長久手の戦い
1584年 · 日本 重量
徳川・織田信雄 — 羽柴 · 13ターン · 駒 80
ブリーフィング
兵を三河岡崎に出して空虚を襲えば、徳川は小牧を守ることができなくなる
――池田恒興が秀吉に説いた中入りの策(参謀本部『日本戦史 小牧役』の記述の要旨)
尾張、長久手。天正12年(1584)の春、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄は小牧で睨み合っていた。池田恒興の献策で、秀吉の甥羽柴秀次を総大将に、池田恒興・森長可・堀秀政の別働隊二万が、手薄な家康の本国三河へ向かった(中入り)。
家康はこれを知って夜のうちに小牧山を出て小幡城に入り、兵を二つに分けた。4月9日の朝4時30分、家康の本隊は色金山に着いた。そのすぐ後、支隊(榊原康政・大須賀康高・水野忠重・丹羽氏次)が、白山林で休む秀次勢を後ろと横から襲う。南では池田恒興が岩崎城を囲み、森長可がその北で待っている。堀秀政は秀次の前、桧ヶ根の北にいる。
【徳川の勝ち方】一度に動かせるのは13駒。拠点は色金山(10点)と岩崎城(20・丹羽氏重が籠もる)を持って始まり、羽柴の白山林(10)・桧ヶ根(10)と、どちらのものでもない長久手(20)を取れば点差が開く。池田恒興(Ikeda Tsuneoki)はサドンデスで、討ち取ればその場で徳川の勝ち。勝利線は+30。徳川から見た点差が+30を上回れば、史実よりよく戦ったことになる。
【羽柴の勝ち方】一度に動かせるのは12駒。四つの隊は長く伸びた行軍のままで、前の池田・森は南、後ろの秀次は北にいる。引き返して家康の本隊とどこで当たるか。堀秀政は桧ヶ根で支隊を返り討ちにできる。
【指揮官】徳川・織田信雄:徳川家康(Tokugawa Ieyasu)/赤備えの井伊直政(Ii Naomasa)/織田信雄(Oda Nobukatsu)/恒興を討つ永井直勝(Nagai Naokatsu)・元助を討つ安藤直次(Ando Naotsugu)/支隊の榊原康政(Sakakibara Yasumasa)・大須賀康高・水野忠重・丹羽氏次・水野勝成・岡部長盛/岩崎城の丹羽氏重(Niwa Ujishige)。
羽柴:羽柴秀次(Hashiba Hidetsugu)と目付の木下祐久・木下利匡、田中吉政・可児吉長・池田教正・白江成定/堀秀政(Hori Hidemasa)・長谷川秀一/池田恒興・その子池田元助(Motosuke)と池田輝政(Terumasa)・伊木忠次・関成政/鬼武蔵こと森長可(Mori Nagayoshi)。
【この盤で試せる判断】
・(徳川)白山林で秀次勢を崩したあと、支隊で追うか。追いすぎれば桧ヶ根の堀秀政に返り討ちにされる。
・(徳川)家康本隊を色金山から前へ出して、池田・森と堀のあいだを断つか。
・(羽柴)岩崎城を落としてから引き返すか、すぐ北へ戻るか。
【結末】4時35分、秀次勢は白山林で後ろと横から襲われて潰れ、秀次は馬を失って逃れた。木下祐久・利匡の兄弟が退路を守って討たれた。2時間ほどして敗報を受けた堀秀政は桧ヶ根で引き返し、勢いに乗って追ってきた徳川の支隊を返り討ちにしたが、色金山に家康の金扇の馬印を見ると、池田・森の援軍の求めに応じずに退いた。岩崎城では丹羽氏重が3時間ほど戦って城とともに討たれた。城を落とした池田恒興と森長可は北へ引き返し、10時ごろ、長久手で家康・井伊直政・織田信雄の本隊とぶつかった。戦いは2時間余り続き、前に出て戦っていた森長可が鉄砲に撃たれて討たれると池田・森勢の左が崩れ、恒興は永井直勝の槍に、嫡男元助は安藤直次に討たれた。羽柴方の死者は2,500余、徳川方は590余という。秀吉は大軍で駆けつけたが、家康はその夜のうちに小牧山へ戻っていた。
夜明け前、林で休む隊が崩れた
引き返した隊は、桧ヶ根で敵を返り討ちにした
山の上に、金の扇が見えた
城を落とした隊は、北へ戻った
十時、長久手で正面からぶつかった
鬼武蔵は撃たれ、父子は討たれた
部隊の編成・兵数・時刻は参謀本部『日本戦史 小牧役』(1908年)に拠り、地名の位置は長久手市の古戦場の史跡に拠った。羽柴方の別働隊の総数(二万とも一万六千とも)は書物によって違う。
1ヘクス=300m、1ターン=40分、1CS≒300名。T1=4月9日04:30、T9=09:50、T13=12:30。
地図
長久手
小牧山(家康・信雄)
楽田(秀吉)
小幡城
→ 岡崎(中入りの狙い)
羽柴の中入り(二万)
尾張
三河
白山林(秀次・4時35分に崩れる)
桧ヶ根(堀秀政)
色金山(家康の着陣)
岩崎城(池田が落とす)
長久手(10時の激突)
池田・森が引き返す