シナリオ

宇都宮城の戦い

1868年 · 日本 中量

旧幕府軍 — 新政府軍 · 12ターン · 駒 45

ブリーフィング

たとひ身は 蝦夷の島辺に 朽ちぬとも 魂は東の 君やまもらむ ――土方歳三の辞世と伝える歌(伝) 取ったあとで、保てるか。 慶応4年4月19日の朝。江戸が開城したあと、旧幕府の歩兵を率いて北へ向かった大鳥圭介の軍は、前軍を先に出した。隊長は伝習隊第一大隊の秋月登之助、参謀は土方歳三。前軍はいま、真岡道を通って宇都宮城の南東に迫り、城下の手前の田川を渡ろうとしている。城を守るのは宇都宮藩兵と、新政府の東山道軍を率いる香川敬三である。 【旧幕府軍の勝ち方】一度に動かせるのは10駒。新政府軍は7駒で、T6に11駒増える。T1〜T5は4月19日。宇都宮城(30点)を攻め取り、T4〜T5に南東の縁から入る大鳥圭介(Otori Keisuke)の本隊と城を固める。T6で時計は4月23日の朝6時へ跳ぶ(20〜22日、安塚の戦いを含む三日は畳んだ)。T6に、壬生から来た新政府の大軍(薩摩・長州・大垣・鳥取)が南と西の縁から入る。城を保ったまま日暮れを迎えれば、史実より良い。新政府が持って始まるのは宇都宮城・二荒山神社(10)・簗瀬(10)・松が峰(10)、旧幕府は真岡道の口(15)を持つ。日光道の口(10)はどちらのものでもない。勝利線は-2。旧幕府から見た点差が-2を上回れば、史実より良くやったことになる。 【新政府軍の勝ち方】19日は城を守りきれなくてよい。田川と城の堀で前軍を削り、23日に大軍で取り返すこと。城は防御が2倍で、取り返すときにはそれが相手のものになる。 【指揮官】旧幕府:大鳥圭介(Otori Keisuke)/前軍の隊長、秋月登之助(Akizuki Tonosuke)/参謀、土方歳三(Hijikata Toshizo)/伝習隊の第一・第二大隊/桑名藩兵を率いた立見鑑三郎(のちの立見尚文・Kuwana Tatsumi)/新選組の一部/歩兵第七連隊ほかの旧幕府歩兵。 新政府:東山道軍の大軍監、香川敬三(Kagawa Keizo)/宇都宮藩兵/23日に攻め返した薩摩の参謀、伊地知正治(Ijichi Masaharu)と、薩摩・長州・大垣・鳥取の藩兵。 【この盤で試せる判断】 ・(旧幕府)19日のうちに、田川のどこを渡って城へ入るか。城下に入れば、23日の守りの形もそこで決まる。 ・(旧幕府)23日、城に籠るか、城の外で南西の壬生道を押さえるか。 ・(新政府)19日に城を早く捨てて兵を残すか、最後まで粘るか。 【結末】19日、前軍は城下に火を放って宇都宮城を攻め取り、守っていた兵は城を捨てて退いた。退く味方の兵を、土方が自ら斬って止めたとも伝えられる(伝)。遅れて大鳥の本隊が入った。だが22日に壬生へ向かった攻めは安塚で止まり、23日、新政府軍の大軍が南西から攻め返した。土方はこの日、足を撃たれた。旧幕府軍は城を捨てて日光へ、さらに会津へと退いた。土方は会津で傷を癒やしたあと、北へ北へと戦い続け、翌年5月、箱館で撃たれて死んだ。   開城した江戸から、歩兵は北へ歩いた   四月十九日、城下に火が入った   四月二十三日、壬生から大軍が来た   足を撃たれた参謀は、日光の山へ担がれた   身は蝦夷の島辺に朽ちても   城は四日しか、その手になかった 20〜22日の三日(安塚の戦いを含む)は、時計を跳ばして畳んだ。両軍とも藩・隊の単位でまとめ、隊ごとの細かい人数は史料によって違う。錦の御旗と日の丸は駒に載せていない。 1ヘクス=300m、1ターン=2時間、1CS≒100名。T1=4月19日6時、T5=14時(19日の終わり)、T6=4月23日6時(攻め返し)、T12=18時。

地図

周辺図(概略) 宇都宮 江戸(開城) 日光 壬生(新政府軍が集まる) 小山(旧幕府軍の勝ち) → 会津 鬼怒川 大鳥圭介の軍(江戸から北へ)
周辺図(概略)
戦場図(概略) 宇都宮城 4月19日 前軍が攻め取る 4月23日 新政府軍が取り返す 田川 日光へ退く
戦場図(概略)