合戦候補集

オスマン・中東・北アフリカ(近世)

オスマンとサファヴィー・マムルーク 1514 〜 1517

チャルディラーンの戦い

SP-161 · 1514年 · 鎖で繋いだ砲の前に、騎兵が突っ込む

規模
重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 66(オスマン 36 ・ サファヴィー 30)
歴史的概要
オスマンは荷車を鎖で繋いで砲と火縄銃を並べ、サファヴィーの騎兵(キジルバシュ)の突撃を迎えた。イスマーイール1世は負傷して逃れ、以後二度と自ら戦わない。
主な武将
オスマン: セリム1世(冷酷帝)、イェニチェリと砲兵、シナン・パシャ/サファヴィー: イスマーイール1世(負傷)、キジルバシュ騎兵、ドゥルムシュ・ハン(戦死)
史料
オスマン年代記、ハサン・ベグ・ルームルー

マルジュ・ダービクの戦い

SP-162 · 1516年 · 左翼の総督が、戦いの最中に寝返る

規模
中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(オスマン 32 ・ マムルーク 26)
歴史的概要
マムルーク軍のアレッポ総督ハイル・ベグが戦いの最中に旗を伏せて動かず、スルタン・ガウリーは卒中で倒れて死んだ。シリアがオスマンのものになる。
主な武将
オスマン: セリム1世、砲兵、イェニチェリ/マムルーク: カーンスーフ・ガウリー(陣没)、ハイル・ベグ(寝返り)、スィーバーイ(戦死)
史料
イブン・イヤース、オスマン年代記

リダーニーヤの戦い

SP-163 · 1517年 · 砲の向きを変える時間を、与えない

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(オスマン 30 ・ マムルーク 24)
歴史的概要
マムルークはカイロ郊外に砲を据えて待ったが、オスマンは正面を避けて側面へ回り込み、据えた砲は向きを変えられなかった。マムルーク朝が終わる。
主な武将
オスマン: セリム1世、シナン・パシャ(戦死)/マムルーク: トゥーマーン・バーイ(のち処刑)、据え付けの砲列
史料
イブン・イヤース、オスマン年代記

オスマンの中欧進出と神聖同盟 740 〜 1697

アクロイノンの戦い

SP-172 · 740年 · ビザンツが、二十年ぶりに野戦で勝つ

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(ビザンツ 26 ・ ウマイヤ 26)
歴史的概要
レオーン3世と息子コンスタンティノスが、毎年繰り返されていた襲撃軍を初めて野戦で打ち破った。アナトリアの前線が安定する転機。
主な武将
ビザンツ: レオーン3世、コンスタンティノス5世/ウマイヤ朝: アブドゥッラー・アル=バッタール(戦死)、マリク
史料
テオファネス『年代記』

ドラスタル・アビドスの水際

SP-171 · 989年 · 反乱軍が、皇帝の前で崩れる

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(皇帝派 26 ・ 反乱軍 26)
歴史的概要
バルダス・フォカスの反乱軍と皇帝バシレイオス2世が海峡で対峙し、フォカスが突撃の途中で落馬して急死したことで反乱が消えた。ヴァリャーグ親衛隊の初陣。
主な武将
皇帝派: バシレイオス2世、ヴァリャーグ親衛隊(ルーシの傭兵)/反乱軍: バルダス・フォカス(急死)
史料
プセロス『年代記』、スキュリツェス

ニカイア包囲

SP-169 · 1097年 · 落とした城を、皇帝が横から取る

規模
中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(十字軍 32 ・ セルジューク 24)
歴史的概要
十字軍が城を囲んで追い詰めた夜、ビザンツ皇帝の使者が湖側から入城交渉をまとめ、朝には帝国旗が立っていた。十字軍は略奪の機会を失う。
主な武将
十字軍: ゴドフロワ、ボエモン、レーモン/ビザンツ: マヌエル・ブトゥミテス(交渉)、タティキオス/セルジューク: クルチ・アルスラン1世の守備隊
史料
アンナ・コムネナ『アレクシアス』、『フランク人の事績』

アスカロンの戦い

SP-170 · 1099年 · 聖地を取った直後に、迎えに出る

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(十字軍 26 ・ ファーティマ 28)
歴史的概要
エルサレム占領の一月後、迎撃に来たファーティマ軍を夜明けに不意打ちして破った。第一回十字軍の最後の戦い。
主な武将
十字軍: ゴドフロワ・ド・ブイヨン、レーモン、ロベール・ド・ノルマンディー/ファーティマ: アル=アフダル、エジプト軍
史料
『フランク人の事績』、フルケリウス、イブン・アル=カラーニスィー

ロードス島の攻防

SP-164 · 1522年 · 落ちるが、守る側が名誉を残す

規模
重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 62(オスマン 42 ・ 聖ヨハネ騎士団 20)
歴史的概要
十万余の包囲に対し騎士団七百が半年守り、降伏の条件として武器を持ったままの退去を認められた。彼らは後にマルタへ移る。
主な武将
オスマン: スレイマン1世、ムスタファ・パシャ、坑道兵/騎士団: フィリップ・ヴィリエ・ド・リラダン、各国語団(イングランド・スペイン・プロヴァンス)
史料
ヤコブス・フォンタヌス、オスマン年代記

モハーチの戦い

OT-5 · 1526年 · 二時間でハンガリーが消える

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 35(ハンガリー 15 ・ オスマン 20)
歴史的概要
沼地に挟まれた狭い平地で、ハンガリー騎兵はイェニチェリの前に並べられた砲列と、鎖でつないだ砲車に突っ込んだ。2時間で王も大司教も倒れ、ラヨシュ2世は退却中に川で溺れた。
主な武将
ハンガリー軍: ラヨシュ2世(溺死)、トモリ・パール大司教(討死)、サポヤイ・ジェルジ(討死)/オスマン軍: スレイマン1世、イブラヒム・パシャ、砲兵300門

第一次ウィーン包囲

HR-6 · 1529年 · 坑道と、季節

規模
中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 58(オスマン 34 ・ ウィーン守備軍 24)
歴史的概要
スレイマンの大軍は大砲を雨と泥のために置いてこざるを得ず、城壁の下に坑道を掘って火薬を仕掛けた。守兵は掘り返し、崩れた所を土嚢で埋め続ける。十月半ば、雪の気配とともにオスマン軍は引き上げた。
主な武将
守る側: ニクラス・ザルム(70歳・負傷)、ヴィルヘルム・フォン・ロッゲンドルフ、ドイツ・スペインの傭兵歩兵/オスマン軍: スレイマン1世、イブラヒム・パシャ、坑道兵

マルタ包囲戦

SP-165 · 1565年 · 一つの砦が、夏を稼ぐ

規模
重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 64(オスマン 44 ・ 騎士団 20)
歴史的概要
サンテルモ砦はわずか一月余で落ちたが、その一月が本城を救った。九月に救援艦隊が着き、オスマンは退く。
主な武将
オスマン: ムスタファ・パシャ、トゥルグト・レイス(戦死)、ピヤーレ/騎士団: ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレット(70歳)、ラ・セルダ、マルタの住民
史料
フランチェスコ・バルビ・ディ・コレッジョ、騎士団文書

カルガレニの戦い

SP-552 · 1595年 · 沼の中の一本の橋で、ミハイ勇敢公が大宰相の大軍を止める

規模
重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 86(オスマン 50 ・ ワラキア 36)
歴史的概要
オスマン帝国に背いたワラキアのミハイ勇敢公は、大宰相コジャ・シナン・パシャの大軍をネアイロフ川の沼地、カルガレニで迎えた。橋の前で押されたが、ミハイ自身が先頭に立った反撃で、シナン・パシャは沼に落ちたと伝わる。オスマン軍は退いたが、ミハイも兵が足りずに山へ退く。
主な武将
ワラキア: ミハイ勇敢公、ブゼシュティ兄弟(※)、キラーイ・アルベルト(トランシルヴァニアの援兵)/オスマン: コジャ・シナン・パシャ
史料
バルタザール・ヴァルター『ミハイ公の事績』(※)、オスマン年代記

ジュルジュの戦い

SP-553 · 1595年 · ドナウを渡って帰るオスマン軍の後衛を、橋の上で追う

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(キリスト教連合 30 ・ オスマン 24)
歴史的概要
カルガレニのあと、トランシルヴァニア公バートリ・ジグモンドの援軍を得たミハイ勇敢公らはブカレスト・トゥルゴヴィシュテを取り返し、ドナウを渡って退くシナン・パシャの後衛をジュルジュの橋で攻めた。オスマン軍は大損害を出して南岸へ退いた。
主な武将
連合: ミハイ勇敢公、バートリ・ジグモンド、ボチカイ・イシュトヴァーン(※)/オスマン: コジャ・シナン・パシャ
史料
ヴァルター(※)、オスマン年代記

メゾケレステシュの戦い

SP-166 · 1596年 · 勝ったはずの軍が、略奪して負ける

規模
重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 68(オスマン 36 ・ ハプスブルク連合 32)
歴史的概要
キリスト教側が三日目にオスマン陣へ雪崩れ込んだが、兵が略奪を始めて隊列を失い、残ったオスマン兵の反撃で崩れた。
主な武将
オスマン: メフメト3世、チガラザーデ・シナン/連合: マクシミリアン大公、ジグモンド・バートリ
史料
オスマン年代記、ハプスブルク側の報告

シェリンバールの戦い

SP-554 · 1599年 · ワラキア公が山を越えて、トランシルヴァニアを一日で取る

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(ワラキア 30 ・ トランシルヴァニア 26)
歴史的概要
ミハイ勇敢公はトランシルヴァニア公バートリ・アンドラーシュを攻め、ヘルマンシュタット近くのシェリンバールで破った。アンドラーシュは逃亡中に殺され、ミハイはアルバ・ユリアに入城し、翌年モルダヴィアも取って三公国を一時ひとつに束ねる。
主な武将
ワラキア: ミハイ勇敢公、ブゼシュティ兄弟、ババ・ノヴァク(※)/トランシルヴァニア: バートリ・アンドラーシュ
史料
ヴァルター(※)、ハンガリー側の年代記

ミラスラウの戦い

SP-555 · 1600年 · 三公国を束ねた公が、一年で失う

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(皇帝軍・ハンガリー貴族 30 ・ ミハイ 26)
歴史的概要
トランシルヴァニアの貴族は皇帝の将軍ジョルジョ・バスタと結んでミハイ勇敢公に背き、ミラスラウでミハイを破った。ミハイはトランシルヴァニアを失い、翌年グルスラウで再び勝つが、直後にバスタの手の者に殺される。
主な武将
皇帝・貴族方: ジョルジョ・バスタ、チャーキ・イシュトヴァーン(※)/ミハイ方: ミハイ勇敢公
史料
ヴァルター(※)、ハンガリー側の年代記

セントゴットハルトの戦い

SP-167 · 1664年 · 川を半分渡った軍を、叩き返す

規模
中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(連合 30 ・ オスマン 28)
歴史的概要
ラーバ川を渡ったオスマン軍を、モンテクッコリが渡り切る前に反撃して川へ押し戻した。オスマンの中欧進出が止まる。
主な武将
連合: ライモンド・モンテクッコリ、コリニー(フランス派遣隊)、ホーエンローエ/オスマン: キョプリュリュ・アフメト、イェニチェリ
史料
モンテクッコリ『戦争論』、オスマン年代記

第二次ウィーン包囲・カーレンベルクの戦い

OT-6 · 1683年 · 丘から降りてくる翼騎兵

規模
重量 w(45分超)/ 16ターン / 駒 80(神聖同盟 44 ・ オスマン 36)
歴史的概要
2か月の包囲で城壁が崩れかけたところへ、ポーランド王ソビエスキの連合軍が北の山の上に現れた。一日かけて斜面を降り、夕方、史上最大とされる騎兵突撃が塹壕線を貫いてオスマン本陣まで届いた。
主な武将
連合軍: ヤン3世ソビエスキ(ポーランド王・翼騎兵)、ロートリンゲン公カール5世、ザクセン選帝侯、シュターレンベルク(籠城側の守将)/オスマン軍: カラ・ムスタファ・パシャ(総指揮・戦後に処刑)、クリム・ハン国軍(動かず)

ゼンタの戦い

SP-168 · 1697年 · 渡河の最中を、真横から

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 58(帝国 30 ・ オスマン 28)
歴史的概要
オイゲン公はオスマン軍が橋を半分渡ったところへ到着し、そのまま攻撃した。橋の両側で軍が分断され、オスマン側は大宰相を含めて壊滅する。
主な武将
帝国軍: オイゲン・フォン・サヴォイエン、シュタルヘンベルク/オスマン: ムスタファ2世(対岸へ逃れる)、エルマス・メフメト・パシャ(大宰相・戦死)
史料
オイゲン公の報告、オスマン年代記

ポルトガルのモロッコ遠征 1578

アルカセル・キビールの戦い

SP-236 · 三王の戦い・1578年 · 三人の王が、同じ日に死ぬ

規模
重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 66(モロッコ 36 ・ ポルトガル 30)
歴史的概要
ポルトガル王・前スルタン・現スルタンの三人が同じ日に死んだ。ポルトガルは王を失って二年後にスペインに併合される。ヨーロッパ史とアフリカ史の結節点。
主な武将
ポルトガル: セバスティアン1世(戦死・行方不明とも)、ムハンマド・アル=ムタワッキル(前スルタン・溺死)、傭兵隊/モロッコ: アブド・アル=マリク(病で陣没)、アフマド・アル=マンスール(弟・勝って即位)
史料
ジェロニモ・デ・メンドンサ、モロッコ側の年代記