東欧・ロシア・草原(中世)
- モンゴル帝国の征西 9
- バルト十字軍 2
- ジョチ・ウルスとルーシ 5
- バルカンとオスマンの興隆 22
モンゴル帝国の征西 1211 〜 1260
野狐嶺の戦い
MG-1 · 1211年 · 金の主力が消える
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(モンゴル 24 ・ 金 32)
- 歴史的概要
- 金は40万を峠に並べたが、縦に長く伸びていた。木華黎が決死隊を率いて中央の一点だけを突き、そこから崩れた金軍は追撃で壊滅する。以後、金は野戦で主力を出せなくなる。
- 主な武将
- モンゴル軍: チンギス・ハン、木華黎(決死隊)、ジェベ、スブタイ/金軍: 完顔承裕(総指揮)、独吉思忠(更迭)、完顔胡沙
パルワーンの戦い
MG-2 · 1221年 · モンゴルが野戦で負けた日
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 30(ホラズム 16 ・ モンゴル 14)
- 歴史的概要
- ホラズムのジャラールッディーンが、騎兵を下馬させて岩場に踏みとどまり、シギ・クトクのモンゴル軍を撃退した。モンゴルは藁人形を予備の馬に乗せて数を偽装したが、それでも押し切れなかった。
- 主な武将
- ホラズム軍: ジャラールッディーン・メングベルディー、アミーン・マリク、セイフッディーン/モンゴル軍: シギ・クトク(敗北)、テクチュク
インダス河の戦い
SP-173 · 1221年 · 川へ馬ごと飛び込んで逃げる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(モンゴル 30 ・ ホラズム 24)
- 歴史的概要
- ジャラールッディーンはインダス河を背に半日戦い、追い詰められて馬ごと崖から河へ飛び込んで渡った。チンギスはその姿を見て「男とはああでなくては」と言ったと伝わる。
- 主な武将
- モンゴル: チンギス・ハン、バラ・ノヤン(追撃)/ホラズム: ジャラールッディーン・メングベルディ(河へ飛び込む)、アミン・マリク
- 史料
- ジュヴァイニー『世界征服者の歴史』、ナサウィー
カルカ河の戦い
MG-3 · 1223年 · 九日間の偽装退却
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 54(モンゴル 22 ・ ルーシ・クマン連合 32)
- 歴史的概要
- ジェベとスブタイは9日間逃げ続け、ルーシ諸公の連合軍を伸ばし切ってから振り返った。先を争って追った軍は縦に千切れており、順に潰される。捕らえた公たちは板の下敷きにされ、その上で宴が張られた。
- 主な武将
- モンゴル軍: ジェベ、スブタイ/ルーシ・クマン連合: ムスチスラフ豪胆公(先を争って追う)、ムスチスラフ3世(キエフ大公・捕虜・処刑)、ダニール・ロマノヴィチ(負傷)、コテン・ハン(クマン)
三峰山の戦い
MG-4 · 1232年 · 雪の中の包囲
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(モンゴル 26 ・ 金 28)
- 歴史的概要
- 金の最後の主力15万を、モンゴルは雪の山中で三日間包囲して動かさず、疲れ切ったところでわざと一方の道を開けて吐き出させ、退路で刈った。
- 主な武将
- モンゴル軍: トルイ、スブタイ、口温不花/金軍: 完顔合達(討死)、移剌蒲阿(捕らえられ処刑)、完顔陳和尚(忠孝軍・のち処刑)
モヒ
MG-5 · サヨー河)の戦い(1241年 · 橋と、上流の渡渉点
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(モンゴル 28 ・ ハンガリー 26)
- 歴史的概要
- ハンガリー軍は橋の東で車陣を組んで守った。バトゥが橋で正面から押している間に、スブタイは上流で川を渡って背後へ回り、朝には囲みが閉じていた。ここでも西へ抜ける道だけが空いていて、逃げた者は道々で狩られる。
- 主な武将
- モンゴル軍: バトゥ(橋の正面)、スブタイ(上流の迂回)、シバン/ハンガリー軍: ベーラ4世(逃走)、コロマン公(王弟・負傷死)、大司教ウグリン(討死)、テンプル騎士団長
レグニツァ
MG-6 · ワールシュタット)の戦い(1241年 · 二日前の別の戦場
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 30(モンゴル 14 ・ ポーランド・ドイツ連合 16)
- 歴史的概要
- モヒの2日前、ポーランド・ドイツの騎士団を同じ手(偽装退却と煙幕)で破った。ヘンリク2世は討たれ、その首は槍に掲げられてレグニツァ城の前を回された。
- 主な武将
- モンゴル軍: バイダル、カダン、オルダ/ポーランド・ドイツ連合: ヘンリク2世敬虔公(討死)、ボレスワフ(モラヴィア・討死)、テンプル騎士団、金鉱夫の民兵隊
キョセ・ダグの戦い
SP-174 · 1243年 · 伏兵を疑って、勝手に崩れる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(モンゴル 26 ・ ルーム・セルジューク 30)
- 歴史的概要
- 数で勝るセルジューク軍は、モンゴルの偽装退却を伏兵と疑って前進をためらい、その混乱の中で崩れた。アナトリアがモンゴルの支配下に入る。
- 主な武将
- モンゴル: バイジュ・ノヤン/セルジューク: カイホスロー2世(逃走)、グルジア・フランク傭兵隊
- 史料
- イブン・ビービー、キラコス、ラシード・アッディーン
アイン・ジャールートの戦い
MG-7 · 1260年 · 追う側が罠にかかる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 35(マムルーク 18 ・ モンゴル 17)
- 歴史的概要
- マムルーク側が逃げてみせて谷へ誘い込み、丘に伏せていた本隊で囲んだ。モンゴルの将キトブカは討たれ、モンゴルが初めて決定的に敗れる。この戦いを機にバイバルスが実権を握る。
- 主な武将
- マムルーク軍: クトゥズ(スルタン)、バイバルス(囮の先鋒/戦後クトゥズを殺して即位)、ベルケ・ハン麾下の亡命モンゴル兵/モンゴル軍: キトブカ(討死)、グルジア・アルメニア諸侯
バルト十字軍 1236 〜 1260
サウレの戦い
SP-175 · 1236年 · 沼地で馬を降ろされる
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(リトアニア 24 ・ 帯剣騎士団 20)
- 歴史的概要
- 重装の騎士団が沼地へ入り込んで馬を降りざるを得なくなり、軽装のサモギティア人に囲まれて団長以下が倒れた。帯剣騎士団はドイツ騎士団に吸収される。
- 主な武将
- リトアニア・サモギティア: ヴィキンタス/騎士団: フォルクヴィン(団長・戦死)、プスコフの援兵
- 史料
- 『リヴォニア韻文年代記』、教皇庁文書
デュルベの戦い
SP-176 · 1260年 · 味方の傭兵が、戦う前に帰る
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 9ターン / 駒 46(サモギティア 24 ・ 騎士団 22)
- 歴史的概要
- 騎士団側についていたクロニア人とエストニア人が、戦いの直前に戦場を去った。数を失った騎士団は囲まれ、団長と大勢の騎士が倒れる。
- 主な武将
- サモギティア: トロイナト/騎士団: ブルクハルト・フォン・ホルンハウゼン(戦死)、去るクロニア人
- 史料
- 『リヴォニア韻文年代記』、ペーター・フォン・ドゥスブルク
ジョチ・ウルスとルーシ 1240 〜 1471
ネヴァ川の戦い
RU-2 · 1240年 · 上陸の途中を叩く
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 20(ノヴゴロド 10 ・ スウェーデン 10)
- 歴史的概要
- 川岸に天幕を張って上陸中のスウェーデン軍を、アレクサンドルは知らせを受けた日のうちに、少数で襲った。ガヴリロ・オレクシチは馬のまま渡し板を駆け上がって船に乗り込み、落とされてまた上がったと年代記は書く。この日から彼は「ネフスキー」と呼ばれる。
- 主な武将
- ノヴゴロド軍: アレクサンドル・ヤロスラヴィチ(20歳・のちのネフスキー)、ガヴリロ・オレクシチ、スビスラフ、ミーシャ(歩兵隊)/スウェーデン軍: ビルゲル・ヤール(伝承)、司教
チュード湖の戦い
E-8 · 1242年
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(ノヴゴロド 22 ・ ドイツ騎士団 20)
- 歴史的概要
- ネフスキー vs ドイツ騎士団。重装騎士が乗ると危険な薄氷地形と包囲。
- 主な武将
- - ノヴゴロド軍: アレクサンドル・ネフスキー(総指揮・ネヴァの英雄)、アンドレイ・ネフスキー(弟・騎兵) - チュートン(ドイツ)騎士団: ヘルマン・フォン・ザルツァ(総長)、アンドレアス・フォン・フェルベン(副長)
ヴォジャ川の戦い
RU-5 · 1378年 · 渡ってくるところを受ける
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 30(モスクワ 16 ・ ジョチ・ウルス 14)
- 歴史的概要
- ルーシ軍は川の向こう岸に待ち、モンゴル軍が渡り切って態勢を整える前に、三方から同時に当たった。クリコヴォの2年前、ルーシが野戦で初めて主力に勝つ。
- 主な武将
- ルーシ軍: ドミトリー・イヴァノヴィチ(のちのドンスコイ)、ダニール・プロンスキー(左)、チモフェイ・ヴェリャミノフ(右)/ジョチ・ウルス: ベギチ(討死)、ハズィベイ、コヴェルグイ
クリコヴォの戦い
MG-8 · 1380年 · 森の中の伏せ勢
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(ルーシ連合 28 ・ ママイ軍 26)
- 歴史的概要
- ドミトリー・ドンスコイは一兵として前線に立ち、森に伏せた予備隊を最後まで出さなかった。左翼が押し切られる寸前に伏せ勢が出て、ママイ軍は崩れる。ルーシがモンゴルに勝った最初の会戦。
- 主な武将
- ルーシ軍: ドミトリー・ドンスコイ(一兵として戦い負傷)、ドミトリー・ボブロク(伏せ勢を出す時機を握る)、ウラジーミル勇敢公、修道士ペレスヴェート(一騎討ち・相討ち)/ジョチ・ウルス: ママイ、ジェノヴァ傭兵歩兵
シェロン川の戦い
RU-8 · 1471年 · 共和国が終わる日
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 30(モスクワ 14 ・ ノヴゴロド 16)
- 歴史的概要
- 数で大きく勝るノヴゴロドの市民軍を、モスクワの騎兵が川を渡って一気に突き崩した。集められた市民は騎兵の相手にならず、大司教の一隊は最後まで動かなかった。この敗北でノヴゴロド共和国は事実上終わる。
- 主な武将
- モスクワ軍: ダニール・ホルムスキー、フョードル・ストログ/ノヴゴロド軍: ドミトリー・ボレツキー(捕虜・処刑)、マルファ・ボレツカヤ(市の指導者・後方)、大司教の一隊(動かない)
バルカンとオスマンの興隆 1230 〜 1497
クロコトニツァの戦い
RU-1 · 1230年 · 破った条約を槍に掲げて
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 25(ブルガリア 12 ・ エピロス 13)
- 歴史的概要
- 誓いを破って攻め込んできたエピロスの軍に対し、ブルガリア皇帝は破られた条約の文書を槍の先に結んで掲げ、少数の騎兵で正面から当たった。テオドロスは捕らえられ、のちに目を潰される。
- 主な武将
- ブルガリア軍: イヴァン・アセン2世、クマン人騎兵隊/エピロス軍: テオドロス・コムネノス・ドゥーカス(捕虜・失明)、その弟マヌエル
ポサダの戦い
RU-3 · 1330年 · 峡谷の四日間
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 10ターン / 駒 42(ワラキア 18 ・ ハンガリー 24)
- 歴史的概要
- ワラキアへ攻め入ったハンガリー王の軍は、帰り道の細い峡谷で四日間にわたって岩と矢を浴び続けた。王は家臣と鎧を取り替えて逃れ、身代わりはそこで死ぬ。
- 主な武将
- ワラキア軍: バサラブ1世、地の民の弓兵隊/ハンガリー軍: カーロイ1世(鎧を取り替えて脱出)、デジェ・シェチェイ(身代わり・討死)、大司教
マリツァ川の戦い
RU-4 · 1371年 · 眠っている陣を夜に
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 42(オスマン 16 ・ セルビア連合 26)
- 歴史的概要
- オスマンへ向けて南下したセルビア諸侯の軍は、川べりで宴の後に眠っていた。夜のうちに小勢の奇襲を受け、暗闇の中を逃げて多くが川で溺れた。バルカンの諸侯はこの日に主だった者を失う。
- 主な武将
- セルビア連合: ヴカシン・ムルニャヴチェヴィッチ(討死)、ウグリェシャ(討死)、その子マルコ王子(生き延びて叙事詩の英雄になる)/オスマン軍: ララ・シャーヒン・パシャ、ハジ・イルベイ
コソヴォの戦い
OT-1 · 1389年 · 両軍の総大将が同じ日に死ぬ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(オスマン 26 ・ セルビア連合 24)
- 歴史的概要
- セルビア諸侯の連合とムラト1世の軍が正面から衝突し、ムラトは陣中でミロシュ・オビリッチに刺され、ラザル公は捕らえられて処刑された。両軍の主が同じ日に死んだ、史上まれな戦い。
- 主な武将
- セルビア連合: ラザル公(捕虜・処刑)、ミロシュ・オビリッチ(単身スルタンを刺す)、ヴク・ブランコヴィッチ(離脱・裏切りと伝わる)、ヴラトコ・ヴコヴィッチ(ボスニア)/オスマン軍: ムラト1世(暗殺)、バヤジット1世(子・その場で継ぐ)、ヤクブ(兄・その日に殺される)
ロヴィネの戦い
SP-543 · 1395年 · 森と沼の縁で、ワラキア公がスルタンの大軍を受ける
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(オスマン 30 ・ ワラキア 26)
- 歴史的概要
- バヤズィト1世のオスマン軍がワラキアへ侵攻し、ミルチャ老公は森と沼地に囲まれた地で迎え撃った。両軍とも大損害を出し、勝敗は史料によって異なる。オスマン方にはセルビア公ステファン・ラザレヴィチと、討死したマルコ・クラリェヴィチらの臣従諸侯が従っていた。
- 主な武将
- ワラキア: ミルチャ1世(老公)/オスマン: バヤズィト1世、ステファン・ラザレヴィチ、マルコ・クラリェヴィチ(討死)、コンスタンティン・デヤノヴィチ(討死)
- 史料
- オスマン年代記、コンスタンティン・コステネツキ『ステファン・ラザレヴィチ伝』(※戦場の位置と日付には異説)
ニコポリスの戦い
OT-2 · 1396年 · 抜け駆けした騎士団
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(十字軍 26 ・ オスマン 26)
- 歴史的概要
- ハンガリー王ジギスムントは「歩兵を先に」と言ったが、フランスの騎士たちは名誉のために先陣を譲らず、杭の列を越えて丘を登り、その向こうに待っていたオスマン騎兵に囲まれた。セルビア勢の到着が最後の望みを断つ。
- 主な武将
- 十字軍: ジギスムント(ハンガリー王)、ジャン・ド・ヌヴェール(恐れ知らず公・抜け駆け・捕虜)、フィリップ・ダルトワ、ジャン・ル・メングル(ブシコー・捕虜)/オスマン軍: バヤジット1世(雷帝)、ステファン・ラザレヴィッチ(セルビア・増援)
ヴォルスクラ川の戦い
SP-177 · 1399年 · 大同盟が、草原で一日で消える
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 66(ジョチ・ウルス 34 ・ リトアニア連合 32)
- 歴史的概要
- ヴィータウタスの率いる大連合軍(リトアニア・ポーランド・ドイツ騎士団・トクタミシュ)が、エディゲイの偽装退却に乗って追い、草原で包まれた。東欧の勢力図が固まる。
- 主な武将
- ジョチ・ウルス: エディゲイ、テムル・クトルグ/連合: ヴィータウタス(辛うじて脱出)、トクタミシュ(逃走)、シュピトコ(戦死)
- 史料
- リトアニア年代記、ヤン・ドゥウゴシュ
アンカラの戦い
OT-3 · 1402年 · 水源を先に取られる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 62(ティムール 32 ・ オスマン 30)
- 歴史的概要
- ティムールは先回りして川筋を押さえ、井戸を埋めた。渇いたオスマン軍の中で、もとの領主に返されたタタール系の部隊が戦列のまま寝返り、バヤジット1世は捕らえられて檻の中で死ぬ。
- 主な武将
- ティムール軍: ティムール、ミーラーン・シャー、シャー・ルフ、象部隊/オスマン軍: バヤジット1世(捕虜・獄死)、ステファン・ラザレヴィッチ(最後まで戦う)、タタール諸部隊(寝返り)、スレイマン(子・離脱)
ヘルマンシュタットの戦い
SP-544 · 1442年 · フニャディが、自分の鎧を部下に着せて囮にする
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(ハンガリー 28 ・ オスマン 28)
- 歴史的概要
- トランシルヴァニアへ侵入したメズィト・ベイのオスマン軍は、数日前の戦いで司教を討ったが、フニャディ・ヤーノシュが援軍を率いてヘルマンシュタット(ナジシェベン、現シビウ)付近で反撃し、メズィト・ベイを討った。メズィトはフニャディ本人を狙ったため、フニャディは配下のカマナシ・シモンに自分の鎧を着せて身代わりにしたと伝わる。
- 主な武将
- ハンガリー: フニャディ・ヤーノシュ、カマナシ・シモン(身代わり・討死)、ウーイラキ・ミクローシュ(※)/オスマン: メズィト・ベイ
- 史料
- ボンフィニ『ハンガリー史』(※身代わりの話は伝)、トゥローツィ『ハンガリー年代記』
ヤロミツァ川の戦い
SP-545 · 1442年 · 復讐に来た大軍を、寡兵のフニャディが破る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 86(オスマン 50 ・ ハンガリー 36)
- 歴史的概要
- ヘルマンシュタットの敗北に報いるため、ルメリ総督シェハベッディン・パシャが大軍でワラキアへ入った。フニャディは寡兵でこれを迎えて大勝し、多くの軍旗を奪った。戦場はヤロミツァ川とも鉄門ともされる(※)。
- 主な武将
- ハンガリー: フニャディ・ヤーノシュ(※副将の名は要確認)/オスマン: シェハベッディン・パシャ
- 史料
- ボンフィニ(※)、ドゥーカス
ニシュの戦い
SP-546 · 1443年 · 「長征」の最初の会戦、集まり切らないオスマン軍を順に叩く
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 12ターン / 駒 84(十字軍 40 ・ オスマン 44)
- 歴史的概要
- ポーランド・ハンガリー王ヴワディスワフ3世とフニャディの「長征」。フニャディの先鋒はニシュ付近で、集結途中のオスマン軍を順に攻めてルメリ総督カシム・パシャらを破った。
- 主な武将
- 十字軍: フニャディ・ヤーノシュ、ジュラジ・ブランコヴィチ(セルビア専制公)、ヴワディスワフ3世(後方)/オスマン: カシム・パシャ、トゥラハン・ベイ(※)
- 史料
- ドゥーカス、ハルココンディレス(※)、ボンフィニ
ズラティツァの戦い
SP-547 · 1443年 · 冬の峠道を塞いだ陣を、攻めあぐねて引き返す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(十字軍 26 ・ オスマン 24)
- 歴史的概要
- 長征の十字軍は冬のバルカン山脈を越えようとしたが、ズラティツァの峠をオスマン軍が倒木と柵で塞いでいた。クリスマス前後の攻撃は失敗し、十字軍は引き返す途中で追撃のオスマン軍を破って帰国した。
- 主な武将
- 十字軍: フニャディ・ヤーノシュ、ヴワディスワフ3世/オスマン: カシム・パシャ(※)、トゥラハン・ベイ
- 史料
- ドゥーカス、ボンフィニ(※)
ヴァルナの戦い
OT-4 · 1444年 · 王が突っ込んで終わる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 52(ハンガリー・ポーランド連合 24 ・ オスマン 28)
- 歴史的概要
- フニャディの采配で優勢に進んでいたが、若いヴワディスワフ3世が功を焦ってイェニチェリの中央へ突っ込み、討たれた。首が槍に掲げられた瞬間に十字軍は崩れる。
- 主な武将
- 十字軍: ヴワディスワフ3世(ポーランド・ハンガリー王・討死)、フニャディ・ヤーノシュ(采配・脱出)、枢機卿チェザリーニ(討死)/オスマン軍: ムラト2世(引退から復帰)、イェニチェリ本隊
第二次コソヴォの戦い
SP-548 · 1448年 · 三日間、同じ野で、フニャディとムラト2世が殴り合う
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 96(オスマン 52 ・ ハンガリー・ワラキア 44)
- 歴史的概要
- ヴァルナの雪辱を期したフニャディは、ワラキア軍とともにコソヴォ・ポリェでムラト2世の大軍と戦った。夜襲を含む三日間の戦いの末、ワラキア兵の離脱もあってハンガリー軍は大敗した。
- 主な武将
- ハンガリー: フニャディ・ヤーノシュ、ヴラディスラフ2世(ワラキア公・※離脱は要確認)/オスマン: ムラト2世、トゥラハン・ベイ、※メフメト(後の2世)の参陣は要確認
- 史料
- ドゥーカス、ハルココンディレス、トゥルスン・ベイ(※)
コンスタンティノープルの陥落 実装済み
BZ-6 · 1453年 · 三重の城壁と、閉め忘れた小門
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 16ターン / 駒 70(ビザンツ(守) 26 ・ オスマン 44)
- 歴史的概要
- 千年抜かれなかった三重城壁を、ウルバンの巨砲が毎日削った。守兵は夜ごとに崩れた所を埋め戻す。五十日目の朝、閉め忘れられた小門から敵が入り、負傷したジュスティニアーニが持ち場を離れた瞬間に、守りが崩れた。
- 主な武将
- 守る側: コンスタンティノス11世(討死・遺体は見つからない)、ジョヴァンニ・ジュスティニアーニ(負傷・離脱)、ルーカス・ノタラス、オルハン(オスマンの亡命王子)/オスマン軍: メフメト2世、ザガノス・パシャ、ウルバン(砲の技師)、イェニチェリ
ベオグラード包囲
SP-178 · 1456年 · 農民の船団が、封鎖を破る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(オスマン 38 ・ ハンガリー 24)
- 歴史的概要
- メフメト2世の包囲に対し、フニャディが二百隻の川船で封鎖線を破り、カピストラーノの集めた農民十字軍が城から逆襲して包囲を解いた。正午の鐘の由来。
- 主な武将
- ハンガリー: フニャディ・ヤーノシュ(直後に疫病死)、ジョヴァンニ・ダ・カピストラーノ、農民十字軍/オスマン: メフメト2世(負傷)、カラジャ・ベイ(戦死)
- 史料
- フニャディの書簡、カピストラーノ、オスマン年代記
トゥルゴヴィシュテの夜襲
RU-6 · 1462年 · 天幕ひとつを狙う
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 6ターン / 駒 20(ワラキア 8 ・ オスマン 12)
- 歴史的概要
- 十倍の敵を前に、ヴラド3世は夜、少数でオスマンの陣へ入り、スルタンの天幕だけを目指した。天幕を取り違えたために失敗し、朝までに引き上げる。焼かれた土地と杭の列を見て、メフメト2世は引き返した。
- 主な武将
- ワラキア軍: ヴラド3世(串刺し公)、ガレシュ、少数の騎兵/オスマン軍: メフメト2世(狙われる)、マフムト・パシャ、イサク・ベイ
バイアの戦い
SP-549 · 1467年 · ハンガリー王が、夜の町で襲われて矢傷を負って逃げる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(ハンガリー 28 ・ モルダヴィア 22)
- 歴史的概要
- モルダヴィアへ攻め入ったハンガリー王マーチャーシュ1世(フニャディの息子)は、バイアの町に宿営したところをモルダヴィア公シュテファン3世(大公)の夜襲を受けた。町は焼け、マーチャーシュは負傷して退いた。
- 主な武将
- モルダヴィア: シュテファン3世(大公)/ハンガリー: マーチャーシュ1世
- 史料
- ドゥウゴシュ『年代記』、モルダヴィア年代記、ボンフィニ(※)
ヴァスルイの戦い
RU-7 · 1475年 · 沼と霧と角笛
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 35(モルダヴィア 15 ・ オスマン 20)
- 歴史的概要
- シュテファン大公は沼地の細い道へ敵を誘い込み、霧の朝を選んで戦った。森の中の別方向から角笛を吹かせ、包囲されたと思わせる。三倍の軍が沼で身動きを失う。
- 主な武将
- モルダヴィア軍: シュテファン3世(大公)、ヴラド3世(この時は味方)、ハンガリー・ポーランドの分遣隊/オスマン軍: ハドゥム・スレイマン・パシャ、ワラキア従属軍
ヴァレア・アルバの戦い
SP-550 · 1476年 · ヴァスルイの雪辱に来たスルタン本人に、森の陣で敗れる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 56(オスマン 32 ・ モルダヴィア 24)
- 歴史的概要
- ヴァスルイの敗戦に怒ったメフメト2世はみずからモルダヴィアへ入った。シュテファン大公はタタールの侵入に備えて兵の多くを帰していた状態で、ヴァレア・アルバ(ラズボイエニ)の森の陣で迎えて敗れた。だが要塞は落ちず、オスマン軍は飢えと疫病で引き上げた。
- 主な武将
- モルダヴィア: シュテファン3世(大公)/オスマン: メフメト2世、ハドゥム・スレイマン・パシャ(※)
- 史料
- モルダヴィア年代記、ドゥウゴシュ、アンジョレッロ(※)
ケニェルメゼー
SP-179 · パンの野)の戦い(1479年 · 負傷した将が、担がれて戻ってくる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(ハンガリー 26 ・ オスマン 30)
- 歴史的概要
- トランシルヴァニア軍が数で勝るオスマンの略奪軍と戦い、キニジ・パールの援軍が横から入って勝った。負傷したバートリが担がれて前線に戻り、兵を立て直した。
- 主な武将
- ハンガリー: バートリ・イシュトヴァーン(負傷)、キニジ・パール(時限増援)、セーケイ隊/オスマン: イサ・ベグ、アリ・コジャ・ベグ
- 史料
- ボンフィーニ、トゥローツィ年代記
コスミンの森の戦い
SP-551 · 1497年 · 退く王の軍が、森の道で倒された木に断ち切られる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 54(ポーランド 30 ・ モルダヴィア 24)
- 歴史的概要
- モルダヴィアへ侵攻して要塞スチャヴァを囲んだポーランド王ヤン1世オルブラフトは、退却の途中、コスミンの森の道でシュテファン大公の伏撃を受けた。あらかじめ切り込みを入れておいた木を倒して隊列を断ち、ポーランド軍は大損害を受けた。
- 主な武将
- モルダヴィア: シュテファン3世(大公)/ポーランド: ヤン1世オルブラフト
- 史料
- ポーランド年代記(※)、モルダヴィア年代記