南アジア(近代)
- インドをめぐる英国の戦い 9
インドをめぐる英国の戦い 1757 〜 1858
プラッシーの戦い
IN-4 · 1757年 · 雨と、動かない三分の二
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 8ターン / 駒 44(イギリス東インド会社 16 ・ ベンガル太守軍 28)
- 歴史的概要
- 5万に対して3千。しかし太守軍の大半を握るミール・ジャファルは、はじめから動かないと約束していた。にわか雨で太守側の火薬が濡れ、覆いをかけていた英軍の砲だけが撃てた。実際に戦ったのは、太守軍のごく一部だけである。
- 主な武将
- 英東インド会社: ロバート・クライヴ、キルパトリック、(砲に覆いをかけた砲兵)/ベンガル太守軍: シラージュ・ウッダウラ(逃走・のち処刑)、ミール・マダン(討死・唯一戦った将)、モーハン・ラール/動かない三分の二: ミール・ジャファル、ヤール・ラティフ、ラーイ・ドゥルラブ
ワンディワッシュの戦い
SP-658 · 1760年 · インドの七年戦争、フランスの野望が終わる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(英軍 26 ・ フランス 26)
- 歴史的概要
- アイア・クート大佐の英軍は、ワンディワッシュの砦を囲むラリー伯のフランス軍を攻めて破った。フランスの南インドでの勢力はこれで終わった。
- 主な武将
- 英軍: アイア・クート/フランス: ラリー伯、ビュッシー侯(捕虜)
- 史料
- ※
アッサイェの戦い
IN-5 · 1803年 · 村が二つあるなら渡れる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 45(イギリス 20 ・ マラーター同盟 25)
- 歴史的概要
- 渡渉点が無いと言われた川を、ウェルズリーは「両岸に村があるなら間に渡り道があるはずだ」と判断して渡った。数で5倍以上の敵の砲列に正面から当たり、自身も馬を二頭撃たれながら押し切る。後年、彼が生涯で最も見事だと語った戦い。
- 主な武将
- 英軍: アーサー・ウェルズリー(のちのウェリントン)、マクスウェル(騎兵・討死)、オーロック/マラーター軍: ダウラト・ラーオ・シンディア、ベラール藩王、ポールマン(欧州人指揮の正規軍)
カブール撤退
SP-313 · 1842年 · 一万六千のうち、一人だけが辿り着く
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 56(英印 30 ・ アフガン 26)
- 歴史的概要
- 冬の峠を越える撤退で、一万六千のうち医師ブライドン一人だけがジャララバードに辿り着いた。峠ごとに縦列が削られていく。
- 主な武将
- 英印: エルフィンストーン(病身・のち捕虜)、シェルトン、ウィリアム・ブライドン(唯一の到達者)/アフガン: アクバル・ハーン、ギルザイ族
- 史料
- レディ・セール『日記』、ブライドンの証言
フェローズシャーの戦い
SP-314 · 1845年 · 夜になって、両軍とも陣に座ったまま朝を待つ
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(英印 30 ・ シク 32)
- 歴史的概要
- シク軍の砲陣を攻めた英印軍は日没で攻撃を止め、両軍が至近距離で一夜を明かし、朝に再開して押し切った。ウェリントンが「もう一つの夜だった」と評する激戦。
- 主な武将
- 英印: ヒュー・ゴフ、ヘンリー・ハーディング(総督自ら副官として従軍)/シク: ラール・シン(戦線を離れる)、テージ・シン、シク砲兵
- 史料
- ハーディングの報告、英印軍の回想
ソブラオンの戦い
SP-315 · 1846年 · 背後の橋が落ちて、退けなくなる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 62(英印 32 ・ シク 30)
- 歴史的概要
- シク軍は川を背にした橋頭堡に籠ったが、舟橋が増水と砲撃で壊れ、退路を失った。第一次シク戦争の決着。
- 主な武将
- 英印: ヒュー・ゴフ、ハーディング、ダウンズ/シク: シャーム・シン・アタリワラ(戦死・最後まで残る)、テージ・シン(先に渡って逃げる)
- 史料
- ゴフの報告、シク側の記録
グジャラートの戦い
P-18 · 1849年
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(イギリス 26 ・ シク王国 26)
- 歴史的概要
- 大口径砲による遠距離射撃の打ち合いののち、平原を前進する歩兵による白兵突撃。
- 主な武将
- - 英印軍: ヒュー・ゴフ卿(英軍総指揮)、コリン・キャンベル将軍(副将) - シク教徒軍: シェル・シン(シク軍総指揮)、チャタール・シン(父・援軍指揮)
デリー攻囲
SP-316 · 1857年 · 尾根に籠った側が、城を囲んでいる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 64(英印 28 ・ 反乱軍 36)
- 歴史的概要
- インド大反乱で、数で劣る英印軍が尾根に陣取り、四か月にわたり「囲みながら囲まれて」いた。援軍と攻城砲が着いてから城壁を破る。
- 主な武将
- 英印: ジョン・ニコルソン(突入で戦死)、アーチデール・ウィルソン、シク・グルカ兵/反乱軍: バフト・ハーン、バハードゥル・シャー2世(名目上の皇帝)
- 史料
- ホドソンの書簡、インド側の記録
グワリオル要塞の戦い
SP-317 · 1858年 · 女王が、男装して最後に死ぬ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(英印 30 ・ 反乱軍 24)
- 歴史的概要
- インド大反乱の最終局面。ジャーンシーの女王ラクシュミー・バーイーが騎兵服で戦い、戦死した。英側の指揮官さえ「反乱軍で最も勇敢だった」と記す。
- 主な武将
- 英印: ヒュー・ローズ、スミス旅団/反乱軍: ラクシュミー・バーイー(戦死)、タンティヤー・トーペー、ラーオ・サーヒブ
- 史料
- ローズの報告、インド側の伝承