東欧・ロシア・北欧(近世)
- ポーランド・リトアニアの戦い 10
- ロシアの統一・動乱とリヴォニア戦争 5
- スコーネ戦争 2
- 大北方戦争 8
- 露土戦争 3
- 露瑞戦争 1
- コシチュシュコの蜂起 2
ポーランド・リトアニアの戦い 1410 〜 1659
グルンヴァルト 実装済み
PL-1 · タンネンベルク)の戦い(1410年 · 二本の剣
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 10ターン / 駒 77(ポーランド・リトアニア連合 43 ・ ドイツ騎士団 34)
- 歴史的概要
- 待ち続ける両軍のうち、騎士団総長が「戦う勇気が足りぬなら使え」と二本の剣をポーランド王に送った。リトアニア軍は一度崩れて逃げたが、それが誘いだったか本当の敗走かは今も議論がある。日暮れまでに総長以下の首脳はほぼ全員が討たれた。
- 主な武将
- ポーランド・リトアニア連合: ヨガイラ(ヴワディスワフ2世)、ヴィタウタス(リトアニア大公)、ジンドラム、スモレンスク連隊(踏みとどまる)/ドイツ騎士団: ウルリヒ・フォン・ユンギンゲン(総長・討死)、元帥フリードリヒ・フォン・ヴァレンローデ
オルシャの戦い
PL-2 · 1514年 · 川を渡らせてから叩く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(ポーランド・リトアニア 26 ・ モスクワ 30)
- 歴史的概要
- オストロフスキは夜のうちに舟橋で自軍を渡し、モスクワ軍を平地へ誘い出した。中央の偽装退却で敵騎兵を森の前へ引き込み、隠しておいた砲で横から撃つ。
- 主な武将
- ポーランド・リトアニア軍: コンスタンティ・オストロフスキ、ヤヌシュ・シフィェルチョフスキ(砲兵)/モスクワ軍: イヴァン・チェリャドニン(捕虜)、ミハイル・ゴリツァ(不和)
キルホルムの戦い
N-3 · 1605年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(ポーランド・リトアニア 16 ・ スウェーデン 26)
- 歴史的概要
- ポーランド軍が3倍のスウェーデン軍を撃破。
- 主な武将
- - ポーランド軍: ヤン・ヒョドキェヴィチ(総指揮官)、トマシュ・ダニウォヴィチ(有翼騎兵指揮) - スウェーデン軍: カール9世(スウェーデン公・狼狽逃走)、マンスフェルト侯(副将)
クウシュキの戦い
PL-3 · 1610年 · 一対五
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(ポーランド 16 ・ モスクワ・スウェーデン連合 30)
- 歴史的概要
- 3千ほどの翼騎兵が、3万を超えるロシア・スウェーデン連合へ夜明けから8時間、十数回にわたって突撃を繰り返した。柵を壊し、傭兵が寝返り、連合軍は崩れる。
- 主な武将
- ポーランド軍: スタニスワフ・ジュウキェフスキ、翼騎兵各中隊/ロシア・スウェーデン連合: ドミトリー・シュイスキー、ヤコブ・デラガルディ(傭兵・離脱)、エドワード・ホーン
クリュシノの戦い
SP-183 · 1610年 · 傭兵が、戦いの最中に雇い主を替える
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 58(ポーランド 22 ・ ロシア・スウェーデン 36)
- 歴史的概要
- ジュウキェフスキの翼騎兵(フサリア)四千弱が、三万を超えるロシア・スウェーデン連合を破った。決め手は、戦いの最中に外国人傭兵がポーランド側へ寝返ったこと。
- 主な武将
- ポーランド: スタニスワフ・ジュウキェフスキ、フサリア(翼騎兵)/連合: ドミトリー・シュイスキー(敗走)、ヤコブ・デ・ラ・ガルディ(撤退)、寝返る傭兵
- 史料
- ジュウキェフスキ『モスクワ戦役の始まり』、ロシア年代記
ホティンの戦い
PL-4 · 1621年 · 陣地に籠って国を守る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 14ターン / 駒 66(ポーランド・コサック 32 ・ オスマン 34)
- 歴史的概要
- オスマンの大軍に対し、ポーランドとコサックは川を背に野戦築城を築いて一か月動かなかった。老将ホトキェヴィチは陣中で病没するが、陣は保たれ、講和で戦争が終わる。
- 主な武将
- ポーランド・コサック軍: ヤン・カロル・ホトキェヴィチ(陣中で病没)、スタニスワフ・ルボミルスキ(後継)、ペトロ・サハイダチュニー(コサック)/オスマン軍: オスマン2世、ホセイン・パシャ
ジョウティ・ヴォディの戦い
PL-5 · 1648年 · 傭兵が敵側へ渡る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 30(コサック・タタール 16 ・ ポーランド 14)
- 歴史的概要
- フメリニツキーの蜂起の緒戦。包囲された前衛のうち、ポーランド側に雇われていた登録コサックが、丸ごと蜂起側へ渡った。孤立した部隊は交渉して退がろうとして、退路で捕らえられる。
- 主な武将
- 蜂起軍: ボフダン・フメリニツキー、トゥガイ・ベイ(クリム・タタール)/ポーランド軍: ステファン・ポトツキ(討死)、ヤツェク・シェンベルク(捕虜)、登録コサック(寝返り)
ベレステチコの戦い
PL-6 · 1651年 · 同盟者が消える
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 16ターン / 駒 84(ポーランド 44 ・ コサック・タタール連合 40)
- 歴史的概要
- 史上最大級の会戦のひとつ。三日目、タタールのハンが突然戦場を去り、フメリニツキーが追いかけて連れ戻そうとして捕らえられた。指揮官を二人とも失ったコサック軍は、沼地に車陣を組んで十日耐え、大半が逃げ延びる。
- 主な武将
- ポーランド軍: ヤン2世カジミェシュ(王)、イェレミ・ヴィシニョヴィエツキ(突撃)、ミコワイ・ポトツキ/コサック・タタール: フメリニツキー(盤から消える)、イスラム3世ギレイ(離脱)、イヴァン・ボフン(沼から脱出させる)
ヴァルシャワの三日間
SP-186 · 1656年 · 三日かけて、押して、押し返して、抜ける
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 16ターン / 駒 74(スウェーデン・ブランデンブルク 36 ・ ポーランド 38)
- 歴史的概要
- 三日にわたる会戦で、初日は膠着、二日目にスウェーデン側が側面へ回り、三日目に押し切った。ポーランド軍は渡河して退くが、軍としては保たれた。
- 主な武将
- スウェーデン・ブランデンブルク: カール10世グスタフ、フリードリヒ・ヴィルヘルム(大選帝侯)/ポーランド: ヤン2世カジミェシュ、チャルニエツキ、タタール援軍
- 史料
- プーフェンドルフ、ポーランド側の日記
コノトープの戦い
SP-187 · 1659年 · 沼の中の橋へ誘って、堰を切る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(コサック・タタール 28 ・ ロシア 28)
- 歴史的概要
- ヴィホフシキーは偽の退却でロシア騎兵を沼地の橋へ誘い込み、堰を切って水を張った。動けなくなった騎兵隊は、待ち伏せたタタール騎兵に殲滅される。
- 主な武将
- コサック・タタール: イヴァン・ヴィホフシキー、メフメト4世ギレイ/ロシア: セミョーン・ポジャルスキー(捕虜・処刑)、アレクセイ・トルベツコイ
- 史料
- サムイロ・ヴェリチコ年代記、ロシア軍役簿
ロシアの統一・動乱とリヴォニア戦争 1480 〜 1612
ウグラ河の対峙
SP-180 · 1480年 · 両軍とも渡らずに、冬が来て終わる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 54(モスクワ 28 ・ 大オルダ 26)
- 歴史的概要
- 両軍はウグラ河を挟んで数週間にらみ合い、ついに誰も渡らなかった。冬が来て河が凍る前にアフマド・ハンが引き上げ、モンゴルのくびきが戦わずに終わる。
- 主な武将
- モスクワ: イヴァン3世、イヴァン・モロドイ(息子・退却を拒む)、ダニイル・ホルムスキー/大オルダ: アフマド・ハン(引き上げ、まもなく殺される)
- 史料
- 『ロシア年代記集成』、ヴォログダ・ペルミ年代記
カザン攻略
SP-181 · 1552年 · 坑道で壁の下の水を断つ
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(ロシア 40 ・ カザン 24)
- 歴史的概要
- イヴァン4世は坑道を掘って城内の水源を爆破し、壁を崩して突入した。カザン・ハン国が滅び、ロシアの東方拡大が始まる。
- 主な武将
- ロシア: イヴァン4世(雷帝)、アンドレイ・クルプスキー、外国人技師(坑道)/カザン: ヤディガル・ムハンマド(捕虜)、城兵と市民
- 史料
- 『カザン年代記』、クルプスキー公の記録
エルメスの戦い
SP-185 · 1560年 · リヴォニア騎士団が、最後に野戦で負ける
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(ロシア 24 ・ 騎士団 18)
- 歴史的概要
- リヴォニア騎士団の主力が野戦で壊滅し、中世以来のバルトの騎士団国家が事実上終わった。捕らえられた騎士たちは処刑される。
- 主な武将
- ロシア: バルバシン公、軽騎兵/騎士団: フィリップ・シャル・フォン・ベル(処刑)、重装騎士
- 史料
- バルタザール・リュッソウ『リヴォニア年代記』、ロシア軍役簿
モロディの戦い
SP-182 · 1572年 · 移動できる柵で、五倍を止める
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 70(ロシア 30 ・ クリミア 40)
- 歴史的概要
- 前年にモスクワを焼いたクリミア・ハン国の大軍に対し、ロシア軍は「グリャイ・ゴロド(移動する砦)」と呼ぶ組み立て式の柵を丘に据えて守り抜いた。ロシアの存亡が決まった、ほとんど知られていない決戦。
- 主な武将
- ロシア: ミハイル・ヴォロトゥインスキー、ドミトリー・フヴォロスティニン、ドイツ人傭兵/クリミア: デヴレト1世ギレイ、ディヴェイ・ムルザ(捕虜)、オスマンのイェニチェリ
- 史料
- ロシア軍役簿(ラズリャードヌイエ・クニーギ)、ハインリヒ・フォン・シュターデン
モスクワ解放戦
SP-184 · 1612年 · 市民軍が、城に籠る外国軍を追い出す
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(義勇軍 34 ・ ポーランド 28)
- 歴史的概要
- ミーニンとポジャルスキーの国民義勇軍が、クレムリンに籠るポーランド守備隊と、救援に来たホトケヴィチの軍を同時に相手にした。救援を阻んだことで、籠城側は降伏する。
- 主な武将
- 義勇軍: クジマ・ミーニン(商人)、ドミトリー・ポジャルスキー、コサックのトルベツコイ/ポーランド: ヤン・ホトケヴィチ(救援・失敗)、ストルシ(籠城)
- 史料
- 『新年代記』、ポーランド側の日記
スコーネ戦争 1675 〜 1676
フェールベリンの戦い
SP-250 · 1675年 · 砲を丘に上げて、橋へ追い込む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(ブランデンブルク 24 ・ スウェーデン 26)
- 歴史的概要
- 大選帝侯は砂丘に砲を引き上げ、湿地の間の一本道を退くスウェーデン軍を砲撃した。「ブランデンブルクの軍がスウェーデンに勝った」ことでプロイセンの評判が生まれる。
- 主な武将
- ブランデンブルク: フリードリヒ・ヴィルヘルム(大選帝侯)、デルフリンガー元帥、フロベン(身代わりになって戦死)/スウェーデン: ヴァルデマー・ヴランゲル
- 史料
- ブランデンブルク側の報告、スウェーデン側の記録
ルンドの戦い
SP-251 · 1676年 · 半分ずつに分かれて、二つの戦いを同時にやる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(スウェーデン 26 ・ デンマーク 28)
- 歴史的概要
- 凍った川を渡って始まった戦いで、両軍とも半分が追撃に出て戦場から消え、残り半分同士が別の戦いをした。北欧史上もっとも損耗率の高い戦いの一つ。
- 主な武将
- スウェーデン: カール11世(18歳)、エリック・ダールベリ/デンマーク: クリスチャン5世、カール・フォン・アーレンスドルフ
- 史料
- スウェーデン・デンマーク双方の報告
大北方戦争 1700 〜 1714
ナルヴァの戦い
N-6 · 1700年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(スウェーデン 16 ・ ロシア 28)
- 歴史的概要
- 18歳のカール12世が4倍のロシア軍を猛吹雪の中で撃破。
- 主な武将
- - スウェーデン軍: カール12世(スウェーデン王・18歳)、カール・グスタフ・レーヴェンハウプト将軍、オットー・ウェリング将軍 - ロシア軍: ピョートル1世(大帝・戦場を離れていた)、シャルル・ドゥ・クロワ公爵(ロシア軍外人指揮官・捕虜)
クライショフの戦い
N-7 · 1702年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(スウェーデン 22 ・ ポーランド・ザクセン 24)
- 歴史的概要
- カール12世率いるスウェーデン軍 vs ポーランド・ザクセン連合軍。
- 主な武将
- - スウェーデン軍: カール12世(総指揮)、マグヌス・ストームベルク将軍(騎兵) - ポーランド・ザクセン連合軍: アウグスト2世(ポーランド王)、アダム・ニコラス・シエニャウスキ将軍
フラウシュタットの戦い
SP-260 · 1706年 · 騎兵が、一発も撃たずに突っ込む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(スウェーデン 20 ・ ザクセン・ロシア 34)
- 歴史的概要
- レーンシェルドの軍は半分の兵力で、騎兵に一発も撃たせずに抜刀突撃させて両翼を崩した。ザクセン軍は中央に取り残されて降伏する。
- 主な武将
- スウェーデン: カール・グスタフ・レーンシェルド、抜刀突撃の騎兵/ザクセン・ロシア: シューレンブルク、ロシア歩兵
- 史料
- スウェーデン側の報告、ザクセン側の記録
ホロフチンの戦い
SP-261 · 1708年 · 沼と川を、夜のうちに渡ってしまう
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(スウェーデン 26 ・ ロシア 30)
- 歴史的概要
- カール12世は夜のうちに沼と川を渡り、朝には陣の中にいた。カール自身が「最も誇りに思う勝利」と呼んだが、ロシア軍は崩れずに退いた。
- 主な武将
- スウェーデン: カール12世、レーンシェルド/ロシア: シェレメーテフ、レプニン(退却の責を問われる)、ゴリツィン
- 史料
- スウェーデン側の日誌、ロシア軍役簿
レスナヤの戦い
SP-262 · 1708年 · 輸送隊を叩いて、翌年の戦いを決める
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(ロシア 30 ・ スウェーデン 26)
- 歴史的概要
- ピョートル1世がスウェーデン軍の補給部隊(七千輛の荷車)を襲い、火薬と食料を焼いた。これがポルタヴァの敗因になる。ピョートルは「ポルタヴァの母」と呼んだ。
- 主な武将
- ロシア: ピョートル1世、メンシコフ/スウェーデン: レーヴェンハウプト、七千輛の輸送隊
- 史料
- ロシア軍役簿、スウェーデン側の記録
ポルタヴァの戦い
N-8 · 1709年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 60(スウェーデン 26 ・ ロシア 34)
- 歴史的概要
- ピョートル大帝がスウェーデン最強陸軍を要塞網で破る。
- 主な武将
- - ロシア軍: ピョートル1世(大帝・総指揮)、アレクサンドル・メンシコフ元帥(騎兵)、ボリス・シェレメーチェフ元帥(歩兵) - スウェーデン軍: カール12世(足を負傷・担架指揮)、カール・グスタフ・レーヴェンハウプト将軍(敗走後降伏)、イワン・マゼーパ(ウクライナ・コサック指導者)
ヘルシンボリの戦い
SP-263 · 1710年 · 自国の最後の防衛戦を、老将が勝つ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(スウェーデン 26 ・ デンマーク 26)
- 歴史的概要
- ポルタヴァ後の混乱の中、新兵と農民をかき集めたスウェーデン軍がデンマークの上陸軍を撃退した。スウェーデン本土での最後の戦い。
- 主な武将
- スウェーデン: マグヌス・ステンボック、新兵と農民兵/デンマーク: ヨルゲン・ランツァウ
- 史料
- スウェーデン側の報告
ガングートの海戦
N-9 · 1714年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(ロシア漕船隊 20 ・ スウェーデン 18)
- 歴史的概要
- ピョートル大帝率いるロシア・ギャレー(平底船)艦隊がスウェーデン帆船艦隊を包囲。
- 主な武将
- - ロシア軍: ピョートル1世(総指揮)、フョードル・アプラクシン提督(艦隊指揮) - スウェーデン軍: ニルス・エレンシルト少将(捕虜)
露土戦争 1770 〜 1790
カフルの戦い
SP-269 · 1770年 · 方陣を分けて、十倍の騎兵の中を進む
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 64(ロシア 26 ・ オスマン 38)
- 歴史的概要
- ルミャンツェフは軍を複数の小さな方陣に分けて前進させ、囲もうとするオスマン騎兵をそれぞれの面で撃った。近代的な方陣戦術の完成形。
- 主な武将
- ロシア: ピョートル・ルミャンツェフ、バウアー、レプニン/オスマン: ハリル・パシャ、クリミア・タタール騎兵
- 史料
- ルミャンツェフの報告、オスマン年代記
リムニクの戦い
SP-270 · 1789年 · 三つの陣地を、一日で順に潰す
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(露墺 26 ・ オスマン 36)
- 歴史的概要
- スヴォーロフとコーブルクの連合が、離れて置かれた三つのオスマン陣地を一つずつ順に攻めた。集まる前に各個に潰すという手本。
- 主な武将
- 連合: アレクサンドル・スヴォーロフ、コーブルク公/オスマン: コジャ・ユースフ・パシャ、三つの陣営
- 史料
- スヴォーロフの報告、オーストリア側の記録
イズマイル要塞の突入
SP-273 · 1790年 · 「降伏か、死か」と書いて送る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 66(ロシア 38 ・ オスマン 28)
- 歴史的概要
- スヴォーロフは土塁の模型を作って兵に登る練習をさせてから、夜明け前に九つの縦隊で同時に突入した。一日で落ちるが、双方の死者が極めて多い。
- 主な武将
- ロシア: アレクサンドル・スヴォーロフ、ミハイル・クトゥーゾフ(若き日)、デ・リバス/オスマン: アイドズレ・メフメト・パシャ(戦死)、城壁の守備隊
- 史料
- スヴォーロフの報告、オスマン側の記録、バイロン『ドン・ジュアン』
露瑞戦争 1790
スヴェンスクスンドの海戦
N-10 · 1790年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(スウェーデン 24 ・ ロシア 26)
- 歴史的概要
- スウェーデン王グスタフ3世がバルト海の群島でロシア大艦隊をほぼ全滅させる。
- 主な武将
- - スウェーデン軍: グスタフ3世(スウェーデン王・直接指揮)、カール・オロフ・クロンステット提督(艦隊指揮) - ロシア軍: ナッサウ=ジーゲン公(ガレー艦隊指揮・大敗)、チチャゴフ提督(外洋艦隊)
コシチュシュコの蜂起 1794
ラツワヴィツェの戦い
SP-271 · 1794年 · 農民が、大鎌を立てて砲陣を取る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 48(ポーランド 26 ・ ロシア 22)
- 歴史的概要
- 大鎌を立てて持った農民兵(コシニエジ)が走ってロシアの砲陣を奪った。戦術的には小さな勝ちだが、蜂起の象徴となる。
- 主な武将
- ポーランド: タデウシュ・コシチュシュコ、ヴォイチェフ・バルトシュ・グウォヴァツキ(農民兵)/ロシア: トルマソフ、砲兵中隊
- 史料
- コシチュシュコの報告、ポーランド側の記録
マチェヨヴィツェの戦い
SP-272 · 1794年 · 増援が来ないまま、指導者が捕らえられる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(ロシア 32 ・ ポーランド 20)
- 歴史的概要
- コシチュシュコはポニンスキの増援を待ったが、命令が届かず到着しなかった。負傷して捕らえられ、ポーランド分割が確定する。
- 主な武将
- ロシア: フェルセン、デニソフ/ポーランド: コシチュシュコ(負傷・捕虜)、シェラコフスキ、来ないポニンスキの増援
- 史料
- ロシア側の報告、ポーランド側の回想