中国(南北朝〜明前期)(中世)
- 南北朝と隋唐の統一戦 10
- 唐の対外戦争と安史の乱 3
- 宋金戦争 4
- モンゴルの南宋征服 3
- 元末の争覇と明の内戦 2
- 明とオイラト・土木の変 2
南北朝と隋唐の統一戦 383 〜 663
淝水の戦い
C-17 · 383年 · 五胡十六国
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 62(東晋 26 ・ 前秦 36)
- 歴史的概要
- 東晋の8万が、前秦の苻堅率いる80万大軍を淝水で崩壊させた大逆転。
- 主な武将
- - 東晋軍: 謝安(宰相・后方指揮)、謝玄(甥・前線総指揮)、謝石(北府兵統帥)、劉牢之(先鋒・精兵) - 前秦軍: 苻堅(秦王・敗走)、苻融(前線指揮・討死)、慕容垂(後に独立)
参合陂の戦い
SP-65 · 395年 · 帰り道の渡河点で、眠っている軍を包む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 52(北魏 24 ・ 後燕 28)
- 歴史的概要
- 拓跋珪は退き上げる後燕軍を追い、夜のうちに山を越えて河辺の宿営を見下ろす位置に着いた。朝、寝込みを突かれた燕軍は河へ追い落とされ、数万が降って坑にされた。
- 主な武将
- 北魏: 拓跋珪(道武帝)、長孫肥、夜間行軍の騎兵/後燕: 慕容宝(逃走)、慕容麟、川辺で眠る本隊
- 史料
- 『魏書』太祖紀、『資治通鑑』
沙苑の戦い
SP-66 · 537年 · 葦の中に伏せて、十倍を待つ
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(西魏 20 ・ 東魏 30)
- 歴史的概要
- 宇文泰は渭水の曲がりの葦原に兵を伏せ、太鼓を合図に一斉に立たせた。東魏の高歓は数で勝りながら崩れ、以後の東西の均衡が決まる。
- 主な武将
- 西魏: 宇文泰、李弼(横から突く)、趙貴、于謹/東魏: 高歓(退却)、彭楽、高敖曹
- 史料
- 『周書』文帝紀、『北斉書』神武紀、『資治通鑑』
邙山の戦い
SP-67 · 543年 · 二日で、勝ちと負けが入れ替わる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 58(東魏 30 ・ 西魏 28)
- 歴史的概要
- 初日は西魏が高歓の本陣に迫ってあと一歩で討ち取るところまで行き、二日目は東魏が押し返して西魏の主力を崩した。一つの戦場で勝敗が二度ひっくり返る。
- 主な武将
- 東魏: 高歓(危うく討たれかける)、彭楽、斛律金/西魏: 宇文泰、賀抜勝(高歓を追うが逃がす)、王思政
- 史料
- 『周書』文帝紀、『北斉書』神武紀
玉璧の戦い
SP-68 · 546年 · 掘った地道を、掘り返して潰す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 48(東魏 30 ・ 西魏 18)
- 歴史的概要
- 高歓は五十日にわたり水を断ち、土山を築き、地道を掘り、あらゆる手を試したが韋孝寛はそのすべてを返した。七万を失って退き、高歓はまもなく病死する。
- 主な武将
- 東魏: 高歓(この後まもなく病没)、土山・地道の工兵/西魏: 韋孝寛、城内の守備隊
- 史料
- 『周書』韋孝寛伝、『北斉書』神武紀
薩水の戦い
SP-69 · 612年 · 渡り切るのを待って、堤を切る
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 72(高句麗 30 ・ 隋 42)
- 歴史的概要
- 乙支文徳はわざと七度負けて退き、隋の別働隊を平壌の手前まで引き込んだ。糧の尽きた隋軍が退く途中、薩水を半ば渡った所を襲い、三十万が数千になって帰った。
- 主な武将
- 高句麗: 乙支文徳、建武/隋: 宇文述、于仲文、辛世雄(討死)、隋の遠征軍
- 史料
- 『三国史記』高句麗本紀、『隋書』宇文述伝/于仲文伝
淺水原の戦い
SP-70 · 618年 · 六十日動かず、兵糧が切れた所で出る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 54(唐 28 ・ 西秦 26)
- 歴史的概要
- 李世民は病と称して二か月動かず、薛仁杲の軍の糧が尽きるのを待った。降兵が出始めた所で一気に出て、追撃を止めずに本城まで迫り降伏させる。
- 主な武将
- 唐軍: 李世民(秦王)、龐玉(正面の囮)、梁実/西秦: 薛仁杲(降伏)、宗羅睺、逃げ始める降兵
- 史料
- 『旧唐書』太宗本紀、『資治通鑑』
虎牢関の戦い
C-18 · 621年 · 隋末唐初
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 60(唐 28 ・ 夏・鄭連合 32)
- 歴史的概要
- 李世民の「玄甲騎兵」3,000が、竇建徳の10万大軍を虎牢関で破った天下統一の決定打。
- 主な武将
- - 唐軍: 李世民(秦王・後の太宗)、尉遅恭(黒将軍・玄甲騎兵副将)、秦叔宝(玄甲騎兵の猛将)、程知節(後の程咬金)、李勣 - 夏軍: 竇建徳(夏王・捕虜)、范願(副将)、王琬(李世民に名馬を奪われた将)
安市城の戦い
SP-71 · 645年 · 土山を築いたら、その土山を取られる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 56(唐 32 ・ 高句麗 24)
- 歴史的概要
- 唐の太宗は六十日かけて城より高い土山を築いたが、崩れた土山を高句麗兵が先に占拠して逆に砦にしてしまった。冬が来て唐は退く。
- 主な武将
- 唐軍: 太宗(李世民)、李勣、江夏王道宗(土山の工事)、傅伏愛(持ち場を離れて斬られる)/高句麗: 安市城主(楊萬春とも伝わる)、城兵
- 史料
- 『三国史記』、『旧唐書』太宗本紀、『資治通鑑』
白村江の戦い
SP-72 · 663年 · 潮と風を読まずに、四度突っ込む
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 50(唐・新羅 24 ・ 倭・百済 26)
- 歴史的概要
- 倭国の船団は唐の陣形を崩せると見て四度突入し、四度とも挟まれた。潮の向きと風を読み違え、四百艘が焼けた。日本が朝鮮半島から退く分岐点。
- 主な武将
- 唐・新羅: 劉仁軌、杜爽、扶余隆、金法敏/倭・百済: 阿倍比羅夫、朴市田来津(討死)、扶余豊璋(高句麗へ逃走)
- 史料
- 『日本書紀』天智天皇二年、『旧唐書』劉仁軌伝、『三国史記』
唐の対外戦争と安史の乱 751 〜 757
タラス河畔の戦い
SP-73 · 751年 · 味方だったはずの部隊が、背中から
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 56(アッバース 28 ・ 唐 28)
- 歴史的概要
- 五日の対峙のあと、唐側についていたカルルク部が背後で寝返り、挟まれた唐軍が崩れた。唐の西域経営が退き、製紙法が西へ伝わったと語られる戦い。
- 主な武将
- 唐軍: 高仙芝(高句麗系の将)、李嗣業、段秀実、カルルク部(寝返る)/アッバース朝: ジヤード・イブン・サーリフ、アブー・ムスリムの部隊
- 史料
- 『旧唐書』高仙芝伝、『資治通鑑』、アラビア側の年代記
睢陽の戦い
CL-1 · 757年 · 安史の乱・十か月の籠城
- 規模
- 軽量 l(〜20分)/ 12ターン / 駒 30(唐(張巡・守) 13 ・ 燕(尹子奇・攻) 17)
- 歴史的概要
- 張巡と許遠が数千で睢陽に籠り、十か月にわたって十数万を引き受けた。城が落ちたのは援軍がついに動かなかったからで、その十か月が江南を守り、唐を残した。
- 主な武将
- 唐(守る側): 張巡、許遠、南霽雲(援軍要請に走る)、雷万春/燕(攻める側): 尹子奇(負傷)、賀蘭進明(味方でありながら援軍を出さない唐の将)
香積寺の戦い
SP-74 · 757年 · 長安を取り返す一日
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 68(唐・回紇 36 ・ 燕 32)
- 歴史的概要
- 長安奪回をかけた会戦で、唐軍は回紇(ウイグル)の騎兵を借りて敵の背後へ回らせ、李嗣業が上半身裸で長刀を振るって崩れかけた中央を支えた。六万が倒れ、長安が戻る。
- 主な武将
- 唐軍: 郭子儀、李嗣業(裸で長刀を振るう)、王思礼、回紇の葉護(援軍騎兵)/燕軍: 安守忠、李帰仁、田乾真
- 史料
- 『旧唐書』粛宗本紀/李嗣業伝、『資治通鑑』
宋金戦争 1130 〜 1161
黄天蕩の戦い
SP-75 · 1130年 · 八千で十万を、川の袋に四十八日
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 50(宋 20 ・ 金 30)
- 歴史的概要
- 韓世忠は長江の入り江に金軍の船団を閉じ込め、四十八日封じた。妻の梁紅玉が太鼓を打って指揮したと伝わる。金は古い水路を掘り直して脱出する。
- 主な武将
- 宋軍: 韓世忠、梁紅玉(太鼓を打つ)/金軍: 完顔宗弼(兀朮)、掘り直した水路の工兵
- 史料
- 『宋史』韓世忠伝、『建炎以来繋年要録』
郾城の戦い
CL-2 · 1140年 · 岳飛が重騎兵の連環を足元から崩す
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 9ターン / 駒 50(宋(岳飛) 24 ・ 金(兀朮) 26)
- 歴史的概要
- 金の完顔宗弼(兀朮)が3騎を鎖でつないだ拐子馬を並べて押してきたのに対し、岳飛は歩兵に長刀を持たせ、顔を上げずに馬の脚だけを切らせた。連なっているぶん一頭倒れると全部倒れる。勝った直後、朝廷から十二道の金牌で呼び戻される。
- 主な武将
- 宋軍: 岳飛、岳雲(子・先鋒)、楊再興、王貴、張憲/金軍: 完顔宗弼(兀朮)、韓常(負傷)、拐子馬・鉄浮図
順昌の戦い
SP-76 · 1140年 · 城を出て、暑さの中の重騎兵を削る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 11ターン / 駒 48(宋 18 ・ 金 30)
- 歴史的概要
- 劉錡は一万八千で順昌に籠り、城門から小刻みに出撃しては戻り、真夏の日中に重装の金騎兵を疲れさせた。兀朮の「拐子馬」が破られた最初の戦い。
- 主な武将
- 宋軍: 劉錡、八字軍(顔に刺青を入れた部隊)/金軍: 完顔宗弼(兀朮)、鉄浮図・拐子馬(重装騎兵)
- 史料
- 『宋史』劉錡伝、『金史』
采石磯の戦い
SP-77 · 1161年 · 文官が、敗残兵をかき集めて守る
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 48(宋 20 ・ 金 28)
- 歴史的概要
- 前線視察に来ただけの文官・虞允文が、指揮官の居ない敗残兵をその場で編成して長江の渡河を防いだ。車輪式の船で金の渡河船団を突き崩す。
- 主な武将
- 宋軍: 虞允文(文官)、時俊、海鰍船(車輪船)/金軍: 完顔亮(のち部下に殺される)、渡河船団
- 史料
- 『宋史』虞允文伝、『続資治通鑑』
モンゴルの南宋征服 1259 〜 1279
釣魚城の戦い
CL-3 · 1259年 · モンゴルの西征を止めた城
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 54(宋(王堅・守) 24 ・ モンゴル 30)
- 歴史的概要
- 長江の支流に突き出た岩山の城を、モンケ・ハン自らが半年攻めあぐね、そこで死んだ。西アジアまで進んでいたモンゴル軍は後継争いのため一斉に引き返し、世界史の向きがこの城で変わる。
- 主な武将
- 宋(守る側): 王堅(城主)、張珏、冉璡・冉璞兄弟(築城の献策者)/モンゴル軍: モンケ・ハン(陣没=サドンデス)、汪徳臣(負傷死)、史天沢
襄陽・樊城包囲戦
C-19 · 1267年 〜 1273年 · モンゴル vs 南宋
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 16ターン / 駒 72(モンゴル 40 ・ 南宋 32)
- 歴史的概要
- モンゴル軍が南宋の襄陽城を6年かけて包囲し「回回砲」で陥落させた攻城戦。
- 主な武将
- - モンゴル軍: フビライ・ハン(後方指揮)、アジュ(包囲戦指揮官)、イスマイル&アラウッディン(回回砲技術者) - 南宋軍: 呂文煥(城主・最後まで抵抗・後に降伏)、張貴(救援船隊長・討死)、張順(救援船隊長・討死)
崖山の戦い
C-20 · 1279年 · 南宋滅亡
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 62(元 30 ・ 南宋 32)
- 歴史的概要
- 張弘範率いるモンゴル水軍が、崖山海上で南宋1,000隻の船団を包囲殲滅。
- 主な武将
- - モンゴル(元)軍: 張弘範(総指揮)、李恒(副将) - 南宋軍: 張世傑(総指揮・海上で溺死)、陸秀夫(幼帝を抱いて入水)、端宗(幼帝・入水サドンデス)、文天祥(別軍・捕虜・後に処刑)
元末の争覇と明の内戦 1363 〜 1400
鄱陽湖の戦い
SP-78 · 1363年 · 鎖で繋いだ巨船を、火船で焼く
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 14ターン / 駒 70(朱元璋 32 ・ 陳友諒 38)
- 歴史的概要
- 陳友諒は巨船を鎖で繋いで浮かぶ城としたが、風の変わった日に朱元璋が火船を放って焼いた。三十六日の湖上戦で、陳友諒は矢に当たって死ぬ。中国史上最大級の水戦。
- 主な武将
- 朱元璋軍: 朱元璋、常遇春、徐達、廖永忠、韓成(身代わりになって溺死)/陳友諒軍: 陳友諒(流矢で戦死)、張定辺(本陣へ突入)
- 史料
- 『明史』太祖本紀/陳友諒伝、『明実録』
白溝河の戦い
SP-79 · 1400年 · 突風で敵の旗竿が折れる
- 規模
- 重量 w(45分超)/ 13ターン / 駒 68(燕王 30 ・ 南軍 38)
- 歴史的概要
- 靖難の役の天王山。数で劣る燕王軍が崩れかけたとき、突風で南軍の将旗が折れ、それを合図のように燕軍が押し返した。朱棣が帝位を得る道が開く。
- 主な武将
- 燕王軍: 朱棣(のちの永楽帝)、朱能、張玉、丘福/南軍: 李景隆(敗走)、郭英、平安、瞿能(父子で討死)
- 史料
- 『明史』成祖本紀/李景隆伝、『明太宗実録』
明とオイラト・土木の変 1449
土木の変
CL-4 · 1449年 · 皇帝が捕虜になる
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 10ターン / 駒 60(明 34 ・ オイラト 26)
- 歴史的概要
- 宦官王振に引きずられて親征に出た明軍が、帰路の土木堡で水の無い高台に停まり、翌日、水を求めて動き出したところをオイラトのエセンに突き崩された。皇帝英宗はそのまま捕虜になる。
- 主な武将
- 明軍: 英宗(正統帝・捕虜)、王振(宦官・討たれる)、張輔(老将・討死)、鄺埜(兵部尚書・討死)/オイラト軍: エセン(也先)、アラク知院
北京防衛戦
CL-5 · 1449年 · 城に籠らず門の外で戦う
- 規模
- 中量 m(〜45分)/ 12ターン / 駒 58(明(于謙) 30 ・ オイラト 28)
- 歴史的概要
- 皇帝を失った直後、于謙は遷都論を退け、全軍を城門の外に出し、自分の背後で門を閉めさせた。退げば入れない。9つの門の外で5日間戦い、エセンを退かせる。
- 主な武将
- 明軍: 于謙(兵部尚書・門を閉めさせた男)、石亨(徳勝門)、范広、孫鏜(西直門)/オイラト軍: エセン、捕虜の英宗を伴う