シナリオ

クレシーの戦い

1346年 · ヨーロッパ 中量

フランス軍 — イングランド軍 · 10ターン · 駒 53

ブリーフィング

Laissez l'enfant gagner ses éperons. 「その子に拍車を勝ち取らせよ」――エドワード3世、プリンスの隊から援軍を求めに来た使者に(フロワサール『年代記』。現代のフランス語に直した形) 斜面は、クレシー村からワディクール村まで2キロ。その上に英軍の三つの隊が、馬を後ろの車陣へ回して、歩いて立っている。 8月26日の午後5時、短い雷雨が上がり、夕日が谷の側から差す。谷(ヴァレ・デ・クレール)の底にジェノヴァの弩兵が並び、その後ろに王弟アランソン伯の騎士たちが追いつく。フランス軍の本隊はまだ道の上にいる。先頭が止まっても後ろは止まらない。T2からT6まで、東の縁と南の縁から騎士の隊が縦隊のまま着く。着いた者から、斜面を登るしかない。 【フランス軍の勝ち方】一度に動かせるのは9駒。斜面の帯(荒地・防御×2)と、下馬した騎士の前に掘られた穴(陣地)の上から、射程2の長弓が撃ち下ろす。狙いはプリンス(Edward Pr. of Wales)。16歳のこの駒はサドンデスで、討ち取ればその場でフランス軍の勝ちになる。風車(30点)・クレシー(20)・ワディクール(20)・車陣(10)のどれかを奪っても点差は縮まる。勝利線は-77。フランス軍から見た点差が-77を上回れば、史実よりよく戦ったことになる。 【イングランド軍の勝ち方】一度に動かせるのは10駒。斜面を降りなければ、弓と段々畑が守ってくれる。問われるのは右翼である。プリンスの隊が押されたとき、風車の予備(Edward III の隊)を出すか。史実の王は出さなかった。 【指揮官】イングランド:エドワード3世(Edward III)/プリンス・オブ・ウェールズ・エドワード(Edward Pr. of Wales。後世「黒太子」と呼ばれる)/ウォリック伯トマス・ボーシャン(Warwick・元帥)/オックスフォード伯ジョン・ド・ヴィア(Oxford)/ゴドフロワ・ダルクール(Harcourt Godfrey)/ジョン・チャンドス(Chandos)/レジナルド・コバム(Cobham)/ノーサンプトン伯ウィリアム・ド・ボーアン(Northampton・大元帥)/アランデル伯リチャード・フィッツアラン(Arundel)/サフォーク伯ロバート・アフォード(Suffolk)/ダラム司教トマス・ハットフィールド(Hatfield)/ロジャー・モーティマー(Mortimer)。駒にしていないがその場にいた者:ウォルター・マニー、バーソロミュー・バーガーシュ。 フランス:フィリップ6世(Philip VI)/アランソン伯シャルル(Alencon)/フランドル伯ルイ・ド・ヌヴェール(Flanders)/ブロワ伯ルイ(Blois)/アルクール伯ジャン4世(Harcourt Count・ゴドフロワの兄)/ボヘミア王ヨハン(Bohemia・盲目)/その子ローマ王カール(Charles)/ロレーヌ公ラウル(Lorraine)/ボーモン卿ジャン・ド・エノー(Hainault)/マヨルカ王ハイメ3世(Majorca)/ブルボン公ピエール(Bourbon)/オーマール伯(Aumale)/サンセール伯(Sancerre)/オセール伯(Auxerre)/ザルム伯(Salm)/ジェノヴァの隊長オットーネ・ドーリア(Doria)とカルロ・グリマルディ(Grimaldi)。王太子ノルマンディー公ジャンは、この日南西のエギヨンにいて間に合わなかった。 【この盤で試せる判断】 ・ジェノヴァ弩兵を前に出すか。弦は雨で濡れ、身を隠す大盾は輜重の中に置いてきた(戦闘力1〜2)。前にいれば、後ろから来る騎士の道も塞ぐ。 ・着いた騎士を谷で待たせ、そろえてから登るか。枠は9しかなく、待てば日が暮れる。 ・(英)右翼が押されたとき、王は予備を出すか。出せば風車が空く。 【結末】突撃は夜半まで、15度とも16度とも続いた。盲目のボヘミア王は、左右の騎士に自分の馬の手綱を結ばせて斜面を登り、翌朝その者たちは馬を結んだまま倒れているのが見つかった。フィリップ6世は二度馬を射られ、ジャン・ド・エノーに手綱を取られて戦場を離れた。夜、ラ・ブロワの城の門を叩き「フランスの不運な王だ」と名乗ったとフロワサールは書く。王弟アランソン伯、フランドル伯、ロレーヌ公、ブロワ伯をはじめ、諸侯と騎士の多くが斜面の下に残り、英軍の損害はわずかだった。エドワードはそのまま北へ進み、翌月からカレーを囲んだ。カレーはこの後二百年あまり、海の向こうの王の町となる。ボヘミア王の羽根飾りと標語「Ich dien」が、このとき若いプリンスに引き継がれたとも伝えられる(伝)。   雨が上がって、谷に弩が並んだ   騎士たちは、着いた順に斜面を登った   盲目の王は、手綱を結んで登った   王は、予備を出さなかった   その子は、拍車を勝ち取った   カレーは二百年、海の向こうの町になった 仏軍の総数(2万〜3万)のうち、夜までに斜面の下へ着いた分だけを盤に載せた。翌朝に着いて壊走した都市の民兵の一部は、T6の到着に畳んだ。戦場の位置は伝統的な説(クレシーの北東の斜面)に従った。英軍の前の「穴」は一部の年代記にしか出ないため、騎士の5升にだけ置いた。 1ヘクス=100m、1ターン=30分、1CS≒250名。T1=8月26日17:00、T7=20:00(日没のころ)、T10=21:30。

地図

周辺図(概略) クレシー アブヴィル ソンム川 ブランシュタック(浅瀬) → カレー → パリ イギリス海峡 英軍の行軍(7月〜8月) ポンティユ伯領
周辺図(概略)
戦場図(概略) クレシー ワディクール 風車(エドワード3世) 輜重の車陣 ヴァレ・デ・クレール マイ川 クレシーの森 第一隊(プリンス) 第二隊(ノーサンプトン) ジェノヴァ弩兵 着いた順に登る → アブヴィル
戦場図(概略)