シナリオ

小沢原の戦い

1530年 · 日本 中量

北条 — 扇谷上杉 · 8ターン · 駒 38

ブリーフィング

勝って兜の緒を締めよ ――北条氏綱が嫡子の氏康に遺したと伝える言葉(伝) 十六歳が、自分で前に出る。 享禄3年6月12日の夜明け前。扇谷上杉朝興は武蔵から南へ出て多摩川を渡り、小沢城に拠った。城の南の原には扇谷の陣が張られ、背中には多摩川と二つの渡しがある。小田原の北条氏綱は、この扇谷勢に十六歳の嫡子、氏康を向けた。氏康にとって、これが初めての戦である。 【北条の勝ち方】一度に動かせるのは9駒。扇谷も9駒。北条でいちばん強い駒は、氏康(Hojo Ujiyasu)のそばの旗本(Hojo Hatamoto)で、大将が前に出るほど、その強さが前で使える。扇谷が持って始まるのは小沢原の陣(25点)・小沢城(20)・矢野口の渡し(10)。北条は南の陣(15)を持つ。勝利線は-36。北条から見た点差が-36を上回れば、史実より良くやったことになる。 【扇谷の勝ち方】城と原を持ちこたえること。小沢城は防御が2倍。背中の多摩川には菅と矢野口の二つの渡しがあり、退くならそこしかない。 【指揮官】北条:北条氏康(Hojo Ujiyasu)と旗本・馬廻、小田原衆・玉縄衆・相模衆・伊豆衆。 扇谷上杉:上杉朝興(Uesugi Tomooki)と旗本、扇谷衆・河越衆・武蔵衆、小沢城の城兵。 ★この戦いの両軍の将の名は、後世の軍記にしか残っていない。盤に名を出したのは、確かな二人(氏康と朝興)だけで、ほかは所属の名乗りにとどめた。 【この盤で試せる判断】 ・(北条)氏康を前に出して旗本の力を使うか、後ろに置いて守りに回すか。 ・(北条)原の陣を先に崩すか、小沢城を先に囲むか。 ・(扇谷)原で踏みとどまるか、城へ寄せて守るか、渡しを押さえて退く道を残すか。 【結末】氏康は小沢原で扇谷勢を破り、朝興は多摩川の北へ退いたと伝えられる。十六歳の初陣の勝ちである。氏綱は七年後、朝興が没した後に河越城を奪う。そして十六年後、氏康は河越の夜、同じ扇谷上杉の朝定(朝興の子)を討ち、扇谷上杉家はそこで絶える。氏綱が死ぬ前に氏康へ書き遺したとされる戒めの最後に、勝って兜の緒を締めよ、の一句があるという。   十六歳が、小田原から北へ出た   原の陣は、川を背にしていた   大将が前に出て、旗本が前で戦った   朝興は、多摩川の北へ渡った   勝って兜の緒を締めよ   十六年後、その子の陣を、同じ人が夜に崩す 戦場は小沢城の下(稲城)とする説と、鶴見川の上流(麻生)とする説がある。盤は小沢城の南の原に置き、地形は丸めた。軍記の時刻は確かでないので、盤の時計は夜明け前から昼前の目安である。 1ヘクス=250m、1ターン=1時間、1CS≒250名。T1=6月12日4時(夜明け前)、T4=7時、T8=11時。

地図

周辺図(概略) 小沢原 小田原(北条氏綱) 河越(扇谷上杉) 江戸(北条が取った城) 多摩川 相模 武蔵 朝興(南へ) 氏康(十六歳)
周辺図(概略)
戦場図(概略) 小沢城(朝興が拠った) 小沢原(扇谷の陣) 枡形山 北条勢(氏康の初陣) 渡し(扇谷の退き口) 多摩川
戦場図(概略)