第二次フレデリックスバーグの戦い
1863年 · 北米 中量
北軍(第VI軍団) — 南軍(アーリー師団) · 12ターン · 駒 41
ブリーフィング
"...will attack and destroy any force he may fall in with on the road."
「(セジウィックは)道で出会ういかなる敵も攻撃して撃滅せよ」──フッカーからセジウィックへの命令、1863年5月2日夜(公刊戦史 OR より)。五か月前に北軍が十四回突撃して一度も届かなかった石垣が、その道の入口にあった。
1863年5月3日の夜明け、フレデリックスバーグ。フッカーの本隊は西のチャンセラーズヴィルで戦っている。町に残ったのはセジウィックの第VI軍団とギボンの師団、二万七千。向かいのマリーの丘の麓には窪んだ道と石垣があり、その後ろに立つのはバークスデールのミシシッピ兵四個連隊とワシントン砲兵だけ。アーリー師団の残りは、北軍が南から来ると思って、六マイル先のプロスペクト・ヒルの方を向いている。
【勝ち方】勝敗は点差ひとつで決まる。点差=(自軍が支配する拠点の点 − 敵軍が支配する拠点の点)+(敵に与えた損害 − 自軍が受けた損害)+(盤の外へ抜けた自軍の脱出の点)。拠点は六か所で一〇〇点:マリーの丘三〇・セイラム教会二五・リーの丘一五・テイラーの丘一〇・バンクス・フォード一〇・フレデリックスバーグの町一〇。南軍は最初に九〇点を持ち、北軍は一〇点。北軍は西の縁のプランク道の口(チャンセラーズヴィルへ)から、南軍は南の縁の電信道の口とその西の四升から盤の外へ抜けると、戦闘力一につき北軍は一点(突破)、南軍は十点(退却)。南軍の脱出の点は合計三十五点で頭打ちになる。北軍から見た点差が勝利線(+39点)より上で終われば北軍の勝ち、下なら南軍の勝ち。差が9点を超えれば戦術的勝利、70点で作戦的勝利、140点で戦略的勝利。9点に届かなければ引き分けである。
【石垣】窪んだ道と石垣の二升は要塞である。中の駒は攻撃しなくてよく、攻められても全滅か攻め手の全滅のほかは膠着になる。南軍の思考ルーチンは石垣の守兵を窪んだ道から出さない。北軍は十分な数を集めるまで、何度でも跳ね返される。
【南を向いた三個旅団】アーリー師団のゴードン、ホーク、スミスの旅団は待機している。T4(10時)から少しずつ起き、攻められればその場で起きる。
【一度に動かせる数】北軍は六、T6(12時)に六増える(セジウィックは石垣が落ちるまで慎重だった)。南軍は十二、T10(16時)に四増える。
【増援】南軍:T10(16時)にセムズとカーショウ、T11(17時)にウォフォードとマホーンが、チャンセラーズヴィルから西の縁(セイラム教会の西)に着く。北軍に増援は無い。
【指揮官】北軍:Sedgwick=ジョン・セジウィック(第VI軍団)。Johns=トマス・ジョンズ大佐とSpear=ジョージ・スピア大佐の縦隊(7th Mass・36th NY・61st PA・43rd NY)、Burnham=ハイラム・バーナムの軽師団(6th Maine・5th Wis・31st NY)、Shaler・Browne・Wheaton=ニュートン師団、Grant(ヴァーモント旅団)・Neill=ハウ師団、Brown(ニュージャージー旅団)・Bartlett・Russell=ブルックス師団、Sully・Owen(フィラデルフィア旅団)・Hall=ギボン師団、Hunt=スタフォードの高地の重砲(射程3)。南軍:Early=ジュバル・アーリー、Barksdale=ウィリアム・バークスデールのミシシッピ旅団、Walton=ワシントン砲兵、Cabell=リーの丘の砲、Hays=ハリー・ヘイズのルイジアナ旅団、Gordon・Hoke・Smith=アーリー師団、Wilcox=カドマス・ウィルコックスのアラバマ旅団、Semmes・Kershaw・Wofford=マクローズ師団、Mahone=ウィリアム・マホーン。駒の上の名は指揮官、下は部隊である。
【この盤で試される判断】ひとつめ(北軍)。石垣を正面から何度も叩くか、ハゼル・ランの南からリーの丘へ回るか。石垣は要塞で、中途半端な数では膠着か全滅しか出ない。
ふたつめ(北軍)。石垣を抜いたあと、残る時間でセイラム教会まで進むか。マクローズが西から着く前に教会を越えれば、チャンセラーズヴィルへの道が開く。
みっつめ(南軍)。アーリーの師団を石垣の後ろで戦わせるか、電信道を南へ退いて師団を保つか。退いた兵は点になる。
よっつめ(南軍)。ウィルコックスの五個連隊を、プランク道のどこで止めるか。一升ずつ下がれば、マクローズが間に合う。
【結末】三度目の突撃は11時ごろだった。ニュートンの二つの縦隊がハノーヴァー通りとプランク道を駆け上がり、スピア大佐は倒れ、縦隊は一度崩れかけたが、バーナムの軽師団と一緒に石垣を越えた。第18ミシシッピ連隊とワシントン砲兵の多くが捕らえられた。前の冬に八千の命を呑んだ石垣は、半時間で落ちた。
アーリーは電信道を南へ退いて師団を保ち、ウィルコックスはプランク道の上を一升ずつ下がって時間を稼いだ。セジウィックが西へ動き出すまでに数時間かかった。17時半、セイラム教会の森と校舎の前で、ウィルコックスとマクローズの旅団がブルックスの師団を止めた。翌5月4日、リーは三方からセジウィックを囲もうとしたが、攻撃は夕方まで遅れ、その夜セジウィックはバンクス・フォードを渡って北岸へ退いた。5日の夜にはフッカーも川を渡り、チャンセラーズヴィルの戦いは終わった。
前の冬、十四の突撃が届かなかった石垣
守る者は四つの連隊だけになっていた
三度目に、縦隊は窪んだ道を越えた
西の森の教会の前で、日が暮れた
翌日の夜、舟橋が北へ渡った
盤は5月3日の7時から18時まで。5月4日の囲みとセジウィックの撤退は【結末】に書いた。ギボンが運河を渡れなかったことは、石垣の北の区間の運河の辺で表した(石垣の前の区間は描いていない)。石垣の前では連隊を、ほかは旅団を一駒とした。
1ヘクス=400m、1ターン=1時間、1CS≒300名。T1=5/3 07:00、T4=10:00(アーリーの三個旅団が起き始める)、T5=11:00(三度目の突撃)、T6=12:00、T10=16:00(マクローズ)、T11=17:00(セイラム教会)、T12=18:00。
地図
フレデリックスバーグ
チャンセラーズヴィル(フッカー)
セイラム教会(17:30)
ラパハノック川
マクローズ(チャンセラーズヴィルから戻る)
→ リッチモンド
マリーの丘の石垣(三度目に抜ける)
セイラム教会(17:30)
ウィルコックス(一升ずつ下がる)
アーリー(電信道を南へ)
セジウィック(2万7千)
ギボン(運河の橋が無い)
マクローズ(チャンセラーズヴィルから戻る)
スタフォードの高地(北軍の砲)
バンクス・フォード(5/4 夜に退く)