シナリオ

官渡の戦い

200年 · 中国 中量

曹操軍 — 袁紹軍 · 13ターン · 駒 69

ブリーフィング

「賊在背後、乃白(敵が背中に回ってから、そのとき報せよ)」――曹操、烏巣の糧に火をかけながら、袁紹の救援騎兵が近いと告げた兵に(『三国志』魏書武帝紀) 兵糧を焼きに行くか、正面で支えるか。この一昼夜は、その一問でできている。建安5年(200年)10月、黄河の南、官渡。曹操は土塁と堀に拠って数か月を凌いだが、糧は尽きかけていた。そこへ袁紹の陣を出た許攸が来て、兵糧の置き場を告げる――四十里北東の烏巣。曹操はその夜、歩騎五千に袁軍の旗を持たせ、本営を曹洪と荀攸に預けて陣を出た。盤はその直後から始まる。だから曹操は開幕の盤上にいない。東の間道の入口で、T3に入ってくる。 袁紹の手元には42体ある。だが1ターンに動かせるのは15体だけ。残りは命令を待って立っている。この会戦の正体はそこにある――袁紹は弱くはなかった。動かせなかった。 【勝ち方】勝敗は点差ひとつで決まる。点差=(自軍が支配する拠点の点数 − 敵軍が支配する拠点の点数)+(敵に与えた損害 − 自軍が受けた損害)。10点リードして終われば戦術的勝利、79点で作戦的勝利、158点で圧倒的勝利。どちらも10点に届かなければ引き分けである。 【即決の道と、点にならない火】袁紹には点差と関わりのない道が一本ある――官渡の塁に立てば、その瞬間に決着する(サドンデス)。点差は問わない。逆に曹操の烏巣は、焼いても勝利点が1点も増えない。増えるのは相手の手数を削ることだけである。糧を焼く手と、点を取る手は、この盤では別の手である。 【烏巣の五つの塚】正史によれば、淳于瓊ら五人が兵一万余で糧を送り、烏巣に宿っていた。だから塚も五つ置いた。曹操が一つ押さえるたび、袁紹が動かせる駒が2ずつ減る(塚を失って一、敵の手に渡ってもう一)。五つ全部なら、42体の軍が一度に五体しか動かなくなる――15枠が5枠へ、三分の一である。守る五人は烏巣の邑を囲んで立ち、塚はその外側に散っている。 【盤の骨格】盤を北西から南東へ横切るのが鴻溝(運河)。川は渡れるが、渡って攻めると守る側の戦闘力が2倍になる。その不利を負わずに済むのが三つの渡し(橋)で、遠回りと引き換えになる。官渡の塁には東西17ヘクスにわたって北を向いた柵が連なる。西三分の一の圃田沢と東南の沼沢は通りにくく、主力は盤の中央から南で噛み合う。北端の沼は黄河の南岸=袁紹の背中である。 【指揮官】袁紹軍:袁紹。沮授・郭図・淳于瓊が三都督としてそれぞれ一軍を率いる。長男の袁譚、親衛の大戟士。左翼に張郃・高覧・馬延・張顗。右翼に蒋奇・韓猛・何茂・王摩・呂曠・呂翔。烏巣は淳于瓊・眭元進・韓莒子・呂威璜・趙叡の五人。烏丸突騎を領した牽招。ほかは冀州・青州・幽州・并州――袁紹が領した四州の兵。 曹操軍:官渡の塁に曹洪・荀攸・于禁・夏侯惇・夏侯淵・李典・朱霊・曹仁、韓猛の輜重を焼いた史渙、軍糧を典した任峻、官渡で力戦して破羌将軍に上がった張繍、中護軍の韓浩、宿衛の曹休、幽州から付いた鮮于輔。東から入る別働隊が曹操・許褚・張遼・徐晃・楽進と親衛騎を率いる曹純。淳于瓊を斬ったのはこの楽進である。顔良と文醜は半年前の白馬・延津で討たれ、関羽も去った後。田豊は牢に、荀彧は許都にいる。烏巣の場所を教えた許攸は兵を率いていないので駒になっていない。 【寝返り】張郃と高覧はT9から寝返りの判定に入る(25%、以後毎ターン15%ずつ上がる)。史実では烏巣陥落の報を聞いて曹洪に降った。ただし盤の判定は烏巣が焼けたかどうかを見ず、ターンと確率だけを見る。 【この一昼夜で試せること】曹操――烏巣へ何体割くか。五つ全部を焼くか、二つで戻るか。塁に残る21体で袁紹の15枠を何ターン支えられるか。袁紹――烏巣に何体残すか(残せば官渡を攻める手が減る)。三つの渡しのどれを使うか。史実の袁紹は救援に軽騎だけを出し、主力は官渡へ向けた。郭図が「本営を突けば曹操は帰らざるを得ない」と言ったからである。結果は、烏巣も落ち、官渡も抜けなかった。 【結末】烏巣は焼けた。火は一夜で消えたが、その明かりで張郃と高覧は自分の主を見限り、攻めていた土塁の前で武器を置いた。十万の軍は、戦う前に崩れた。袁紹は幕を捨て、八百騎だけを連れて黄河を北へ渡る。曹操が焼いたのは兵糧ではない。袁紹がまだ持っていた「今度こそ勝てる」という一つの考えである。牢の田豊は、勝報を待たずに殺された――軍が勝てば私は生き、負ければ私は死ぬ、と自分で言ったとおりに。二年後に袁紹は血を吐いて死に、残された息子たちは河北を分けて争い、争ったぶんだけ早く呑まれた。中原は一人の手に集まりはじめる。のちに天下三分と呼ばれる形の、これがその最初の一手だった。   烏巣に火が立った夜   十万の軍は、戦わずに崩れた   焼けたのは糧ではない   まだ勝てる、というひとつの考えだった   河北はそれから、風の抜ける野になる 数か月の対陣は畳み、決着の一昼夜だけを盤にした。兵力は10万対2万強を105対100の戦闘力に圧縮している(人数の比そのままでは盤が成り立たないため。曹操の塁に拠る守りの堅さを戦闘力に乗せてある)。白馬・延津は同年4月の別の戦いなので盤外。 駒の旗のうち、総大将の「帥」は小説・漫画の約束事にならったもので、史料に見える旗ではない。四角の「冀」「兗」は両軍の本拠の州の名(この戦いに国は無い)。 1ヘクス=1,000m、1ターン=90分、1CS≒1,000名。T1=夜、T3=別働隊の入場、T9=寝返りの判定開始、T13=終了。

地図

周辺図(概略) 官渡 鄴(袁紹の本拠) 延津 白馬 許都(曹操の本拠) 烏巣 陳留 黄河 鴻溝
周辺図(概略)
戦場図(概略) 袁紹の塁 曹操の塁 烏巣(糧秣) 淳于瓊の陣 官渡水 → 許都へ → 黄河へ
戦場図(概略)