合戦候補集

日本(平安〜室町)(中世)

蝦夷征討 789

巣伏の戦い

SP-734 · 789年 · 川を渡った官軍が、前と後ろから挟まれて川へ追い落とされる

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(官軍 24 ・ 蝦夷 16)
歴史的概要
紀古佐美の征東軍は、中軍・後軍の四千が北上川を渡って阿弖流為の本拠へ進んだ。巣伏の村で前軍と合流しようとしたが、前軍は対岸で蝦夷に渡河を阻まれる。正面の三百に八百が加わり、さらに東の山から四百が背後を突いた。官軍は戦死25に対し溺死1036、裸で泳いで逃げ帰った者1257。
主な武将
官軍: 紀古佐美(征東大使・本営に留まる)、入間広成、池田真枚、安倍猨嶋墨縄/蝦夷: 阿弖流為(大墓公)、母礼(盤具公)
史料
『続日本紀』延暦8年6月条(紀古佐美の奏上)

承平天慶の乱 940 〜 941

猿島・北山の戦い

SP-81 · 940年 · 風向きが変わって、盾が役に立たなくなる

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(将門 18 ・ 貞盛・秀郷 22)
歴史的概要
千余の兵が四百に減った平将門は、風上に立って矢を射かけたが、合戦の途中で風向きが変わり、今度は自軍が風下になった。乱戦の中、飛んできた矢が額に当たって討たれる。
主な武将
将門方: 平将門(討死)、多治経明、坂上遂高/追討方: 藤原秀郷、平貞盛、平公雅
史料
『将門記』、『日本紀略』、『扶桑略記』

博多津の戦い

SP-735 · 941年 · 大宰府を焼いた純友の兵を、港の浜で追討使が押し返す

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(追討軍 24 ・ 純友 18)
歴史的概要
藤原純友は伊予から西へ渡り、大宰府を攻めて焼いた。追捕使の小野好古・源経基、大蔵春実らが博多津で迎え撃ち、春実が先頭で斬り込んで純友の兵を破る。純友の船八百余艘が奪われ、純友は小舟で伊予へ逃れたのち、橘遠保に討たれた。
主な武将
追討軍: 小野好古、大蔵春実(先陣で斬り込む)、源経基、藤原慶幸/純友方: 藤原純友、藤原重太丸、佐伯是基
史料
『日本紀略』、『本朝世紀』、『純友追討記』(『扶桑略記』所引)

前九年・後三年の役 1057 〜 1087

黄海の戦い

SP-82 · 1057年 · 吹雪の中で、二千が四千を包む

規模
軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(安倍 20 ・ 源氏 24)
歴史的概要
源頼義の軍は大雪と兵糧切れの中で安倍貞任の四千に囲まれ、七騎まで討ち減らされて逃げた。義家が殿で弓を引き続けたと伝わる。前九年の役で朝廷側が最も負けた日。
主な武将
安倍方: 安倍貞任、安倍宗任、経清(もと朝廷方から寝返る)/源氏方: 源頼義、源義家(殿で弓を引く)、佐伯経範(討死)
史料
『陸奥話記』、『今昔物語集』

厨川柵の戦い

SP-736 · 1062年 · 堀を家と草で埋め、火を放って柵を落とす

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(源氏・清原 32 ・ 安倍 20)
歴史的概要
黄海で大敗した頼義は、出羽の清原武則の大軍を味方に引き入れて逆転し、小松柵・衣川関・鳥海柵を次々に落とした。最後の厨川柵・嫗戸柵の攻めは二日続き、頼義は周りの家を壊して堀を埋め、草を積んで火を放った。柵は落ち、安倍貞任は討たれ、藤原経清は捕らえられて斬られた。前九年の役が終わる。
主な武将
源氏・清原方: 源頼義、源義家、清原武則(加勢の主力)、清原武貞/安倍方: 安倍貞任(討死)、安倍宗任(降る)、藤原経清(捕らわれ斬られる)、安倍重任
史料
『陸奥話記』、『今昔物語集』

金沢柵の戦い

SP-83 · 1087年 · 雁の列が乱れるのを見て、伏兵を知る

規模
中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 48(源氏 28 ・ 清原 20)
歴史的概要
義家は空飛ぶ雁の列が乱れたのを見て伏兵を察したと伝わる。柵は容易に落ちず、兵糧攻めで冬を越させて落とした。恩賞が出ず、義家が私財で報いたことが源氏の名を高める。
主な武将
源氏方: 源義家、源義光(官職を捨てて駆けつける)、大江匡房(兵法の師)、鎌倉権五郎景政(目に矢を受ける)/清原方: 清原家衡、武衡
史料
『奥州後三年記』、『中右記』

保元・平治の乱 1156 〜 1159

保元の乱・白河北殿の夜襲

MJ-1 · 1156年 · 一つの門を破れば終わる

規模
軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 20(後白河方 10 ・ 崇徳方 10)
歴史的概要
夜討ちを主張した源為朝の案は退けられ、逆に攻める側がそれを実行した。為朝は西門ひとつを一人で守り抜いたが、他の門が破られ、御所に火が放たれて終わる。
主な武将
後白河方: 平清盛、源義朝、源頼政、鎌田政清/崇徳方: 源為義、源為朝(強弓・西門を守る)、平忠正、源頼賢

平治の乱・六波羅合戦

MJ-2 · 1159年 · 内裏を出た瞬間に負ける

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 26(平氏方 14 ・ 源氏方 12)
歴史的概要
内裏を押さえていた義朝方から、天皇と上皇が密かに抜け出して清盛の六波羅へ移った——その瞬間、義朝方は官軍から賊軍になる。攻守が入れ替わり、義朝は敗れて東国へ落ちる。
主な武将
平氏方: 平清盛、平重盛(若き日)、平頼盛/源氏方: 源義朝、源義平(悪源太・重盛と内裏で追い回す)、源朝長、藤原信頼(棄てられる)

治承・寿永の乱 源平合戦)(1180 〜 1185

石橋山の戦い

G-1 · 1180年

規模
軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 26(源頼朝方 10 ・ 大庭ら平氏方 16)
歴史的概要
源頼朝の挙兵第一戦。山中で大庭景親・伊東祐親の平氏方3,000に頼朝軍300が敗れ、山中潜伏。
主な武将
- 源頼朝軍: 源頼朝(サドンデス部隊)、土肥実平(頼朝を隠匿した忠臣)、佐々木盛綱(ほら貝吹き先陣)、佐々木定綱 - 平氏方: 大庭景親(総指揮)、伊東祐親(頼朝の岳父・敵方)、波多野義常
史料
『吾妻鏡』治承四年八月条。

富士川の戦い

G-2 · 1180年

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(源氏 20 ・ 平氏 18)
歴史的概要
富士川を挟んで対峙した頼朝・武田軍 vs 平維盛軍。水鳥の一斉羽ばたき音で平氏軍がパニック逃亡。
主な武将
- 源氏軍: 源頼朝(総大将)、武田信義(甲斐源氏・別働隊)、安田義定、北条時政(初登場) - 平氏軍: 平維盛(惟盛)(総大将)、平忠度、藤原忠清(平家侍大将)
史料
『吾妻鏡』『平家物語』巻五。

以仁王の挙兵・宇治橋の戦い

SP-497 · 1180年 · 橋板を外した橋の前で、坂東武者が馬筏で川を押し渡る

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 48(平家 28 ・ 以仁王方 20)
歴史的概要
以仁王と源頼政は平等院に拠り、宇治橋の橋板を外して平家の追討軍を防いだ。平家方の足利忠綱が坂東武者を率いて馬筏で宇治川を押し渡り、頼政は平等院で自害、以仁王は南都へ逃れる途中で討たれた。平家方の勝ち戦である。
主な武将
平家: 平知盛、平重衡、藤原忠清、足利忠綱/以仁王方: 源頼政、源仲綱、渡辺競、浄妙明秀(三井寺の僧兵)
史料
『玉葉』『山槐記』治承四年五月条、『平家物語』巻四(※橋合戦の名場面は軍記の伝)

衣笠城合戦

SP-498 · 1180年 · 石橋山に間に合わなかった三浦一族が、城を囮に海へ逃げる

規模
中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(平家方の武蔵勢 30 ・ 三浦 20)
歴史的概要
石橋山の合戦に遅れた三浦義澄らは、帰路の由比ヶ浜で畠山重忠と戦った。その報復に畠山・河越重頼・江戸重長の武蔵勢が衣笠城を囲み、89歳の三浦義明は城に残って一族を海から安房へ逃がし、討たれた。
主な武将
平家方(武蔵勢): 畠山重忠、河越重頼、江戸重長、金子家忠/三浦: 三浦義明(動かない駒)、三浦義澄、和田義盛、佐原義連
史料
『吾妻鏡』治承四年八月二十六日条、『延慶本平家物語』

鉢田の戦い

SP-499 · 1180年 · 富士川の十日前、甲斐源氏が駿河目代を山の道で討つ

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 36(甲斐源氏 20 ・ 駿河目代 16)
歴史的概要
甲斐へ攻め入ろうとした駿河目代の橘遠茂・長田入道の軍を、武田信義・安田義定らの甲斐源氏が富士の北麓で迎え、遠茂を捕らえた。富士川の戦い(G-2)の前哨戦である。
主な武将
甲斐源氏: 武田信義、安田義定、一条忠頼/平家方: 橘遠茂、長田入道(※名は諸本で異同)
史料
『吾妻鏡』治承四年十月十四日条

南都焼討・奈良坂の戦い

SP-500 · 1180年 · 坂の上の衆徒を抜いた夜、火が寺々へ回る

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 48(平家 28 ・ 興福寺・東大寺の衆徒 20)
歴史的概要
以仁王に味方した南都を討つため、平重衡が出陣して奈良坂・般若寺の衆徒の防ぎを破った。夜に灯した火が風にあおられて東大寺・興福寺が焼けた。
主な武将
平家: 平重衡、平通盛/衆徒: ※大将の名は史料に乏しい=名前のない駒(堂衆・悪僧)で組む
史料
『玉葉』治承四年十二月二十九日条、『平家物語』巻五

墨俣川

G-3 · すのまたがわ)の戦い(1181年

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(源行家勢 18 ・ 平重衡勢 20)
歴史的概要
源行家が尾張・美濃国境の墨俣川で平重衡・維盛率いる平氏軍に夜間渡河奇襲を仕掛けた戦い。
主な武将
- 源氏軍: 源行家(源氏の叔父)、志田義広(義行の子) - 平氏軍: 平重衡(平清盛の五男・南都焼討の将)、平維盛、藤原忠清
史料
『吾妻鏡』『平家物語』巻五。

横田河原の戦い

SP-501 · 1181年 · 平家の赤旗を掲げて近づき、目の前で白旗に替える

規模
重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 86(城軍 50 ・ 木曾義仲 36)
歴史的概要
平家方の越後の城長茂(助職)が大軍で信濃へ入り、千曲川の横田河原に陣した。木曾義仲は井上光盛らに平家の赤旗を持たせて近づけ、間近で白旗に替えて突入させ、城軍を潰走させた。
主な武将
木曾方: 木曾義仲、井上光盛、根井行親、樋口兼光、今井兼平/城方(平家方): 城長茂、笠原頼直、富部家俊
史料
『玉葉』養和元年七月一日条、『吾妻鏡』、『平家物語』巻六(※赤旗の策は軍記の伝)

篠原

G-4 · しのはら)の戦い(1183年

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(木曽義仲勢 20 ・ 平氏 20)
歴史的概要
倶利伽羅峠で大破した平氏軍の残党(平維盛)を、木曽義仲が加賀の篠原で追撃した白兵戦。
主な武将
- 木曽義仲軍: 木曽義仲(総大将)、今井兼平(義仲の乳兄弟・副将)、手塚光盛、樋口兼光 - 平氏軍: 平維盛(逃亡)、斎藤実盛(加賀武士の老将・白髪染め討死)、平盛俊
史料
『平家物語』巻七。

倶利伽羅峠の戦い 実装済み

SP-84 · 1183年 · 角に松明をつけた牛が、谷へ押し出す

規模
重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 82(源氏 38 ・ 平家 44)
歴史的概要
木曽義仲は昼のうちに旗を並べて大軍に見せかけ、夜になって牛の角に松明を結んで平家の陣へ追い込んだ。驚いた平家軍は倶利伽羅の谷(地獄谷)へ雪崩を打って落ちた。
主な武将
源氏方: 木曽義仲、今井兼平、樋口兼光、巴御前、火牛/平家方: 平維盛、平通盛、谷へ落ちる大軍
史料
『平家物語』巻七、『源平盛衰記』、『吾妻鏡』

水島の戦い

SP-85 · 1183年 · 船を並べて板を渡し、陸のように戦う

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(平家 22 ・ 源氏 20)
歴史的概要
平家は船と船を綱で結んで板を渡し、馬を乗せて陸上のように戦った。日食が起きて源氏方が動揺したとも伝わる。義仲の勢いが止まる一戦。
主な武将
平家方: 平教経、平知盛、平通盛/源氏方: 矢田義清(討死)、海野幸広(討死)
史料
『平家物語』巻八、『吾妻鏡』、『玉葉』

火打城の戦い

SP-502 · 1183年 · 川を堰いた城を、城の中の内通者が開ける

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(平家 30 ・ 義仲方 20)
歴史的概要
北陸へ下った平維盛の大軍を、義仲方の平泉寺長吏斎明らが越前の燧ヶ城で川を堰き止めて防いだ。斎明が平家に内通して堰の切り方を教え、水が引いて城は落ちた。平家北陸遠征の緒戦の勝ちである。
主な武将
平家: 平維盛、平通盛、平経正、平知度/義仲方: 斎明威儀師(裏切り)、仁科守弘、林光明、富樫仏誓
史料
『平家物語』巻七(※軍記)、『玉葉』寿永二年四月条

般若野の戦い

SP-503 · 1183年 · 倶利伽羅の前、平家の先鋒が越中で押し返される

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(平家先鋒 20 ・ 義仲方 20)
歴史的概要
越中へ進んだ平家の先鋒・平盛俊を、義仲の先手今井兼平が般若野で夜明けに襲い、退かせた。平家本隊は砺波山の倶利伽羅峠へ進む。
主な武将
平家: 平盛俊/義仲方: 今井兼平(※ほかの顔ぶれは要確認)
史料
『平家物語』巻七(※軍記)、『源平盛衰記』

室山の戦い

SP-504 · 1183年 · 五段に構えた平家が、突っ込んでくる源行家を一段ずつ受けて包む

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(平家 28 ・ 源行家 22)
歴史的概要
水島で義仲方を破った平家は、播磨の室山で源行家を迎えた。平知盛・重衡は軍を五段に分けて置き、突入した行家勢を後ろの段で次々と受け止め、包んで破った。
主な武将
平家: 平知盛、平重衡、平通盛、平教経、平盛嗣/行家方: 源行家
史料
『平家物語』巻八(※軍記)、『源平盛衰記』

法住寺合戦

SP-505 · 1183年 · 京に入った義仲が、法皇の御所を攻める

規模
中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 52(義仲 24 ・ 院方 28)
歴史的概要
後白河法皇と対立した木曾義仲は、法住寺殿に兵を集めた院方を攻めて焼いた。院方は寄せ集めの武士と僧兵で、天台座主明雲・円恵法親王らが討たれ、法皇は幽閉された。
主な武将
義仲方: 木曾義仲、今井兼平、樋口兼光、楯親忠、根井行親/院方: 平知康、源光長(討死)、明雲(討死)、円恵法親王(討死)
史料
『玉葉』寿永二年十一月十九日条、『吉記』、『平家物語』巻八

一ノ谷の戦い・生田口 / 塩屋口の陸上陣地戦 実装済み

G-5 · 1184年

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(源氏 26 ・ 平氏 26)
歴史的概要
平知盛・重衡が守る一ノ谷の東(生田口)・西(塩屋口)の強固な木戸・馬防柵陣地に源範頼・義経が挑んだ陸攻戦。
主な武将
- 源氏軍: 源義経(鵯越奇襲隊長)、源範頼(生田口正面軍)、梶原景時(景清と一騎打ち)、土肥実平、安田義定 - 平氏軍: 平知盛(生田口守将)、平重衡(塩屋口守将・捕虜)、平敦盛(笛の若武者・討死)、悪七兵衛景清
史料
『吾妻鏡』『平家物語』巻九。

宇治川・粟津の戦い

SP-86 · 1184年 · 先陣争いのあと、主従二騎で死ぬ

規模
重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 80(義経・範頼 48 ・ 義仲 32)
歴史的概要
佐々木高綱と梶原景季が宇治川の先陣を争って渡り、義仲軍は京を追われた。粟津の松原で今井兼平と二騎になった義仲は、深田に馬を取られて討たれる。
主な武将
鎌倉方: 源義経、源範頼、佐々木高綱(生食)、梶原景季(磨墨)、畠山重忠/義仲方: 木曽義仲(討死)、今井兼平(自害)、巴御前(落ち延びる)
史料
『平家物語』巻九、『吾妻鏡』

三草山の戦い

SP-506 · 1184年 · 一ノ谷の二日前、義経が夜のうちに平家の前衛を払う

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(源氏 20 ・ 平家 18)
歴史的概要
丹波路を進んだ義経の搦手は三草山で平資盛らの陣に行き当たり、夜襲で破った。資盛らは屋島へ退き、一ノ谷の西の守りが薄くなる。
主な武将
源氏: 源義経、土肥実平、田代信綱、安田義定/平家: 平資盛、平有盛、平忠房、平師盛
史料
『吾妻鏡』寿永三年二月五日条、『平家物語』巻九

藤戸の戦い

SP-507 · 1184年 · 漁師に聞いた浅瀬を、馬で渡る

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 46(源氏 24 ・ 平家 22)
歴史的概要
範頼の軍は備前の藤戸で、児島に拠る平行盛と海峡を挟んで対した。佐々木盛綱が土地の者から浅瀬を聞き出して馬で渡り、平家を島から追った。
主な武将
源氏: 源範頼、佐々木盛綱、土肥実平/平家: 平行盛
史料
『吾妻鏡』元暦元年十二月七日条、『平家物語』巻十

屋島の戦い

SP-87 · 1185年 · 陸から来るとは思っていない所へ、火を放って現れる

規模
軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(源氏 18 ・ 平家 26)
歴史的概要
義経は嵐の海を渡り、民家に火を放って大軍に見せかけて陸から屋島の内裏へ突っ込んだ。平家は船へ逃げ、那須与一の扇の的と、弓を落として拾う義経の挿話が残る。
主な武将
源氏方: 源義経、那須与一、後藤実基、伊勢三郎義盛/平家方: 平宗盛、平教経、佐藤継信を射る教経の郎党、安徳天皇と内裏
史料
『平家物語』巻十一、『吾妻鏡』、『玉葉』

壇ノ浦の戦い

SP-88 · 1185年 · 潮が変わり、漕ぎ手を射る

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(源氏 28 ・ 平家 26)
歴史的概要
午前は潮に乗った平家が押したが、午後に潮目が変わると源氏が押し返した。義経が漕ぎ手と舵取りを射させたことで船が動かなくなり、平家は海に沈む。
主な武将
源氏方: 源義経、梶原景時、熊野水軍・河野水軍(途中で味方に付く)/平家方: 平知盛(碇を背負って入水)、平教経、二位尼と安徳天皇(入水)、阿波民部重能(寝返る)
史料
『平家物語』巻十一、『吾妻鏡』、『玉葉』

葦屋浦の戦い

SP-508 · 1185年 · 兵糧の尽きた範頼が九州へ渡り、平家の退路を断つ

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(源氏 22 ・ 平家方 18)
歴史的概要
長門で兵糧に窮した範頼は豊後の緒方惟栄の船で九州へ渡り、筑前の葦屋浦で平家方の原田種直・賀摩種益を破った。平家は九州への退路を失い、壇ノ浦へ追い詰められる。
主な武将
源氏: 源範頼、北条義時、下河辺行平、渋谷重国、緒方惟栄/平家方: 原田種直、賀摩種益(※)
史料
『吾妻鏡』文治元年二月一日条

奥州合戦 1189

阿津賀志山の戦い

SP-89 · 1189年 · 五里の堀を、夜のうちに埋める

規模
中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(鎌倉 32 ・ 奥州藤原 24)
歴史的概要
藤原国衡は山と川の間に二重の空堀を掘って鎌倉の大軍を止めようとしたが、畠山重忠らが夜のうちに堀を埋めて朝に越えた。奥州藤原氏はこの一戦で崩れる。
主な武将
鎌倉方: 源頼朝、畠山重忠(堀を埋める)、小山朝光、和田義盛・三浦義村(夜襲)/奥州藤原方: 藤原国衡(討死)、金剛別当秀綱、二重の空堀
史料
『吾妻鏡』文治五年、『源平盛衰記』

承久の乱 1221

承久の乱・宇治川の戦い

MJ-3 · 1221年 · 川ひとつが最後の線

規模
軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(幕府方 24 ・ 京方 20)
歴史的概要
東国から攻め上る幕府軍19万に対し、京方は宇治と瀬田の橋を落として川に拠った。増水した宇治川を、佐々木信綱らが馬筏で押し渡り、一日で京は落ちる。
主な武将
幕府方: 北条泰時、北条時房、佐々木信綱(渡河の先陣)、三浦義村/京方: 藤原秀康、三浦胤義(兄と別れて京方に付く)、山田重忠(最後まで戦う)

承久の乱・大井戸渡の戦い

SP-737 · 1221年 · 京方が渡しごとに薄く分けた木曽川の線が、一か所から崩れる

規模
中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(幕府軍 28 ・ 京方 18)
歴史的概要
京方は木曽川の渡しごとに兵を分けて東から来る幕府軍を待った。6月5日、武田信光・小笠原長清らの東山道軍が大井戸渡を押し渡って大内惟信の守りを破り、続いて東海道軍も下流の渡しを越えた。京方の木曽川の線は一日で崩れ、戦いは宇治・瀬田へ移る。
主な武将
幕府方: 武田信光、小笠原長清/京方: 大内惟信、藤原秀康、三浦胤義(下流の摩免戸)
史料
『吾妻鏡』承久3年6月条、『承久記』

元寇 1274 〜 1281

文永の役・赤坂/鳥飼潟

MJ-4 · 1274年 · 集団戦法と、てつはう

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 35(日本側 16 ・ 元・高麗軍 19)
歴史的概要
博多に上陸した元・高麗軍に対し、名乗りを上げて出る日本の武士は集団で押してくる相手と火薬玉に面食らった。菊池武房や竹崎季長らが押し返し、元軍は日没とともに船へ帰り、そのまま去った。
主な武将
日本側: 少弐景資(総大将)、菊池武房、竹崎季長(絵巻を描かせた男)、島津久経/元・高麗軍: 忻都、洪茶丘、金方慶(高麗軍)、劉復亨(負傷)

弘安の役・石築地

MJ-5 · 1281年 · 上陸させない

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 46(日本側 22 ・ 元軍 24)
歴史的概要
前回の後に築かれた20kmの石の防塁により、元軍は博多に上がれなかった。志賀島や鷹島の周りで小競り合いが続くうち、台風が来て船団が壊れる。
主な武将
日本側: 少弐経資、河野通有(石築地の外に陣を出す)、竹崎季長、島津長久/元軍: 阿剌罕(病没)、范文虎(逃亡)、張禧、金方慶

鎌倉幕府の内紛と滅亡 元弘の乱)(1213 〜 1333

和田合戦

SP-90 · 1213年 · 一日で、鎌倉の町が戦場になる

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(和田 22 ・ 北条 28)
歴史的概要
和田義盛が御所を襲って一度は火をかけたが、頼みにした横山党の到着が一日遅れ、その間に北条方が三浦義村の寝返りを取り付けた。由比ヶ浜で和田一族は滅びる。
主な武将
和田方: 和田義盛(討死)、朝比奈義秀(門を破る)、和田常盛、横山時兼(遅参)/北条方: 北条義時、大江広元、三浦義村(起請文を破って寝返る)
史料
『吾妻鏡』建暦三年

宝治合戦

SP-738 · 1247年 · 和平の使いが行き交う中で外戚が先に討ちかかり、三浦一族は法華堂で果てる

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(北条・安達 22 ・ 三浦 16)
歴史的概要
執権北条時頼は三浦泰村との和平を探っていたが、安達景盛は子の義景らに命じて先に三浦の館へ攻めかからせた。時頼も兵を出し、館に火を放たれた三浦一族は頼朝の墓所の法華堂へ退いて、泰村以下五百余人が自害した。
主な武将
北条方: 北条時頼、安達景盛、安達義景、北条実時/三浦方: 三浦泰村、三浦光村、毛利季光(泰村の妹婿として三浦につく)
史料
『吾妻鏡』宝治元年6月条、『保暦間記』

笠置山の戦い

SP-739 · 1331年 · 崖の上の行在所を、風雨の夜に裏から登って焼く

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(幕府軍 26 ・ 天皇方 14)
歴史的概要
討幕の計画が漏れた後醍醐天皇は京を出て笠置山に籠った。幕府の大軍は険しい山を攻めあぐねたが、風雨の夜に陶山義高・小見山次郎らの小勢が裏の崖を登って火を放ち、山は落ちた。天皇は逃れたが捕らえられ、隠岐へ流される。
主な武将
幕府方: 大仏貞直、陶山義高(裏の崖を登る)、小見山次郎/天皇方: 後醍醐天皇、足助重範(強弓)、万里小路藤房
史料
『太平記』巻三、『増鏡』

赤坂城の戦い

T-1 · 1331年 · 元弘の乱

規模
軽量 l(〜20分)/ 10ターン / 駒 34(楠木方 10 ・ 幕府軍 24)
歴史的概要
楠木正成が金剛山麓の赤坂城で挙兵し、幕府の大軍数万を相手に熱湯・大木・二重塀で翻弄したデビュー戦。
主な武将
- 南朝(楠木軍): 楠木正成(城主)、楠木正季(正成の弟)、楠木正家(一族) - 幕府軍: 北条高時(鎌倉執権)、大佛貞直(討伐軍指揮)、二階堂道蘊(副将)
史料
『太平記』巻三。

鎌倉攻め・稲村ヶ崎

SP-91 · 1333年 · 潮が引いた砂を、大軍が通る

規模
中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(新田 30 ・ 北条 26)
歴史的概要
三方を山、一方を海に囲まれた鎌倉の切通しはどこも抜けず、新田義貞は稲村ヶ崎の海へ太刀を投じた。潮が引いて現れた砂浜を大軍が通り、鎌倉幕府は三日で滅びる。
主な武将
新田方: 新田義貞、脇屋義助、大館宗氏(極楽寺坂で討死)、堀口貞満/北条方: 北条高時(東勝寺で自害)、赤橋守時(巨福呂坂で討死)、大仏貞直、金沢貞将
史料
『太平記』巻十、『梅松論』、『保暦間記』

千早城の戦い

L-5 · 1333年 · 元弘の乱

規模
軽量 l(〜20分)/ 12ターン / 駒 30(楠木方 10 ・ 幕府軍 20)
歴史的概要
楠木正成の約千が千早城に籠もり、幕府の大軍を長期にわたって釘付けにし、その間に各地の蜂起を成立させた。赤坂城(T-1)の続篇。

分倍河原

T-2 · ぶばいがわら)の戦い(1333年 · 鎌倉幕府滅亡

規模
中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(新田義貞勢 26 ・ 鎌倉幕府軍 24)
歴史的概要
鎌倉へ進撃する新田義貞が、多摩川近くの分倍河原で幕府軍の北条泰家と激突した武蔵平野の大野戦。
主な武将
- 新田軍: 新田義貞(総大将)、脇屋義助(弟)、岩松経家(初戦敗北後も再集結)、三浦義勝(翌朝の増援) - 幕府軍: 北条泰家(鎌倉の指揮官)、長崎高資(側近)、金沢貞将(奮戦した将)
史料
『太平記』巻十。

小手指原・久米川の戦い

SP-509 · 1333年 · 鎌倉へ下る新田勢と、幕府の迎撃が二日続けて当たる

規模
重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 80(新田 44 ・ 幕府 36)
歴史的概要
上野で挙兵した新田義貞は鎌倉街道を南下し、武蔵の小手指原で桜田貞国・長崎高重らの幕府軍と終日戦い、翌日の久米川で再び破った。幕府軍は分倍河原(T-2)へ退く。※隣り合う野の二日間なので一盤に収める。
主な武将
新田方: 新田義貞、脇屋義助、堀口貞満、大館宗氏、岩松経家/幕府方: 桜田貞国、長崎高重、長崎泰綱、加治家貞
史料
『太平記』巻十、『梅松論』

六波羅攻め

SP-510 · 1333年 · 寝返った源氏の大将が、京の幕府の出先を一日で落とす

規模
重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 88(宮方 48 ・ 六波羅 40)
歴史的概要
幕府の命で上洛した足利高氏は丹波篠村で後醍醐天皇方に転じ、赤松円心・千種忠顕と三方から京へ入って六波羅探題を攻めた。北条仲時・時益は光厳天皇を奉じて東へ逃れたが、時益は途中で討たれ、仲時は近江番場で自害した。
主な武将
宮方: 足利高氏、高師直、赤松円心、千種忠顕/六波羅: 北条仲時、北条時益(※在京の御家人の名は要確認)
史料
『太平記』巻九、『梅松論』

建武の乱と南北朝の争い 1335 〜 1399

中先代の乱・女影原の戦い

SP-740 · 1335年 · 北条の遺児が信濃から下り、鎌倉へ向かう最初の一戦

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(時行方 22 ・ 足利方 18)
歴史的概要
鎌倉幕府の滅亡から二年、北条高時の遺児・時行は諏訪頼重らに擁されて信濃で挙兵し、武蔵へ入った。女影原で足利方の渋川義季・岩松経家を破って討ち取り、続く小手指原・府中でも勝って、足利直義を鎌倉から追い出す。二十日ほど鎌倉を保ったが、京から下ってきた尊氏に敗れた。
主な武将
時行方: 北条時行、諏訪頼重、諏訪時継/足利方: 渋川義季(討死)、岩松経家(討死)
史料
『太平記』巻十三、『梅松論』

箱根・竹ノ下の戦い

T-3 · 1335年 · 建武の新政破綻

規模
重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 84(足利方 42 ・ 宮方 42)
歴史的概要
足利尊氏が朝廷に反旗を翻し、箱根の山中で新田義貞の大軍を破った天下分け目の山岳戦。
主な武将
- 足利軍: 足利尊氏(総大将)、足利直義(弟・副将)、高師直(執事)、斯波家長、佐々木道誉(寝返り) - 新田・官軍: 新田義貞(総大将)、脇屋義助、名和長年、千種忠顕(後に撤退)
史料
『太平記』巻十四。

多々良浜

T-4 · たたらはま)の戦い(1336年 · 九州

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(足利方 16 ・ 菊池方 26)
歴史的概要
九州へ逃れた足利尊氏(わずか2,000)が、博多近くで菊池武敏の4万の大軍を破った奇跡の逆転劇。
主な武将
- 足利軍: 足利尊氏(総大将)、足利直義(弟)、高師直(執事)、少弐頼尚(九州武士・合流) - 南朝・菊池軍: 菊池武敏(総指揮)、阿蘇惟直、大友貞載(後に裏切り)
史料
『太平記』巻十六。

湊川の戦い・正面激突軸

B-9 · 1336年 · 太平記

規模
重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 84(足利方 49 ・ 楠木・新田方 35)
歴史的概要
湊川の海岸・平地で、楠木正成・正季率いる700の精鋭と、足利直義・高師直率いる足利主力大軍が数十回にわたり正面から斬り結んだ伝説の死闘。

豊島河原の戦い

SP-511 · 1336年 · 京を追われた尊氏が、摂津の河原で崩れて九州へ落ちる

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(宮方 30 ・ 足利 26)
歴史的概要
京の争奪に敗れた足利尊氏は摂津へ回り、豊島河原で新田義貞・北畠顕家・楠木正成の宮方と戦って敗れ、兵庫から海路で九州へ落ちた。三か月後、多々良浜(T-4)で立ち直って戻ってくる。
主な武将
宮方: 新田義貞、北畠顕家、楠木正成、脇屋義助/足利方: 足利尊氏、足利直義、高師直
史料
『梅松論』、『太平記』巻十五

青野原の戦い

SP-92 · 1338年 · 奥州から来た軍が、京の手前で押し返される

規模
中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(北畠 26 ・ 足利 30)
歴史的概要
北畠顕家は奥州から大軍を率いて西上し、美濃の青野原で足利方を破ったが、京へは入らず伊勢へ迂回した。その判断が新田軍との合流を逃し、まもなく顕家は堺で戦死する。
主な武将
南朝方: 北畠顕家(21歳)、北畠顕信、伊達行朝・結城宗広(奥州武士団)/北朝方: 高師冬、土岐頼遠、佐々木導誉、桃井直常
史料
『太平記』巻十九、『梅松論』、『常楽記』

石津の戦い

SP-512 · 1338年 · 奥州から二度上った北畠顕家が、和泉の浜で討たれる

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(足利 30 ・ 北畠 24)
歴史的概要
青野原(SP-92)のあと伊勢・奈良を経て河内・和泉へ転戦した北畠顕家は、高師直の大軍に石津で追い詰められ、21歳で討死した。
主な武将
足利方: 高師直、高師泰、細川顕氏(※)/北畠方: 北畠顕家、南部師行(討死)
史料
『太平記』巻二十

藤島の戦い

SP-513 · 1338年 · 総大将が、わずかな供回りで深田の畷に出くわす

規模
軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 24(斯波方 14 ・ 新田方 10)
歴史的概要
越前で再起を図った新田義貞は、藤島城攻めの督戦に向かう途中、灯明寺畷で斯波高経方の軍勢に行き当たり、深田に馬を取られて討たれた。
主な武将
足利方: 細川出羽守、鹿草彦太郎(※太平記の表記)/新田方: 新田義貞(※供回りは名のない駒)
史料
『太平記』巻二十

住吉・天王寺の戦い

SP-514 · 1347年 · 渡辺橋から落ちた敵兵を、勝った楠木が助けて帰す

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(楠木 24 ・ 幕府 28)
歴史的概要
藤井寺で細川顕氏を破った楠木正行は、山名時氏・細川顕氏の再度の大軍を住吉・天王寺で迎えて破った。敗兵が渡辺橋から淀川へ落ちたのを正行が救い上げて帰したという話が『太平記』に残る。
主な武将
楠木方: 楠木正行、楠木正時、和田賢秀/幕府方: 山名時氏(負傷)、細川顕氏
史料
『太平記』巻二十五、『園太暦』

四條畷の戦い

B-10 · 1348年 · 太平記

規模
重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(楠木正行勢 29 ・ 高師直勢 55)
歴史的概要
楠木正成の遺子・正行が、兵力差10倍の高師直の大軍に対し、決死隊を率いて高師直本陣へ一直線に突き抜けた突撃戦。

薩埵峠の戦い

SP-93 · 1351年 · 兄弟が、同じ幕府の中で戦う

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(尊氏 28 ・ 直義 24)
歴史的概要
観応の擾乱の山場。足利尊氏と弟・直義が駿河の薩埵峠で対峙し、直義方の諸将が次々と尊氏方へ寝返って勝負が決まった。直義は鎌倉で急死する。
主な武将
尊氏方: 足利尊氏、足利義詮、仁木頼章、寝返る諸将/直義方: 足利直義、上杉能憲、石塔義房
史料
『太平記』巻三十、『園太暦』、『鶴岡社務記録』

打出浜の戦い

SP-515 · 1351年 · 兄の執事を除くために、弟が兄と戦う

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(直義方 26 ・ 尊氏方 26)
歴史的概要
観応の擾乱。南朝と結んだ足利直義方は、摂津打出浜で兄尊氏と高師直・師泰の軍を破った。尊氏は和睦したが、出家を条件に退いた師直兄弟は武庫川で上杉能憲に殺された。
主な武将
直義方: 石塔頼房、畠山国清、上杉能憲/尊氏方: 足利尊氏、高師直、高師泰、仁木頼章
史料
『太平記』巻二十九、『観応二年日次記』

男山

T-5 · おとこやま)の戦い · 石清水八幡宮(1352年 / 正平の一統

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 46(南朝方 20 ・ 足利方 26)
歴史的概要
南朝軍(北畠顕能・楠木正儀)が男山に立てこもり、足利義詮の大軍と戦った要塞防衛戦。
主な武将
- 南朝軍: 北畠顕能(南朝総帥)、楠木正儀(楠木正成の三男)、宗良親王、四條隆俊 - 足利軍: 足利義詮(二代将軍)、仁木頼章(執事)、細川清氏、桃井直常
史料
『太平記』巻三十一。

武蔵野合戦・小手指原の戦い

SP-516 · 1352年 · 将軍が自ら出て、新田の遺児たちを武蔵野で受ける

規模
重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 84(足利 46 ・ 南朝方 38)
歴史的概要
新田義興・義宗と宗良親王が上野・信濃から挙兵し、足利尊氏は武蔵へ出て人見原・金井原で義興らと戦い、ついで小手指原で義宗と宗良親王を破った。※盤は閏二月二十八日の小手指原の一日だけを切り取る(武蔵野合戦全体は数日にまたがる)。
主な武将
足利方: 足利尊氏、仁木頼章、河越直重、高坂氏重/南朝方: 新田義宗、宗良親王、脇屋義治、上杉憲顕(直義党)
史料
『太平記』巻三十一、『園太暦』

神南の戦い

SP-517 · 1355年 · 京を取った直冬党を、義詮が西の山の陣で受ける

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(幕府 30 ・ 直冬党 26)
歴史的概要
足利直冬・山名時氏らが京を占拠し、将軍義詮は播磨から戻って摂津の神南山に陣した。山名師義の攻撃を佐々木道誉・赤松則祐らが支え、山名勢は退いた。
主な武将
幕府方: 足利義詮、佐々木道誉、赤松則祐、細川清氏/直冬党: 山名師義、山名時氏
史料
『太平記』巻三十二

筑後川の戦い

SP-94 · 1359年 · 九州で最大の、南朝の勝ち戦

規模
重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 66(南朝 30 ・ 北朝 36)
歴史的概要
懐良親王と菊池武光が、少弐頼尚の大軍と筑後川で戦った。菊池武光は川で刀の血を洗ったと伝わる(太刀洗の地名)。九州が十年あまり南朝のものになる。
主な武将
南朝方: 懐良親王(負傷)、菊池武光、赤星武貫、宇都宮貞久/北朝方: 少弐頼尚、少弐直資(討死)、大友氏時
史料
『太平記』巻三十四、『阿蘇文書』、『菊池系図』

内野合戦

SP-518 · 明徳の乱・1391年 · 十一か国の守護が、将軍の挑発に乗って京へ攻め上る

規模
重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 86(幕府 46 ・ 山名 40)
歴史的概要
「六分一殿」と呼ばれた山名氏清・満幸は将軍足利義満の挑発に乗って挙兵し、二手に分かれて京の内野(大内裏の跡地)へ攻め込んだ。義満は馬廻りと大内義弘らで迎え、氏清は討死、山名の領国は大きく削られた。
主な武将
幕府方: 足利義満、大内義弘、畠山基国、細川頼元、赤松義則/山名方: 山名氏清、山名満幸、小林義繁
史料
『明徳記』(※軍記)、『兼宣公記』

応永の乱・堺の戦い

SP-741 · 1399年 · 港町に井楼を並べて籠った大内義弘が、火攻めで落ちる

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 48(幕府軍 30 ・ 大内 18)
歴史的概要
六か国の守護となった大内義弘は将軍足利義満と対立し、和泉の堺に兵を入れて城郭を築いた。幕府の大軍が囲み、一か月余りの対陣ののち、風の日に火を放って総攻めにかかる。義弘は討死し、弟の弘茂は降った。
主な武将
幕府方: 足利義満(八幡の本陣・盤外)、畠山基国、畠山満家、赤松義則/大内方: 大内義弘(討死)、大内弘茂(降る)
史料
『応永記』、『堺記』

琉球の三山統一 1416

今帰仁城の戦い

SP-742 · 1416年 · 固い石垣の城を、内から開けさせる

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 44(中山連合 28 ・ 北山 16)
歴史的概要
中山の尚巴志は、北山王・攀安知に背いた按司たちと組んで今帰仁城を攻めた。石垣は固く攻めあぐねたが、北山の重臣・本部平原が内応して城の兵を外へ出させ、その隙に城へ入った。攀安知は自害し、北山は滅ぶ。
主な武将
中山方: 尚巴志、護佐丸(読谷山按司)、羽地按司/北山方: 攀安知(自害)、本部平原(内応)
史料
『中山世鑑』、『中山世譜』(※どちらも17〜18世紀の王府の史書で、細部は伝承)

上杉禅秀の乱・永享の乱・嘉吉の乱 1417 〜 1441

上杉禅秀の乱・世谷原の戦い

SP-743 · 1417年 · 幕府に見放された禅秀方から、国人が日ごとに離れていく

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 46(持氏方 26 ・ 禅秀方 20)
歴史的概要
前関東管領の上杉禅秀は足利満隆らを担いで鎌倉公方・足利持氏を襲い、鎌倉を取った。持氏は駿河へ逃れたが、幕府が持氏を支持して兵を送ると、禅秀方の国人は離れていった。持氏方は世谷原で禅秀方を破り、禅秀は鎌倉の雪ノ下で自害した。
主な武将
持氏方: 足利持氏、上杉憲基、今川範政/禅秀方: 上杉禅秀(氏憲・自害)、足利満隆、足利持仲、岩松満純
史料
『鎌倉大草紙』、『看聞日記』

永享の乱・早川尻の戦い

SP-744 · 1438年 · 箱根を越えてきた幕府軍を、公方の兵が出口で迎えて崩される

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 40(幕府軍 22 ・ 持氏方 18)
歴史的概要
鎌倉公方・足利持氏と将軍足利義教の対立が決裂し、幕府は関東管領上杉憲実を助けて持氏討伐の兵を出した。持氏方は箱根を越えてくる幕府軍を早川尻で迎えたが敗れ、相模の守りは崩れる。持氏は出家して降ったが、翌年自害させられた。
主な武将
幕府方: 上杉持房、今川範忠/持氏方: 上杉憲直、一色直兼(※早川尻の持氏方の大将は諸書で揺れる。制作時に史料で確かめる)
史料
『永享記』、『鎌倉持氏記』

結城合戦

O-1 · 1440年 〜 1441年 · 永享の乱の後始末

規模
中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 48(幕府軍 28 ・ 結城方 20)
歴史的概要
足利持氏の遺児を担いだ結城氏朝が結城城に籠り、幕府方の大軍を1年近く受け止めた。落城時、城将は自刃し、遺児は美濃で斬られる。
主な武将
- 結城方: 結城氏朝(城主・自刃)、結城持朝、春王丸・安王丸(持氏の遺児=守る対象) - 幕府方: 上杉清方(総大将)、小笠原政康、長尾景仲、里見家兼

嘉吉の乱・城山城の戦い

O-2 · 1441年

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 32(幕府(山名)軍 18 ・ 赤松方 14)
歴史的概要
将軍足利義教を宴席で討った赤松満祐が播磨へ引き、山城に籠って幕府軍を迎えた。将軍暗殺という前代未聞の一手の、その後始末である。
主な武将
- 赤松方: 赤松満祐(自刃)、赤松教康、安積行秀 - 幕府方: 山名持豊(宗全・後の応仁の乱の西軍総帥)、細川持常、赤松貞村(同族・幕府方)

享徳の乱・長尾景春の乱・長享の乱 1455 〜 1504

享徳の乱・分倍河原の戦い

O-3 · 1455年

規模
軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(古河公方方 24 ・ 上杉方 22)
歴史的概要
関東を28年間割った大乱の初期戦。T-2 分倍河原(1333年)と同じ河原で、今度は足利成氏が上杉勢を破る。
主な武将
- 古河公方方: 足利成氏、簗田持助、里見義実、印東式部少輔 - 上杉方: 上杉憲秋(討死)、上杉憲信、扇谷上杉顕房(討死)、長尾景仲

享徳の乱・分倍河原の翌年、小栗城の攻防

SP-434 · 1455〜56年 · 公方が常陸へ出て、背後が空く

規模
中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 40(公方方 22 ・ 上杉方 18)
歴史的概要
分倍河原(本編 O-3)で勝った足利成氏は、常陸の小栗城に籠る上杉方を攻めて落とし、そのまま古河に居を移した(古河公方の始まり)。鎌倉はこの間に今川勢に占められる。
主な武将
公方方: 足利成氏、結城成朝、簗田持助/上杉方: 小栗城の守将(※名は要確認)、上杉房顕の援兵
史料
『鎌倉大草紙』、『康富記』

千葉氏の内紛・多古城と島城の戦い

SP-851 · 1455年 · 一族の分家が公方方につき、二つの城に分かれた宗家の父子を一つずつ落とす

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 38(馬加・原 22 ・ 千葉宗家 16)
歴史的概要
享徳の乱が始まると、下総の千葉氏は割れた。古河公方の足利成氏についた一族の馬加康胤と重臣の原胤房は、上杉方の当主千葉胤直を千葉の城から追い出した。胤直とその子胤宣は下総の東の多古城と島城に分かれて籠ったが、原胤房らに攻められて城は相次いで落ち、父子は自害して千葉の宗家は絶えた。
主な武将
攻め手(公方方): 原胤房、馬加康胤/千葉宗家(上杉方): 千葉胤直(自害)、千葉胤宣(自害)
史料
『鎌倉大草紙』、『千学集抜粋』(※後世の記録で、城の落ちた順と日付は諸書で揺れる。制作時に確かめる)

太田庄の戦い

SP-519 · 1459年 · 利根川の低地で、上杉方が古河公方に大敗する

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(公方方 28 ・ 上杉方 26)
歴史的概要
享徳の乱の中盤、古河公方足利成氏の軍が武蔵の太田庄で上杉房顕・扇谷上杉持朝らの軍を破った。上杉方はこの後、五十子に陣を据え、利根川を挟む長い対陣に入る。
主な武将
公方方: 足利成氏、簗田持助、岩松持国/上杉方: 上杉房顕、上杉持朝、長尾景仲、長尾景信
史料
『鎌倉大草紙』、『松陰私語』(※日付と規模は要確認)

海老瀬口・羽継原の戦い

SP-520 · 1459年 · 半年後、上杉方が利根川を越えて押し返す

規模
中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(上杉方 28 ・ 公方方 26)
歴史的概要
太田庄の敗戦から半年、上杉方は上野の海老瀬口・羽継原で成氏の軍と戦い、押し返した。以後二十年近く、利根川を境に公方と管領の対陣が固まる。
主な武将
上杉方: 上杉房顕、長尾景信、岩松家純/公方方: 足利成氏、簗田持助
史料
『鎌倉大草紙』、『松陰私語』(※)

江古田・沼袋原の戦い

O-6 · 1477年 · 長尾景春の乱

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 34(太田道灌勢 16 ・ 豊島方 18)
歴史的概要
太田道灌が、豊島泰経・泰明兄弟を武蔵野の原で捕らえて破った。江戸城を築いた男の戦いぶりが具体的に残る数少ない一戦。
主な武将
- 扇谷上杉方: 太田道灌(総指揮)、上杉朝昌、千葉自胤 - 豊島方: 豊島泰経(石神井城へ逃走)、豊島泰明(討死)、板橋・赤塚の一族

五十子陣の崩壊

SP-424 · 1477年 · 陣の中から裏切りが立ち上がる

規模
中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(長尾景春 20 ・ 両上杉 26)
歴史的概要
享徳の乱のあいだ20年近く古河公方と対峙してきた上杉方の本陣・五十子(いかっこ)を、山内上杉家の家宰の座を逃した長尾景春が正月に襲った。上杉顕定・定正は上野へ敗走し、関東の上杉方は二つに割れた。
主な武将
景春方: 長尾景春、豊島泰経(呼応)/上杉方: 上杉顕定(山内)、上杉定正(扇谷)、長尾忠景。※太田道灌はこの時五十子に居なかった=駒にしない
史料
『太田道灌状』、『鎌倉大草紙』

用土原の戦い

SP-521 · 1477年 · 五十子が崩れた年、道灌が景春を武蔵の原で追い落とす

規模
中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(扇谷方 26 ・ 景春方 24)
歴史的概要
江古田・沼袋原で豊島氏を破った太田道灌は、景春の本拠へ迫り、武蔵の用土原で長尾景春の軍を破った。景春は鉢形城へ退く。
主な武将
扇谷方: 太田道灌、上杉定正、太田資忠/景春方: 長尾景春(※ほかは要確認)
史料
『太田道灌状』

境根原の戦い

SP-522 · 1478年 · 道灌が下総へ入り、千葉の分家を原で破る

規模
中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(扇谷方 26 ・ 千葉方 24)
歴史的概要
古河公方方に付いた千葉孝胤を討つため下総へ入った太田道灌は、境根原で孝胤の軍を破った。翌年の臼井城攻めで弟の資忠を失う。
主な武将
扇谷方: 太田道灌、太田資忠、千葉自胤/千葉方: 千葉孝胤
史料
『太田道灌状』、『鎌倉大草紙』

臼井城の戦い

SP-852 · 1479年 · 長い囲みの末に城は落ちるが、攻め手の大将の弟が討たれる

規模
中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(太田・千葉自胤 26 ・ 千葉孝胤 18)
歴史的概要
境根原で千葉孝胤を破った太田道灌は、弟の太田資忠と上杉方の千葉自胤に孝胤の臼井城を攻めさせた。城は固く囲みは長引いたが、やがて落ちた。その攻めの中で、城兵の反撃により資忠は討死した。
主な武将
太田方: 太田資忠(討死)、千葉自胤、太田道灌(盤外)/千葉孝胤方: 千葉孝胤
史料
『太田道灌状』、『鎌倉大草紙』(※落城と資忠の討死の前後は諸書で揺れる。制作時に確かめる)

長享の乱・須賀谷原の戦い

O-7 · 1488年

規模
軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(山内上杉 22 ・ 扇谷上杉 22)
歴史的概要
山内上杉と扇谷上杉の同族同士の潰し合い。数千が死傷し、両家とも立ち直れないまま、後に北条へ飲まれていく。
主な武将
- 扇谷上杉方: 上杉定正、太田資康(道灌の子)、曾我兵庫助 - 山内上杉方: 上杉顕定、長尾景春(この年は山内方)、海野幸元

長享の乱・実蒔原の戦い

SP-425 · 1488年 · 同じ上杉が、雪解けの野で割れる

規模
中量 m(〜45分)/ 8ターン / 駒 40(扇谷 18 ・ 山内 22)
歴史的概要
太田道灌を謀殺した扇谷上杉定正と、それを機に扇谷を討とうとした山内上杉顕定が、相模の実蒔原(さねまきはら)で初めてぶつかった。少ない扇谷方が勝ち、同じ年の須賀谷原・高見原へ続く。
主な武将
扇谷: 上杉定正、上杉朝良、曽我兵庫/山内: 上杉顕定、長尾能景、太田資康(道灌の子。父を殺した定正を離れて山内方に付いた)
史料
『松陰私語』、『鎌倉大草紙』

長享の乱・高見原の戦い

SP-426 · 1488年 · 冬の荒川で、扇谷がもう一度勝つ

規模
中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 44(扇谷 20 ・ 山内 24)
歴史的概要
実蒔原・須賀谷原に続く同年三度目の対決。武蔵の高見原で扇谷上杉定正がまたも山内方を破ったが、決着はつかず、乱はこの後十数年続く。
主な武将
扇谷: 上杉定正、上杉朝良/山内: 上杉顕定、長尾顕忠、太田資康
史料
『松陰私語』

立河原の戦い 実装済み

O-8 · 1504年

規模
重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(扇谷上杉・今川・伊勢連合 42 ・ 山内上杉 42)
歴史的概要
扇谷上杉が今川氏親・伊勢宗瑞(北条早雲)の援軍を得て、山内上杉を多摩川の河原で破った。早雲が関東の戦へ本格的に足を踏み入れた戦いである。
主な武将
- 扇谷・今川連合: 上杉朝良、今川氏親、伊勢宗瑞(北条早雲)、太田資康(討死) - 山内上杉方: 上杉顕定、上杉憲房、長尾景英

応仁の乱 1467 〜 1468

御霊合戦

O-4 · 1467年 · 応仁の乱の開戦

規模
軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 18(畠山政長勢 8 ・ 畠山義就勢 10)
歴史的概要
応仁の乱はここから始まる。畠山政長が上御霊社に陣を敷き、畠山義就が攻めた。動員は双方合わせて数千、京の一角だけの小さな戦いが11年の大乱の口火になる。
主な武将
- 畠山政長方(東軍の芽): 畠山政長(社に火を放って脱出)、遊佐長直、神保長誠 - 畠山義就方(西軍の芽): 畠山義就、山名宗全(兵は出さず、義就を通しただけ)

応仁の乱・相国寺の戦い

O-5 · 1467年

規模
軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 44(東軍(細川) 22 ・ 西軍(山名) 22)
歴史的概要
開戦の年の最大の市街戦。相国寺に籠った西軍を東軍が攻め、寺は全焼した。以後、京は焼け野原のまま10年戦い続ける。
主な武将
- 東軍: 細川勝元、武田信賢、京極持清、赤松政則 - 西軍: 山名宗全、大内政弘(西国からの大軍・後着)、一色義直、斯波義廉

応仁の乱・東岩倉山合戦

SP-433 · 1467年 · 京の東の山で、東西が初めて本気で当たる

規模
中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 46(東軍 22 ・ 西軍 24)
歴史的概要
応仁元年の秋、東山の東岩倉山に陣取った東軍の赤松・細川勢に、大内政弘を加えた西軍が攻めかかった。山の上の陣は数日の攻防のあと持ちこたえ、戦いは京の市街の陣地戦へ移る。
主な武将
東軍: 東岩倉山に陣した細川方の諸将(※顔ぶれは『応仁記』で要確認)/西軍: 大内政弘、畠山義就
史料
『応仁記』(※軍記=伝)、『大乗院寺社雑事記』

上京の戦い

SP-523 · 1467年 · 応仁の乱が、京の北半分で本格的に始まる

規模
重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(東軍 44 ・ 西軍 40)
歴史的概要
応仁元年五月、細川勝元方の東軍が一条大宮の山名方を攻め、上京一帯で両軍がぶつかった。戦火は数日で上京の大半を焼き、以後十年の京の陣地戦が始まる。
主な武将
東軍: 細川勝元、細川成之、武田信賢、京極持清、赤松政則/西軍: 山名宗全、斯波義廉、一色義直、土岐成頼、畠山義就
史料
『応仁記』(※軍記)、『大乗院寺社雑事記』、『後法興院記』

稲荷山の戦い

SP-524 · 1468年 · 足軽大将が、敵の後ろを荒らしに出て討たれる

規模
軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 36(西軍 20 ・ 骨皮道賢 16)
歴史的概要
東軍に雇われた足軽大将骨皮道賢は伏見稲荷に拠って西軍の補給路を荒らしたが、西軍に攻められて討たれた。足軽が戦の表に出てきたことを示す一戦。
主な武将
西軍: ※攻めた将の名は要確認(畠山義就・大内政弘の勢とされる)/東軍方: 骨皮道賢
史料
『碧山日録』、『応仁記』(※)