江陵の戦い
209年 · 中国 重量
周瑜軍 — 曹仁軍 · 12ターン · 駒 58
ブリーフィング
「留凌公績、蒙與君行、解圍釋急、勢亦不久、蒙保公績能十日守也」
「凌公績を留め、蒙は君とともに参りましょう。囲みを解いて急を救うのに、長くはかかりません。公績なら十日は守れると、この蒙が請け合います」――呂蒙、周瑜と程普に(『三国志』呉書呂蒙伝)
甘寧は、囲まれた城の中で談笑している。
建安十三年の冬。烏林で船を焼かれた曹操は北へ帰り、江陵に曹仁と徐晃を残した。周瑜と程普は南郡へ進み、大江を隔てて仁と向き合う。まだ刃を交えぬうちに、甘寧が上流の夷陵を取った。手勢は数百、新たに得た兵を合わせてやっと千。仁は五、六千を割いてこれを囲み、高い楼から城の中へ矢を降らせた。兵はみな懼れ、寧だけが笑っていたという。使いが下流へ走る。諸将は、兵が少なく分けるに足りないと言った。盤はそこから始まる。
【一年の盤】1ターンは一か月、十二ターンで一年である。大軍でも、月に動かせる手は限られる。周瑜軍は30駒のうち10駒、曹仁軍は28駒のうち8駒。
【大江】長江は大河で、渡れるのは四か所だけである。江津と夷陵の渡しには道が通り、渡って攻めても不利は無い。その西と東にもう一つずつ舟で渡れる辺があり、そこを渡って攻めると守る側が2倍になる。開幕、周瑜軍の前鋒二駒は江津の東で北岸に上がり、牛金と接している。上流の夷陵では、甘寧ら三駒を曹仁の別軍五駒が囲んでいる。
【北の道】関羽は江陵の北で道を絶っている。関羽の升の北向きの二辺には鹿角があり、そこを越えて攻められると2倍で守る。T7(建安十四年六月)、汝南太守の李通と汝南の兵、三駒が北の縁に着く。東の夏水の岸には、劉備と、周瑜が分けた二千の兵がいる。
【点】勝敗は点差ひとつで決まる。点差=(自軍が支配する拠点の点数 − 敵軍が支配する拠点の点数)+(敵に与えた損害 − 自軍が受けた損害)。拠点は江陵40・江津10・当陽10(曹仁軍)、夷陵20・油口15(周瑜軍)。周瑜軍から見た点差が勝利線(+62点)より上で終われば周瑜軍の勝ち、下なら曹仁軍の勝ち。線から10点離れれば戦術的勝利、77点で作戦的勝利、155点で圧倒的勝利。10点に届かなければ引き分けである。
【駒の名】周瑜軍:Zhou Yu=周瑜、Cheng Pu=程普、Lu Meng=呂蒙、Gan Ning=甘寧、Ling Tong=凌統(字は公績)、Han Dang=韓当、Zhou Tai=周泰、Lu Fan=呂範、Huang Gai=黄蓋、Xi Su=襲肅(益州から軍ごと降った将)、Vanguard=前鋒、Fleet=舟の兵。劉備の兵は赤い駒:Liu Bei=劉備、Guan Yu=関羽、Zhang Fei=張飛(千人で周瑜に随う)、Wu Aid=周瑜が劉備に分けた二千。曹仁軍:Cao Ren=曹仁、Xu Huang=徐晃、Niu Jin=牛金、Man Chong=満寵(当陽)、Li Tong=李通、Siege=夷陵を囲む別軍、Jingzhou=劉琮とともに降った荊州の兵。駒になっていない人:陳矯(仁の長史。城の上から牛金が囲まれるのを見ていた)、楽進(襄陽)、魯肅、孫権(このとき合肥を攻めていた)。
【試せる判断】ひとつめ(周瑜軍)。夷陵を救いに行くか。行くなら、誰を江陵の前に残すか。呂蒙は凌統の名を挙げ、十日と言った。この盤では、行って戻るのに六、七か月かかる。
ふたつめ(周瑜軍)。北岸へいつ渡るか。江津は道が通るが、仁の正面である。西と東の渡しは、渡る側が不利になる。
みっつめ(曹仁軍)。夷陵の囲みに兵を足すか、囲みを解いて江陵へ戻すか。北の道は関羽に絶たれ、李通が着くのはT7である。それまで、城の兵だけで川の線を持てるか。
【結末】瑜は蒙の計を用い、凌統を留めて上流へ向かった。着いたその日に戦って半ばを殺し、敵は夜に遁げた。逃げ道には三百人で柴を積んであり、騎兵は馬を捨てて歩いた。馬三百匹が船で戻ってくる。士気は倍になり、瑜は北岸へ渡って屯し、日を決めて大いに戦った。みずから馬に跨って陣を掠めたとき、流れ矢が右の脇に当たる。傷は重かった。仁は瑜が臥して起きないと聞いて兵を進めた。瑜は起きて営を巡り、吏士を励ました。仁はついに退いた。建安十四年の十二月である。
李通は鹿角を抜いて仁を迎え、その道で病んで死んだ。四十二歳。瑜は南郡太守となって江陵に入り、翌年、蜀を取る計を持って戻る途中、巴丘で病んで死ぬ。三十六歳。江陵は劉備に貸され、関羽が守り、十年のちに呂蒙が取る。
十日は守れる、と一人が請け合った
囲まれた城で、一人が笑っていた
馬三百匹が、船で川を下る
右の脇に矢
起きて、営を巡る
一年で、城ひとつ
夷陵は江陵から百キロ近く上流にある。一年で往復できるように、江陵より西は距離を六割に畳んである。曹仁が数十騎で囲みの中の牛金を救い出した話(曹仁伝)は、規則にはしていない。開幕で前鋒と牛金が接しているのがその場面である。黄蓋と呂範がこの攻囲に居たことは伝に明記が無く、赤壁に従った将として置いた(推定)。
1ヘクス≒4km(江陵より西は畳んである)、1ターン=1か月、1CS≒600名。T1=建安十三年十二月、T7=十四年六月(李通が北の縁に着く)、T12=十四年十一月。仁が城を棄てたのは、その翌月である。
地図
江陵
赤壁(烏林)
襄陽(楽進)
夏口
夷陵
→ 益州(劉璋)
長江
漢水
曹操、北へ帰る
周瑜・劉備、追う
洞庭湖
江陵(曹仁・徐晃)
夷陵(甘寧、囲まれる)
瑜・蒙、上流へ救う
凌統、後ろを守る
北岸へ渡って屯す
関羽、北の道を絶つ
李通、鹿角を抜いて迎える
油口(のちの公安)
劉備、夏水から後ろを截つ
当陽(満寵)
長江