ウェストポートの戦い
1864年 · 北米 重量
北軍(国境軍) — 南軍(ミズーリ軍) · 13ターン · 駒 78
ブリーフィング
"... driving the enemy far beyond the battle-ground, beyond Missouri into Kansas and beyond the town of Santa Fé."
「……敵を戦場のはるか向こうへ、ミズーリを越えてカンザスへ、サンタフェの町の先まで追い立てた」――フレデリック・ベンティーン中佐、一八六四年十一月三日付の報告書。十二年のちのリトル・ビッグホーンで、カスターの麾下にいた男である。
一八六四年十月二十三日、ミズーリ州ウェストポート。ミシシッピ川の西で戦われたうちで最も大きな戦いの朝である。スターリング・プライスの南軍――ほとんどが騎兵の八千五百と、五百台の荷車――は、ひと月をかけてミズーリを横切り、いま前と後ろから挟まれている。
前、北のブラッシュ川の向こうには、カーティスとブラントの国境軍とカンザスの州民兵。後ろ、東のビッグ・ブルー川の向こうには、ひと月追ってきたプレザントンの騎兵師団。南軍の荷車が逃げられる道は、南へ、カンザス州境に沿ってフォート・スコットへ向かう一本しかない。
夜明け、ブラントは凍ったブラッシュ川を渡って南へ押した。シェルビーの鉄の旅団がそれを押し返す。同じ朝、東ではプレザントンがバイラムの浅瀬でマーマデュークにぶつかっていた。
【勝ち方】勝敗は点差ひとつで決まる。点差=(自軍が支配する拠点の点数 − 敵軍が支配する拠点の点数)+(敵に与えた損害 − 自軍が受けた損害)。拠点は六つで一二〇点:ウェストポート三〇・バイラムの浅瀬二五・ブラッシュ川二〇・ウォーノール家二〇・フォレスト・ヒル一五・州境の崖一〇。北軍は最初に四〇点を握り、南軍は六〇点、ブラッシュ川の渡りは誰のものでもない。北軍から見た点差が勝利線(+99点)より上で終われば北軍の勝ち、下なら南軍の勝ち。線から9点離れれば戦術的勝利、70点で作戦的勝利、139点で圧倒的勝利。9点に届かなければ引き分けである。
【退く道】南軍だけは、盤の南の縁(フォート・スコット道とハリソンヴィル道のあいだ)から抜けられる。抜けた部隊は戦闘力一につき一点。荷車は一台につき、さらに一〇点。勝てなくても、荷車を南へ逃がせばこちらの勝ちに近づく。プライスは史実で、草原に火を放ってそれをやった。
【一度に動かせる数】北軍は一八。T3(ブレアの旅団がカンザスシティから着く)に二が加わる。南軍は一七。
【指揮官】北軍:Curtis=サミュエル・カーティス(国境軍)、Blunt=ジェイムズ・ブラント(騎兵師団)、Jennison=チャールズ・ジェニソン、Moonlight=トマス・ムーンライト、Ford=ジェイムズ・フォード(コロラド第二騎兵)、Blair=チャールズ・ブレア(州民兵と第九ウィスコンシン砲兵)、Deitzler と Grant=カンザス州民兵。Pleasonton=アルフレッド・プレザントン(騎兵師団)、Philips・McNeil・Sanborn・Winslow=その四旅団(ウィンズローが撃たれてベンティーンが継いだ)、Cole=ネルソン・コール(砲兵)。
南軍:Price=スターリング・プライス(ミズーリ軍)、Shelby=ジョゼフ・シェルビー、Thompson=M・ジェフ・トンプソン(鉄の旅団)、Jackman と Tyler=シェルビーの残り二旅団、Fagan=ジェイムズ・フェイガン、Cabell・Dobbins・Slemons・McCray=その旅団、McGhee's AR=ウォーノール小路を駆け下りたアーカンソー騎兵、Marmaduke=ジョン・マーマデューク、Clark と Freeman=その旅団。駒の名は、上が旅団長、下が連隊である。
【この盤で試せる判断】ひとつめ(南軍)。北のブラントを叩くか、東のプレザントンを止めるか。両方は守れない。どちらかを捨てれば、荷車の道はもう片方の速さで決まる。
ふたつめ(南軍)。荷車をいつ南へ出すか。早すぎれば護衛が薄く、遅すぎれば口を塞がれる。
みっつめ(北軍)。前から押すブラントと、後ろから来るプレザントンを、どこで手をつながせるか。南の縁の口を先に塞げば、挟まれた軍は抜けられない。
【結末】昼、カーティスは土地の老農夫に教わって、スワン川の涸れ谷から第九ウィスコンシン砲兵を回し、シェルビーの横を撃った。同じころバイラムの浅瀬の西岸はプレザントンの手に落ち、南軍はウォーノール家の線、フォレスト・ヒルの線へと押し下げられた。マギーのアーカンソー騎兵がウォーノール小路を駆け下りて最後の突撃をかけ、カンザス第十五騎兵に止められた。プライスは草原に火を放ち、その煙の後ろで荷車を南へ逃がした。損害は両軍とも約千五百。
二日後のマイン・クリークで、マーマデュークとカベルは捕虜になった。プライスは十二月の初め、出発時のおよそ三分の一の兵とともにアーカンソーを抜けてテキサスへたどり着く。ミシシッピの西で、南軍が大きな攻勢に出ることは二度と無かった。
前に、凍った川
後ろに、ひと月追ってきた騎兵
五百台の荷車に、南への道が一本
涸れ谷から、砲が横を撃つ
草原に火を放って
煙の後ろを、荷車が行く
十月二十一日のリトル・ブルー川、二十二日のインディペンデンスの戦い、二十五日のマイン・クリークの戦いは畳んである。ヒックマン・ミルズの浅瀬は盤の南東の外で、カベルとマクニールの一部を盤の南東の隅に置いた。両軍とも騎兵が多く、多くは馬を降りて戦ったので、駒の兵科は分けていない。連隊を一駒、小さな大隊は二つを一駒にまとめた。
1ヘクス=350m、1ターン=1時間、1CS≒600名。T1=10/23 07:00(ブラントがブラッシュ川を渡る)、T3=09:00(ブレアが着く)、T6=12:00、T13=19:00。
地図
ウェストポート
カンザスシティ
ミズーリ川
レキシントン(10/19)
インディペンデンス(10/22)
カンザス
ミズーリ
→ フォート・スコット(南へ逃げる道)
プライスの道(9月〜10月)
ウェストポート
ブラッシュ川
バイラムの浅瀬
ビッグ・ブルー川
ウォーノール家
ブラント(前から)
プレザントン(後ろから)
草原に火を放って退く