日本(幕末・維新)(近代)
- 攘夷と砲撃 3
- 天狗党の乱 3
- 元治の内乱と第二次長州征討 6
- 戊辰戦争 36
攘夷と砲撃 1863 〜 1864
薩英戦争
SP-386 · 1863年 · 台場と軍艦が、暴風雨の中で撃ち合う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 44(薩摩 26 ・ 英艦隊 18)
- 歴史的概要
- 生麦事件の賠償交渉が決裂し、暴風雨の中で鹿児島湾の台場と英艦隊が撃ち合った。市街は焼けたが英側も旗艦の艦長・副長を失い、以後、薩摩は英国と接近する。
- 主な武将
- 薩摩: 島津久光、大山巌(砲隊)、西郷従道、天保山・祇園之洲の台場/英艦隊: キューパー提督、旗艦ユーライアラス(艦長・副長戦死)
- 史料
- 『薩藩海軍史』、英海軍の報告、『鹿児島県史料』
天誅組の変
SP-388 · 1863年 · 挙兵した翌日に、後ろ盾が消える
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 42(諸藩 26 ・ 天誅組 16)
- 歴史的概要
- 大和で挙兵した天誅組は、その翌日に京都で政変が起きて後ろ盾(尊攘派公卿)を失い、名分のないまま追討された。十津川の山中を転戦して壊滅する。
- 主な武将
- 天誅組: 吉村寅太郎(戦死)、中山忠光(主将)、藤本鉄石(戦死)、松本奎堂(戦死)/諸藩: 紀州藩兵、彦根藩兵、津藩兵
- 史料
- 『天誅組始末』、『五條市史』
下関戦争・四国艦隊の上陸
SP-387 · 1864年 · 砲台を取られて、陸戦隊に持ち去られる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 48(四国連合 26 ・ 長州 22)
- 歴史的概要
- 英仏蘭米の十七隻が前田・壇ノ浦の砲台を沈黙させ、陸戦隊が上陸して砲を運び去った。奇兵隊が反撃したが及ばず、長州は攘夷を捨てて倒幕へ向かう。
- 主な武将
- 長州: 高杉晋作(講和交渉に出る)、奇兵隊、前田・壇ノ浦の砲台/連合: キューパー提督、上陸する陸戦隊
- 史料
- 『防長回天史』、各国海軍の報告、ベアトの写真
天狗党の乱 1864
那珂湊の戦い
SP-389 · 1864年 · 同じ藩の者同士が、港町で三か月撃ち合う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 54(幕府・諸生党 32 ・ 天狗党 22)
- 歴史的概要
- 水戸藩の尊攘派(天狗党)と門閥派(諸生党)が、幕府軍を巻き込んで港町で三か月撃ち合った。同じ藩の者同士が最も激しく戦った内戦。
- 主な武将
- 天狗党: 武田耕雲斎、田丸稲之衛門、藤田小四郎/諸生党・幕府: 市川三左衛門、田沼意尊、幕府追討軍
- 史料
- 『水戸藩史料』、『常陸国那珂湊戦記』
下仁田の戦い
SP-390 · 1864年 · 夜明けの霧の中を、上州路で斬り合う
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(天狗党 22 ・ 高崎藩 18)
- 歴史的概要
- 京を目指して西上する天狗党を、高崎藩兵が宿場町で迎え撃った。霧の中の白兵戦で高崎藩は多数の死者を出し、天狗党は峠へ抜ける。
- 主な武将
- 天狗党: 武田耕雲斎、田丸稲之衛門/高崎藩: 小幡助左衛門(戦死)、高崎藩兵
- 史料
- 『高崎市史』、『天狗党西上記』
和田峠の戦い
SP-391 · 1864年 · 峠の上で、大砲二門が勝敗を決める
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(天狗党 24 ・ 松本・諏訪藩 20)
- 歴史的概要
- 中山道の和田峠で、松本・諏訪の連合が峠を塞いだ。天狗党は二門の大砲を峠へ引き上げて撃ち下ろし、道を開けた。
- 主な武将
- 天狗党: 武田耕雲斎、藤田小四郎、峠へ引き上げた大砲/諸藩: 松本藩兵、諏訪藩兵
- 史料
- 『天狗党西上記』、『信濃史料』
元治の内乱と第二次長州征討 1864 〜 1866
禁門の変
SP-144 · 1864年 · 京都の市街で、三つの門を同時に攻める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(長州 24 ・ 会津・薩摩・幕府 32)
- 歴史的概要
- 長州藩兵が三方から御所の門へ攻め寄せ、蛤御門で会津・桑名と戦い、駆けつけた薩摩の銃撃で崩れた。市街に火が放たれ、京の大半が焼ける。
- 主な武将
- 長州方: 来島又兵衛(討死)、久坂玄瑞(自刃)、真木保臣、国司信濃/幕府方: 松平容保(会津)、西郷吉之助(薩摩・遅れて到着)、桑名藩兵
- 史料
- 『維新史』、『会津藩庁記録』、『防長回天史』
大田・絵堂の戦い
SP-392 · 1865年 · 八十人の挙兵が、藩論をひっくり返す
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(諸隊 20 ・ 俗論党 24)
- 歴史的概要
- 功山寺で八十人と挙兵した高杉晋作に諸隊が合流し、藩の正規軍(俗論党)を大田・絵堂で破った。この一戦で長州は倒幕へ舵を切る。
- 主な武将
- 諸隊: 高杉晋作、山県有朋(奇兵隊)、伊藤博文(力士隊)、大村益次郎(のち指揮)/俗論党: 椋梨藤太、藩の正規軍
- 史料
- 『防長回天史』、『奇兵隊日記』
大島口の戦い
SP-393 · 1866年 · 島を取られて、軍艦で取り返す
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(長州 20 ・ 幕府 24)
- 歴史的概要
- 第二次長州征討の口火。幕府軍が周防大島を占領したが、高杉晋作が丙寅丸で夜襲をかけて艦隊を混乱させ、上陸した諸隊が島を取り返した。
- 主な武将
- 長州: 高杉晋作(丙寅丸で夜襲)、第二奇兵隊/幕府: 松山藩兵、幕府艦隊
- 史料
- 『防長回天史』、『幕末軍艦咸臨丸』ほか海軍史料
芸州口の戦い
SP-394 · 1866年 · 藩境の川で、新式銃と旧式装備が正面から向き合う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(幕府 34 ・ 長州 22)
- 歴史的概要
- 四つの口で最大の兵力がぶつかった戦線。彦根・高田の藩兵は旧式の装備で、ミニエー銃を持つ長州の諸隊に押された。幕府方の紀州藩兵だけは善戦する。
- 主な武将
- 長州: 大島義昌、遊撃隊、御楯隊/幕府: 彦根藩兵(旧装備)、高田藩兵、紀州藩兵(善戦)
- 史料
- 『防長回天史』、『芸藩志』
小倉口の戦い
SP-395 · 1866年 · 総督が陣を去り、城が自ら焼かれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(幕府・小倉 30 ・ 長州 24)
- 歴史的概要
- 高杉晋作・山県有朋が海を渡って攻め、将軍家茂の死で幕府軍総督(小笠原長行)が戦線を離脱した。取り残された小倉藩は自ら城を焼いて退く。
- 主な武将
- 長州: 高杉晋作(病を押して指揮)、山県有朋、奇兵隊・報国隊/幕府・小倉: 小笠原長行(離脱)、島村志津摩(最後まで戦う)、熊本藩兵(撤退)
- 史料
- 『防長回天史』、『小倉藩史料』
石州口の戦い
SP-145 · 1866年 · 長州が、幕府軍を押し返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 52(長州 22 ・ 幕府 30)
- 歴史的概要
- 第二次長州征討の四つの口の一つ。大村益次郎が指揮する長州軍が、数で勝る幕府軍を浜田まで押し返した。浜田城は自ら焼かれ、幕府の権威が実質的に終わる。
- 主な武将
- 長州方: 大村益次郎、清末・長府の諸隊、ミニエー銃の銃隊/幕府方: 松平武聰(浜田藩主・逃走)、紀州藩兵、福山藩兵
- 史料
- 『防長回天史』、『浜田藩史』、『大村益次郎伝』
戊辰戦争 1868 〜 1869
鳥羽・伏見の戦い 実装済み
BS-1 · 1868年 · 旗一本で敵味方が入れ替わる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 45(新政府軍 20 ・ 旧幕府軍 25)
- 歴史的概要
- 京へ向かう旧幕府軍は街道の狭い所で縦に伸びたまま撃たれた。二日目に錦の御旗が立ち、日和見をしていた淀藩と津藩が門を閉ざし、あるいは砲を旧幕府軍へ向けた。
- 主な武将
- 新政府軍: 西郷隆盛、大久保利通、薩摩・長州の砲兵、伊地知正治/旧幕府軍: 竹中重固、佐久間信久(討死)、新選組(土方歳三)、会津・桑名勢/日和見: 淀藩・津藩(寝返り)
北越戦争・長岡城奪還
BS-2 · 1868年 · 沼を渡って城を取り返す
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(長岡・同盟軍 36 ・ 新政府軍 48)
- 歴史的概要
- 一度落ちた長岡城を、河井継之助は「渡れない」とされていた八丁沖の湿地を夜のうちに渡って、背後から取り返した。数日後に再び失い、河井は傷がもとで死ぬ。
- 主な武将
- 長岡藩: 河井継之助(負傷・のち死去)、山本帯刀、三間市之進/同盟諸藩: 会津・米沢・桑名の応援/新政府軍: 山県有朋、時山直八(討死)、黒田清隆
白河口の戦い
BS-3 · 1868年 · 城のある丘を、七百で取る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 30(新政府軍 13 ・ 奥羽越列藩同盟 17)
- 歴史的概要
- 奥羽越列藩同盟の兵2500が守る白河小峰城を、新政府軍700が三方から同時に登って半日で奪った。以後、同盟軍は百日にわたって奪還を試み、すべて失敗する。
- 主な武将
- 新政府軍: 伊地知正治(三方からの同時攻撃)、板垣退助/同盟軍: 西郷頼母(会津・総督)、横山主税(討死)、仙台・棚倉の諸隊
母成峠の戦い
BS-4 · 1868年 · 一日で防衛線が抜ける
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 30(新政府軍 17 ・ 会津・旧幕府軍 13)
- 歴史的概要
- 会津は防衛の主力を別の峠に置いており、母成峠は手薄だった。新政府軍は最も薄い所を選んで一日で抜き、そのまま城下へなだれ込む。
- 主な武将
- 新政府軍: 板垣退助、伊地知正治、大鳥圭介の陣を抜く諸隊/旧幕府・会津軍: 大鳥圭介、土方歳三(別方面)、二本松の少年隊の残り
会津戊辰・若松城籠城
BS-5 · 1868年 · 一か月
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 45(会津(守) 20 ・ 新政府軍 25)
- 歴史的概要
- 城下に火が入り、婦女子を含む多くが自刃する中で、若松城は一か月持ちこたえた。城外では山川大蔵の隊が彼岸獅子を先頭に立てて堂々と城へ入り、士気を支えたと伝わる。
- 主な武将
- 会津藩: 松平容保、山川大蔵(彼岸獅子で入城)、佐川官兵衛(城外遊撃)、白虎隊、中野竹子(娘子隊・討死)/新政府軍: 板垣退助、伊地知正治、アームストロング砲
※甲州勝沼の戦い
SP-396 · 1868年 · 二時間で、新選組が甲州街道から消える
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(新政府 24 ・ 甲陽鎮撫隊 16)
- 歴史的概要
- 近藤勇が率いる甲陽鎮撫隊が甲府城を目指したが、一日遅れて板垣退助の軍に先に入られ、勝沼の街道で二時間で崩された。
- 主な武将
- 甲陽鎮撫隊: 近藤勇(大久保剛と名乗る)、土方歳三(援軍要請に出る)/新政府: 板垣退助、因幡・土佐の兵
- 史料
- 『甲陽鎮撫隊始末』、『復古記』
※宇都宮城の戦い 実装済み
SP-397 · 1868年 · 城を取って、二日で取り返される
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 52(旧幕府 26 ・ 新政府 26)
- 歴史的概要
- 大鳥圭介・土方歳三の軍が宇都宮城を落としたが、二日後に反撃を受けて奪い返された。土方はこの戦いで足を負傷する。
- 主な武将
- 旧幕府: 大鳥圭介、土方歳三(負傷)、秋月登之助/新政府: 香川敬三、薩摩・長州・大垣の兵
- 史料
- 『大鳥圭介日記』、『復古記』、『宇都宮市史』
※上野戦争
SP-398 · 1868年 · 半日で、江戸の内戦が終わる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(新政府 30 ・ 彰義隊 22)
- 歴史的概要
- 上野の山に籠る彰義隊を、大村益次郎が三方から囲み、一方(根岸)だけをわざと空けて攻めた。本郷台からのアームストロング砲が寛永寺へ届き、半日で終わる。
- 主な武将
- 新政府: 大村益次郎、西郷隆盛(黒門口)、アームストロング砲(佐賀藩)/彰義隊: 天野八郎、渋沢成一郎(離脱)、覚王院義観
- 史料
- 『大村益次郎伝』、『彰義隊戦史』、『復古記』
※朝日山の戦い
SP-399 · 1868年 · 霧の尾根を、両軍が同時に登る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 52(同盟軍 26 ・ 新政府 26)
- 歴史的概要
- 北越戦争の山場の一つ。霧の中で両軍が同じ尾根を登り、長州の奇兵隊参謀・時山直八が戦死した。長岡城攻防の前哨。
- 主な武将
- 同盟軍: 河井継之助、会津・桑名の兵、ガトリング砲/新政府: 山県有朋、時山直八(戦死)、奇兵隊
- 史料
- 『北越戦争史』、『長岡市史』
※二本松の戦い
SP-400 · 1868年 · 十二歳から出陣する
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(新政府 32 ・ 二本松 18)
- 歴史的概要
- 主力を白河口へ送っていた二本松藩は、少年隊(十二〜十七歳)を含む手薄な兵で城を守り、一日で落ちた。藩主は仙台へ逃れる。
- 主な武将
- 二本松: 丹羽一学、木村銃太郎(少年隊・戦死)、二本松少年隊/新政府: 板垣退助、伊地知正治、薩長土の兵
- 史料
- 『二本松市史』、『戊辰戦争史料』
※磐城平の戦い
SP-401 · 1868年 · 海から撃たれて、城を焼いて退く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(新政府 30 ・ 同盟軍 20)
- 歴史的概要
- 新政府軍が海岸から上陸し、軍艦の砲撃を受けながら平城を攻めた。城は自ら焼かれ、奥羽越列藩同盟の南の戦線が崩れる。
- 主な武将
- 新政府: 木梨精一郎、薩長の兵、海上の軍艦/同盟軍: 安藤信勇、仙台藩兵、相馬藩兵(のち離脱)
- 史料
- 『いわき市史』、『復古記』
※角館の戦い
SP-402 · 1868年 · 同盟を抜けた藩が、四方から攻められる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 52(同盟軍 30 ・ 久保田藩 22)
- 歴史的概要
- 奥羽越列藩同盟を離脱して新政府についた久保田(秋田)藩が、三方から同盟軍に攻め込まれた。角館で持ちこたえ、冬の前に同盟側が崩れる。
- 主な武将
- 久保田藩: 佐竹義堯、戸村十太夫(角館を守る)、援軍の佐賀藩兵/同盟軍: 庄内藩兵、仙台藩兵、酒井了恒(鬼玄蕃)
- 史料
- 『秋田県史』、『戊辰戦争史料』
※松前城の戦い
SP-403 · 1868年 · 海を向いた城を、陸から攻める
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(旧幕府 26 ・ 松前藩 18)
- 歴史的概要
- 砲台を海に向けて築いた松前城を、土方歳三の隊が陸側から攻めて数時間で落とした。備えの向きが逆だったことがそのまま勝敗になる。
- 主な武将
- 旧幕府: 土方歳三、伊庭八郎、彰義隊の残り/松前藩: 松前徳広(病身で逃れる)、海を向いた砲台
- 史料
- 『函館市史』、『松前町史』、『戊辰戦争史料』
淀千両松の戦い
SP-535 · 1868年1月 · 鳥羽伏見の三日目、堤の上で旧幕府軍が踏みとどまる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(新政府軍 26 ・ 旧幕府軍 26)
- 歴史的概要
- 鳥羽・伏見で押し返された旧幕府軍は淀へ退き、千両松の淀川の堤で新政府軍を迎えた。会津藩兵・新選組が白兵で支えたが、淀藩が城門を閉ざして入城を拒み、旧幕府軍は橋本へ退く。
- 主な武将
- 旧幕府方: 土方歳三、井上源三郎(討死)、佐川官兵衛(※)/新政府方: ※薩摩・長州の諸隊(指揮官の名は要確認)
- 史料
- 『復古記』、『会津戊辰戦史』(※)
橋本の戦い
SP-536 · 1868年1月 · 対岸の味方の砲台が、こちらへ撃ってくる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(新政府軍 26 ・ 旧幕府軍 24)
- 歴史的概要
- 淀から退いた旧幕府軍は男山・橋本に陣して最後の線を張ったが、淀川対岸の山崎の砲台を守っていた津藩(藤堂家)が新政府方に転じ、橋本の陣を横から砲撃した。旧幕府軍は崩れて大坂へ退き、慶喜は海路で江戸へ去る。
- 主な武将
- 旧幕府方: 土方歳三、永倉新八(※)、会津・見廻組の諸隊/新政府方: 薩長の諸隊、津藩兵
- 史料
- 『復古記』(※藤堂家側の記録は要確認)
梁田戦争
SP-457 · 1868年3月 · 宿場で寝ていた脱走兵を、夜明けに
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 36(新政府 20 ・ 衝鋒隊 16)
- 歴史的概要
- 江戸を脱した古屋佐久左衛門の衝鋒隊が下野の梁田宿に泊まっていたところを、東山道軍の薩摩・長州・大垣の兵が夜明けに急襲し、渡良瀬川へ追い落とした。戊辰戦争の関東での最初の本格的な戦い。
- 主な武将
- 新政府: 薩摩・長州・大垣の各隊(※隊長名は『復古記』で名簿を作る)/衝鋒隊: 古屋佐久左衛門、今井信郎
- 史料
- 『復古記』、各藩の戦記
小山の戦い
SP-458 · 1868年4月 · 旧幕府の歩兵が、洋式で勝つ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 40(旧幕府 20 ・ 新政府 20)
- 歴史的概要
- 江戸開城の後、大鳥圭介の率いる伝習隊などの旧幕府軍が北へ向かい、下野の小山で新政府軍の小部隊を相次いで破った。宇都宮城攻め(本書 SP-397)の直前。
- 主な武将
- 旧幕府: 大鳥圭介、伝習隊、会津の援兵/新政府: 彦根・笠間・結城などの隊(※名簿は要確認)
- 史料
- 大鳥圭介『南柯紀行』
安塚の戦い
SP-459 · 1868年4月 · 雨の夜、壬生の城を目指す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 38(旧幕府 18 ・ 新政府 20)
- 歴史的概要
- 宇都宮城を取った旧幕府軍の一部が、新政府軍の拠る壬生城へ向かい、途中の安塚で雨の夜に激戦となって退いた。この後、宇都宮城は新政府に取り返される。
- 主な武将
- 旧幕府: 大川正次郎、伝習隊/新政府: 土佐・因州・壬生の隊(※名簿は要確認)
- 史料
- 『南柯紀行』、『復古記』
清川口の戦い
SP-464 · 1868年4月 · 雪解けの最上川で、庄内が初めて勝つ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 38(庄内 18 ・ 新政府 20)
- 歴史的概要
- 奥羽鎮撫総督府の兵と薩長の兵が最上川を下って庄内へ入ろうとし、清川で庄内藩兵に撃退された。東北での戊辰戦争の最初の戦い。庄内藩はこの後、秋田へ攻め込んで最後まで負けなかった。
- 主な武将
- 庄内: 松平甚三郎、酒井玄蕃(※この戦いへの参加は要確認)/新政府: 大山格之助(薩摩)
- 史料
- 『復古記』、庄内藩の記録
今市の戦い
SP-460 · 1868年閏4月・5月 · 日光の手前で、二度押し返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 42(新政府 20 ・ 旧幕府・会津 22)
- 歴史的概要
- 板垣退助の土佐兵が守る今市を、大鳥圭介の旧幕府軍と会津兵が二度攻めて、二度とも退けられた。これで日光口の戦線が固まる。
- 主な武将
- 新政府: 板垣退助、谷干城/旧幕府・会津: 大鳥圭介、山川大蔵(会津)
- 史料
- 『南柯紀行』、土佐藩の戦記
市川・船橋戦争
SP-461 · 1868年閏4月 · 江戸の東で、撒兵隊が挟まれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 40(新政府 22 ・ 撒兵隊 18)
- 歴史的概要
- 江戸開城に従わなかった旧幕府の撒兵隊が房総へ出て船橋に集まり、新政府軍(岡山・福岡・佐土原・津など)が市川・八幡から攻めた。船橋の町は焼け、撒兵隊は四散した。
- 主な武将
- 新政府: 岡山・福岡・佐土原・津の各隊(※名簿は要確認)/撒兵隊: 江原鋳三郎(江原素六)
- 史料
- 『復古記』、船橋の記録
三国峠の戦い
SP-537 · 1868年閏4月 · 越後への入口の峠を、会津兵が一日だけ守る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 34(新政府軍 20 ・ 会津 14)
- 歴史的概要
- 北越戦線の緒戦。上野から越後へ入ろうとする新政府軍を、会津藩の町野源之助らが三国峠の陣地で迎えたが、一日で抜かれた。
- 主な武将
- 会津方: 町野源之助/新政府方: ※上州諸藩と長州・薩摩の諸隊
- 史料
- 『会津戊辰戦史』(※)
箱根戦争・山崎の戦い
SP-462 · 1868年5月 · 味方が寝返った峠で、片腕を失う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 36(新政府・小田原 20 ・ 遊撃隊 16)
- 歴史的概要
- 旧幕府の遊撃隊(伊庭八郎・人見勝太郎)は小田原藩と組んで箱根の関所を押さえたが、小田原藩が新政府へ寝返り、湯本の山崎で戦いとなった。伊庭八郎はここで左腕を失う。
- 主な武将
- 遊撃隊: 伊庭八郎、人見勝太郎/新政府・小田原: 小田原藩兵、鳥取藩兵など
- 史料
- 『復古記』、人見勝太郎の手記
飯能戦争
SP-463 · 1868年5月 · 上野の翌週、寺に籠った振武軍
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 7ターン / 駒 34(新政府 20 ・ 振武軍 14)
- 歴史的概要
- 彰義隊から分かれた渋沢成一郎の振武軍が武蔵の飯能に拠り、上野戦争の直後、新政府軍の四方からの攻撃で半日で崩れた。
- 主な武将
- 振武軍: 渋沢成一郎、渋沢平九郎(自刃)/新政府: 大村・佐賀・筑前などの隊(※名簿は要確認)
- 史料
- 『復古記』、飯能の記録
榎峠の戦い
SP-538 · 1868年5月 · 長岡藩が中立を捨てて、信濃川沿いの峠を取り返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(同盟軍 26 ・ 新政府軍 24)
- 歴史的概要
- 小千谷談判が決裂し、河井継之助の長岡藩は奥羽越列藩同盟に加わった。長岡・会津・桑名の兵は信濃川沿いの榎峠を新政府軍から奪い返し、朝日山(SP-399)の攻防へ続く。
- 主な武将
- 同盟方: 河井継之助、立見鑑三郎(桑名)/新政府方: ※長州・薩摩の諸隊(指揮官の名は要確認)
- 史料
- 『北越戊辰戦争史』(※)
長岡城の陥落
SP-539 · 1868年5月 · 増水した信濃川を下流で渡り、城の背後へ出る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(新政府軍 28 ・ 長岡 22)
- 歴史的概要
- 新政府軍は朝日山で行き詰まると、増水した信濃川を下流で渡って長岡城の背後を突いた。主力を前線へ出していた長岡藩は城を守り切れず、城は一日で落ちた。
- 主な武将
- 新政府方: ※長州・薩摩の諸隊/長岡方: 河井継之助(※城へ戻る途中)
- 史料
- 『北越戊辰戦争史』(※)
今町の戦い
SP-540 · 1868年6月 · 城を失った長岡藩が、まず周りの町を取り返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(同盟軍 28 ・ 新政府軍 26)
- 歴史的概要
- 長岡城を失った同盟軍は、河井継之助の指揮で長岡の北の今町を攻め、新政府軍を破った。これが八丁沖を渡る長岡城奪還(BS-2)の足がかりになる。
- 主な武将
- 同盟方: 河井継之助、山本帯刀(※)、会津・米沢の援兵/新政府方: ※長州・薩摩・高田藩の諸隊
- 史料
- 『北越戊辰戦争史』(※)
新潟の戦い
SP-465 · 1868年7月 · 海から、背後の港に上がる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 42(新政府 22 ・ 同盟 20)
- 歴史的概要
- 長岡の戦線が膠着するなか、新政府軍は海から太夫浜に上陸して新潟港を取った。奥羽越列藩同盟の武器の補給路が断たれ、長岡の戦線も崩れる。
- 主な武将
- 新政府: 薩摩・長州・芸州の上陸部隊(※名簿は要確認)/同盟: 米沢藩兵(色部長門=戦死)
- 史料
- 『復古記』、米沢藩の記録
戸ノ口原の戦い
SP-466 · 1868年8月 · 峠を抜かれた翌日、若い隊が出る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 7ターン / 駒 34(新政府 20 ・ 会津 14)
- 歴史的概要
- 母成峠(本編 BS-4)を抜かれた翌日、会津藩は十六橋を落とせず、戸ノ口原で新政府軍を迎え撃ったが崩れた。敗れた白虎隊士中二番隊の一部は飯盛山で自刃する。
- 主な武将
- 会津: 佐藤駒之進、白虎隊士中二番隊(日向内記)、敢死隊/新政府: 板垣退助、伊地知正治
- 史料
- 『会津戊辰戦史』、『復古記』
駒ヶ嶺・旗巻峠の戦い
SP-467 · 1868年8〜9月 · 仙台の南の境で、最後に押し合う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 42(新政府 22 ・ 仙台 20)
- 歴史的概要
- 相馬中村藩が新政府へ降ると、新政府軍は仙台藩の南の境へ迫り、駒ヶ嶺と旗巻峠で仙台藩兵と戦った。仙台藩はこの後まもなく降伏する。
- 主な武将
- 仙台: 仙台藩の各隊(※名簿は要確認)/新政府: 長州・因州・相馬の兵
- 史料
- 『復古記』、仙台藩の記録
きみまち坂の戦い
SP-468 · 1868年8月 · 盛岡藩が、秋田へ攻め込む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 38(盛岡 18 ・ 秋田・新政府 20)
- 歴史的概要
- 同盟を離れた秋田藩に対し、盛岡藩は楢山佐渡の指揮で大館城を落とし、さらに南へ進んだが、きみまち坂のあたりで秋田・新政府方に押し返された。
- 主な武将
- 盛岡: 楢山佐渡/秋田・新政府: 秋田藩兵、佐賀藩兵(アームストロング砲・射程2以上)
- 史料
- 『復古記』、盛岡・秋田両藩の記録
刈和野の戦い
SP-541 · 1868年9月 · 勝ち進んだ庄内藩が、同盟の崩壊を知って引き返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(庄内 26 ・ 新政府・秋田 26)
- 歴史的概要
- 新政府方に付いた秋田藩を攻めた庄内藩の二番大隊(酒井玄蕃)らは、雄物川沿いに北上して刈和野で新政府・秋田勢と激しく戦った。庄内勢は優勢のまま、同盟の崩壊を知って引き返し、自領を一度も侵させないまま降伏する。
- 主な武将
- 庄内方: 酒井玄蕃(了恒)、松平甚三郎(※)/新政府・秋田方: ※佐賀藩・秋田藩の諸隊
- 史料
- ※庄内藩側の戦記(要確認)
箱館戦争・二股口の戦い
BS-6 · 1869年 · 十六時間撃ち続けて、抜かれない
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 10ターン / 駒 30(旧幕府軍(土方) 13 ・ 新政府軍 17)
- 歴史的概要
- 土方歳三が指揮する二百余りが、胸壁を築いて十六時間の連続射撃で新政府軍を退けた。二度目の攻防も守り切ったが、別の道(木古内口)が破られたために退く。
- 主な武将
- 旧幕府軍: 土方歳三、大鳥圭介(別方面)、伝習士官隊、額兵隊/新政府軍: 黒田清隆、山田顕義、駒井政五郎(討死)
※宮古湾海戦
SP-404 · 1869年 · 接舷して、甲板へ飛び移る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(旧幕府 14 ・ 新政府 24)
- 歴史的概要
- 旧幕府海軍が外国旗を掲げて近づき、装甲艦「甲鉄」に接舷して斬り込むという奇策に出た。高さの差で飛び移れず、ガトリング砲に撃たれて失敗する。
- 主な武将
- 旧幕府: 荒井郁之助、甲賀源吾(艦長・戦死)、土方歳三(回天に乗る)、新選組の斬込隊/新政府: 甲鉄(装甲艦)、ガトリング砲
- 史料
- 『函館戦争史料』、『日本海軍史』
※箱館総攻撃・五稜郭
SP-405 · 1869年 · 二正面で押されて、一人が単騎で出る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(新政府 36 ・ 旧幕府 26)
- 歴史的概要
- 新政府軍が海から箱館湾、陸から七重浜の二方向で押し、土方歳三は孤立した弁天台場を救おうと単騎で一本木関門へ出て銃弾に倒れた。五稜郭は一週間後に開く。
- 主な武将
- 旧幕府: 榎本武揚、土方歳三(一本木関門で戦死)、大鳥圭介、弁天台場の孤立した守兵/新政府: 黒田清隆、山田顕義、海軍の艦隊
- 史料
- 『函館戦争史料』、『復古記』、『蝦夷地戦争記』
矢不来の戦い
SP-542 · 1869年 · 海からの艦砲と陸の正面攻撃に、箱館の手前で挟まれる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(新政府軍 28 ・ 旧幕府脱走軍 22)
- 歴史的概要
- 箱館戦争。上陸した新政府軍は木古内・矢不来で旧幕府脱走軍の陣地を攻めた。海上の新政府艦隊の艦砲射撃を受けた矢不来の陣は崩れ、旧幕府軍は箱館へ退いた。二股口(BS-6)の土方歳三も退却を余儀なくされる。
- 主な武将
- 旧幕府方: 大鳥圭介、伝習隊・彰義隊の諸隊/新政府方: ※長州・薩摩・松前藩兵(指揮官の名は要確認)
- 史料
- 大鳥圭介『南柯紀行』(※)