教戦争 1562 〜 1590
ドルーの戦い
SP-230 · 1562年 · 両軍の総司令官が、互いに捕虜になる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(カトリック 30 ・ ユグノー 26)
- 歴史的概要
- カトリック側の総司令官モンモランシーが捕まり、ユグノー側の総司令官コンデも捕まるという珍しい戦い。ギーズ公が残りをまとめて勝った。
- 主な武将
- カトリック: モンモランシー(捕虜)、ギーズ公フランソワ、サン=タンドレ(戦死)/ユグノー: コンデ公ルイ(捕虜)、コリニー提督(軍をまとめて退く)
- 史料
- ラ・ヌー『政治軍事論』、ブラントーム
サン・ドニの戦い
SP-231 · 1567年 · 七十四歳の大元帥が、馬上で倒れる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(カトリック 28 ・ ユグノー 18)
- 歴史的概要
- パリ郊外の会戦。七十四歳のモンモランシーは五本の傷を受けながら戦い、翌々日に死んだ。数で劣るユグノー軍は退くが、軍として保たれる。
- 主な武将
- カトリック: モンモランシー大元帥(致命傷)、パリ市民兵/ユグノー: コンデ公、コリニー
- 史料
- ラ・ヌー、ダヴィラ
ジャルナックの戦い
SP-592 · 1569年 · 味方を救いに突っ込んだ親王が、降伏したあとで撃たれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(王軍 28 ・ ユグノー 24)
- 歴史的概要
- アンジュー公アンリ(後のアンリ3世)の王軍がシャラント川を渡り、ユグノー軍の後衛を急襲した。コンデ公ルイは救援に突っ込んで捕らえられ、降伏後に射殺された。
- 主な武将
- 王軍: アンジュー公アンリ、タヴァンヌ元帥/ユグノー: コンデ公ルイ1世、コリニー提督
- 史料
- ラ・ヌー『政治軍事論集』、ドービニェ『世界史』
モンコントゥールの戦い
SP-593 · 1569年 · 同じ年に二度目の大敗、それでも戦争は終わらない
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 86(王軍 46 ・ ユグノー 40)
- 歴史的概要
- ジャルナックの半年後、コリニー提督のユグノー軍はモンコントゥールでアンジュー公とタヴァンヌの王軍に大敗した。ドイツ傭兵の多くが殺されたが、コリニーは残兵をまとめて南へ退き、翌年の講和へ持ち込む。
- 主な武将
- 王軍: アンジュー公アンリ、タヴァンヌ元帥、ビロン(※)/ユグノー: コリニー提督、ルイ・ド・ナッソー、ナッサウ伯(※)
- 史料
- ラ・ヌー、ドービニェ
クートラの戦い
SP-234 · 1587年 · 砲を三門だけ、うまく置く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(ユグノー 24 ・ カトリック 28)
- 歴史的概要
- ナヴァール王アンリ(のちアンリ4世)が、わずか三門の砲を斜めに置いて敵の縦隊を削り、騎兵の密集突撃で崩した。ユグノーが初めて野戦で大勝する。
- 主な武将
- ユグノー: ナヴァール王アンリ、コンデ公、テュレンヌ/カトリック: ジョワイユーズ公(戦死)、フランス貴族の騎兵
- 史料
- ダヴィラ、アグリッパ・ドービニェ
アルクの戦い
SP-235 · 1589年 · 数で三倍の敵を、地形で四回止める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(アンリ4世 20 ・ カトリック同盟 34)
- 歴史的概要
- アンリ4世は沼と川と城に挟まれた狭い地形を選んで三倍の敵を迎え、四度の攻撃を凌いだ。霧が晴れた時に援軍の旗が見え、同盟軍が退く。
- 主な武将
- 国王軍: アンリ4世、ビロン元帥、アルク城の砲/同盟: マイエンヌ公、ランツクネヒト
- 史料
- アンリ4世の書簡、ダヴィラ
イヴリーの戦い
SP-594 · 1590年 · 「私の白い羽根飾りを目印にせよ」
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(同盟軍 30 ・ 王軍 24)
- 歴史的概要
- アンリ4世はイヴリーでマイエンヌ公のカトリック同盟軍とスペインの援軍を迎え、兜の白い羽根飾りを目印に騎兵の先頭に立って勝った。
- 主な武将
- 王軍: アンリ4世、ビロン元帥、モンパンシエ公(※)/同盟軍: マイエンヌ公、エグモント伯(スペイン援軍・討死)
- 史料
- ドービニェ、ド・トゥ『同時代史』
オランダ独立戦争 1568 〜 1600
ハイリヘルレーの戦い
SP-595 · 1568年 · 湿地の道へ誘い込んで、スペイン軍を沈める
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(反乱軍 22 ・ スペイン 20)
- 歴史的概要
- オランダ独立戦争の最初の勝ち戦。ルイ・ド・ナッソーの軍はハイリヘルレーの修道院付近で、アーレンベルク伯のスペイン軍を湿地の中の道へ誘い込んで破った。アーレンベルク伯とルイの弟アドルフが討死した。
- 主な武将
- 反乱軍: ルイ・ド・ナッソー、アドルフ・ド・ナッソー(討死)/スペイン: アーレンベルク伯(討死)
- 史料
- ※
イェミンゲンの戦い
SP-596 · 1568年 · 川を背にした反乱軍を、アルバ公が二か月後に潰す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(スペイン 28 ・ 反乱軍 22)
- 歴史的概要
- ハイリヘルレーの二か月後、アルバ公はみずからルイ・ド・ナッソーを追い、エムス川を背にしたイェミンゲンで大敗させた。
- 主な武将
- スペイン: アルバ公、キアッパン・ヴィテッリ(※)/反乱軍: ルイ・ド・ナッソー
- 史料
- ※
ムークの戦い
SP-232 · 1574年 · 給料の未払いで、勝った軍が反乱する
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(スペイン 24 ・ オランダ反乱軍 22)
- 歴史的概要
- スペイン軍が勝ったが、その直後に給料未払いで部隊が反乱を起こして戦線を離れた。勝利が戦略的に無駄になる。
- 主な武将
- スペイン: サンチョ・ダビラ、未払いのテルシオ/反乱軍: ルートヴィヒ・フォン・ナッサウ(戦死)、ハインリヒ(戦死)
- 史料
- メンドーサ『低地諸国戦記』、オランダ側の記録
ジェムブルーの戦い
SP-233 · 1578年 · 追いついた先鋒が、そのまま総攻撃になる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(スペイン 24 ・ オランダ諸州軍 24)
- 歴史的概要
- 退却中のオランダ軍に追いついたスペイン騎兵が、命令を待たずに攻撃を始め、そのまま全軍の勝利になった。一日でオランダ側の野戦軍が消える。
- 主な武将
- スペイン: ドン・フアン・デ・アウストリア、アレッサンドロ・ファルネーゼ(独断で攻撃)/諸州軍: ゴワニー、アントワーヌ・ド・グーワ
- 史料
- メンドーサ、オランダ側の記録
トゥルンハウトの戦い
SP-238 · 1597年 · 行軍中の縦列を、騎兵だけで襲う
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(オランダ 22 ・ スペイン 22)
- 歴史的概要
- マウリッツは歩兵を待たず騎兵だけで先行し、行軍中のスペイン軍の縦列に食いついた。隊列を組み直す前に崩され、二千が失われる。
- 主な武将
- オランダ: マウリッツ・ファン・ナッサウ、フランシス・ヴィア(英軍)/スペイン: ヴァラス伯(戦死)、行軍中のテルシオ
- 史料
- マウリッツの報告、ファン・レイト
ニーウポールトの戦い
SP-597 · 1600年 · 砂丘の上で、交代で斉射する隊形が初めて通用する
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(共和国軍 42 ・ スペイン 42)
- 歴史的概要
- マウリッツ・ファン・ナッサウの共和国軍は、フランドル海岸のニーウポールトでアルブレヒト大公のスペイン軍と砂丘の上で戦った。一時は押されたが、最後の騎兵の反撃で勝った。マウリッツが訓練した横隊と交代射撃が野戦で通用した最初の戦いとされる。
- 主な武将
- 共和国軍: マウリッツ・ファン・ナッサウ、フランシス・ヴィア(英軍)/スペイン: アルブレヒト大公(負傷)
- 史料
- ※
アイルランド九年戦争 1601
キンセールの戦い
SP-237 · 1601年 · 助けに来た軍が、海と城の間で挟まれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(イングランド 30 ・ アイルランド・スペイン 26)
- 歴史的概要
- スペイン軍が籠る港町を囲むイングランド軍を、北から来たアイルランド軍が外から囲んだ。だが夜の行軍で隊列が乱れ、朝に騎兵へ突かれて崩れる。ゲール的アイルランドの終わり。
- 主な武将
- イングランド: マウントジョイ卿、ジョージ・カルー/同盟: ヒュー・オニール(ティロン伯)、レッド・ヒュー・オドンネル、フアン・デル・アギラ(城に籠るスペイン兵)
- 史料
- ドックラの記録、オサリヴァン・ベア
三十年戦争と仏西戦争 1620 〜 1658
白山
W-1 · ヴァイセンベルク)の戦い(1620年 · ボヘミア期
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(カトリック同盟 22 ・ ボヘミア 20)
- 歴史的概要
- 開戦2年目。プラハ郊外の丘に布陣したボヘミア軍が、わずか1〜2時間で崩れた。ボヘミアの独立はここで終わる。
- 主な武将
- - カトリック連合軍: ティリー伯(総指揮)、ブクワ伯(皇帝軍)、マクシミリアン1世(バイエルン公・後方) - ボヘミア軍: アンハルト公クリスティアン(総指揮)、トゥルン伯、ホーエンローエ伯(給料未払いで士気低下)
ヴィンプフェンの戦い
SP-239 · 1622年 · 弾薬車が爆発して、陣が裂ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(カトリック連盟 28 ・ プロテスタント 24)
- 歴史的概要
- 荷車で囲った陣地に籠るバーデン軍は持ちこたえていたが、弾薬車が爆発して陣の一角が吹き飛び、そこから崩れた。
- 主な武将
- 連盟: ティリー伯、ゴンサロ・デ・コルドバ(同名の後裔)/プロテスタント: バーデン辺境伯ゲオルク・フリードリヒ、最後まで残る四百のプフォルツハイム市民兵
- 史料
- ティリーの報告、バーデン側の記録
ヘーヒストの戦い
SP-240 · 1622年 · 川を渡りながら、後ろを守る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(連盟 30 ・ ブラウンシュヴァイク 22)
- 歴史的概要
- クリストフ・フォン・ブラウンシュヴァイクはマイン川に橋を架けて渡りながら、後衛で追撃を防いだ。損害は大きかったが、軍と軍資金を対岸へ渡し切る。
- 主な武将
- 連盟: ティリー伯、コルドバ/プロテスタント: クリスティアン・フォン・ブラウンシュヴァイク(片腕を失う)、後衛部隊
- 史料
- ティリーの報告、当時の新聞
フルーリュスの戦い
SP-241 · 1622年 · 八回突撃して、通り抜ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(プロテスタント 26 ・ スペイン 28)
- 歴史的概要
- 進路を塞いだスペイン軍に対し、騎兵が八度突撃を繰り返して道をこじ開け、歩兵の半分を失いながら通り抜けた。勝つためでなく通るための戦い。
- 主な武将
- プロテスタント: エルンスト・フォン・マンスフェルト、クリスティアン・フォン・ブラウンシュヴァイク(腕を切断)/スペイン: ゴンサロ・デ・コルドバ
- 史料
- スペイン側の報告、マンスフェルトの記録
シュタットローンの戦い
SP-242 · 1623年 · 沼を背にして、追いつかれる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(連盟 28 ・ ブラウンシュヴァイク 20)
- 歴史的概要
- 国境まであと数キロという所で追いつかれ、沼地を背にした後衛が崩れて全軍が瓦解した。逃げ切れば助かる、という時計が最後まで効く。
- 主な武将
- 連盟: ティリー伯、アンホルト/プロテスタント: クリスティアン・フォン・ブラウンシュヴァイク(辛うじて逃れる)
- 史料
- ティリーの報告
デッサウ橋の戦い
W-2 · 1626年 · デンマーク期
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(帝国軍 20 ・ マンスフェルト勢 18)
- 歴史的概要
- ヴァレンシュタインがエルベ川の橋頭堡を陣地化して守り、渡ろうとしたマンスフェルトを叩き落とした。
- 主な武将
- - 皇帝軍: ヴァレンシュタイン(総指揮)、アルドリンゲン将軍 - プロテスタント軍: マンスフェルト伯(傭兵隊長)、フォン・デア・リッペ大佐
ルッターの戦い
W-3 · 1626年 · デンマーク期
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(帝国軍 24 ・ デンマーク 22)
- 歴史的概要
- ティリーがデンマーク王クリスティアン4世を森と谷の地形で捕まえ、王の砲兵をほぼ全部奪った。
- 主な武将
- - カトリック連合軍: ティリー伯、アンホルト伯、ボースト大佐(森の側面迂回) - デンマーク軍: クリスティアン4世(国王・かろうじて脱出)、フックス将軍、ロング大佐(後衛・戦死)
ブレイテンフェルトの戦い 実装済み
N-4 · 1631年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 62(スウェーデン・ザクセン 32 ・ 帝国軍 30)
- 歴史的概要
- グスタフ・アドルフ王が新軍制で帝国軍のテルシオを撃破。
- 主な武将
- - スウェーデン・サクソン連合軍: グスタフ2世アドルフ(スウェーデン王)、ヨハン・バネル(左翼)、グスタフ・ホルン(右翼)、サクソン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世 - 帝国軍: ティリー伯(重傷)、パッペンハイム将軍(騎兵・無断突撃)
レヒ川渡渉戦
W-4 · 1632年 · スウェーデン期
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(スウェーデン 26 ・ 帝国・バイエルン 24)
- 歴史的概要
- グスタフ・アドルフが72門の砲で対岸を制圧しながら舟橋を架け、渡り切った。守っていたティリーはここで致命傷を負う。
- 主な武将
- - スウェーデン軍: グスタフ2世アドルフ(砲の配置を自ら指揮)、トルステンソン(砲兵長)、バネール将軍 - カトリック連合軍: ティリー伯(戦死)、アルドリンゲン将軍(負傷)、マクシミリアン1世(撤退を決断)
アルテ・フェステ
W-5 · ニュルンベルク)の戦い(1632年 · スウェーデン期
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(スウェーデン 28 ・ 帝国軍 26)
- 歴史的概要
- グスタフ・アドルフがヴァレンシュタインの丘の陣地へ正面から攻めて、初めて失敗した戦い。岩と切り株の斜面を10時間登って、抜けなかった。
- 主な武将
- - スウェーデン軍: グスタフ2世アドルフ、ザクセン=ヴァイマル公ベルンハルト(右翼)、トルステンソン(砲兵・捕虜) - 皇帝軍: ヴァレンシュタイン、ホルク将軍、スパラ将軍(陣地の守り)
ルッツェンの戦い
E-13 · 1632年
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 84(スウェーデン 42 ・ 帝国軍 42)
- 歴史的概要
- 街道沿いに掘られた壕(FortressEdges)を挟む激戦。グスタフ・アドルフ王戦死(サドンデス)。
- 主な武将
- - スウェーデン軍: グスタフ2世アドルフ(スウェーデン王・討死・サドンデス)、ベルンハルト・フォン・ザクセン=ワイマール(後継指揮) - 帝国軍: アルブレヒト・フォン・ワレンシュタイン(総指揮)、パッペンハイム将軍(討死・援軍途中)
ネルトリンゲンの戦い
W-6 · 1634年 · スウェーデン期
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 86(スウェーデン・新教連合 42 ・ 帝国・スペイン 44)
- 歴史的概要
- スウェーデン軍が丘(アルブーフ)を15回攻めて15回跳ね返され、崩壊した。スペインのテルシオが動かなかったのが決め手。
- 主な武将
- - 皇帝・スペイン連合軍: 枢機卿王子フェルナンド(スペイン軍)、フェルディナント(ハンガリー王)、ガラス将軍、イドゥアケス/トリーノ(テルシオ2個・丘を死守) - スウェーデン・プロテスタント軍: ホルン元帥(捕虜)、ザクセン=ヴァイマル公ベルンハルト(脱出)
レ・ザヴァンの戦い
SP-598 · 1635年 · フランスが三十年戦争に入った、最初の会戦
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス 30 ・ スペイン 26)
- 歴史的概要
- スペインに宣戦したフランスは、シャティヨン元帥とブレゼ元帥の軍でスペイン領ネーデルラントのレ・ザヴァンに入り、トマス・フランチェスコ・ディ・サヴォイアのスペイン軍を破った。
- 主な武将
- フランス: シャティヨン元帥、ブレゼ元帥/スペイン: トマス・フランチェスコ・ディ・サヴォイア
- 史料
- ※
ヴィットシュトックの戦い
W-7 · 1636年 · スウェーデン期
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(スウェーデン 26 ・ ザクセン・帝国 26)
- 歴史的概要
- 数で劣るバネールが軍を2つに割り、片方が森を大きく回って背面に出るまで、正面の少数で耐え続けた。到着が日没直前でぎりぎり間に合った。
- 主な武将
- - スウェーデン軍: バネール元帥(正面・耐える側)、レスリー将軍/キング将軍(迂回隊)、ヴィッテンベルク将軍 - ザクセン・皇帝軍: ハッツフェルト伯、ザクセン選帝侯子ヨハン・ゲオルク2世、マラツィン将軍
ラインフェルデンの戦い
SP-599 · 1638年 · 一度負けた軍が、三日後に戻ってきて勝つ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(ヴァイマル軍 26 ・ 帝国軍 28)
- 歴史的概要
- ザクセン=ヴァイマル公ベルンハルトは、ラインフェルデンを囲んでいたところを帝国軍に襲われて一度退いたが、三日後に戻ってきて油断した帝国軍を破り、ヨハン・フォン・ヴェルトらを捕らえた。※盤は二度目(3月3日)の戦い。
- 主な武将
- ヴァイマル軍: ベルンハルト(ザクセン=ヴァイマル公)/帝国軍: ヨハン・フォン・ヴェルト(捕虜)、フェデリコ・サヴェッリ(捕虜)
- 史料
- ※
ヴィッテンヴァイアーの戦い
SP-600 · 1638年 · 包囲された要塞へ向かう補給隊を、河畔で叩く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(ヴァイマル軍 28 ・ 帝国軍 28)
- 歴史的概要
- ベルンハルトは、包囲中のブライザッハへ補給隊を送るゲッツ伯の帝国軍をヴィッテンヴァイアーで迎えて破った。ブライザッハはこの年の暮れに落ちる。
- 主な武将
- ヴァイマル軍: ベルンハルト、ハンス・ルートヴィヒ・フォン・エアラッハ(※)/帝国軍: ヨハン・フォン・ゲッツ、サヴェッリ
- 史料
- ※
第二次ブライテンフェルトの戦い
W-8 · 1642年 · フランス=スウェーデン期
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(スウェーデン 26 ・ 帝国軍 26)
- 歴史的概要
- トルステンソンが行軍隊形のまま襲われかけたところから展開し切って勝ち、皇帝軍の砲兵46門を丸ごと奪った。
- 主な武将
- - スウェーデン軍: トルステンソン元帥(総指揮)、シュタールハンスケ将軍(右翼騎兵)、ヴィッテンベルク将軍 - 皇帝軍: レオポルト・ヴィルヘルム大公、ピッコロミニ将軍(実質指揮)、ブルーアイ将軍(砲兵・全門を失う)
ケンペンの戦い
SP-601 · 1642年 · 帝国軍の陣の背後の荒れ地を、フランス・ヴァイマル軍が回る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(フランス・ヴァイマル 24 ・ 帝国軍 20)
- 歴史的概要
- ゲブリアン伯のフランス・ヴァイマル・ヘッセン軍が、ケンペンでランボイ将軍の帝国軍を破り、ランボイを捕らえた。
- 主な武将
- フランス方: ゲブリアン伯、カスパー・フォン・エーベルシュタイン(ヘッセン)/帝国軍: ギヨーム・ド・ランボイ(捕虜)
- 史料
- ※
ロクロワの戦い
E-14 · 1643年
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 86(フランス 43 ・ スペイン 43)
- 歴史的概要
- フランス機動騎兵が周囲を掃討後、全周をZOCで囲まれた堅固なスペイン歩兵方陣へ砲撃。
- 主な武将
- - フランス軍: ルイ2世・コンデ公(21歳・後の大コンデ・総指揮)、ギャサオン将軍(左翼騎兵) - スペイン軍: フランシスコ・デ・メロ(総指揮)、アルブケルケ公(テルシオ方陣指揮)
トゥットリンゲンの戦い
SP-243 · 1643年 · 冬営中の軍が、霧の中で包まれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(帝国・バイエルン 28 ・ フランス 24)
- 歴史的概要
- 冬営で油断していたフランス軍が、霧に紛れた奇襲で司令部ごと囲まれた。指揮官が捕らえられ、軍が消える。
- 主な武将
- 帝国・バイエルン: フランツ・フォン・メルシー、ヨハン・フォン・ヴェルト(騎兵)/フランス: ランボワ元帥(捕虜)、ジョゼフ・ド・ランボワ
- 史料
- メルシーの報告、フランス側の弁明書
フライブルクの戦い
SP-244 · 1644年 · 三日間、同じ丘へ登り続ける
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 66(フランス 36 ・ バイエルン 30)
- 歴史的概要
- 三日にわたって同じ稜線へ繰り返し突撃し、両軍あわせて一万近くを失って決着がつかなかった。コンデとテュレンヌの最初の共同作戦。
- 主な武将
- フランス: コンデ公(大コンデ)、テュレンヌ/バイエルン: フランツ・フォン・メルシー、ヴェルト
- 史料
- テュレンヌの書簡、メルシーの報告
ヤンカウの戦い
N-5 · 1645年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(スウェーデン 26 ・ 帝国・バイエルン 26)
- 歴史的概要
- スウェーデン名将トルステンソンがボヘミアの丘陵・森林で帝国軍を破る。
- 主な武将
- - スウェーデン軍: レナール・トルステンソン(総指揮)、カール・グスタフ・ウランゲル(騎兵) - 帝国軍: メルツィ伯(総指揮・討死)、ゴッツ将軍(捕虜)
アレルハイムの戦い
SP-245 · 第二次ネルトリンゲン・1645年 · 村を取って、丘に取り返される
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(フランス 32 ・ バイエルン 32)
- 歴史的概要
- フランス軍は村を落としたが、丘の上の敵に側面を取られて崩れかけ、テュレンヌが左翼を回して勝った。メルシーは戦死する。
- 主な武将
- フランス: コンデ公(馬を三頭失う)、テュレンヌ、グラモン(捕虜)/バイエルン: フランツ・フォン・メルシー(戦死)、ヨハン・フォン・ヴェルト
- 史料
- テュレンヌの報告、バイエルン側の記録
ヘルプストハウゼンの戦い
SP-602 · 1645年 · 冬営に散ったフランス軍を、メルシーが一日で拾い集める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(バイエルン 28 ・ フランス 24)
- 歴史的概要
- テュレンヌのフランス軍は冬営地に分散していたところを、フランツ・フォン・メルシーのバイエルン軍にヘルプストハウゼン(メルゲントハイム)で急襲され、大敗した。
- 主な武将
- バイエルン: フランツ・フォン・メルシー、ヨハン・フォン・ヴェルト/フランス: テュレンヌ
- 史料
- ※
ランスの戦い
W-9 · 1648年 · 講和直前
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(フランス 26 ・ 帝国・スペイン 26)
- 歴史的概要
- 大コンデがわざと後退して見せ、追ってきた皇帝軍が隊形を崩したところへ振り返って全軍で突っ込んだ。この敗報がヴェストファーレン条約を決めた。
- 主な武将
- - フランス軍: コンデ公ルイ2世(大コンデ)、エルヴォー将軍、シャティヨン将軍(後衛=囮) - 皇帝・バイエルン軍: ランボワ将軍(捕虜)、ホルツァプフェル元帥(戦死)、グロンスフェルト将軍
ツスマルスハウゼンの戦い
SP-246 · 1648年 · 最後の年に、後衛だけが戦う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(フランス・スウェーデン 28 ・ 帝国 22)
- 歴史的概要
- 三十年戦争の最後の大きな戦い。退く帝国軍の後衛が、本隊を逃がすために犠牲になった。数週間後にウェストファリア条約が結ばれる。
- 主な武将
- 連合: テュレンヌ、ヴランゲル(スウェーデン)/帝国: ペーター・メランダー(戦死)、ラーイモンド・モンテクッコリ(後衛を指揮して本隊を救う)
- 史料
- フランス・スウェーデン側の報告
フォーブール・サン・タントワーヌの戦い
SP-603 · 1652年 · パリの城門の前で、門が開くかどうか
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(王軍 30 ・ コンデ軍 26)
- 歴史的概要
- フロンドの乱。コンデ公の軍はパリの東、サン・タントワーヌの市門の前でテュレンヌの王軍に追い詰められた。パリ市は門を閉ざしていたが、オルレアン公の娘「グランド・マドモワゼル」がバスティーユの砲を王軍へ撃たせ、門を開けさせてコンデ軍を市内に入れた。
- 主な武将
- 王軍: テュレンヌ、ラ・フェルテ元帥/コンデ軍: コンデ公ルイ2世、ボーフォール公(※)、グランド・マドモワゼル(バスティーユ)
- 史料
- グランド・マドモワゼル『回想録』、レ枢機卿『回想録』
デューンの戦い
SP-247 · 砂丘の戦い・1658年 · 潮が引いた砂丘を、駆け上がる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(仏・英連合 32 ・ 西・仏反乱軍 26)
- 歴史的概要
- テュレンヌは引き潮で海側の砂丘が通れるようになる時刻を計って攻撃を始めた。イングランドの鉄騎兵が最も高い砂丘を正面から登って落とす。
- 主な武将
- 仏・英: テュレンヌ、ロックハート(クロムウェルの鉄騎兵)/西・反乱軍: ドン・フアン・ホセ・デ・アウストリア、コンデ公(今度は敵側)、ヨーク公ジェームズ
- 史料
- テュレンヌの報告、クラレンドン、スペイン側の記録
イングランド内戦 1642 〜 1651
エッジヒルの戦い
SP-604 · 1642年 · 素人同士の最初の会戦で、両軍の騎兵が敵を追って戦場から消える
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(王党派 26 ・ 議会派 26)
- 歴史的概要
- イングランド内戦最初の会戦。チャールズ1世の王党派とエセックス伯の議会派がエッジヒルの麓で戦った。両軍の騎兵(王党派はルパート王子)が相手の騎兵を追って戦場から消え、残った歩兵同士が日没まで戦って引き分けた。
- 主な武将
- 王党派: チャールズ1世、ルパート王子、リンジー伯(討死)、ジェイコブ・アストリー/議会派: エセックス伯、ウィリアム・バルフォア、フィリップ・ステイプルトン
- 史料
- クラレンドン『反乱の歴史』、両軍の公式報告
ラウンドウェイ・ダウンの戦い
SP-605 · 1643年 · 丘の上の議会派騎兵が、急斜面へ追い落とされる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(議会派 22 ・ 王党派 18)
- 歴史的概要
- ウィリアム・ウォラーの議会派軍は、デヴィズを囲んでいたところへ救援に来たウィルモット卿の王党派騎兵に丘の上で攻められ、騎兵が急斜面へ追い落とされて崩れた。
- 主な武将
- 王党派: ウィルモット卿、ジョン・バイロン、ラルフ・ホプトン(町の中・負傷)/議会派: ウィリアム・ウォラー、アーサー・ヘイゼルリッグ
- 史料
- クラレンドン、ウォラーの書簡
チェリトンの戦い
SP-606 · 1644年 · 若い指揮官が命令を待たずに突出して、勝ちが逃げる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(議会派 28 ・ 王党派 26)
- 歴史的概要
- ウォラーの議会派軍はハンプシャーのチェリトンで、フォース伯とホプトン卿の王党派軍と戦った。王党派の若い連隊長が命令を待たずに突出して潰され、議会派が勝って南部の主導権を握った。
- 主な武将
- 議会派: ウィリアム・ウォラー、ウィリアム・バルフォア/王党派: フォース伯パトリック・ルースヴェン、ラルフ・ホプトン
- 史料
- ※
マーストン・ムーアの戦い
SP-607 · 1644年 · 夕立の中の会戦で、クロムウェルだけが追撃をやめて反転する
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 84(連合軍 46 ・ 王党派 38)
- 歴史的概要
- ヨークを救いに来たルパート王子の王党派軍と、議会派・スコットランド盟約派の連合軍がマーストン・ムーアで戦った。夕方の夕立の中で連合軍が仕掛け、オリヴァー・クロムウェルの騎兵は王党派の騎兵を破ったあと追撃せずに反転し、戦場の中央を片づけた。イングランド内戦最大の会戦。
- 主な武将
- 連合軍: リーヴン伯、マンチェスター伯、フェアファクス卿、トマス・フェアファクス、オリヴァー・クロムウェル、デイヴィッド・レスリー/王党派: ルパート王子、ニューカッスル侯、ジョージ・ゴーリング
- 史料
- 両軍の報告、ワトソン『マーストン・ムーアの戦いの記録』(※)
ネイズビーの戦い
B-20 · 1645年 · 清教徒革命
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(議会軍 45 ・ 王党軍 39)
- 歴史的概要
- クロムウェルの「鉄騎兵」がチャールズ1世の王党軍騎兵・歩兵を正面から打ち破った決戦。
ラングポートの戦い
SP-608 · 1645年 · 浅瀬の細い道を、騎兵が一列で駆け上がる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(新型軍 24 ・ 王党派 20)
- 歴史的概要
- ネイズビーの三週間後、トマス・フェアファクスの新型軍が、ジョージ・ゴーリングの王党派西部軍をラングポートの浅瀬と細い道で破った。
- 主な武将
- 新型軍: トマス・フェアファクス、オリヴァー・クロムウェル、ジョン・ランバート(※)/王党派: ジョージ・ゴーリング
- 史料
- ※
キルシスの戦い
SP-609 · 1645年 · 行軍中の側面を襲い、盟約派の軍を消す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(盟約派 28 ・ 王党派 24)
- 歴史的概要
- スコットランドでモントローズ侯の王党派軍が、ウィリアム・ベイリーの盟約派軍を、キルシスで行軍中の側面から襲って壊滅させた。モントローズの連勝の頂点。
- 主な武将
- 王党派: モントローズ侯、アラスデア・マッコーラ/盟約派: ウィリアム・ベイリー
- 史料
- ※
プレストンの戦い
SP-610 · 1648年 · 長く伸びた行軍列を、クロムウェルが横から突く
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(スコットランド・王党派 46 ・ 議会派 38)
- 歴史的概要
- 第二次内戦。ハミルトン公のスコットランド軍はイングランドへ南下したが、長く伸びた行軍列をクロムウェルにプレストンで横から突かれ、三日の追撃で壊滅した。※盤は8月17日のプレストンの一日だけ。
- 主な武将
- 議会派: オリヴァー・クロムウェル、ジョン・ランバート/スコットランド・王党派: ハミルトン公、マーマデューク・ラングデイル
- 史料
- クロムウェルの書簡
ダンバーの戦い
SP-611 · 1650年 · 丘を降りてきた敵を、夜明けに海側の翼から突く
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 46(スコットランド 26 ・ イングランド 20)
- 歴史的概要
- スコットランドへ攻め込んだクロムウェルは海岸のダンバーに追い詰められたが、デイヴィッド・レスリーのスコットランド軍が丘を降りてきたところを、夜明けに海側の翼から突いて大勝した。
- 主な武将
- イングランド: オリヴァー・クロムウェル、ジョン・ランバート、ジョージ・マンク/スコットランド: デイヴィッド・レスリー
- 史料
- クロムウェルの書簡
ウスターの戦い
SP-612 · 1651年 · 二本の川に舟橋を架けて、両岸から市街へ追い込む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 54(議会派 30 ・ 王党派 24)
- 歴史的概要
- チャールズ2世のスコットランド・王党派軍はウスターに入った。クロムウェルはセヴァーン川とテム川に舟橋を架けて両岸から攻め、市内へ追い込んで勝った。内戦最後の会戦。
- 主な武将
- 議会派: オリヴァー・クロムウェル、チャールズ・フリートウッド/王党派: チャールズ2世、ハミルトン公(2代・討死)
- 史料
- クロムウェルの書簡
ルイ14世の戦争 仏蘭戦争・大同盟戦争)(1674 〜 1693
セネフの戦い
SP-249 · 1674年 · 通り過ぎる行軍列に食いついて、一日中離れない
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(フランス 32 ・ 連合 32)
- 歴史的概要
- コンデ公は目の前を行軍していく連合軍の後尾に食いつき、そのまま三度の全面戦闘になった。両軍あわせて一万以上を失い、決着はつかない。
- 主な武将
- フランス: コンデ公(最後の会戦)、リュクサンブール/連合: オラニエ公ウィレム3世、ド・スーシュ、モンテレイ
- 史料
- コンデの報告、オラニエ公の書簡
ジンスハイムの戦い
SP-613 · 1674年 · テュレンヌが、町と丘の段を一つずつ上がる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(フランス 26 ・ 帝国軍 26)
- 歴史的概要
- 仏蘭戦争。テュレンヌはライン右岸へ渡り、ジンスハイムでカプララとロレーヌ公の帝国軍を攻め、町と丘の段を取って勝った。
- 主な武将
- フランス: テュレンヌ/帝国軍: エネア・シルヴィオ・カプララ、ロレーヌ公シャルル4世
- 史料
- ※
エンツハイムの戦い
SP-614 · 1674年 · 霧の中の森を、一日中取り合う
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(帝国軍 44 ・ フランス 40)
- 歴史的概要
- テュレンヌはエンツハイムでブルノンヴィル公の帝国軍を攻めた。両軍は「小さな森」を一日中取り合い、勝敗はつかなかった。
- 主な武将
- フランス: テュレンヌ/帝国軍: ブルノンヴィル公(※)
- 史料
- ※
テュルクハイムの戦い
SP-615 · 1675年 · 冬の山を越えて、敵の冬営の後ろへ出る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(帝国・ブランデンブルク 30 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- テュレンヌは冬のヴォージュ山脈を回り、アルザスで冬営していた帝国・ブランデンブルク軍の背後に出て、テュルクハイムで破った。帝国軍はライン右岸へ退いた。
- 主な武将
- フランス: テュレンヌ/帝国・ブランデンブルク: ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム、ブルノンヴィル公(※)
- 史料
- ※
カッセルの戦い
SP-616 · 1677年 · 王弟が、オラニエ公の救援軍を川の手前で破る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス 30 ・ オランダ 26)
- 歴史的概要
- サン=トメールを囲むフランス軍の救援に来たオラニエ公ウィレム3世を、ルイ14世の弟オルレアン公フィリップがカッセル近くのペーネ川で迎えて破った。
- 主な武将
- フランス: オルレアン公フィリップ、リュクサンブール公、アンフィエール元帥(※)/オランダ: オラニエ公ウィレム3世
- 史料
- ※
フルーリュスの戦い
SP-257 · 1690年 · 両翼を回して、正面から挟む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(フランス 30 ・ 連合 28)
- 歴史的概要
- リュクサンブールは夜のうちに軍の一部を大きく迂回させ、朝に両側から同時に当たった。近世で最も完成された両翼包囲の例の一つ。
- 主な武将
- フランス: リュクサンブール元帥、ゴフィエ/連合: ヴァルデック公(辛うじて退く)、スペイン・オランダ隊
- 史料
- リュクサンブールの報告、連合側の記録
スタッファルダの戦い
SP-617 · 1690年 · 湿地に陣した公爵を、カティナが脇から回って崩す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス 28 ・ サヴォイア・スペイン 26)
- 歴史的概要
- 大同盟戦争。カティナ元帥はスタッファルダでサヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世の軍を、湿地を回り込んで側面から破った。
- 主な武将
- フランス: カティナ元帥/サヴォイア: ヴィットーリオ・アメデーオ2世、オイゲン公(※参陣・騎兵)
- 史料
- ※
ステーンケルケの戦い
SP-258 · 1692年 · 奇襲が、準備している間に気づかれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(連合 28 ・ フランス 28)
- 歴史的概要
- ウィリアム3世の奇襲は生垣の間の細い道で隊列が伸びてしまい、先頭だけが戦う形になった。フランス側は次々と部隊を投入して押し返す。
- 主な武将
- 連合: ウィリアム3世、マッケイ(戦死)、先頭だけで戦うイングランド兵/フランス: リュクサンブール元帥、フィリップ・ドルレアン
- 史料
- 双方の報告
ネールウィンデンの戦い
SP-259 · 1693年 · 村を三度取り返して、最後に騎兵で抜く
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 66(フランス 36 ・ 連合 30)
- 歴史的概要
- 二つの村をめぐって三度も持ち主が変わり、最後にフランス騎兵が柵を乗り越えて突入した。十七世紀で最も血なまぐさい会戦の一つ。
- 主な武将
- フランス: リュクサンブール元帥、ベリック公、突入する騎兵/連合: ウィリアム3世(殿を務めて退く)、ソルムス(戦死)
- 史料
- 双方の報告、サン=シモン
マルサーリアの戦い 実装済み
SP-618 · 1693年 · 撃たずに銃剣で突っ込む
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(フランス 42 ・ サヴォイア・スペイン 42)
- 歴史的概要
- カティナ元帥はマルサーリアでサヴォイア公とスペインの連合軍を攻め、歩兵に撃たせずに銃剣で突撃させて大勝した。
- 主な武将
- フランス: カティナ元帥、ヴァンドーム(※)/連合軍: ヴィットーリオ・アメデーオ2世、シェーンベルク公(2代・討死)
- 史料
- ※
ジャコバイトの蜂起 1689 〜 1746
キリークランキーの戦い
SP-252 · 1689年 · 三分で終わるが、勝った将が死ぬ
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(ジャコバイト 20 ・ 政府軍 24)
- 歴史的概要
- ハイランダーの突撃(ハイランド・チャージ)が三分足らずで政府軍を崩したが、指揮官ダンディー子爵が流れ弾で戦死し、蜂起はそのまま立ち消える。
- 主な武将
- ジャコバイト: ダンディー子爵ジョン・グレアム(戦死)、ハイランドの氏族兵/政府軍: ヒュー・マッケイ、銃剣を装着できない銃兵
- 史料
- バルカレス覚書、政府側の報告
ボイン川の戦い
SP-253 · 1690年 · 二人の王が、同じ川で向かい合う
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 66(ウィリアム 36 ・ ジェームズ 30)
- 歴史的概要
- 廃位された王と新しい王が直接戦った珍しい例。ウィリアムは渡河点を三つに分けて攻め、ジェームズは予備を出さずに退いた。アイルランド史に今も影を落とす。
- 主な武将
- ウィリアム側: ウィリアム3世(肩に砲弾をかすめる)、シェーンベルク元帥(戦死)、オランダ青衛兵/ジェームズ側: ジェームズ2世(逃走)、パトリック・サースフィールド、ラザン
- 史料
- 双方の報告、ストーリー『続戦記』
シェリフミュアの戦い
SP-254 · 1715年 · 両軍とも右翼が勝って、両軍とも勝利を主張する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(ジャコバイト 30 ・ 政府軍 24)
- 歴史的概要
- 両軍の右翼が同時に勝ち、左翼が同時に負けた。どちらも決定打を欠き、数で勝るジャコバイト側が動かなかったことで蜂起が失速する。
- 主な武将
- ジャコバイト: マー伯(優柔不断)、ゴードン/政府軍: アーガイル公、ウィザム
- 史料
- 双方の報告、当時のバラッド
プレストンパンズの戦い
SP-255 · 1745年 · 沼を渡る道を、地元の者が教える
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(ジャコバイト 22 ・ 政府軍 22)
- 歴史的概要
- 沼に守られた政府軍の陣へ、地元の農夫が知っていた細道を通って夜明け前に回り込み、十分足らずで崩した。
- 主な武将
- ジャコバイト: チャールズ・エドワード・ステュアート(ボニー・プリンス・チャーリー)、ジョージ・マレー卿、アンダーソン(道を知る地元の者)/政府軍: ジョン・コープ(逃走)
- 史料
- ジョン・ホーム『1745年の反乱史』、政府側の軍法会議記録
クリフトン・ムーアの戦い
SP-619 · 1745年 · 撤退の後衛が、夜の生垣の間で追撃を止める
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 28(政府軍 16 ・ ジャコバイト 12)
- 歴史的概要
- ダービーから引き返すジャコバイト軍の後衛が、クリフトン・ムーアで追ってきたカンバーランド公の竜騎兵を夜の生垣の間で迎え、追撃を止めた。イングランドの地で戦われた最後の戦いの一つ。
- 主な武将
- ジャコバイト: ジョージ・マリー卿/政府軍: カンバーランド公ウィリアム、ジョン・ボーランド(※)
- 史料
- ※
カロデンの戦い
SP-256 · 1746年 · 沼地で、突撃が届かない
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(政府軍 30 ・ ジャコバイト 24)
- 歴史的概要
- ハイランドの突撃はぬかるみと砲撃で足を止められ、政府軍の列に届く前に崩れた。一時間で終わり、ハイランド社会そのものが解体される。
- 主な武将
- 政府軍: カンバーランド公、ハウリー、三段の歩兵列と砲/ジャコバイト: チャールズ・エドワード・ステュアート(逃亡)、ジョージ・マレー卿、沼に足を取られる氏族兵
- 史料
- カンバーランドの報告、ジャコバイト側の回想
フォルカーク・ミュアの戦い
SP-620 · 1746年 · 嵐の中、丘を先に取ったハイランダーが勝つ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(政府軍 26 ・ ジャコバイト 24)
- 歴史的概要
- ヘンリー・ホーリー将軍の政府軍とジャコバイト軍が、嵐の中フォルカーク・ミュアの丘の上を争った。先に丘を取ったジャコバイトが竜騎兵を至近の一斉射撃で崩し、政府軍は敗走した。ジャコバイトの最後の勝利。
- 主な武将
- ジャコバイト: チャールズ・エドワード・ステュアート、ジョージ・マリー卿/政府軍: ヘンリー・ホーリー
- 史料
- ※
スペイン継承戦争 1702 〜 1712
フリートリンゲンの戦い
SP-621 · 1702年 · ライン渡河の戦いで、元帥の杖を得る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス 28 ・ 帝国軍 26)
- 歴史的概要
- スペイン継承戦争。ヴィラールのフランス軍はライン川を渡り、フリートリンゲンでバーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルムの帝国軍を破った。ヴィラールはこの勝利で元帥になる。
- 主な武将
- フランス: ヴィラール/帝国軍: バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルム
- 史料
- ヴィラール『回想録』
ルッツァーラの戦い
SP-622 · 1702年 · 堤の両側から撃ち合って、夜まで決着しない
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス・スペイン 30 ・ 帝国軍 26)
- 歴史的概要
- ヴァンドームのフランス・スペイン軍とオイゲン公の帝国軍がポー川近くのルッツァーラで、堤の両側から撃ち合った。勝敗はつかず、両軍とも勝ったと主張した。
- 主な武将
- フランス・スペイン: ヴァンドーム公、スペイン王フェリペ5世(臨席)/帝国軍: オイゲン公
- 史料
- ※
ブレンハイムの戦い 実装済み
B-19 · 1704年 · スペイン継承戦争
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 68(同盟軍 34 ・ 仏・バイエルン 34)
- 歴史的概要
- 英・オーストリアの名将二人がタッグを組み、フランス軍の中央を渡河打通した激闘。
シェレンベルクの戦い
SP-623 · 1704年 · 夕方の強襲で、丘の陣を一日で落とす
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(同盟軍 32 ・ バイエルン・フランス 24)
- 歴史的概要
- ドナウ川の渡河点ドナウヴェルトを得るため、マールバラ公は丘の上のシェレンベルクの陣を夕方に強襲した。大損害を出したが、バーデン辺境伯の軍が側面から入って陣は落ちた。ブレンハイムの六週間前。
- 主な武将
- 同盟軍: マールバラ公、バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルム/バイエルン・フランス: アルコ伯(※)
- 史料
- ※
カッサーノの戦い
SP-624 · 1705年 · 運河を渡ってくるオイゲンを、ヴァンドームが受け止める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(帝国軍 28 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- オイゲン公はアッダ川沿いのカッサーノでヴァンドームのフランス軍を攻め、運河を渡って何度も突撃したが撃退された。
- 主な武将
- フランス: ヴァンドーム公、フィリップ・ド・ヴァンドーム(弟)/帝国軍: オイゲン公(負傷)
- 史料
- ※
ラミイの戦い
SP-625 · 1706年 · 内側の短い道を使って、予備を右から左へ動かす
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 84(同盟軍 42 ・ フランス 42)
- 歴史的概要
- マールバラ公はラミイでヴィルロワ元帥のフランス軍を攻めた。右翼の攻撃でフランス軍の予備を引きつけておき、自軍の予備は窪地の陰を通って左へ回し、中央と左翼で突破した。
- 主な武将
- 同盟軍: マールバラ公、アウヴェルケルク(※)/フランス: ヴィルロワ元帥、バイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエル
- 史料
- ※
トリノの戦い
SP-626 · 1706年 · 包囲線を、外から一点で破る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 86(フランス 46 ・ 帝国・サヴォイア 40)
- 歴史的概要
- トリノを囲むフランス軍の包囲線を、オイゲン公とサヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世の救援軍が外から攻めた。包囲線の最も弱い一角を突いて破り、フランス軍はイタリアから退いた。
- 主な武将
- 帝国・サヴォイア: オイゲン公、ヴィットーリオ・アメデーオ2世、アンハルト=デッサウ侯レオポルト/フランス: オルレアン公フィリップ(負傷)、マルサン元帥(討死)
- 史料
- ※
アルマンサの戦い
SP-627 · 1707年 · 英国人がフランス軍を、フランス人が英国軍を率いる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(フランス・スペイン 46 ・ 同盟軍 38)
- 歴史的概要
- ベリック公(イングランド王ジェームズ2世の庶子)のフランス・スペイン軍が、ゴールウェー伯(亡命フランス人ユグノー)の英・葡・蘭連合軍をアルマンサで破った。スペインでの継承戦争の流れを決めた一戦。
- 主な武将
- フランス・スペイン: ベリック公ジェームズ・フィッツジェームズ/同盟軍: ゴールウェー伯アンリ・ド・マシュー、ダス・ミーナス侯(ポルトガル)
- 史料
- ※
アウデナールデの戦い
SP-628 · 1708年 · 到着した部隊から順に投入する遭遇戦
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 86(同盟軍 44 ・ フランス 42)
- 歴史的概要
- マールバラ公とオイゲン公はスヘルデ川を急いで渡り、アウデナールデでヴァンドームとブルゴーニュ公のフランス軍と遭遇した。両軍とも着いた部隊から順に投入し、夕方に同盟軍が包囲しかけて勝った。
- 主な武将
- 同盟軍: マールバラ公、オイゲン公、ハノーファー選帝侯の息子ゲオルク(後の英王ジョージ2世)/フランス: ヴァンドーム公、ブルゴーニュ公ルイ
- 史料
- ※
マルプラケの戦い 実装済み
E-18 · 1709年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 70(同盟軍 36 ・ フランス 34)
- 歴史的概要
- 森林と要塞に立てこもるフランス軍に対し正面突撃。相討ち(EX)が多発する泥沼戦。
- 主な武将
- - 英・オーストリア連合軍: マールバラ公、オイゲン公(負傷)、オラニエ公(重傷) - フランス軍: ヴィラール元帥(重傷)、ブフレール元帥(副将)
ビリャビシオサの戦い
SP-629 · 1710年 · 前日に英軍を捕らえた軍が、翌日に帝国軍と当たる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス・スペイン 30 ・ 帝国軍 26)
- 歴史的概要
- 前日ブリウエガでスタンホープの英軍を降したヴァンドーム公は、救援に来たシュターレンベルクの帝国軍とビリャビシオサで戦った。勝敗ははっきりしなかったが、帝国軍は退き、フェリペ5世のスペイン王位が固まる。
- 主な武将
- フランス・スペイン: ヴァンドーム公、フェリペ5世/帝国軍: グイード・フォン・シュターレンベルク
- 史料
- ※
ドゥナンの戦い
SP-630 · 1712年 · 補給線の陣地を急襲して、救援が間に合わない
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス 30 ・ 同盟軍 24)
- 歴史的概要
- ヴィラール元帥は、スヘルデ川沿いのドゥナンで同盟軍の補給線を守るアルベマール伯の陣地を急襲して落とした。オイゲン公の救援は川の対岸で間に合わなかった。
- 主な武将
- フランス: ヴィラール元帥/同盟軍: アルベマール伯(捕虜)、オイゲン公(対岸)
- 史料
- ヴィラール『回想録』
ポーランド継承戦争 1734
パルマの戦い
SP-631 · クロチェッタ・1734年 · 道の両側の溝に、一日中撃ち合う
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(オーストリア 44 ・ フランス・サルデーニャ 40)
- 歴史的概要
- メルシー伯のオーストリア軍は、パルマ郊外の街道沿いの溝に陣したフランス・サルデーニャ軍(コワニー元帥)を攻めた。一日中の撃ち合いでメルシー伯は討死し、オーストリア軍は退いた。
- 主な武将
- フランス・サルデーニャ: コワニー元帥、ブロイ元帥/オーストリア: メルシー伯クロード・フロリモン(討死)、ヴュルテンベルク公フリードリヒ(※)
- 史料
- ※
グアスタッラの戦い
SP-632 · 1734年 · ポー川を背に、包囲されかけた軍が持ちこたえる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(オーストリア 30 ・ フランス・サルデーニャ 26)
- 歴史的概要
- ケーニヒゼック伯のオーストリア軍は、ポー川を背にしたグアスタッラのフランス・サルデーニャ軍を攻めたが、撃退された。
- 主な武将
- フランス・サルデーニャ: サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ3世、コワニー元帥/オーストリア: ケーニヒゼック伯
- 史料
- ※
ビトントの戦い
SP-633 · 1734年 · ナポリの王位を決める、一日の野戦
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(スペイン 24 ・ オーストリア 20)
- 歴史的概要
- モンテマール伯のスペイン軍が、ビトントでナポリ王国のオーストリア軍を破った。スペイン王子カルロス(後のスペイン王カルロス3世)がナポリ王になる。
- 主な武将
- スペイン: モンテマール伯ホセ・カリージョ/オーストリア: ジョヴァンニ・カラッファ(※)
- 史料
- ※
オーストリア継承戦争 1741 〜 1747
モルヴィッツの戦い
F-1 · 1741年 · 第一次シュレジエン戦争
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(プロイセン 24 ・ オーストリア 24)
- 歴史的概要
- 即位したばかりのフリードリヒ2世の初陣。オーストリア騎兵に右翼を崩され、大王本人は戦場から離脱したが、シュヴェリーンの指揮する歩兵が斉射で押し返して勝った。
- 主な武将
- - プロイセン軍: フリードリヒ2世(初陣・途中離脱)、シュヴェリーン元帥(実質の総指揮)、シューレンブルク将軍(右翼・戦死) - オーストリア軍: ナイペルク元帥、レントゥルス将軍(騎兵突撃)、ロマー将軍(戦死)
ホトゥジッツの戦い
F-2 · 1742年 · 第一次シュレジエン戦争
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(プロイセン 24 ・ オーストリア 24)
- 歴史的概要
- 大王が初めて自力で勝った会戦。池と村を挟んだ乱戦で、砲兵の集中射がオーストリア軍の中央を割った。
- 主な武将
- - プロイセン軍: フリードリヒ2世、アンハルト=デッサウ公レオポルト2世(左翼・村の争奪)、ブッデンブロック将軍 - オーストリア軍: カール公子(総司令官)、ケーヴェンヒュラー将軍、バッチャーニ将軍
カンポサントの戦い
SP-634 · 1743年 · 夜のパナーロ川で、スペイン軍がオーストリア軍に攻めかかる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(スペイン 28 ・ オーストリア・サルデーニャ 26)
- 歴史的概要
- ガヘス伯のスペイン軍はパナーロ川を渡り、カンポサントでトラウン伯のオーストリア・サルデーニャ軍と夕方から夜まで戦った。両軍とも勝ったと主張したが、スペイン軍は退いた。
- 主な武将
- スペイン: ガヘス伯フアン・デ・ガヘス/オーストリア・サルデーニャ: トラウン伯オットー・フェルディナント
- 史料
- ※
デッティンゲンの戦い
SP-635 · 1743年 · 袋に入ったはずの英軍が、包囲側の勇み足で助かる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(同盟軍 26 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- マイン川と山に挟まれた狭い地で、英王ジョージ2世の「実用軍」はノアイユ公のフランス軍に前後を塞がれた。だがフランス軍の前衛(グラモン公)が待てずに陣を出て攻めかかり、逆に破られた。英国王が自ら戦場で兵を指揮した最後の戦い。
- 主な武将
- 同盟軍: ジョージ2世、ステア伯、カンバーランド公ウィリアム(負傷)/フランス: ノアイユ公、グラモン公
- 史料
- ※
ヴェッレトリの戦い
SP-636 · 1744年 · 夜明けの町に入った軍が、王を捕らえ損ねる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(オーストリア 28 ・ ナポリ・スペイン 26)
- 歴史的概要
- ロプコヴィッツ侯のオーストリア軍は、ヴェッレトリに陣したナポリ王カルロとスペイン軍を夜明けに急襲し、町に入り込んだ。王は寝間着のまま逃れたが、オーストリア軍は略奪に散って押し返された。
- 主な武将
- ナポリ・スペイン: ナポリ王カルロ(後のカルロス3世)、ガヘス伯/オーストリア: ロプコヴィッツ侯、ブラウン伯(※)
- 史料
- ※
マドンナ・デッロルモの戦い
SP-637 · 1744年 · 包囲を解きに来た王の軍を、包囲側が外で受ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス・スペイン 30 ・ サルデーニャ 26)
- 歴史的概要
- クーネオを囲むコンティ公のフランス・スペイン軍に、サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ3世が救援に来た。コンティ公は包囲線の外のマドンナ・デッロルモで迎えて破ったが、冬の訪れで包囲は解かれた。
- 主な武将
- フランス・スペイン: コンティ公ルイ・フランソワ、ラ・ミナ侯(※)/サルデーニャ: カルロ・エマヌエーレ3世
- 史料
- ※
ゾールの戦い
F-3 · 1745年 · 第二次シュレジエン戦争
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 46(プロイセン 22 ・ オーストリア 24)
- 歴史的概要
- 宿営中を倍の敵に包囲された状態からの逆転勝利。大王は右翼の丘の砲台を奪うことだけに全力を注いだ。
- 主な武将
- - プロイセン軍: フリードリヒ2世、ブッデンブロック将軍(騎兵)、ナッサウ公(歩兵・丘の攻略) - オーストリア軍: カール公子、ナーダスディ将軍(軽騎兵・プロイセンの輜重を略奪)
ケッセルスドルフの戦い
F-4 · 1745年 · 第二次シュレジエン戦争
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(プロイセン 22 ・ ザクセン・オーストリア 22)
- 歴史的概要
- 大王不在。「老デッサウ人」レオポルト1世が、凍った斜面の上のザクセン軍陣地へ正面から2度突撃し、2度目で抜いた。
- 主な武将
- - プロイセン軍: アンハルト=デッサウ公レオポルト1世(老デッサウ人・総指揮)、レーヴァルト将軍 - ザクセン・オーストリア軍: リュトフスキ伯(総司令官)、グリュンネ将軍(砲兵陣地)
ホーエンフリートベルクの戦い
P-10 · 1745年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(プロイセン 28 ・ オーストリア・ザクセン 28)
- 歴史的概要
- 精鋭騎兵1スタックが、平地に並んだ敵歩兵列の側面ZOCを次々と打ち破る。
- 主な武将
- - プロイセン軍: フリードリヒ2世(大王)、ヨハン・フリードリヒ・フォン・バイロイト辺境伯(竜騎兵突撃指揮) - オーストリア・ザクセン連合軍: カール公子(オーストリア総指揮)、マリア・テレジア(後方)、ルートヴィヒ・アンドレアス・フォン・ケーニクセッグ将軍
フォンテノワの戦い
P-11 · 1745年
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 84(フランス 42 ・ 英・墺・蘭連合 42)
- 歴史的概要
- 高防御力の巨大歩兵縦隊に対し、フランス軍の集中砲撃と側面白兵攻撃。
- 主な武将
- - 仏軍: ルイ15世(国王・戦場で観戦)、モーリス・ド・サックス元帥(総指揮)、リシュリュー公 - 英・蘭連合軍: カンバーランド公爵(総指揮・歩兵縦隊突撃)、リゴニアー将軍(騎兵)
バッシニャーノの戦い
SP-638 · 1745年 · 霧の朝にタナロ川を渡り、油断した陣を突く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス・スペイン 30 ・ サルデーニャ・オーストリア 24)
- 歴史的概要
- マイユボワ元帥とガヘス伯のフランス・スペイン軍は、タナロ川を挟んで対していたサルデーニャ軍を、霧の朝に川を渡って急襲し破った。
- 主な武将
- フランス・スペイン: マイユボワ元帥、ガヘス伯/サルデーニャ: カルロ・エマヌエーレ3世
- 史料
- ※
ピアチェンツァの戦い
SP-264 · 1746年 · 包囲を破ろうとして、自分が囲まれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(オーストリア・サルデーニャ 30 ・ スペイン・フランス 26)
- 歴史的概要
- 包囲を破るために出撃した仏西軍が、予想より多い敵に正面から受け止められて退いた。イタリアにおけるブルボン家の攻勢が止まる。
- 主な武将
- オーストリア連合: リヒテンシュタイン公、ブラウン/仏西: マイユボワ元帥、ガージュ伯
- 史料
- オーストリア側の報告
ロクーの戦い
SP-639 · 1746年 · 村の連なりを、端から一つずつ取る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 90(フランス 48 ・ 同盟軍 42)
- 歴史的概要
- モーリス・ド・サックス元帥は、リエージュ近くのロクーで、村々を結んで陣を張ったロレーヌ公カールの同盟軍を攻めた。左から村を一つずつ落として同盟軍を退かせた。
- 主な武将
- フランス: モーリス・ド・サックス、ローウェンダール伯(※)/同盟軍: ロレーヌ公カール、ヴァルデック侯、ジョン・リゴニア
- 史料
- ※
ラウフェルトの戦い
SP-265 · 1747年 · 村を取り合っているうちに、騎兵が突っ込む
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(フランス 34 ・ 連合 30)
- 歴史的概要
- 村をめぐる激戦の最中、連合軍の騎兵が退却路を確保するために突撃し、退却を成功させた。サックス元帥が勝つが、追撃はできない。
- 主な武将
- フランス: モーリス・ド・サックス元帥、ルイ15世(観戦)/連合: カンバーランド公、ジョン・リゴニア(突撃して捕虜)、オラニエ公
- 史料
- サックス『我が瞑想』、連合側の報告
アシエッタの戦い
SP-640 · 1747年 · 山の上の陣を、坂の下から何度も攻めて全滅する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(フランス 30 ・ サルデーニャ・オーストリア 20)
- 歴史的概要
- ベル=イル騎士のフランス軍は、アシエッタ峠の山上の陣を守るサルデーニャ軍を何度も攻めたが、石垣と柵に阻まれて大敗し、騎士自身も討死した。
- 主な武将
- サルデーニャ: ジョヴァンニ・バッティスタ・カチェラーノ・ディ・ブリケラージオ/フランス: ベル=イル騎士(討死)
- 史料
- ※
七年戦争 1755 〜 1762
モノンガヒラの戦い
SP-641 · 1755年 · 森の中で隊列を組んだ側が、木の陰から撃たれ続ける
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(英軍 22 ・ フランス・先住民 18)
- 歴史的概要
- デュケーヌ砦を目指したブラドック将軍の英軍は、モノンガヒラ川を渡った先の森で、フランス兵と先住民の待ち伏せに遭った。隊列を組んだ英軍は木の陰から撃たれ続けて潰走し、ブラドックは致命傷を負った。若いジョージ・ワシントンが撤退をまとめた。
- 主な武将
- 英軍: エドワード・ブラドック(致命傷)、ジョージ・ワシントン、トマス・ゲイジ/フランス・先住民: リアール・ド・ボージュ(討死)、ジャン=ダニエル・デュマ
- 史料
- ※
ロボジッツの戦い
SP-642 · 1756年 · 霧の中、どちらが勝っているか分からないまま戦う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(プロイセン 28 ・ オーストリア 28)
- 歴史的概要
- 七年戦争の最初の会戦。フリードリヒ2世はロボジッツでブラウン元帥のオーストリア軍と霧の中で戦った。霧が晴れて敵の多さを知った王は一度戦場を離れたが、プロイセン歩兵が丘を取って勝った。
- 主な武将
- プロイセン: フリードリヒ2世、ベーヴェルン公(※)/オーストリア: ブラウン元帥
- 史料
- ※
プラハの戦い
F-5 · 1757年 · 七年戦争
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 86(プロイセン 43 ・ オーストリア 43)
- 歴史的概要
- 沼地の斜面を無理に登った結果、シュヴェリーン元帥が軍旗を掴んで突撃し戦死。勝ったがプラハは落とせなかった。
- 主な武将
- - プロイセン軍: フリードリヒ2世、シュヴェリーン元帥(戦死)、ヴィンターフェルト将軍、ツィーテン将軍 - オーストリア軍: カール公子、ブラウン元帥(重傷・後に死去)、シェリン将軍
コリーンの戦い 実装済み
F-6 · 1757年 · 七年戦争
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 86(プロイセン 40 ・ オーストリア 46)
- 歴史的概要
- 大王の初めての敗北。斜行行軍の途中で我慢しきれずに正面へ向き直り、オーストリア軍の丘の陣へ細切れに突っ込んで崩れた。
- 主な武将
- - プロイセン軍: フリードリヒ2世、ヒュルゼン将軍(先鋒)、マンシュタイン将軍(命令を無視して正面攻撃を始めた)、ツィーテン将軍 - オーストリア軍: ダウン元帥(総司令官)、ナーダスディ将軍、ヴィート将軍(クロアチア軽歩兵)
ロッバッハの戦い
B-17 · 1757年 · 7年戦争
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(プロイセン 22 ・ 仏・帝国連合 28)
- 歴史的概要
- フリードリヒ大王と名将ザイドリッツが、2倍の仏・帝国連合軍を電撃的な機動突撃で粉砕。
ロイテンの戦い 実装済み
B-18 · 1757年 · 7年戦争
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 62(プロイセン 28 ・ オーストリア 34)
- 歴史的概要
- フリードリヒ大王が遮蔽地形を利用し、オーストリア軍右翼へ全軍斜形陣で襲いかかった傑作。
グロース・イェーガースドルフの戦い
SP-643 · 1757年 · 森から出てきた若い将の一隊が、戦いを決める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(ロシア 30 ・ プロイセン 26)
- 歴史的概要
- 東プロイセンへ侵入したアプラクシン元帥のロシア軍を、レーヴァルト元帥のプロイセン軍が攻めた。押されたロシア軍を、森を抜けて出てきたルミャンツェフの予備が救い、プロイセン軍は退いた。
- 主な武将
- ロシア: ステパン・アプラクシン、ピョートル・ルミャンツェフ/プロイセン: ハンス・フォン・レーヴァルト
- 史料
- ※
ハステンベックの戦い
SP-644 · 1757年 · 両軍の指揮官が、同時に自分が負けたと思う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス 30 ・ 監視軍 26)
- 歴史的概要
- デストレ元帥のフランス軍が、カンバーランド公のハノーファー監視軍をハステンベックで攻めた。一時はハノーファー軍が反撃に成功していたが、カンバーランド公は退却を命じ、フランス軍も一時退きかけていた。
- 主な武将
- フランス: デストレ元帥、シュヴェール伯(※)/監視軍: カンバーランド公ウィリアム、ブラウンシュヴァイク公子カール・ヴィルヘルム・フェルディナント(初陣)
- 史料
- ※
ブレスラウの戦い
SP-645 · 1757年 · ロイテンの二週間前、プロイセンの川の陣が抜かれる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 86(オーストリア 48 ・ プロイセン 38)
- 歴史的概要
- ロートリンゲン公カールのオーストリア軍は、ブレスラウの前のローエ川に陣したベーヴェルン公のプロイセン軍を攻めて破った。ブレスラウは降り、二週間後、戻ってきたフリードリヒ2世がロイテンで取り返す。
- 主な武将
- オーストリア: ロートリンゲン公カール、ダウン元帥、ナーダシュディ伯/プロイセン: ベーヴェルン公(捕虜)、ツィーテン(※参陣は要確認)
- 史料
- ※
ホーホキルヒの戦い
F-7 · 1758年 · 七年戦争
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 52(オーストリア 28 ・ プロイセン 24)
- 歴史的概要
- ダウン元帥が夜明け前に霧を突いてプロイセン軍の宿営地を襲い、村と砲台を奪った。大王は軍を立て直して退却に成功。
- 主な武将
- - オーストリア軍: ダウン元帥、ラウドン将軍(迂回縦隊)、ナーダスディ将軍 - プロイセン軍: フリードリヒ2世、ケイス元帥(戦死)、ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン公フランツ(戦死)、レティンク将軍
ゾルンドルフの戦い
P-12 · 1758年
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 80(プロイセン 39 ・ ロシア 41)
- 歴史的概要
- 白兵戦と相討ち(EX)が多発。防御効果のない平地で兵力が激減していく極限消耗戦。
- 主な武将
- - プロイセン軍: フリードリヒ2世(大王)、ザイドリッツ将軍(騎兵突撃)、マンタイフェル将軍 - ロシア軍: ウィリアム・フェルモール将軍(総指揮)、ブラウン将軍(副将)
クレーフェルトの戦い
SP-646 · 1758年 · 正面で引きつけて、二つの迂回で挟む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(フランス 30 ・ 同盟軍 26)
- 歴史的概要
- ブラウンシュヴァイク公フェルディナントの同盟軍は、クレーフェルトのクレルモン伯のフランス軍を、正面の攻撃と二つの迂回で攻めて破った。
- 主な武将
- 同盟軍: ブラウンシュヴァイク公フェルディナント、シュポルケン(※)/フランス: クレルモン伯、ジゾール伯(討死)
- 史料
- ※
ドムシュタットルの戦い
SP-647 · 1758年 · 包囲軍への補給の車列を、山道で叩く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(オーストリア 26 ・ プロイセン 24)
- 歴史的概要
- オルミュッツを囲むフリードリヒ2世への大きな補給の車列を、ラウドンとシスコヴィッツのオーストリア軍がドムシュタットルの山道で襲い、壊滅させた。王はオルミュッツの包囲を諦めて退いた。
- 主な武将
- オーストリア: ギデオン・フォン・ラウドン、シスコヴィッツ(※)/プロイセン: ハンス・ヨアヒム・フォン・ツィーテン
- 史料
- ※
カリヨンの戦い
SP-655 · 1758年 · 丸太の胸壁ひとつに、数で勝る側が正面から何度も
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(英軍 26 ・ フランス 16)
- 歴史的概要
- アバークロンビー将軍の英軍は、カリヨン砦(タイコンデロガ)の前に倒木で築かれた胸壁を、砲を待たずに正面から何度も攻め、大損害を出して退いた。守ったのはモンカルム侯の少数のフランス軍。
- 主な武将
- フランス: モンカルム侯、レヴィ騎士/英軍: ジェームズ・アバークロンビー、ジョージ・オーガスタス・ハウ(前日に討死・外す)
- 史料
- ※
クーネルスドルフの戦い
F-8 · 1759年 · 七年戦争
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 88(プロイセン 41 ・ ロシア・オーストリア 47)
- 歴史的概要
- 大王の最悪の敗北。3つの丘を順に取りに行き、2つまでは取ったが3つ目で潰れた。
- 主な武将
- - プロイセン軍: フリードリヒ2世、フィンク将軍、ヴェーデル将軍、ザイドリッツ将軍(負傷・騎兵突撃が届かない) - 露・墺連合軍: サルトゥイコフ将軍(ロシア軍総指揮)、ラウドン将軍(オーストリア軍)、ルミャンツェフ将軍
ミンデンの戦い
P-13 · 1759年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(英・ハノーファー連合 26 ・ フランス 28)
- 歴史的概要
- 平原を進撃する歩兵スタックが、押し寄せる騎兵のZOC突撃を遠距離・近接火力を叩き込んで粉砕。
- 主な武将
- - 英・ハノーファー連合軍: フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイク(総指揮)、スティュアート将軍(英歩兵6個連隊) - 仏軍: コンティ公(総指揮)、ビロン元帥(後退指揮)
ベルゲンの戦い
SP-266 · 1759年 · 村一つを守り切って、押し返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(フランス 30 ・ ハノーファー連合 26)
- 歴史的概要
- フランス軍は村に籠って三度の攻撃を凌ぎ、そのあと押し返した。連合軍のフランクフルト奪回が失敗する。
- 主な武将
- フランス: ブロイ公、村を守る擲弾兵/連合: フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイク、イギリス・ハノーファー隊
- 史料
- フランス側の報告、連合側の記録
マクセンの戦い
SP-267 · 1759年 · 一万二千が、一発も撃たずに降伏する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(オーストリア 32 ・ プロイセン 20)
- 歴史的概要
- 高地に孤立したフィンク将軍の部隊が四方から囲まれ、翌朝に全軍が降伏した。「フィンケンファング(フィンクの鳥捕り)」と呼ばれ、フリードリヒ2世の最大の屈辱となる。
- 主な武将
- オーストリア: ダウン元帥、ラシー、ブレンターノ/プロイセン: フリードリヒ・アウグスト・フォン・フィンク(降伏・のち投獄)
- 史料
- オーストリア側の報告、プロイセン軍法会議記録
カイの戦い
SP-648 · 1759年 · 命じられたとおり正面から攻めて、ロシア軍に大敗する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(ロシア 30 ・ プロイセン 26)
- 歴史的概要
- 王から「攻撃せよ」と命じられたヴェーデル中将は、カイ(パルツィヒ)で高みに陣したサルトゥイコフのロシア軍を、狭い隘路から正面で攻めて大敗した。
- 主な武将
- ロシア: ピョートル・サルトゥイコフ/プロイセン: カール・ハインリヒ・フォン・ヴェーデル
- 史料
- ※
アブラハム平原の戦い
SP-656 · 1759年 · 崖を登った軍が、平地で一度だけ斉射する
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(英軍 22 ・ フランス 22)
- 歴史的概要
- ウルフ将軍の英軍は夜にセントローレンス川の崖を登り、ケベックの前のアブラハム平原に出た。モンカルム侯のフランス軍が攻めかかり、英軍は引きつけて一斉射撃で崩した。両軍の司令官が致命傷を負った。
- 主な武将
- 英軍: ジェームズ・ウルフ(戦死)、ジョージ・タウンゼンド、ロバート・モンクトン/フランス: モンカルム侯(戦死)
- 史料
- ※
リーグニッツの戦い
F-9 · 1760年 · 七年戦争
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(プロイセン 24 ・ オーストリア 26)
- 歴史的概要
- 3方向から包囲されかけた大王が、夜のうちに宿営を空にして移動し、翌朝ラウドン隊だけを孤立させて叩いた。
- 主な武将
- - プロイセン軍: フリードリヒ2世、ツィーテン将軍(陽動・宿営の焚火)、フーケ将軍 - オーストリア軍: ラウドン将軍(孤立・撃破される)、ダウン元帥(間に合わない)、ランドン隊
トルガウの戦い
F-10 · 1760年 · 七年戦争
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 86(プロイセン 42 ・ オーストリア 44)
- 歴史的概要
- 大王が軍を2つに割り、ツィーテンに正面を、自らは大迂回で背面を担当したが両者の到着がずれ、日没後の混戦で辛うじて丘を取った。
- 主な武将
- - プロイセン軍: フリードリヒ2世(迂回隊・負傷)、ツィーテン将軍(正面隊・最後に丘を抜く)、ヒュルゼン将軍(馬を失い大砲に跨って指揮) - オーストリア軍: ダウン元帥(負傷・離脱)、オドネル将軍(後任)、ラシー将軍(南方・動かず)
ランデスフートの戦い
SP-649 · 1760年 · 山の陣に残された小軍が、囲まれて全滅する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(オーストリア 34 ・ プロイセン 20)
- 歴史的概要
- シレジアの山の出口を守ってランデスフートの陣に残されたフーケ将軍のプロイセン軍を、ラウドンのオーストリア軍が四方から攻めて全滅させた。
- 主な武将
- オーストリア: ギデオン・フォン・ラウドン/プロイセン: ハインリヒ・アウグスト・ド・ラ・モット・フーケ(捕虜)
- 史料
- ※
ヴァールブルクの戦い
SP-650 · 1760年 · 騎兵の大将が、かつらを落として突撃する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(同盟軍 28 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- フェルディナント公の同盟軍は、ヴァールブルクでデュ・ミュイ騎士のフランス軍を攻め、グランビー侯の英騎兵の突撃で破った。グランビーはかつらを落としたまま突撃したと伝わる。
- 主な武将
- 同盟軍: ブラウンシュヴァイク公子カール・ヴィルヘルム・フェルディナント、グランビー侯ジョン・マナーズ/フランス: デュ・ミュイ騎士
- 史料
- ※
クロスター・カンペンの戦い
SP-651 · 1760年 · 「オーヴェルニュよ、敵だ」と叫んで撃たれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(フランス 28 ・ 同盟軍 26)
- 歴史的概要
- カストリー侯のフランス軍がライン下流のクロスター・カンペンで、ブラウンシュヴァイク公子の同盟軍の夜襲を受けた。前哨にいたオーヴェルニュ連隊のダサス大尉が敵に捕まりながら「オーヴェルニュよ、敵だ」と叫んで殺され、フランス軍は夜襲を受け止めて勝った。
- 主な武将
- フランス: カストリー侯、ダサス大尉/同盟軍: ブラウンシュヴァイク公子カール・ヴィルヘルム・フェルディナント
- 史料
- ※
サント・フォワの戦い
SP-657 · 1760年 · 翌春、同じ野でフランス軍が取り返しに来る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(フランス 28 ・ 英軍 24)
- 歴史的概要
- アブラハム平原の翌春、レヴィ騎士のフランス軍がケベックを取り返しに来た。マレー将軍の英軍は城から出て同じ野で迎えたが敗れ、城へ逃げ込んだ。だが英艦隊が先に着き、ケベックは英国のものに残った。
- 主な武将
- フランス: レヴィ騎士/英軍: ジェームズ・マレー
- 史料
- ※
フェリングハウゼンの戦い
SP-652 · 1761年 · 二つの軍を、間の川で分けたまま受ける
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 90(フランス 50 ・ 同盟軍 40)
- 歴史的概要
- ブロイ元帥とスービーズ公の二つのフランス軍が、フェルディナント公の同盟軍をフェリングハウゼンで攻めた。二つのフランス軍は連携せず、同盟軍は一方ずつ受け止めて勝った。
- 主な武将
- 同盟軍: ブラウンシュヴァイク公フェルディナント、グランビー侯/フランス: ブロイ元帥、スービーズ公
- 史料
- ※
ブルケルスドルフの戦い
SP-268 · 1762年 · 同盟が離脱して、戦争が終わる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(プロイセン 30 ・ オーストリア 24)
- 歴史的概要
- ロシアが同盟を離脱した直後の戦いで、プロイセンが陣地を攻め落としてシュレージエンを確保した。七年戦争の実質的な終幕。
- 主な武将
- プロイセン: フリードリヒ2世、ヴィートを含む砲兵/オーストリア: ダウン元帥、オドンネル
- 史料
- プロイセン側の報告
ヴィルヘルムスタールの戦い
SP-653 · 1762年 · 包囲されかけたフランス軍を、後衛が救う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(同盟軍 30 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- フェルディナント公は、ヴィルヘルムスタールのデストレとスービーズのフランス軍を複数の縦隊で包囲しようとした。フランス軍はスタンヴィル伯の後衛が持ちこたえる間に退いた。
- 主な武将
- 同盟軍: ブラウンシュヴァイク公フェルディナント、グランビー侯/フランス: デストレ元帥、スービーズ公、スタンヴィル伯(後衛)
- 史料
- ※
フライベルクの戦い
SP-654 · 1762年 · 王の弟の、最後の会戦の勝利
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(プロイセン 26 ・ 帝国・オーストリア 28)
- 歴史的概要
- フリードリヒ2世の弟ハインリヒ王子は、フライベルクで帝国軍とオーストリア軍を攻めて破った。七年戦争最後の大きな会戦。
- 主な武将
- プロイセン: ハインリヒ王子、フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ/帝国・オーストリア: シュトルベルク公(※)
- 史料
- ※